発見!今週のキラリ☆

Vol.183  休日のアンテナ  by 板垣七重


5月のテーマ:休み(holiday)

休日は仕事を忘れて過ごしたい。誰しもそんな風に思っているだろう。実際に私も、今日は小難しいことは考えないでのんびりしようとか、友人との時間を楽しもうと思うことがある。ただ、映像翻訳の世界に入ってつくづく感じるのは、何ごとにもアンテナを張っておくことの大切さだ。映像翻訳者には、ドキュメンタリーやテレビ番組、映画と、どんな内容の仕事の依頼がくるか分からない。つまり、いろいろな体験や知識がいつなんどき、どんなかたちで役に立つか予測できないのだ。逆に言えば、どんな経験でも後に仕事の助けとなる可能性がある。

そう考えると、休日もうかうかしていられない。友人との待ち合わせ場所に行く途中でも、街中を見渡して新しい商品やお店、流行りを見つけたり、本屋さんに立ち寄って新書のタイトルを眺めてみたり、電車の中で他の人たちが何を話題にしているか耳を傾けたりと、情報を得ようと思えばいくらだってできる。散歩をするにも、ただぼんやりと歩くのではなく、その地域の歴史を調べてみる、最近の子どもたちの遊びを観察する、どんな花が盛りなのかを見るなど、少し意識をすることで数十分の散歩も豊かな体験になる。

その場でたまたま出会った人との交流もあるだろう。いつだったか、東京大学敷地内の三四郎池を眺めていたとき、すぐそばで硬くなったパンを鯉にあげていた小学生が教えてくれたことがある。彼によると鯉には咽頭歯という丈夫な歯があり、硬いものでも砕いて飲み込めるのだそうだ。近々鯉についてのドキュメンタリーの仕事がくる確信はないが、こういう小さな知識や経験の積み重ねは、映像翻訳者にとって無駄になることはない。

どんな体験でも実を結ぶ可能性があると考えると、思わぬアクシデントさえ貴重に思えてくる。この前の日曜日、七里ヶ浜に散歩に出かけたときだった。防波堤にすわって屋台で買った結び豆を食べていると、ふいにガサガサっと目の前で音がしたかと思うと、豆が袋ごと10メートル下の砂浜に散っていった。テレビやインターネットでも話題にされるトビの仕業だ。このとき、素の私は500円損したと嘆いたが、映像翻訳者としての私はトビの巧みな狩りを間近で体験できたことに少なからず喜びを覚えた。

もちろん、"トビの狩りを体験したから翌日から狩りの描写がうまくなる"とは言わない。けれども、自分の五感で味わった経験が言葉を生み出す創造力を刺激してくれるのは間違いない。映像翻訳者は家にこもって作業をしがち。だからこそ、休日は表に出て小さな体験をたくさんしてほしい。

Vol.182  自問自答の「holiday」 by斉藤良太


5月のテーマ:休み(holiday)

音楽をはじめアートを趣味とする人達が社会人になると、「趣味」にかける時間は必然的に短くなっていく。現在では「GarageBand」に代表される音楽制作アプリもあり、スマホでいつでもどこでも気軽に曲が作れる道具は揃っている。しかし、さすがに音楽にかける"時間"というアプリは購入出来ない。私のように音楽を趣味にしている人間にとって「holiday」とは日常から離れ、クリエイティブな趣味にかける時間を得る事が出来るかけがえの無い時間かもしれない。

ところが、いざPCの前に座り音楽制作ソフトを立ち上げても、なかなか曲が天から降ってはこない。そこで私の場合は大抵、日常ためていたアイデアを何とか「楽曲」へと具体化させるという作業になってくる。バラバラのパズルのピースを一つひとつ根気よく組んでいくというイメージになるが、全てのピースがいつも揃っている訳ではない。欠けているピースはその場で何とか揃えて行くしかないが、その形が分かっている場合もあれば、形も色も分からない場合もある。

