【written by 馬場容子(ばば・ようこ)】東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
【最近の私】 夏がやってきた!市場にはマンゴーをはじめ色鮮やかなフルーツが並び、道端にはブーゲンビリアが咲き誇っています。そんな盛り上がる季節の中、私はプールでリハビリ特訓中。
チェンマイは、モノづくりの街でもあり、たくさんの手工芸品があります。木彫り、シルバー、陶芸、布など、モノづくりが大好きな人には飽きない街でしょう。さて、私もここに住み始めてからモノづくりに関わるコーディネートのお仕事の依頼をいただくことがあります。先日、久しぶりに刺繍のオーダーをコーディネートする仕事がきました。
刺繍の作業は専門店に発注します。お付き合いのある刺繍屋さんは、タトウーを入れた、革ジャンが似合いそうなイマドキのお兄ちゃんがやっている小さなお店です。昔ながらの市場にお店を構えていますが、店内の床にはモノトーンのタイルが敷き詰められ、バイクが展示してあるなど、市場の中ではモダンな感じ。働き者の奥さんとお母さんは、毎日朝から店頭でジュースを販売し、親戚の叔父さんは、隣の一角でバイクの修理をやっているというまさに家族経営。
しかし、このお兄ちゃんは家族の中ではどうも怠け者らしく、午前中お店は大抵閉まっています。午後に訪ねても奥さんに叩き起こされて寝ぐせがついたまま出てくることもしばしば。そんな相手ですから今回のオーダーを依頼するか悩みに悩みましたが、小ロットの依頼を受けてくれるところはなかなかなく、急ぎの仕事だし、刺繍の型を持っているという利点もあるため、不安を抱えながらもお兄ちゃんに発注することに・・・。
そう、ここからお兄ちゃんとの闘いが始まるのです!
美しい山岳民族の手刺繍
■第1ラウンド: わかりやすいウソ
さて、縫製の進行スケジュールを立てながら、久しぶりにお兄ちゃんに電話をしました。数年ぶりに話すお兄ちゃんは、開口一番「もちろんオッケー! じゃぁ、明日の1時にね!」と、かつてのやる気のなさがウソのようにとてもアクティブな様子。ようやく仕事に打ち込むようになったんだなぁと感心したのもつかの間、次の日にはもう電話はつながらず・・・。大丈夫かなぁと嫌な予感を覚えながら、お店に行くと悪い予感は的中!
ジュースを作りながらお母さんが、「今は出かけていないから、また出直してね」と、やんわりと門前払い。しかしわざわざ車で30分かけて来たのだから、簡単には引き下がれません。「1時に約束をしてるので待ちます」と、私。最初のうちは申し訳ないと思っていた様子のお母さんも、帰ろうとしない私に「刺繍の機械が壊れて直しに行ってるんだからしょうがないだろう」と逆ギレ気味に。
まぁ、機械が故障という明らかなウソをそのまま信じるほど、私ももはやチェンマイ初心者ではありません。ここは知らんぷり。真に受けると、それを理由にずっと待たされることになるのです。ということで、しばらく粘っていると、奥さんがやってきて渋々オーダーを受けてくれました。というわけで、第1ラウンド終了。
こんなブックカバーも作りました。
■第2ラウンド: ドタキャン!!
数日してお兄ちゃんの奥さんから「仕上がったので明日取りに来て」と電話がありました。お願いしたよりもすでに1日遅れですが、それはチェンマイでは許容範囲。訪ねてまた「不在だ」と言われるのを防ぐため、奥さんに何度も「1時ね!」と念をし、電話を切りました。
次の日の12時40分。店に向かっている時、携帯電話が鳴りました。お兄ちゃんのお母さんからです。なんと、「今日は来なくていい」。「そう言われても、もう到着してるのでそういうわけにはいかない」と告げると、お母さんは「仲介に入りたくないから直接電話して!」といきなり電話を切ってしまいました。
渋々電話したところで、お兄ちゃんはもちろん電話に出ず・・・。しょうがないのでお母さんと奥さんに会いに行くと、さすがにしょんぼりした私を見て「私たちも頭に来てるのよ。ちゃんと叱っておくから」。この闘い、いつ終わるのだろう・・・。
■第3ラウンド: やっぱり憎めない!?
その日の夕方のこと。誰にでもいいから当たり散らしたいという怒りのオーラを発しながら次のスケジュールを練っていると、お兄ちゃんから電話が来ました。「今日の夜、出来上がったら僕が家まで届けるから、家の場所を教えてよ」。
(なんとまぁ、まだ刺繍が出来てなかったんだぁ)という呆れた気持ちと、(わざわざ持って来るなんてちょっと健気...)という思いが同時に湧き上がって、とにかく意表を突かれました。やっぱりどこか憎めないお兄ちゃんです。受け取りは家ではなく、お互いにわかりやすい場所を指定しました。
その夜、「着いたよ!」と待ち合わせの場所から電話がありました。それでもまた来ないのかもなどと疑いながら、到着。すると・・・お兄ちゃんが手を振って待っていました。「あー、よかったー!ところで刺繍は?」と見せてもらうと、一応綺麗にできていました。
が、ホッと胸をなでおろしたのもつかの間。手渡された請求書の価格がなんと以前に同じ依頼をした時の1.8倍に。
「高すぎ・・・」。
「うん、最近物価が上がってるからね。前の値段じゃできないよ。でも、いいよ。少し下げてあげる」。
あっさり値引きに応じてくれたお兄ちゃん。やっぱりビジネスには向かないようです。
さて、この勝負は引き分け!?
