【written by 馬場容子(ばば・ようこ)】東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
【最近の私】 夏がやってきた!市場にはマンゴーをはじめ色鮮やかなフルーツが並び、道端にはブーゲンビリアが咲き誇っています。そんな盛り上がる季節の中、私はプールでリハビリ特訓中。
チェンマイは、モノづくりの街でもあり、たくさんの手工芸品があります。木彫り、シルバー、陶芸、布など、モノづくりが大好きな人には飽きない街でしょう。さて、私もここに住み始めてからモノづくりに関わるコーディネートのお仕事の依頼をいただくことがあります。先日、久しぶりに刺繍のオーダーをコーディネートする仕事がきました。
刺繍の作業は専門店に発注します。お付き合いのある刺繍屋さんは、タトウーを入れた、革ジャンが似合いそうなイマドキのお兄ちゃんがやっている小さなお店です。昔ながらの市場にお店を構えていますが、店内の床にはモノトーンのタイルが敷き詰められ、バイクが展示してあるなど、市場の中ではモダンな感じ。働き者の奥さんとお母さんは、毎日朝から店頭でジュースを販売し、親戚の叔父さんは、隣の一角でバイクの修理をやっているというまさに家族経営。
しかし、このお兄ちゃんは家族の中ではどうも怠け者らしく、午前中お店は大抵閉まっています。午後に訪ねても奥さんに叩き起こされて寝ぐせがついたまま出てくることもしばしば。そんな相手ですから今回のオーダーを依頼するか悩みに悩みましたが、小ロットの依頼を受けてくれるところはなかなかなく、急ぎの仕事だし、刺繍の型を持っているという利点もあるため、不安を抱えながらもお兄ちゃんに発注することに・・・。
そう、ここからお兄ちゃんとの闘いが始まるのです!
美しい山岳民族の手刺繍
■第1ラウンド: わかりやすいウソ
さて、縫製の進行スケジュールを立てながら、久しぶりにお兄ちゃんに電話をしました。数年ぶりに話すお兄ちゃんは、開口一番「もちろんオッケー! じゃぁ、明日の1時にね!」と、かつてのやる気のなさがウソのようにとてもアクティブな様子。ようやく仕事に打ち込むようになったんだなぁと感心したのもつかの間、次の日にはもう電話はつながらず・・・。大丈夫かなぁと嫌な予感を覚えながら、お店に行くと悪い予感は的中!
ジュースを作りながらお母さんが、「今は出かけていないから、また出直してね」と、やんわりと門前払い。しかしわざわざ車で30分かけて来たのだから、簡単には引き下がれません。「1時に約束をしてるので待ちます」と、私。最初のうちは申し訳ないと思っていた様子のお母さんも、帰ろうとしない私に「刺繍の機械が壊れて直しに行ってるんだからしょうがないだろう」と逆ギレ気味に。
まぁ、機械が故障という明らかなウソをそのまま信じるほど、私ももはやチェンマイ初心者ではありません。ここは知らんぷり。真に受けると、それを理由にずっと待たされることになるのです。ということで、しばらく粘っていると、奥さんがやってきて渋々オーダーを受けてくれました。というわけで、第1ラウンド終了。
こんなブックカバーも作りました。
■第2ラウンド: ドタキャン!!
数日してお兄ちゃんの奥さんから「仕上がったので明日取りに来て」と電話がありました。お願いしたよりもすでに1日遅れですが、それはチェンマイでは許容範囲。訪ねてまた「不在だ」と言われるのを防ぐため、奥さんに何度も「1時ね!」と念をし、電話を切りました。
次の日の12時40分。店に向かっている時、携帯電話が鳴りました。お兄ちゃんのお母さんからです。なんと、「今日は来なくていい」。「そう言われても、もう到着してるのでそういうわけにはいかない」と告げると、お母さんは「仲介に入りたくないから直接電話して!」といきなり電話を切ってしまいました。
渋々電話したところで、お兄ちゃんはもちろん電話に出ず・・・。しょうがないのでお母さんと奥さんに会いに行くと、さすがにしょんぼりした私を見て「私たちも頭に来てるのよ。ちゃんと叱っておくから」。この闘い、いつ終わるのだろう・・・。
■第3ラウンド: やっぱり憎めない!?