結果、趣味のはずの音楽制作は「holiday(休み)」とは真逆になるような「生みの苦しみ」が大半を占める作業になってしまう。誰かがもしその様子を見たら、わざわざ休みにPCの前で何をやっているのか理解不能だろう。さらに、便利な音楽制作ソフトのおかげで、アイディアのピースはほぼ無限に録りためておく事が出来るので「生みの苦しみ」に組み合わせるピースを「選択する苦しみ」が加わり、ほぼ「苦行」という状態になってしまう。

しかし、そのおかげで私の「holiday」は、自分がなぜ音楽を続けているのかと自問自答する期間になっている。そしてその自問自答を楽しんでいる自分がいる事に気づくのだ。これからも自問自答する「holiday」の数だけ、PCに保管される楽曲の数も増え続けるだろう。私は保管された楽曲のリストを見る度に、それぞれの「holiday」をきっと懐かしく思い出すに違いない。

残念ながら今年のゴールデンウイークは私用で趣味にかける時間はなかった。今後「holiday」の度に楽曲がどれだけ増えていくのか、そこで私はどんなことを表現していくのか。気になりつつも「holiday」から日常へ戻ろうと思う。

Vol.181「オンとオフの境目」 by藤田庸司


5月のテーマ:休み(holiday)

世間はGW真っ只中だが、フリーランスの映像翻訳者はいつも通り仕事をしている人たちが多い。携帯電話とパソコンさえあれば、大袈裟ではなく、世界中どこででも出来るのが、映像翻訳という仕事だ。旅行や帰省中でも、その気になれば移動中や深夜、早朝といった、少しの時間を見つけて作業ができる。

受講生との面談時に「将来はフリーランスとして働きたい」という声をよく聞くが、それは映像翻訳者が自分の生活スタイルや、スケジュールに合わせて仕事ができることに魅力があるからだろう。実際に盆や正月、GWなど、世間が休んでいるときに仕事を詰めて、世間が働いているときに旅行に出かけたり、趣味に興じたりするフリーランス翻訳者もいる。これだけ書けば、フリーランス翻訳者=自由奔放、何とも優雅な稼業だと思われるかもしれないが、もちろんその地位を築くには苦労が伴うし、努力や工夫も必要だ。例えば、いくら翻訳スキルが高くても、自室に篭っているだけでは、仕事にはありつけない。自ら仕事を生み出す営業術が必要だし、また単に仕事を増やせばいいというものでもなく、自分のスケジュールや目標収入に合わせて増やしていく計画性と案件管理能力が要求される。時々、共に仕事をしている翻訳者さんと話していると「この前の仕事は時給に換算すれば数百円ぐらいだったよ」という冗談交じりのボヤキを聞く。しかし、よくよく話を聞くと、よりしっかりしたスケジュール管理とワークフローで、作業効率を上げられるケースが多いように思える。そして、作業量と所用時間の関係、所要時間と報酬の関係を考えるとするならば、あとはその人の仕事に対する考え方だろう。

情報を収集しながら言葉を選び、訳文を練り上げていく翻訳作業にはある程度の時間がかかるのは仕方ない。とかく作品の世界にのめり込んでいくと時間が経つのを忘れがちになる。ドキュメンタリー番組を訳していると、テーマについて調べれば調べるほど、新たな発見が楽しくなり、気が付けば数時間経っていたりする。また、ドラマを訳していると、クライマックスなど登場人物の気持ちを表現するベストなセリフを求め、気が付けば夜が明けていたりする。翻訳は時間を掛けたければ掛けたいだけ掛けられるし、瞬時に片付けようと思えば片付けられるもの。だからこそ、楽しくもクリエイティブな時間をいかにコントロールするか? いかに自分なりの答えを導き出すか? 時間と創作の折り合いを上手くつけることが必要となってくるのだ。作品の世界に入り込むと、食事中や入浴中、寝ている間(=夢の中)ですら翻訳について考え続けていたりする。そうなってくると、もはやオン(就業)、オフ(休業)の境目は限りなく曖昧になり、究極的には生きている時間すべてが就業時間にあたると言えてしまう。

翻訳だけで生計を立てていくこと=フリーランスと捉えがちだが、実はオンとオフの境目が消えた時が、本当の意味での"フリーランス"であり、それは就業形態を示す言葉ではなく、人の生き方を示す言葉なのではないか? と考えたりする今日この頃である。