いやいや、やっぱりお兄ちゃんペースに巻き込まれたような・・・。若干の敗北感(泣)。次は他の刺繍屋さんに頼もうと心に決めたのでした。
夏真っ盛り!プールに咲くプルメリア
【written by 馬場容子(ばば・ようこ)】東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
【最近の私】
アキレス腱断切から7週間。先生に「いつになったら歩けるようになるんでしょう?」と尋ねると、「4ヶ月から6ヶ月はかかりますよ。ゆっくりゆっくり」。前回の検診では3ヶ月って言ってたのになぁ・・・ということで、自分の力でリハビリせねばと改めて実感。そこでビーチサンダルを改良した「7センチヒール・サポートサンダル」をナリンが作成してくれました。それを履くと・・・ようやく、あ・る・け・たー!
キンコン・カンコン・・・1年近く続いた隣の家の工事も佳境に入ってきました。私たちがこの地に家を建ててから3年。初めて移り住んだ時は、お隣さんはまだなく、自然の音が際立つほど静かで、本当にここはチェンマイ市内から20分?というような場所でした。緑に囲まれた暮らしというより、思いっきり伸びたワイルドな植物たちに囲まれているといった感じで、夜になれば街灯もなく真っ暗、友達からは「怖くないの?」と聞かれたほどでした。
そんな我が家の横に一軒の家が建ち、そして今もう一軒、イタリア人オーナーの新しい家も完成間近です。3年の間にこのあたりも少しずつ賑やかになってきました。隣の家が出来上がるのを眺めていたら、自分たちの家づくりのことを思い出しました。
シーズンの真っ黄色の花
■きっかけはデング熱
さて、なぜ私が異国の地チェンマイで家を建てようと思ったのか。どこの国でもそうですが、「家賃を払うよりは建てたほうがいい」というのは、ここチェンマイでも当たり前の考え方です。特に村のおばさんたちにはそう考える傾向が強く、私が家を借りていると言うと「家賃はいくら? 5年で30万バーツになるよ!」と私の代わりに計算までしてくれ、最後には「もったいないから早く家を建てた方がいい、そして庭で野菜を作るんだよ」とアドバイス。当時は一軒家が100万円くらいで売られていて、土地や資材も今より安かったので、パートナーのナリンとの雑談にもたまに話題には上がっていましたが、実行には至らず。そんな宙に浮いていた話が実現に向かったのは、私のデング熱事件がきっかけとなるのです。
マラリヤに次いで悪名高いデング熱。蚊が媒介する熱帯病の1つです。その年は例年にも増して大流行していました。友達のなかにもかかった人がいるという話を耳にした矢先、ついに私も高熱にうなされる事態を迎えてしまったのです。幸いなことに入院はせず家での療養となったのですが、当時借りていた高床式木造古民家での療養は、都会っ子の私には思った以上にヘビーな体験となりました。健康な時には気にしなかった暑さやちょっとした不便さ、そして何より蚊の存在は、高熱にうなされていると耐えきれないほど苦痛だったのです。
そして遂に、治りかけのベッドで決めたのです。「自分の家を建てるぞ!」。
そこからは物事がどんどん前に進みました。チェンマイの郊外では物件探しを不動産屋に頼む必要はなく、実際に歩いて土地を探します。訪ねた先々でどこどこの誰々さんの土地が空いているという情報を集めて回るため、おばさんの長い立ち話に付き合わされることもしばしば。そんなこんなで約一ヶ月。それまでの苦労も吹き飛んでしまうほど自分たちピッタリの土地についに出会ったのでした。そこはバナナやラムヤイの木が繁る小さな土地。二人で住むのには十分な地だと直感したのです。
home
■たくましくて、ほのぼの大工さん家族
朝8時。大工さんたちは、トラックの荷台に乗ってやって来ます。出稼ぎのミャンマー人が多く、家族総出でやって来ます。その中には女性もいて、彼女たちも土を掘ったり運んだりと肉体労働に汗を流すのです。また、工事現場の中、ハンモックに揺られながら赤ちゃんが寝ていて、お母さんが仕事の合間にあやしている光景には驚かされました。お昼休みには、持ってきたもち米とおかずを家族全員で食べ、昼寝をし、また働きます。
日本で見られる"安全第一"の装備とは程遠く、ビーチサンダルに短パン、ヘルメットではなく麦わら帽子。上から物を落とす時、「落ちるぞー!」と声をかけるのですが見ている方がヒヤヒヤします。それはそれとして、家族がそれぞれ役割分担し、全員で力を合わせて家を建てる姿は、なんだかいいなぁ、、、と思ったものでした。
そうこうするうちに、数ヶ月が経過。たまに現場に行くと、作業がストップしていることがあります。現場監督に確認の電話をしても繋がらないことがしばしば。約束した納期に終わるのだろうか?大工さんたちはどこ?
そんなことが頻繁に起きるので、ついに私の堪忍袋の緒が切れました。
■恋多き現場監督!?