その日の夕方のこと。誰にでもいいから当たり散らしたいという怒りのオーラを発しながら次のスケジュールを練っていると、お兄ちゃんから電話が来ました。「今日の夜、出来上がったら僕が家まで届けるから、家の場所を教えてよ」。
(なんとまぁ、まだ刺繍が出来てなかったんだぁ)という呆れた気持ちと、(わざわざ持って来るなんてちょっと健気...)という思いが同時に湧き上がって、とにかく意表を突かれました。やっぱりどこか憎めないお兄ちゃんです。受け取りは家ではなく、お互いにわかりやすい場所を指定しました。
その夜、「着いたよ!」と待ち合わせの場所から電話がありました。それでもまた来ないのかもなどと疑いながら、到着。すると・・・お兄ちゃんが手を振って待っていました。「あー、よかったー!ところで刺繍は?」と見せてもらうと、一応綺麗にできていました。
が、ホッと胸をなでおろしたのもつかの間。手渡された請求書の価格がなんと以前に同じ依頼をした時の1.8倍に。
「高すぎ・・・」。
「うん、最近物価が上がってるからね。前の値段じゃできないよ。でも、いいよ。少し下げてあげる」。
あっさり値引きに応じてくれたお兄ちゃん。やっぱりビジネスには向かないようです。
さて、この勝負は引き分け!?
いやいや、やっぱりお兄ちゃんペースに巻き込まれたような・・・。若干の敗北感(泣)。次は他の刺繍屋さんに頼もうと心に決めたのでした。
夏真っ盛り!プールに咲くプルメリア
【written by 馬場容子(ばば・ようこ)】東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
【最近の私】
アキレス腱断切から7週間。先生に「いつになったら歩けるようになるんでしょう?」と尋ねると、「4ヶ月から6ヶ月はかかりますよ。ゆっくりゆっくり」。前回の検診では3ヶ月って言ってたのになぁ・・・ということで、自分の力でリハビリせねばと改めて実感。そこでビーチサンダルを改良した「7センチヒール・サポートサンダル」をナリンが作成してくれました。それを履くと・・・ようやく、あ・る・け・たー!
キンコン・カンコン・・・1年近く続いた隣の家の工事も佳境に入ってきました。私たちがこの地に家を建ててから3年。初めて移り住んだ時は、お隣さんはまだなく、自然の音が際立つほど静かで、本当にここはチェンマイ市内から20分?というような場所でした。緑に囲まれた暮らしというより、思いっきり伸びたワイルドな植物たちに囲まれているといった感じで、夜になれば街灯もなく真っ暗、友達からは「怖くないの?」と聞かれたほどでした。
そんな我が家の横に一軒の家が建ち、そして今もう一軒、イタリア人オーナーの新しい家も完成間近です。3年の間にこのあたりも少しずつ賑やかになってきました。隣の家が出来上がるのを眺めていたら、自分たちの家づくりのことを思い出しました。
シーズンの真っ黄色の花
■きっかけはデング熱
さて、なぜ私が異国の地チェンマイで家を建てようと思ったのか。どこの国でもそうですが、「家賃を払うよりは建てたほうがいい」というのは、ここチェンマイでも当たり前の考え方です。特に村のおばさんたちにはそう考える傾向が強く、私が家を借りていると言うと「家賃はいくら? 5年で30万バーツになるよ!」と私の代わりに計算までしてくれ、最後には「もったいないから早く家を建てた方がいい、そして庭で野菜を作るんだよ」とアドバイス。当時は一軒家が100万円くらいで売られていて、土地や資材も今より安かったので、パートナーのナリンとの雑談にもたまに話題には上がっていましたが、実行には至らず。そんな宙に浮いていた話が実現に向かったのは、私のデング熱事件がきっかけとなるのです。