Vol.180「今人気のNEWは?」by 小笠原ヒトシ


4月のテーマ:NEW

「NEW」という単語が「新しい」という意味であることは、学校で英語を学ぶ前から知っていたような気がする。NEWは、そのあとに続くワードとセットで、いろいろな顔になる。普通に新しかったり、まったくもって未知に新しかったり、新しいくせに古かったり。そこで今回はNEWからはじまる、今もっとも旬なキーワードについて検証してみた。

検索サイトでNEWのあとに「A」で始まる単語を調べてみると、最上位に「new acoustic camp」というワードが出てきた。群馬県の水上高原リゾートで開かれる音楽フェスのことらしい。いやいや、よくよく読んでみると、「音楽イベントではありません。山とキャンプと音楽が"そこに同じくある"アウトドアイベントです」とある。へぇ~、なんだか面白そう。今年の夏の開催で、なになに、5回目だと?これはちょっと参加してみようか! いきなり新しいNEWに出会ってしまった。

「B」を調べてみたら「new balance」がトップに。言わずと知れたアメリカのシューズメーカーだ。そりゃあそうでしょと、次の候補を見ても「new balance 996」「new balance m1400」「new balance 574」とまるで我が家のシューズクロ―クの中見を紹介しているような検索結果が続く。これは日常なNEW。

「C」はというと、「new c++」というまったく意味不明の文字が。シープラスプラスというプログラミング言語の新しいやつらしい。無言...。映画『New Cinema Paradise』はこれに負けたのか...。

そうやって順に調べていくと、「new divide」(リンキン・パークが歌う映画『トランスフォーマー』の主題歌)、「new era」(MLB唯一の公式キャップを製造販売するアパレルメーカー)、「new found glory」(アメリカのポップパンクバンド)、「new gate」(イギリスの歴史上最も悪名高い刑務所・ニューゲート監獄)と続いて、次に出てきたのが「new horizon」。中学の英語教科書と言えば『NEW HORIZON』、もしくは『NEW CROWN』か『SUNSHINE ENGLISH COURSE』だったよね。わっ、懐かしい!"新しい"のに古~いNEW。さらに、「new ipad」は2012年に発売された第3世代のiPad。これはチョイ古?

「new japan cup」とは、新日本プロレスが毎年春に開催しているヘビー級のシングルマッチトーナメントのこと。そうか、そうきたか。まさに今が旬のワードではないですか。しかし、新日本プロレス検定のIWGP挑戦級(2級相当)保持者の私(プチ自慢)は、これについて語り出すと先に進めなくなってしまうので、お次へ。

「new kid in town」はイーグルスの名盤『ホテル・カリフォルニア』からリリースされた最初のシングル曲。「new look」はイギリスのアパレルブランドで、安室ちゃんの曲『NEW LOOK』はその次。

NEWは車関係にも多い。「new mini」はミニクーパーなどでおなじみ、"ドイツ"の新型車THE NEW MINIのこと。BMWグループの傘下に入ったとはいえ、イギリスの大衆車というイメージが強すぎて、ん~、ドイツ車って言われると違和感があるなあ。しかも車幅が広くて、なんとなんとの3ナンバー車とは!全然ミニじゃないよ。「new noah」はトヨタのミニバン・新型ノア。こっちは逆にでかい車だと思っていたら、5ナンバー車かい!「new order」はイギリスのロックバンド。「new party」は、新党日本(New Party Nippon)でも日本新党(The Japan New Party)でもなく、日本人男性アーティストDAISHI DANCEの新作アルバム『NEW PARTY!』。そして、「new qashqai」って何?なんて発音するの?どうやら"キャシュカイ"という日産が欧州で販売しているクロスオーバーSUV車のことらしい。日本のデュアリスの欧州名だ。そういえば昔、日産サニーがアメリカでは"セントラ"、メキシコではなんと"ツル"という名前で売られていたなあ。

「R」は「new ラブプラス」となぜかカタカナ混じりで、萌え系恋愛シミュレーションゲームがトップに。「S」は「new sparks」(TVアニメ『咲-Saki- 全国編』のオープニング曲)。「new super mario bros.」は次着だ。このあたりは秋葉系が優勢かと思えば、「new treasure」というZ会の英語教科書がランクイン。しかし、「new ufoキャッチャー」(おなじみのクレーンゲーム機)、「new vegas」(カジノを舞台にしたゲームソフト)、「new world」(TVアニメ『宇宙兄弟』の新エンディング曲)、「new xps13」(デルの新型ノートPC)と巻き返す!