ここは小さな村。都会の常識が当てはまらない一方で、噂はすぐに回ってきます。現場監督が何をしていたのかは、ほどなく明らかになりました。何件も掛け持ちで家を建てているために、自身の段取りも大工さんの手配も追いつかず。さらにこんな評判も。現場監督は既婚者にもかかわらず他の女性に貢いでいて、そっちの資金繰りも大変で首が回らないらしい。困ったものです・・・。
人はいいけど仕事と女性に行き詰まり、にっちもさっちもいかなくなった恋多き現場監督。そんな、日本では考えられない人間っぽいトラブルに出会うのも、ここチェンマイならではのこと。当初の半年という予定から2ヶ月が過ぎても終わる様子はなく、こちらが怒りをあらわにして文句を言っても、まるで糠に釘。マイペースな現場監督は動揺も見せずに平気な顔で「マイペンライ(気にしない)」と繰り返すだけ。終いには、平常心を失った私の方が悪いことをしているように感じたのでした。
建て始めてから9ヶ月が過ぎ・・・怒りをとうに通り越し、毎日ただただ呆れと諦めムードで過ごしていた頃、ようやく我が家は出来上がったのです。日本の家づくりでは考えられない出来事に遭遇したものの、終わった時は感無量。このカオスなチェンマイでついに家を建て終えたのだ!
納期の延期、大工さんのチームが3度も変わったこと、恋多き現場監督、そんなあれやこれやはもう水に流そう・・・。
そんな家づくりの思い出に浸りながらふと我に返り、イタリア人オーナーの新築の家に目をやると、、、なんと壁を真っ黄色に塗っているではないですか! よりによってなぜ、真っ黄色に・・・。
我が家周辺もすっかり派手やかになってきました。
我が家でくつろぐダムちゃん
【written by 馬場容子(ばば・ようこ)】東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
【最近の私】"静養生活もほぼ一ヶ月に。入院当初はパートナーのナリンも「僕が面倒見るから!」とはりきって車椅子を借りてきたり、おぶって2階へ連れてってくれたり...そんな甘い時期もどこへやら。今は放り出された感が否めず。自分の足で歩ける日を恋しく思う日々。。。
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"ブチッ"という音。テニスをしていた私は、へとへとっとコートにしゃがみこみました。駆けつけてくれたベテランプレーヤーの「すぐに病院へ!」というアドバイスのもと、パートナーのナリンにおぶられ、即病院へ。10数年ぶりにテニスを楽しんだのもつかの間、アキレス腱断裂、即手術、ギブス生活6週間という診断結果・・・。
■特効薬はドラえもんの歌!?
海外生活で初めての手術。そう言われてもピンとこないし、悠々と構えていた私も、いよいよストレッチャーに乗せられて緑の布と帽子を被る段階になると、急に心臓がドキドキばくばく。
手術室へ向かう途中、女性の看護士さんが「大丈夫?」としきりにタイ語で話しかけてくれましたが、心細さは増すばかり。そんな時、横についてくれた男性の看護士さんが突然、「こんにちは、のび太」と日本語で話しかけてきて、ドラえもんの歌を歌い始めたのです。
確かにタイで日本の大人気アニメといえばドラえもん。日本人患者への心遣いでしょうが、この場面に? しかも大人の私に?と、初めは困惑したものの、やっぱり心が暖まるものです。このドラえもんパワーのおかげで私の中のピークに達していた緊張はほぐれ、手術室に入った時にはすっかり肝が座ったのでした。
タイ語と英語で段取りを説明されながら、麻酔でウトウト。眠ってしまったかと思ったら、ほんの一時間で手術は無事終了。
当初の入院予定は3日でしたが、術後先生にいただいたのは「小さな傷で済んだし安定しているので、もう退院したければしてもいいですよ」というゆるいアドバイス。その通り、1日で退院できました。
そして家での安静生活がスタートしたのです。
道端に咲き誇る花たち。チェンマイでは日常の風景
■ローギアな時間
とにかく、ゆっくりと、安静に。頭ではわかっているのですが、実際にやってみると、せっかちな私にはいかに苦痛なことか。松葉杖を持ってきて、脇の下に当てて、なんてやってる暇があったら、片足ケンケンで行っちゃおう。でもその結果、右足のひざに痛みが・・・。
それならとハイハイで移動してみたら、両ひざに打ち身、さらには手の筋まで痛める始末。(片足一本をカバーするのってこんなに負担がかかるんだ)とか、(体の一つ一つの器官すべてにはちゃんと機能と役割があるんだ)とか、試行錯誤を繰り返しながら悶々としていた時のことです。
そばで見ていたナリンが一言。
「なんでそんなに急ぐの?」
その言葉でようやく我に返った私。現実に向き合い、生活スピードのギアをローに落として行こう。あわてず、一つ一つの動作をゆっくりと。玉ねぎ一つ切ること、洗濯物一枚たたむこと、犬に水をあげること。己との戦い。まるで新たな作法を体得するための厳しい修行のようです。
でも同時に、良く言えばスピード任せに、悪く言えば、いかに雑に、いろいろなことをやり過ごしてきたのか、考えるきっかけが生まれました。
そう、自分は何を生き急いでいたのだろう?
チェンマイの空を流れる雲のように、ゆっくりと・・・
こうして3週間が過ぎ、ようやく抜糸の日。初めてギブスを開けて傷口と対面!
先生の言った"小さな傷"と、私の目に飛び込んできた約20センチの傷跡には大きなギャップが・・・。しかも傷跡にはシワが寄ってるような。こんな大雑把さに若干の不安を感じつつも、(この傷跡は私が人生の一部を確かにチェンマイで生きたという証になったんだなあ)と、ちょっとしみじみしたのでした。
愛犬ダムたちと駆け回れる日も近いかも・・・
【written by 馬場容子(ばば・ようこ)】東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
【最近の私】"グワッグワッ"と鳴くアヒルが5羽、工房にやってきた。アヒルはよく食べるので餌代がかかる。それにアップアップした近所のおばさんが手放すことに。食用に売りはらうことが決まっていたが、それを聞きつけた私のパートナーのナリンが、自分が飼う!と引き取ってきた。・・・私は大混乱!?