マラリヤに次いで悪名高いデング熱。蚊が媒介する熱帯病の1つです。その年は例年にも増して大流行していました。友達のなかにもかかった人がいるという話を耳にした矢先、ついに私も高熱にうなされる事態を迎えてしまったのです。幸いなことに入院はせず家での療養となったのですが、当時借りていた高床式木造古民家での療養は、都会っ子の私には思った以上にヘビーな体験となりました。健康な時には気にしなかった暑さやちょっとした不便さ、そして何より蚊の存在は、高熱にうなされていると耐えきれないほど苦痛だったのです。
そして遂に、治りかけのベッドで決めたのです。「自分の家を建てるぞ!」。
そこからは物事がどんどん前に進みました。チェンマイの郊外では物件探しを不動産屋に頼む必要はなく、実際に歩いて土地を探します。訪ねた先々でどこどこの誰々さんの土地が空いているという情報を集めて回るため、おばさんの長い立ち話に付き合わされることもしばしば。そんなこんなで約一ヶ月。それまでの苦労も吹き飛んでしまうほど自分たちピッタリの土地についに出会ったのでした。そこはバナナやラムヤイの木が繁る小さな土地。二人で住むのには十分な地だと直感したのです。
home
■たくましくて、ほのぼの大工さん家族
朝8時。大工さんたちは、トラックの荷台に乗ってやって来ます。出稼ぎのミャンマー人が多く、家族総出でやって来ます。その中には女性もいて、彼女たちも土を掘ったり運んだりと肉体労働に汗を流すのです。また、工事現場の中、ハンモックに揺られながら赤ちゃんが寝ていて、お母さんが仕事の合間にあやしている光景には驚かされました。お昼休みには、持ってきたもち米とおかずを家族全員で食べ、昼寝をし、また働きます。
日本で見られる"安全第一"の装備とは程遠く、ビーチサンダルに短パン、ヘルメットではなく麦わら帽子。上から物を落とす時、「落ちるぞー!」と声をかけるのですが見ている方がヒヤヒヤします。それはそれとして、家族がそれぞれ役割分担し、全員で力を合わせて家を建てる姿は、なんだかいいなぁ、、、と思ったものでした。
そうこうするうちに、数ヶ月が経過。たまに現場に行くと、作業がストップしていることがあります。現場監督に確認の電話をしても繋がらないことがしばしば。約束した納期に終わるのだろうか?大工さんたちはどこ?
そんなことが頻繁に起きるので、ついに私の堪忍袋の緒が切れました。
■恋多き現場監督!?
ここは小さな村。都会の常識が当てはまらない一方で、噂はすぐに回ってきます。現場監督が何をしていたのかは、ほどなく明らかになりました。何件も掛け持ちで家を建てているために、自身の段取りも大工さんの手配も追いつかず。さらにこんな評判も。現場監督は既婚者にもかかわらず他の女性に貢いでいて、そっちの資金繰りも大変で首が回らないらしい。困ったものです・・・。
人はいいけど仕事と女性に行き詰まり、にっちもさっちもいかなくなった恋多き現場監督。そんな、日本では考えられない人間っぽいトラブルに出会うのも、ここチェンマイならではのこと。当初の半年という予定から2ヶ月が過ぎても終わる様子はなく、こちらが怒りをあらわにして文句を言っても、まるで糠に釘。マイペースな現場監督は動揺も見せずに平気な顔で「マイペンライ(気にしない)」と繰り返すだけ。終いには、平常心を失った私の方が悪いことをしているように感じたのでした。
建て始めてから9ヶ月が過ぎ・・・怒りをとうに通り越し、毎日ただただ呆れと諦めムードで過ごしていた頃、ようやく我が家は出来上がったのです。日本の家づくりでは考えられない出来事に遭遇したものの、終わった時は感無量。このカオスなチェンマイでついに家を建て終えたのだ!
納期の延期、大工さんのチームが3度も変わったこと、恋多き現場監督、そんなあれやこれやはもう水に流そう・・・。
そんな家づくりの思い出に浸りながらふと我に返り、イタリア人オーナーの新築の家に目をやると、、、なんと壁を真っ黄色に塗っているではないですか! よりによってなぜ、真っ黄色に・・・。
我が家周辺もすっかり派手やかになってきました。
我が家でくつろぐダムちゃん