「new york times」の正式名称には"The"が付く。検索結果1位が単にNew Yorkでも、マー君のいるNew York Yankeesでもないのは意外。そして最後は「new zealand」だった。

さて、今話題のあれこれ、お楽しみいただけましたか? これらの結果は、来月と言わず、来週、いや明日にも違う結果になるのだろう。ということで、今回の『発見!キラリ☆』も、すぐにNEWじゃなくなる!?

vol.179 「ポール・マッカートニー、次は軽やかに蝶に乗る!?」 by藤田 奈緒


4月のテーマ:NEW

先週、日本中を駆けめぐった嬉しいニュース。最新アルバム『NEW』を引っ提げて昨年11月に11年ぶりの来日公演を果たし、あらゆる世代のビートルズ、ウイングスファンを沸かせたポール・マッカートニーが、なんと5月に再来日するという。会場は7月からの取り壊しが決定している国立競技場。ポールにとって初の屋外公演だとか。この喜ばしいニュースを耳にし、父親譲りのポールファンとして、そして1人の映像翻訳者として、胸を躍らせた前回の来日時の記憶が鮮やかに蘇った。

昨年の11月、JVTAはポールの公演に字幕で協力をした。海外アーティストが来日する際、パンフレットや公式サイトなどのテキスト翻訳が発生するのはよくあること。だがこのポールの公演については、JVTAとして"初"の挑戦が求められた。公演中のポールのMCに、同時に字幕をつけてステージ横のスクリーンに映し出すというのだ。ステージ裏で同時通訳をするのか?  通訳内容をどうやって瞬時に字幕にするのか?  どうやって時差なくそれをスクリーンに出すのか?  初めてこのリクエストを聞いた時は、正直頭の中は戸惑いでいっぱいだったが、それでも私たちの本分である映像翻訳というスキルが存分に活かせる、という思いに心は浮き立った。

その後の詳細は割愛するが... 担当翻訳者さんは入念な事前勉強を経て当日を迎えた。ポールの性格、バックグラウンド、それまでのワールドツアーのMCの内容、来日してからは公演前の行動などなど。ポールがMCで話す可能性がある内容を想定し、できる限りの知識を頭に詰め込んだ。結果は大成功。初日こそテクニカルな問題で多少のタイミングずれはあったものの、大好評のうちに終わったと言っていいと思う。最終日、実際にアリーナから字幕を見た私が言うのだから間違いない。会場には本当に幅広い年齢層のファンが詰めかけていた。目の前にいた老夫婦が、ポールが何か話すたびに一生懸命にスクリーンの字幕を追う様子を見た時は、思わず笑みがこぼれた。

実はこの同時字幕方式が採用されることになった背景には、ポール自身の強い思いがあった。打ち合わせたポールのマネージャーさんの話によると、ポールは昔から言葉に対して敏感な人で、自分の子どもたちに正しい文法を指導するのは日常茶飯事。マネージャーさん本人にいたっては大昔、ポールあてに書いた手紙が真っ赤に添削されて戻ってきたこともあったとか。そんなポールが、自分の肉声を生で直に日本のファンに伝えたいということで、同時通訳ではなく、同時字幕という形を希望したというのだ。この裏話を聞いて、感激と興奮でぼーっとした頭で帰社したのを覚えている。人の思いと思いをつなぐ、映像翻訳という仕事に関わる者として、これほど嬉しいことはない。私たちに、こんな形で新しいチャレンジを与えてくれたポールに、心から感謝したい。