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私がチェンマイを約一ヶ月あまり不在にしていた頃、私のパートナーであるナリンの工房に一人のアルバイトの青年が居候していました。突然現れた彼にびっくりした私を目の前に、その青年は一言も挨拶もせず、私の存在を全く気にしていませんでした。一応初めて会うんだけどなあ・・・年上なんだけどなあ・・・。
無視された感と礼儀の欠如感を覚えながらも、その場をやり過ごしたのでした。
実は、これ以前にも"チェンマイ人の挨拶"について考えさせられたことが幾度かあります。ナリンの実家を訪ねた時も、帰り際、私一人が「サワッディー・カー(さようなら)」と口に出して挨拶をしてる感じが、なんだか私一人だけがコミュニケーションに気を遣っているようで、妙に浮いてる気分だったこと。実家に来ていたお姉さんは何も言わずにいつの間にかスーッと帰っていて、(あれ、お姉さん、もう帰ってたの?挨拶出来なくて失礼だったかな)と感じたこと。また、前の仕事場でも、スーッと職場に来てスーッと消えていく人がいたことなどなど。
もしかして嫌われてる?のかなあと思ったり、挨拶のケジメが抜け落ちてる気がしていたのでした。
■便利な新語、「サワッディー」
そんな矢先、タイ語の教科書の隅っこに書かれたコラムに、"タイ人はあまりあいさつをしないと"書いてあったのです!
タイの挨拶でまず習うのは、「ワイ(手を合わせて合掌のような形)」、そして女性なら「サワッディー」の語尾に「カー」をつけて「サワッディー・カー」、男性なら「クラップ」をつけて「サワッディー・クラップ」という言葉。ワイはフォーマルで日本のお辞儀にあたリ、サワッディーは「サワット=幸運、平安」「ディー=良い」というサンスクリット語を起源とする言葉で、「おはよう、こんにちは、さようなら」などの全てに使える便利な挨拶です。
しかしコラムによると、実はこれは昔からある言葉ではなく、もともとこうした挨拶にあたる言葉はなかったというからびっくり。挨拶言葉がないなんて!
さらにネットで調べると、今から約80年前にタイでラジオ放送が始まった時、ある大学教員が番組の最初と最後の挨拶として「サワッディー」を考案。そこから学生の間で広まり、1950年に正式にタイ語の挨拶として認められたとか。そのように「サワッディー」は歴史の浅い言葉だったのです。その後普及したテレビでも用いられて一般に知られるようになり、つい十数年前からようやく学校でも挨拶言葉として教えるようになったそう。
確かに、ナリンの実家に集まった親族でも、若い弟夫婦はきちんと挨拶をしている印象があるのはそのせいか。私の頭の中でくすぶっていた「挨拶問題」がようやく腑に落ちたのでした。
■「サワッディー」は"常識"とは限らない
このように、サワッディーという挨拶言葉に馴染みがない世代や、そうした環境で育った人々が若者を含めてまだ現存しているわけです。かといって彼らも挨拶しないわけではなく、まずは微笑む。そして「ご飯食べたの?」とか「どこ行ってきたの?」と、具体的に話しかける。それが彼らの挨拶のようです。
サワッディーは、彼らからしてみれば、むしろよそよそしい形式的な挨拶なのかもしれないし、だからわざわざ家の中では使わないのでしょう。サワッディーを使うのは、相手を他人として見なして礼儀正しく挨拶をするケースであって、「家族や親しい間柄に無駄な挨拶は無用」というわけです。ナリンの家族に"挨拶を重視しない感"があったのは、私を家族として扱っていただけなのかも。
そうした背景を少し理解した私は、ナリンの実家にお邪魔した時、試しに何も言わずにスーッとおいとましてみました。それでもやっぱり周りの空気は、変わることなく普通に、自然に流れて行く。さよならを言わずに別れたあとも、スーッと身を引いた流れに乗った感じがあって、なのに自分から身を引いた自立感があり、一連の空気を乱さない心地よさがありました。
が、しかし・・・やっぱり挨拶の習慣が身体に染み込んでいる身としては、多少違和感が残ってしまう。その節その節でピリオドを打ちたくなる。
挨拶は、してもされても気持ちがいい。チェンマイの流れるように出会い、別れていく文化を理解しつつ、やっぱり私は「節目」として挨拶していこう・・・そう思った瞬間、思い出した。そういえば、タイ語の書き言葉は、ずらずらひたすらつなげて書く。文章の合間に句読点やピリオド、つまり「節目」というものがないことを! 深いなあ。
【written by 馬場容子(ばば・ようこ)】東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
【最近の私】タイの熱い日差しにシミが徐々に進行している危機!そこで試しているのが、ターメリックパック。インドでシミ予防として使われ、カレーのスパイスでもあるターメリックだが、日に日に顔が黄色くなる気が。。。
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先週は宮崎駿監督の「ハウルの動く城」(2004製作)を、そして昨日は1998年製作のインド映画「サラームボンベイ」を見ようと友人からのお誘いがありました。
ほんの数年前まで、チェンマイで映画を見ようと思ったら街中に2つある大型ショッピングセンターのどちらかでというのが相場でした。しかも上映されるのはタイ映画か、いわゆるハリウッド系メジャー映画がほとんど。レンタルDVD店も同じ傾向で、吹き替えはもちろんタイ語が中心。自分が見たいと思う映画の英語版をやっと見つけて、借りられたらラッキーという状況でした。
が、最近ではチェンマイにも様々な外国映画が少しずつ浸透している印象を受けています。
■小さな街での小さなヨーロッパ映画祭
今回はその一例をご紹介いたします。ここ数年タイと欧州の文化交流の一環として行われている「ヨーロッパ映画祭(European Union Festival)」。 今年6月にチェンマイ郊外にオープンした大型ショッピングセンターにはシネマコンプレックスが併設され、その杮落としにこの映画祭が開催されました。
オープニングでオランダの「Cool Kids Don't Cry」(2012年製作)という作品が上映されたのを皮切りに、以後10日間に渡り、ヨーロッパ各地から集められた映画がバンコク・コンケーン・チェンマイの3都市で、無料上映されました。
詳しくはコチラ→ http://euff2013th.wordpress.com
チェンマイ在住のヨーロッパ人には大変好評だったのはもちろんですが、タイ映画とメジャーなハリウッド系映画しか見ることができなかったチェンマイの人たちにとっても新たな映画と出会える良い機会となったようです。私もこの期間は友人と少し早めに映画館へ駆けつけてしっかり予約券を確保。ヨーロッパ映画の魅力を満喫しました。
■アジアの社会派作品を上映するNPO団体が登場!
