不惑のjaponesa(ハポネサ) ~40歳、崖っぷちスペイン留学~

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第5回:「スペイン式 ピソ狂騒曲」 ~その4~
2013年07月25日

【written by 浅野藤子(あさの・ふじこ)】山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。
【最近の私】久しぶりにペドロ・アルモドバル監督の『神経衰弱のぎりぎりの女たち』を観る。初めて観たのは高3の時。衝撃的なストーリーや色使いに、それ以来すっかりアルモドバル・ワールドにはまり続けている。スペインでは最新作『Los amantes pasajero』が好評だったそうだ。早く観たい!
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「浅野さん、スペイン留学大変だったんですねー」

このコラムを読んだ人は口々にそんな労いの言葉をかけてくれる。
確かにその通りで、あの'事件'から一年近く経った今(2013年7月)でも、昔話として笑い飛ばせるほど傷が癒えたわけではない。特に寒空の中スーツケース2つを引きずる不惑のハポネサ(私)の姿を思い浮かべると、哀れな気持ちになり、切なくもなる。

同じ屋根の下で他人と暮らすのはうんざりとも思った。それなのに今、私は30代後半の女性3人とルームシェアをし、東京生活を満喫している。そう簡単には懲りないのだ。

さて前回まで不運続きだったハポネサ。彼女が長年思い描いていた夢の留学生活は打ち砕かれてしまうのか?

■やっぱり日本人!?

'事件'の翌朝、ホテルから大学へ向かった。アナというスペイン語学研修の教授と道中で一緒になる。

彼女はスペイン南部アンダルシア地方出身で、黒髪、黒目で彫りの深い顔立ちをしている。アンダルシア人特有の早口で、しかも「S(エス)」の発音をしない。外国人の私には聞き取りにくいスペイン語を話す。それもあってか、自分から話題を切り出すのは気が引けたが、事件について客観的な意見を聞いてみたくなった。そこで、とりあえず英語で昨日の出来事を話してみた。

「それは普通ではないわね。警察ごとよ。何で警察を呼ばなかったの? あなた、日本大使館へ行って事情を話して、何らかの手助けをしてもらうべきよ」

そうか-、なるほど。日本大使館とは、考えていなかった。
ちょうど在留届けを提出しようと思っていたし、行ってみるか。藁にでもすがりたい思いでいた私は、授業を終えるとすぐに大使館へ。

マドリード市の中心から少し離れた高級住宅街に日本大使館はある。
受付窓口へ行くと、「在留届けですか?」と機械的な声が聞こえてきた。久しぶりの日本語だ。簡単に用件を話すと、担当者らしき小柄な女性が現れた。年は30代後半で私と近いように見える。アポなしの来客、それも「ピソの女家主と一悶着あった件を聞いてほしい」という相談者の登場に、明らかに戸惑っている様子。それでも別室に案内してくれた。

「それはお気の毒でしたね。スペインは今経済危機の状態なので、自宅に下宿させて、その収入で生計を立てている人が少なくないんですよ。その女性は、あなたがいなくなると知って危機感を持ち、軟禁状態にまで追い込んだのでしょうね。」
その通りです。

「でもなぜ、警察を呼ばなかったのですか?」
ここでも警察か。

連絡する手段が無かったこと、連絡できたとしても私の頼りないスペイン語でどこまで意思を伝えられたのかが疑問だったからだ。それよりもっと恐れていたのは、警察を呼んで騒ぎが大きくなり、彼女から更なる不当な金銭の要求をされることだった。これ以上、あの狂女に一銭たりとも払いたくなかった。

大使館職員は親身に話を聞き、頷いてくれた。そのためか、これまでの緊張感が解き放たれ、思わず涙が出てしまった。ふだんはセンチメンタルな感情を表面に出さないように常に努めている私も、この時ばかりは違った。