ポールをよく知らない人がいたら、ぜひ最新アルバムのタイトル曲『NEW』を聴いてほしい。彼の実直で前向きな性格だけでなく、"メロディメーカー"ポールが健在、というよりむしろ進化中であることを感じ取ってもらえるはずだ。5月の再来日公演をお楽しみに。ポールはきっと、また新たな(NEW)風を吹かせてくれるだろう。

vol.178 「表現者は"音"を追求しなくてはいけない」 by丸山雄一郎


3月のテーマ:音

日本語の"音"というものを意識したのはいつからだろう。編集者という仕事を選んでからは、原稿の"音"をかなり意識してきた。特に作家さんの原稿をチェックする時や、ちょっと笑えるような原稿を書かなくてはいけない時にはこの"音"を重視してきた。
"音"とは、リズムだ。どんなに内容がよい原稿でも、リズムが悪いと読者は読むのがつらくなる。プロ作家とアマチュア作家の原稿の差を「巧みなストーリー」や「表現の差」だと考える人は多いと思うが、実はこのリズムの差もかなり大きい。

表現者は言葉のリズムを重視している。俳人や詩人、映画やドラマの脚本家、TVのディレクター、CM監督、作詞家、新聞記者、編集者といった言葉を生業にしている人たち全てがそうしていると言っていい。彼らは自分が表現したい中味に徹底的にこだわりを持つ一方で、それを多くの人に伝える手段として言葉のリズムも重視しているのだ。だからこそ、私たちの心に残るような詞や映画が生まれ、CMのキャッチフレーズやドラマのセリフが世間の話題となる。ちょっと古くて恐縮だが(笑)、「じぇじぇじぇ」も「倍返しだ」もリズムがいいからこそ流行語になったと言える。

翻訳者さんの原稿も同じだ。僕が翻訳者さんから頂いた原稿のちょっとした点を直すのは、内容がどうのこうのというよりも、リズムの悪さを矯正するために直していることのほうが圧倒的に多い。

だからこのコラムを読んでくださった翻訳者さんや、翻訳者を目指している皆さんにはぜひ日本語のリズムを意識して欲しい。それはいい本や映画の字幕をたくさん自分の中に吸収することで、きっと培われてくるはずだ(ただし、じっくり読み、しっかり見るように。赤線を引く、メモを取るくらいのことが最低限必要だ)。

ちなみに僕が初めて"音"を意識したのは幼稚園の時だ。僕の年子の弟は「尚」(たかし)という。丸山家では代々男子に「雄」という文字を使う(僕もそうだ)のに、弟は尚。どうしてなのかと母に問いただしたところ、母は「音がいいと思ったから」と教えてくれた。「雄一郎」より「尚」のほうが確かに"音"がいい気がする。幼心にそう思った。僕が"音"にこだわるのはこんな経験があるからなのかもしれない。

vol.177 「それでも夜は明けるのか?」 by藤田 彩乃


3月のテーマ:音

南部の農園に売られた黒人ソロモン・ノーサップの12年間の奴隷生活を描いた映画『それでも夜は明ける(12 Years a Slave)』が、アカデミー賞作品賞、脚色賞、助演女優賞に輝いた。黒人奴隷制度の残虐さを見せつけた大傑作。各賞を総ナメしているのも頷ける。本作の成功を大勢の人が喜び、その功績を称えたが、監督のスティーヴ・マックィーンは、インタビューでこんな発言をしている。

There have been more Hollywood films made about Roman slavery than American slavery.

『スパルタカス(Spartacus)』や『グラディエーター(Gladiator)』など、古代ローマ時代の奴隷を描いた映画は多い。また、ナチスによるユダヤ人迫害、ホロコーストを扱った映画は、毎年のように製作されている。しかし、400年もの間アフリカ系アメリカ人を苦しめてきたアメリカにおけるホロコースト、つまり黒人奴隷制度、人種隔離政策、人種差別を描いた映画はほとんどない。

『それでも夜は明ける』の前に製作されたメジャーな作品で、黒人奴隷の視点からリアルにアメリカの奴隷制度を描いたものは、恐らく1977年の『ルーツ(Roots)』(映画ではなくテレビのミニシリーズだが)ではなかろうか。35年以上前の作品だ。