次にご紹介したいのが、アジア系の映画やドキュメンタリーをピックアップして上映を行うNPO団体「ドキュメンタリー・アート・アジア(略してDAA)」の存在です。
詳しくはコチラ→ http://www.doc-arts.asia/documentary-films/
インドや韓国、日本などから社会派のテーマに挑んだ興味深い作品をセレクション。映画上映のチケット代やポップコーン代などはドネーション(寄付)形式で支払います。
手作り感あふれる上映スケジュールの案内板
ギャラリーのような上映スペース
また、映画鑑賞の一つの方法として、DAAが持っているフィルムを希望するグループなどにレンタルし、DAAのスペースでプライベート上映会を開くことも提案しています。友人たちを集めてチェンマイでプライベート映画鑑賞会!なんて贅沢なイベントが簡単に実現するのです。
まだまだ作品数は多いとは言えずタイムラグもありますが、このチェンマイの街でインディペンデント系外国映画を見る機会が増えたことは嬉しい限りです。
外国映画を観る機会が増えると、各国の友人たちと映画を通じて様々な話題を共有できます。そしてなにより、日本の映画に興味を持ち始める友人が増えるのは、やっぱり嬉しい!
でもその一方で、日本の映画はまだこんなにも知られていないんだなあ....と実感するのでした。
DAAの広報のためのカタログ資料より
【written by 馬場容子(ばば・ようこ)】東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
【最近の私】ものづくりをしている人が多いチェンマイ。友達から教わりながらバナナ編みコースターを作ったけれど、不器用な自分を再発見。
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観光以外でチェンマイに来る外国人の多くが、マッサージの勉強やヨガ、リトリートの体験を目的にやって来ます。そうした彼らの多くはベジタリアン。実は、チェンマイにはたくさんのベジタリアンレストランがあって、それもまた魅力の1つだという声をよく耳にします。
■じぇじぇじぇ! "ジェー"とは!?
タイ語ではベジタリアンのことを"ジェー"と呼び、さらに分けると、完全なベジタリアンである"ジェー"と、卵や乳製品は食べる"マンサウィラット"という2つのタイプがあります。
確かにタイでは、宗教上の理由からベジタリアンの人が身近によくいるし、また、毎年10月には肉や魚を食べないで体を清める期間として「ベジタリアン週間」があり、その時期だけベジタリアンになる人もいます。そのため、お寺の近くにたくさんのジェー食堂が集まっているのです。
今では想像もつきませんが、近代以前の日本にも肉食を禁じていた時代があったとか。タイでは歴史的、宗教的な意味合いから今日もベジタリアンであるという価値観が根強く残っているのです。つまり今も仏教を強く信じる国民という証しなのでしょう。
ジェーの看板は赤と黄色、「齋」の文字が目印(写真1)
ベジタリアン週間には、ジェーのシンボルである赤と黄色の"齋"という文字の旗や看板がいつも以上に街のあちこちに出現し(写真1)、ジェーの屋台が街の所々に出店します。しかも、肉や魚を扱う食堂のなかには休業するお店があったりします。
国民の精神修行の一貫であり、宗教的意味を持つジェーであるためか、いくつかのジェー食堂では、「一品目は無料」「玄米や生野菜は無料」といったサービスを行っています。
ジェー食堂や屋台のメニューは、見た目は普通のタイ料理ですが、もちろん素材は豆腐やきのこ、野菜が中心。お味はと言うと、油もしっかり使っているし、味付けがしっかりしていて大変食べやすいのです。日本の精進料理とはかなり印象が違います。(写真2.)(写真3)
ジェーの屋台。 ジェーの店先。ソムタム(パパイヤサラダ)などを
お気に入りの料理を選ぶお客さん(写真2) 注文するとその場で作ってくれる(写真3)
■続々登場! おしゃれなベジレストラン
一方、宗教的理由というより、ヘルシー思考やニューエイジ的な食のありかたを求める人々のニーズを汲んで生まれたベジタリアンレストランも増えています。こちらは西洋人が多く、タイの伝統的なジェーとは少しカラーが違います。
ベジタリアンでもマクロビオティックやローフード、サラダ中心など様々なコンセプトを掲げた店があり、どこも外国人で賑わっています。こうしたブームを受けて、最近では、「Go Green チェンマイマップ」というベジタリアンレストランやヨガ・スクールなどを中心に載せているマップが出現。街で無料で(あちこちまではいかないため削除)設置されています。(写真4)
「Onグリーンマップ」。緑色の表示がジェーの屋台やレストラン(写真4)
チェンマイでは、静かに広がり定着しつつあるベジタリアンの流れと、もともとあるジェーの流れがだんだんと織り混ざってきているのです。ばっちり肉食派の私の彼にはどちらも少々物足りないようですが、ヘルシー志向の女性達にとっては毎日の食生活の嬉しいチョイスとなっています。
そういえば、縫製の仕事をしていた熱心な仏教徒の友人が、4年前に心機一転、ジェー屋台を開業しました。フィッシュボール(魚のすり身を団子状にした練り物)の替わりに、ジェーバージョン椎茸ボール入りクイッティアオ(米麺を使ったタイ風ラーメン)が今や大人気!久しぶりに食べに行こう!
