不惑のjaponesa(ハポネサ) ~40歳、崖っぷちスペイン留学~

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第1回:崖っぷち、大人留学スタート!
2013年04月17日

【written by 浅野藤子(あさの・ふじこ)】山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。
【最近の私】出かける機会が多いので、悩み抜いてKindle HD Fireを購入。本を自炊したり、書類をPDFにしてバッグが軽くなることに喜びを感じる。でも結局は、Kindleに保存することで満足してしまい、なかなか読み進みまず。
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2010年11月。藤子40歳――。

東京国際映画祭という大イベントを終了したばかりの私は、魂が抜けた放心状態から少し回復しつつあった。2か月近く最終電車で帰宅する仕事漬けの日々だったが、終了後は、朝は定刻に家を出て、残務整理をして定時に帰宅。たまに仲間と飲んだり映画を観たり。放電状態から充電状態へスイッチングした単調な毎日だ。願っていたはずの開放的な時間。だが、疑問が。

「このまま、この生活でいいのだろうか?」

映画好きがこうじて日本国内にある2つの国際映画祭でお世話になり、週末や夏休み・冬休みを返上して13年間この仕事に打ち込んできた。家族からは「また仕事でしょ」と諦められ、温泉や外食など家族行事からも疎遠になっていた。大好きで天職と思っていた仕事だったが、振り返ると100メートルの全力疾走を13年間続けていたような気もしてくる。心身共に疲労感で一杯だった。

■再び留学に目覚める

そして自問自答。

自問:「もし80歳まで生きられると仮定したら、ターニングポイントである40歳からどんな40年を過ごしたい?」

自答:「20代で知力、財力が無いことで断念した夢を、40代になったからこそ実現させる。様々な国を訪れて悔いのない人生を謳歌する」

幼少から世界を旅することを夢み、20代でアメリカの大学に留学。必修科目でスペイン語を専攻したことが契機となり、その言葉の持つリズムや発音の魅力にどっぷりと浸かっていった。当然のことながら(いつしかスペイン語圏に留学したい)という願望が湧き上がるが、大学の授業料と生活費をやりくりするのが精一杯だった経済状況や、奨学金に落ちたこともあり、当時はあえなく断念。その悔いはいつでも頭の片隅にあり、時々思い出していた。

それから20年後。「そんなもやもや、吹き飛ばしてやる!」と急に思い立って、スペイン語を猛勉強した。でも「勉強して何になる?」と再び疑問が......。

そんなある日、日本における洋画作品の公開状況の資料を見ていたら、ひときわ目に引いたのが、スペイン映画の公開状況の悪さだった。2008年に日本で公開されたスペイン映画はたったの4本。巨匠ペドロ・アルモドバル監督や『アザーズ』のアレハンドロ・アメナーバル監督作品以外はほとんど公開に至らず。ちなみにスペインで公開された日本映画は19本だ。

当時、年間の製作本数は、日本は450本程度、それに対してスペインは380本程度。このデータからも両国の公開状況のバランスの悪さは見て取れる。(もしかしたら、スペインにはお宝映画があるかも)と、長年映画祭の仕事で培った気持ちが騒ぎだした。どうせスペイン留学を考えるなら、「埋もれた秀作を見つけ出して日本に紹介したい。そのためにスペイン映画を研究する」という目的で、助成金なり奨学金を申請してみてはどうかというアイデアも浮かんだ。

「でも、研究して何になる?」自問自答はまだ続く。

「キャリアアップ? 自己満足? このまま映画祭の仕事を続ける方が無難じゃない? 家のローンはどうするの?(などなど続く)」

もちろん、40歳を過ぎた留学のリスクが高いことは百も承知。特に私はフリーで扶養してくれる家族もいない。リスクは倍増する。日本を半年間不在にし、帰国後の活動はどうなるのか。拠点を日本だけに限定しない'ノマド生活'にも憧れる。だが、果たしてその状態で自分の望む仕事はできるのだろうか?