これまでも、アメリカの奴隷制度を描いた映画はたくさんあった。2012年には『ジャンゴ 繋がれざる者(Django Unchained)』、『リンカーン (Lincoln)』、2006年には『アメイジング・グレイス(Amazing Grace)』、1997年には『アミスタッド(Amistad)』、1995年には『ある大統領の情事(Jefferson in Paris)』、1989年には『グローリー(Glory)』・・・など、遡ればいろいろある。しかし、上述の作品のどれもが、「善良な白人が、貧しく絶望のどん底にいる黒人奴隷を救う」という白人目線のストーリーだ。

アメリカ西部開拓時代には何百万人ものアメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)が大虐殺されたが、このアメリカのもうひとつのホロコーストの歴史を、しっかり描いたハリウッドメジャー映画にいたっては、恐らく1つしかない。ケビン・コスナー監督・主演の映画『ダンス・ウィズ・ウルブズ(Dances with Wolves)』だ。この作品は1990年のアカデミー賞作品賞を受賞している。

ハリウッドでは「女性が主役の映画はうまくいかない」と言われる。しかし、昨年における、映画のチケット売上の51%は女性によるものだった。そして昨年は、女性を扱った映画、もしくは女性が主人公の映画のほうが、男性が主人公の映画よりも興行収入が高かった。アカデミー賞監督賞受賞の『ゼロ・グラビティ(Gravity)』、主演女優賞受賞の『ブルージャスミン(Blue Jasmin)』は、どちらも女性が主人公の映画だが、興行的にも大きな成功を収めている。しかし、ハリウッドはいまだに男性(特に若い男性)をターゲットにした映画を作り続けている。アカデミー賞の受賞スピーチの中でケイト・ブランシェットも、男社会のハリウッドに対して、チクリとこんなことを言っている。

Those of us in the industry who are still foolishly clinging to the idea that female films with women at the center are niche experiences.They are not. Audiences want to see them. In fact they earn money.

もっと過酷な状態にいるのが、黒人を扱った映画だ。「黒人映画は儲からない」という不名誉なレッテルを貼られ、それがハリウッドの暗黙の了解になっている。実際、『それでも夜は明ける』も、大スターのブラッド・ピットがプロデューサーで入らなければ資金が集まらず映画化は実現しなかった。インターナショナル版のポスターでは、5分しか登場しないブラッド・ピットが全面に出され、その下に小さくキウェテル・イジョフォーが走っている。

※これはアメリカでは問題になった。こちらを参照

本当に黒人映画は儲からないのだろうか? 数字を見る限りは、事実無根だ。今年に入ってから公開されたアイス・キューブ&ケビン・ハート主演のコメディ『Ride Along』は全米の興行収入で首位デビューを果たした。他にも、1986年の映画 『きのうの夜は・・・』 を全員黒人でリメイクした『About Last Night』も初登場1位を飾り、興行収入は白人が主人公の他の映画を上回った。両作品とも今週もトップ10に入っている。

『それでも夜は明ける』の現在の興行収入は全世界で1.4億ドルを超えている。アフリカ系アメリカ人初のメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンを描いた映画『42~世界を変えた男~(42)』は1億ドル、7人の大統領に仕えたホワイトハウスの黒人執事を描いた映画『大統領の執事の涙(Lee Daniels' The Butler)』は、1.5億ドル以上をたたき出している。それにも関わらず、「黒人映画は受けない」と、多くのハリウッドのメジャースタジオは製作費を出さない。ハリウッド映画でオリジナルストーリーが減ったのも、スタジオがリスクを一切取らなくなったのが理由だ。友人の映画製作者の話によると、これだけ黒人映画が成功し、アカデミー賞作品賞をはじめ数々の賞レースを制覇したにも関わらず、オスカー後の今も、黒人をテーマにした映画の脚本や企画には耳を貸してもらえないそうだ。

この不公平な固定概念は今後、変わるのだろうか?