【written by 馬場容子(ばば・ようこ)】東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
【最近の私】飼犬のダムと近所の犬2匹と散歩している時間がプチメディテーション時間になっています。
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ここ数年、チェンマイは建築ラッシュのようです。古都であるチェンマイでは、街の景観維持のために背の高いコンドミニアムなどの建築には規制がありますが、それでもモダンなコンドミニアムやショッピングセンターが街じゅうのあちらこちらに建ちはじめ、新たな風景を創り出そうとしています。それはまるで古き時代が新しい時代へとがらりと変わる瞬間を見ているようです。
続々と登場する建築物の中でも、私が見ていてほっとするのが、ナチュラルな素材やデザインを重視した建築物たちです。
チェンマイの自然に溶け込んだpanyaden学校(写真1)
■コンクリート派VSナチュラル派!?
隣の家を建てている大工さんたちは、自分たちが一時的に寝泊りするための竹製の家をいとも簡単に作ってしまいます。そこに数ヶ月間住み込んで働き、家が出来上がると竹の家を解体して、また次の仕事場に移っていきます。
そんな竹の家に見られるような、シンプルでベーシックなナチュラル建築に新たなデザインが加わった建築様式が今、チェンマイに住む人々を魅了しています。どことなく素朴でゆったりした雰囲気を醸し出す建物。
数年前に誕生したpanyaden学校(写真1)は、竹と土でできた建築物として大きな話題になりました。特に、自然界のエコシステムを暮らしの中心に置くことを提唱するパーマカルチャーに基づいた生き方を目指してこの地を訪れた外国人の眼には、こうしたナチュラル建築は魅力的なタイ文化の一つに映るようです。そうした背景から、近年はナチュラル建築のワークショップがあちこちで行われています。
一方、多くのタイ人にとってはあいかわらずコンクリート製のモダンな家こそがお金持ちの象徴であり、あこがれの住まいでもあります。
西洋風の堅ろうな建築に魅了されるタイ人。やさしいナチュラル建築に魅了される外国人。一見正反対の二つの建築の流れが、今のチェンマイの街には混在しているように見えます。
■子どもに人気、竹製の遊具たち
ニックス・カフェの竹製パイレーツ遊具
www.nics.asia でさらに詳しく!(写真2)
ナチュラル建築を取り入れたカフェが近所にできて、今、とても賑わっています。オーナーは自然志向の西洋人、シルビアさんです。家族連れの客を見ていると、親たちはレストランで食事を楽しみ、子どもたちは竹製の遊具で思いっきり遊んでいます。遊具のコンセプトは子どもたちが大好きな海賊船。(写真2) まさにこのレストランの目玉となっています。遊び終わったあとは、子ども用のシャワーやトイレまで用意されているので、汗だくで泥んこになってもへっちゃら。
シルビアさんはナチュラル建築の魅力をこう語ってくれました。
「竹製のプレイグランドを作ったのは、沢山のこどもに自然素材に触れてほしいと思ってるから。ショッピングセンターに行けばプラスティック製の遊具がところ狭しと並んでいるけれど、土や竹にも触れてほしい。自分自身のベースであるはずの自然と繋がっていて欲しいし、いつも忘れないでほしいと願っています。これからはもっと自然と関わるワークショップを企画するつもりなの」
壁や屋根はもちろん、時には家の基礎部分までを竹や土といった自然素材で簡単に作り上げ、数年したら部分的なリフォームを施すなどして家を維持できてしまう気軽さは、南国の住まいならではの魅力です。近年は人気の影響からか、価格が上がっているのが少し気がかりですが、この風土と気候を生かしたナチュラル建築が今よりもっと増えていくことを願っています。
そしていつまでもチェンマイらしい風景を失わないでほしいなと思う今日この頃です。
チェンマイの美しい田園風景
【written by 馬場容子(ばば・ようこ)】東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
【最近の私】雨季真っ只中。フランス人が自宅で土曜日だけ開くパン屋さんを最近見つけました。クロワッサンが絶品。チェンマイに来た6年前にはこんな美味しいパンはありませんでした!