でも、頭と心のハードディスクが一杯の状態で過ごし続けることには、どうしても我慢できなかったのだ。初期設定なりメモリーの増設をしない限り、限界がきている自分がそこにはいた。自己責任、家族への責任、社会人としての責任。リスクは低くないかもしれないが、もっと攻めの姿勢で仕事に向き合いたいと思った。

一か八か、のるかそるか。私はスペイン留学という勝負に'のる'ことにした。

■¿Tiene un bocadillo de camalero? (カマレロ入りのボカディーヨはありますか?)

2012年1月上旬、マドリードに到着。

着くや否やスペイン人から異口同音に「イカリングのボカディーヨ(スペイン風サンドイッチ)は食べたか?」と聞かれた。ここは、イカリングのボカディーヨが有名らしい。

「なんで、海のないマドリードがイカリングなの?」と疑問に思いつつも、頭の片隅に保存。きわめつけは、日本大使館の日本人関係者も同じことを言うのだ。そんなに有名なのか。

ならば、と重い腰を上げて有名店に足を運ぶことにした。

スペインの首都マドリードは、国土のちょうど中心に位置し、海沿いの都市バルセロナ(北東)、バレンシア(南東)、ヒホン(北)からなら陸路5時間程度の輸送で海産物が集まる。そのため、市内にあるメルカド(市場)にはいつも新鮮な魚介類がズラリと並んでいる。その有名店は、観光客で賑わう「サン・ミゲル市場」の近くにあった。イカリングのボカディーヨ専門店だ。

スペイン国.gif



スペインはヨーロッパ南西イベリア半島に位置する。人口約4,719万人(2011年1月)、面積50.6万平方キロメートル(日本の約1.3倍)。







サン・ミゲル市場.jpg




マドリード市中心に位置する夜のサン・ミゲル市場。終日観光客で賑わっている。






スペイン語がまだおぼつかない私にとって、店で注文するのは至難の業。「NHKラジオ講座」で覚えたフレーズを思い出し、勇気を振り絞って注文した。

「¿Tiene un bocadillo de camalero?(カマレロ入りのボカディーヨはありますか?)」

20代の若い店員は一瞬ためらい、ぶっちょう面で「Sí, un momento(はい、少々お待ちを)」。 愛想はないが、客の注文をてきぱきと寡黙にこなす店員は、もろ私の好みだった。

出されたボカディーヨには、パン粉の衣ではなく、小麦粉を軽くまぶして揚げたイカリングのみが挟み込まれていた。野菜がないサンドイッチなんて栄養のバランスが悪いわーなどと心の中でつぶやきながら一口食べる。

衣に特別な味付けがあるわけでなし、シンプルな、だけど塩味がほどよくきいたイカリングだった。それをビールで流し込み、またモグモグ食べる。

イカリングのボカディーヨ.JPG



イカリングのボカディーヨ。実はこれでもミニサイズ。普通サイズだとアゴが外れるくらい大きな口を開けないと食べきれない。





■本当のイカリングのボカディーヨは?

帰宅して今日の出来事をピソの同居人であるスペイン人女性に報告。

「カマレロ入りのボカディーヨを食べたわ」と言うと、彼女の顔つきが変わる。発音が悪いのかなと思い、ゆっくりと繰り返した。それでも理解できないらしい。マドリードの名産であること、何が挟まれていたのかを説明した。

すると、「あー、camalero(カマレロ)じゃなくてcaramales(カラマレス)ね!」
えっ!? あー!そういえば、イカはスペイン語でcaramales(カラマレス)だ。・・・ってことは・・・

「camalero(カマレロ)はスペイン語で'店員'だった!!!」

つまり私は、若い店員に「bocadillo de caramales=イカリングのボカディーヨ」ではなく、「bocadillo de camalero='店員'入りのボカディーヨ」を注文していたのだ。なるほど、これで彼がへんな顔をしたのにも合点がいった。

同居人のスペイン人女性は、スペイン人らしい質問を私にした。
「¿El chico es guapo?(彼は格好よかった?)」
私は即座にこう返した。
「Es muy guapo y está rico(格好良かったし、'店員入りのボカディーヨ'は美味しかったわよ」

スペイン語がそんなにわからなくてもジョークぐらいは言えるぞっ!そんなふうに考えて、ちょっと恥ずかしい失敗を笑い飛ばすのであった。