Los Angeles Timesの調査によると、アカデミー賞の投票権を持つ約6000人のうち、94%は白人、77%が男性だそうだ。黒人は2%で、ラテン系は2%にも満たないそう。アジア人に至っては0.5%を切っている。平均年齢は63歳。50歳以下のメンバーは14%しかいないとか。今回のオスカーで作品賞を取ったのは、黒人の監督による黒人奴隷の映画だ。白人男性に支配されたアカデミー賞で、この作品が評価されて、本当によかったと思う。しかし、アカデミー賞の監督賞を取った黒人はいまだに存在しない。

昨年6月、1965年投票権法第4編に連邦最高裁の違憲判決が出た。1965年投票権法とは、マイノリティーへの差別ができないように州による選挙法制定を制限するもので、アメリカ史上もっとも成功した公民権法と言われる。それが廃止されることになった。この判決にオバマ大統領も「失望した」とコメントしたが、この判決の背景として強調されているのが、皮肉なことにオバマ大統領の存在。「黒人も大統領になれる時代。人種差別はもう過去のもので、特別措置は不要だ」という判決だった。

現代でも確実に存在する人種による差別と格差。この一連の出来事は、新しい時代の足音なのだろうか? 今回の『それでも夜は明ける』のオスカー受賞が、保守的なハリウッドに新しい風を吹きこむことになるのだろうか? すべての人の平等、差別のない社会の実現を願うばかりだ。

◆『それでも夜は明ける』は、本日3月7日(金)に日本公開です。
公式サイト http://yo-akeru.gaga.ne.jp/

vol.176「一生理解できないかもしれないモノに対する恐れと謎と憧れと」 by浅川奈美


3月のテーマ:謎

この世の中にある、多くのことに対して私は素人であり、いくつかの分野においては完全に無知であるということを、痛感する日々。なかでもこと理系分野のものに関しての音痴具合は甚だしい。「生まれつき自分にはその素養がないから」というか「耐性がないから近づいたらきっと蕁麻疹かなにかが出ちゃうよ」みたいな固定観念にとらわれ、背を向け続けた学問。数学である。

ご存知、数学には明晰な答えが常にある。
例えば、このコラムを読まれるどのぐらいの方がわかるだろうか?【0.9999......】と、小数点以下に無限に9が続く数と、【1】はどちらが大きいか?

0.9999...... < 1  【不正解】
0.9999...... = 1  【正解】

中学あたりで出てくる循環小数。私は自分の直観とは全く違うこの答えをなかなか受け止められなかった。ちゃんと授業も出ていたのに、答えを導く過程も何とか理解できていたのに、でも消化できない。学力を評価するにあたり、全く遊びのない採点方法で振り落とされるのが数学。本当はあいつと仲良くなりたかったのに...。この学問において自分が落伍者になってきたのを気づき始めたころ、「できない=嫌い」という感情はいとも簡単にそして巨大に私の中で膨くれ上がった。その後はいうまでもない。微塵の迷いもなく文系に進んだ。微分・積分も関数も、定理も証明も素数も"任意のX"とやらともおさらばの人生を過ごし今に至る。

それなのに...。数学嫌いなのに数学を無視できない。「仲間にいーれーて」って言えないまま、もうずっと何年も柱の陰からじっと憧れのまなざしを投げかけている(ちょっと怖い)。なんだ、この乙女心は。その理由を検証してみる。


理由①:リーマン予想(Riemann Hypothesis)
ドイツの数学者ベルンハルト・リーマンによって1859年11月提唱された、ゼータ関数の零点の分布に関する予想である。ミレニアム懸賞問題(millennium prize problems)のひとつ。解明に100万ドルの懸賞金がかけられている数学の問題だ。