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タイ人の本名には、サンスクリット語が多く使われているからなのか、とても長く難しい。覚えにくいし、なんせ呼びにくい。
そのためタイ人は生まれた時に皆、"チューレン(あだ名、愛称)"をもらいます。チューレンは動物の名前や花の名前、口語の形容詞やら様々な言葉をもとにしています。
タカテン(バッタ)、ダーオ(星)、ムー(ぶた)、カノム(お菓子)、ヘン(乾燥)、ウアン(おでぶちゃん)などなど。日本でそう呼ばれたらなんだかむっとしてしまいそうなあだ名も、みんなご愛嬌。なんて明るい性格なんだと、タイ人の国民性に感心しています。
あだ名をつけるのは、ただ「本名が長くて呼びづらい」という理由だけではありません。一説には、赤ちゃんが生まれた時、お化けに赤ちゃんの魂を奪われないために、人間の赤ちゃんだと悟られないようなあだ名をつけるともいわれています。
また、昔は「牛など動物の名前をつけることで災厄から逃れることができる」と信じられていたそうです。こんなところにも、かつて繁栄したというアニミズム信仰の名残りが垣間見られます。
「テンモー(すいか)」も人気の高いあだ名の1つ。
家の庭によく見られる祠(ほこら)。アニミズム信仰の名残り。
■ちょくちょく名前を変える?!
さて、先日の出来事。
「またうちの姉ったら名前を変えたよ。何回変えたか分からないから、なんて名前だかわからなくなっちゃうよ。」チェンマイでの暮らしのパートナーである彼がこんなことを言いました。
彼は8人兄妹、5人のお姉さんがいます。彼女たちは人生でいまいちなことが起きたり、失恋したり、体調不良だったりすると、「運をかえるぞ!」とばかりに簡単に名前を変えてしまうのです。
日本で改名する人は稀ですが、タイでは頻繁にあること。お坊さんや占い師、霊媒師のところへ行って姓名判断をしてもらい、運がよくなるような名前をつけてもらいます。
もしくは日本にもあるような姓名判断の本から自分の好きな名前を選ぶこともあります。たとえば、「フルネームのタイ語画数が100画以上が運が良い」などといった感じです。
彼の一番上のお姉さんは1回改名しているので、親からもらった名と合せて2つ名前が存在します。二番目も同様に2つ、三番目は2回変えているので3つ、四番目は3回なので4つ、五番目は2回なので3つ・・・。
5人の姉妹に14の名前があるわけです。確かに分からなくなってしまいます。
親からもらった名に執着することより幸運に希望を託して名前を変えてしまう気軽さと大らかさ。初めて知った時はびっくりしましたが、これも私の好きなタイっぽさの1つです。
タイ人の必需品(!?)。名前占い(姓名判断)の本。
■存在感が薄い「苗字」
タイ人にとって一番馴染み深い呼び名はあだ名、次に名前、意外なことにもっとも馴染みの薄い存在が苗字なのです。
タイに名字法ができたのは今からちょうど100年前。みんなが苗字を持ちはじめてからの歴史が浅いわけですから、それも当たり前なのかもしれません。
日本では鈴木さんや佐藤さんなど同姓の人が沢山存在しますが、タイでは同じ姓というのはめったにありません。むしろ他人と同じ姓を持つことを避ける傾向にあるそうです。
また、結婚した時に男性方の姓を名乗っても女性方の姓を名乗ってもいいし、それぞれの苗字そのままでもいいのです。さらには新たな苗字を作ることもできます。
存在感が薄いからこそ自由に選べる苗字。結婚しても名前を変えなくていいと聞いた時は「なんて進んでる国なんだろう」と感心しましたが、実は、その背景には姓名にこだわりのない文化と人々の自由な気質があったのです。
「ファーン(シダ)」もあだ名によく用いられている。
【written by 馬場容子(ばば・ようこ)】東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
【最近の私】暑い毎日! 近所にできたドイツ人が経営するカフェ&レストランでマンゴ・ミント・スムージーを満喫。うちで採れたミントで今度トライしてみようかな。
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今でこそチェンマイの女性たちは様々なヘアスタイルを楽しんでいますが、伝統的なスタイルは、長い髪を束ねまとめ上げて生花を飾るというもの。
タイ風の髪結いスタイル
日本同様に、昔はまっすぐの長い髪が美しいとされていたようで、髪のお手入れはタイ人女性の大事な身だしなみの一つです。かつてはマクルッ(コブみかん)の果実を使って髪の毛の艶出しやトリートメントをしていました。その名残なのか、スーパーなどではマクルッを使ったシャンプーなどのヘアケア商品をよく見かけます。
マクルッのシャンプー
数年前のこと。私がいつも縫製をお願いしているおばさんは、まっすぐな黒髪を腰まで伸ばしているヘアスタイルでした。でも、ある日突然バッサリと短くカットしてきたのです。驚いて理由を尋ねてみると、「髪の毛を売ってきたの」。
彼女は自分の髪の毛をかつらや付け毛用に500バーツ(1500円)で売ったのでした。価格は長さやまっすぐかどうかなどの状態で変わるそう。きっと今頃、彼女の髪はタイの舞踊用のカツラなどに変身していることでしょう。
■自由気ままななご近所理容室
さて、私もチェンマイで髪をカットすることがありますが、パーマやオシャレなカットはちょっと怖くてリクエストする勇気がありません。言葉の問題に加えてカット技術がまだ心配・・・。なので、ふだんはまっすぐ揃えるだけのカットやカラーリング、特別な日でも髪結いをお願いするくらいにしています。
家の近所にもいくつかの理容室があります。街にはオシャレな美容室ができていますが、ご近所はなんといっても気軽なのが魅力です。
最近の行きつけはウアンさんがやっている小さな理容室です。
ご近所の理容師、ウアンさん ウアンさんの理容室
平日は暇そうで、たまにウアンさんの子どもが順番待ちのための椅子で寝そべって本を読んでいたり、お店と隣接している彼女の家からお昼ごはんを持ってきて食べていたり。一家の生活が垣間見られる所がいかにも地元らしい理容室です。
チェンマイの理容室ではシャンプーの時に水を使うことが多く、初めての時はいろんな意味でヒヤッとしました! 仰向けに寝ている時の顔にシャワーの水がかかってきたりして、日本の至れり尽くせりなサービスからは程遠いと言えます。それでも、地元の理容室ならではのおおらかさはここでしか味わえない居心地のよさを感じさせてくれるのです。
混んでいる日はいろんな光景を見かけます。
パーマのロットを巻いたままおしゃべりに夢中の女性客たち、タオルを頭に巻いたまま外の屋台でお昼ごはんを食べている人、スーパーで買ってきたカラー液をそのまま渡して染めてもらっている人もいます。シャンプーなしの簡単カットだけの人、お出かけ前の髪をブローセットする女性も・・・。
日本の理容室はもちろんチェンマイの街中の美容院では見られない、女性たちの自然な姿にふれることができます。そしてウアンさんもそんな自由さを楽しみ、一人ひとりのリクエストに応えてくれるのです。私も以前、遠方の知り合いの結婚式に出席するために、朝5時過ぎにわざわざお店を開けてもらい髪を結ってもらったことがありました。
そんな地元密着型の理容室。相場価格は日本円で500~600円と、街中の美容院の半額。ウアンさんに聞くともっと儲かるような仕事の仕方もできなくもないと言うのですが、お客さんとのアットホームな関係が好きだし、そして何より家族といつも近くにいられる働き方に十分満足しているそうです。
ウアンさんのおおらかさが息づいているチェンマイの理容室は、地元の女性たちの井戸端会議の場として、そして家庭の財布を切り盛りする女性たちの強い味方として必要とされ続けているのです。さて、次のタイ風髪結いはどんなふうにしてもらおうかな!?