職員は突然の私の涙に動揺しながらも、言葉を続けた。

「あなたの世話人が大使館職員であれば、弁護士もご存じなのではないでしょうか?その人に相談するのも一つですよ」
確かに。ただ黙って怯えるよりも、先手を打った策を練るのも一つかもいれない。

直接的な手助けは無かったけれども、この大使館訪問は心の救いになった。

■捨てる神あれば・・・

帰り道、ようやく携帯電話を購入した。たったの20ユーロで契約ができるとは。
(もっと早く購入しておけば、こんな事態にはならなかったのよ、藤子さん!)と自分を叱咤する。
それでも大使館員と話したこと、携帯電話を手に入れたことで、心は少し晴れやかになった。ホテルへ戻り、国際交流基金のSさんに昨夜の出来事をメールで報告することにした。
即返事がきた。
「浅野さーん、大丈夫でしたか??」

メールを返すと
「明日の夜、飲みに行きませんか? 本当は2人だけで飲みたいけど、私の彼も来たいっていうのでいいですか?」

Sさーん!!嬉しいよー。
思いがけない気遣いに、またジーンときてしまった。

翌日、SさんとSさんのスペイン人の彼氏Jさんの3人で、夜の8時に待ち合わせて、アンダルシア地方の料理店に出かけた。

スペインでの食事の取り方は日本とはかなり違う。朝はトーストやビスケット、チュロス(細長いドーナツのような揚げ菓子)で軽めに済ませ、午前10時頃におやつ、午後2時頃になるとようやく昼食タイムだ。夜7時頃にこれまた軽めのおやつを食べる人もいる。

写真①cholate y churros.jpg
朝食の定番、チュロスとチョコラ

そんなわけで夕食は夜9時頃にとるのが普通だ。レストランでのディナーともなれば夜10時スタートも当たり前。スペイン人は寝ている時以外は始終食べているように見える。

日本ではいつも夜8時前に食事を済ませていた私にとって、遅い夕食はただただ苦痛だった。当然のように翌日は胃もたれ。それでもいつの間にか慣れていくのだから不思議である。

お目当てのアンダルシア料理店はすでに8時だというのにまだ開店前だった。なんとオープンは9時。時間をつぶそうと3人でブラついていると、一度は訪れたいと思っていたバルに遭遇した。

店名は「El Sur(南)」。名匠ビクトル・エリセ監督作品『エル・スール』と同じ名だ。古今東西の映画を上映する国営の映画館「シネ・ドレ」の近くにあることからも、映画好きが集まる店であることがわかる。ここで一杯飲んで待つことにした。店は開店したばかりで、お客は私たち以外誰もいない。女店主は愛想良く、オリーブやトルティーヤ(スペイン風オムレツ)が美味しい。辺りを見渡すと、店の壁には『エル・スール』はもちろん、アルモドバルの『トーク・トゥー・ハー』、『フラメンコ』など、スペイン名作映画のポスターがところ狭しと貼られている。

写真②taberna-el-sur.jpg
映画好きが集まるバル『El Sur』

9時を回ったので料理店に戻った。油が多めのフライ料理に桜エビの天ぷら、揚げ茄子のような料理などを堪能。来てみたかったお店で気を許せる人たちと過ごしていると、自然に笑顔になる。

写真③fritos.jpg
アンダルシア料理の代表的なメニューの1つ、揚げもの料理

狂女に浴びせかけられた毒気が完全に抜け切れない私の心に、SさんとJさんの言葉は、スッと入り込んで癒してくれる。胃袋だけでなく、からっぽだった心が満たされていった。

つい2日前、スーツケースを引きずりながら夜の街をさまよい歩いていた私。レストランの窓越しに見えた笑顔の人々が恨めしく思えた。でも今はあの笑顔のなかに自分がいる。

不運続きで出鼻をくじかれ、帰国を考えたこともあった。それでも、思い止まることができたのは、出会った人たちの、こんなさりげない励ましがあったからだ。苦い経験をしたからこそ、得られた出会いと喜び。留学生活は始まったばかりだ。