【written by 馬場容子(ばば・ようこ)】東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
【最近の私】2年前にふらりと家にやってきた野良犬ダムちゃんを、正式に我が家の犬として迎えました!予防注射をしたり、家の柵を作ったり、気持ちも空間もリニューアル。いずれ、ダムが登場する日があるかな?.
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4月、ジャスミンの花が咲き始める頃は、旧正月を祝う「ソンクラーン(水かけ祭り)」の季節でもあります。12月末に行われるタイ山岳民族モン族のお正月から始まり、1月には日本のお正月、2月には中国の旧正月(タイには中華系タイ人も多い)、そして夏真っ盛りの4月には「ソンクラーン(水かけ祭り)」があります。
ずっとお正月気分を味わっている気がするのですが、日本人である私にとって、暑いお正月は「どうも気分が盛り上がらない...」のです。
とはいえ、チェンマイで暮らす人々にとってはこれこそが1年のメインイベント。4月に入るやいなや、みんな心ここにあらずといった様子でお祭りの日を心待ちにします。
ソンクラーンは4月の13日から15日まで。日本のお正月のように丸々3日間続きます。
ソンクラーン祭りで水をかけ合う子供たち
「水かけ祭り」として有名ですが、本来は仏像を清めたりお寺へお参りしたりと、旧正月を祝う様々な精神的な行事があるのです。飲んで食べて、そして何より家族一緒の時間を過ごせることも、多くの人々がソンクラーンを待ちわびる理由の1つです。
その中でも私がいいなぁと思うのは、昔ながらの伝統的行事、「ダムフアの儀式」です。
これは、お年寄りを敬う儀式であり、お年寄りに対する旧年中の感謝や謝罪の気持ちを表す新年の挨拶の意味を持ちます。
ナムホムという香りのする液体と紅花やソンポイの実などをいれた聖水を、タイの伝統的なアルミ製のボールに入れます。それをお年寄りの所へ持って行き、香りのついた聖水をおじいさんやおばあさんの手にかけるのです。おじいさんやおばあさんは祝福の言葉を唱えながら、挨拶に訪れた一人ひとりの腕に白い紐を結び、今度は聖水を頭に降りかけて祝福してくれます。
ナムホム(瓶)と聖水。手前に敷きつめた白い小さな花、ジャスミンは、
儀式の時に捧げられる代表的な夏の花。大きな花は季節の花、ガーデニア。
■お母さんからの祝福
今年、彼の実家を訪れた時、久しぶりにこのダムフアの儀式を見ました。
30人近い親族が集まって夕飯の食卓で水入らずの時間を過ごしたあと、お母さんは息子の一人に手を引かれ、真ん中に置かれた椅子に座ります。60歳くらいの親戚のおじさんから小さな孫たちまでの全員が、歳が上の者から順にお母さんの足元にひざまずき、ワイ(両手を合わせること)の姿勢でお母さんから祝福の言葉を受けるのです。
穏やかで、謙虚で、まるで洗礼を受けているよう。だからといって、形式ばったり、堅苦しい感じはなく、たまに笑いも起きたりして。そんな空気感がすごくタイらしい。見ているだけで、凝り固まっていた心のしこりが溶けて流される気分でした。
ただただ騒ぐだけのお正月ではなく、お年寄りを敬い、一年分の感謝や謝罪の気持ちを表す日。人と人とが縁や絆を確かめ合う節目の日。同時に、自分自身を振り返り、新しい年に向けて気持ちを新たにする日。
年長者を敬う気持ちや受け継ぐべき豊かな精神、謙虚な心。
なんだか色々忘れてた。。。
2013年、タイでは仏暦2556年。日本は平成25年。
真夏の異国で味わうお正月でも、心はやっぱり同じ。
ジャスミンの花とナムホムの香りに包まれながら、久しぶりに母に電話しようかなぁと思うのでした。
タイの花飾り、マライ。仏像や祠に捧げられる。