言うまでもないがこの私がリーマン予想に取り組んでいるというわけではない。私が魅せられてしまうのは、150年もの間、天才と呼ばれる数学者たちの挑戦をもってしても、未だ謎のままであるという事実。そしてこの問題に取りつかれてしまった数学者の中には、精神を病んでしまう人もいるという過酷な世界だということ。さらに今、現代社会における情報セキュリティは巨大素数を使った暗号技術によるものであり、もしリーマン予想の解決によって素因数分解の画期的な方法と活用が見つかれば、身の回りの当たり前が一気に崩壊するということ。国家機密から個人情報、あらゆるものがセキュリティフリーになってしまうのだ。なんか、すごくね?なのだ。でもリーマン予想がどれだけの謎で、解明されるまで天才とスパコンをもってしてもどれぐらい大変で大体あとどれぐらいかかるのか、みたいなことがさっぱりわからん。だからこそ、なんかすごくミステリーで魅惑でサスペンスで、私はただ外野でソワソワし続けているだけなのである。


理由②:たけしのコマ大数学科
ビートたけし、現役東大生の女子2人、コマ大数学研究会(頭脳ではなく体を使って解明する担当)の3組が、毎回1問ずつ出題されるさまざまな数学の問題に挑むTV番組だ(現在は放送終了)。
「もし違う道を選ぶなら、数学の研究者になりたかった」という、理系出身のビートたけしが見事に数学の難問を解いていく様がかっこよくて、本当によく見ていた。でも私の数学的能力は一向に上がらずいつまでたってもアプローチ方法はダンカン率いるコマ大学数学研究会チームであった。

映画監督としても知られるビートたけし(北野武)だが、映画の撮り方について因数分解を取り入れて語るのを読んだことがある。「不思議の国のアリス」の作者、ルイス・キャロルも数学者であったし、多くの作家が数学に造詣が深い。論理的思考。これなのか?これが私にはないのか?


理由③:数学を知らない人は、本当の深い自然の美しさをとらえることは難しい。
アメリカの物理学者、リチャード・P・ファインマンの言葉だが...。
な、なんてことを言うのだ!数学を「美しい学問」と言い切る人たちの放つ驚くほど高いプライドと、それを理解できないものに対する嘲笑をも含んでいそうな自信。数学嫌い差別だ!なんて吠えてみるものの、その山に登ったことのない私には見たことのない景色が広がっているのだろう。ファイマンさん。私の目に映る世界とあなたが見ていた世界はどんな風に違うのだろう。

今からでも目指してもいいですか?リケジョ。

まずは累計16万部を超えるライトノベル「浜村渚の計算ノート」からはじめるとするか。シリーズの著者、青柳碧人氏が語っていたことに激しく感動したので。

「僕は小説を書くかたわら、塾で中学生に勉強を教えています。あるとき生徒から"数学を勉強して何の役に立つの?"と聞かれたんです。"いい大学に進学できるから"と答えるのは簡単ですが、そんな言葉で生徒をねじ伏せたくはありません。そこで自分なりの答えを出そうと思い、数学が排除された世界を舞台にこの物語を書きました」
((『ダ・ヴィンチ』8月号「文庫ダ・ヴィンチ 一般文芸×ライトノベル キャラ立ち小説が今面白い!!」より))

vol.175 「謎だらけの世界へ」 by李寧


2月のテーマ:謎

今回は中国語と日本語の対訳でお送りします。

【中国語】
回到那謎一樣的世界

为什么鸟儿会飞?我什么我不能飞?我是从什么地方来的?大人们怎么不用上学,我问什么要每天上学?我想10个人里边会有9.999个人曾经问过自己父母类似的问题吧!
我们都经历过童年, 小时候的自己总是对未知的事情充满了好奇心。总是想解开一个又一个未知的谜团、总是想快点长大。我曾经很向往大人们的世界,总是在心里盘算着"我要这样或者我要那样的计划。"随着谜团被一个一个解开,我们渐渐的长大。终于走进了大人的世界,那些曾经的谜团变成了普通的不能再普通事情。

于是,我们又开始怀念童年, 开始缅怀过去。三两好友聚首时、或是小学同学的聚会,我们都会说道一下小时候自己做的傻事。终于发现人的一生最快乐的时光正是自己的童年时代。
如果可能的话,我想一直像小时候一样一直生活在一个充满迷的世界。
不过现实还是要面对地。就把谜团一样的童年时代作为"调味料"小心收藏,觉得生活无趣的时候拿出来调一调吧!

【日本語】
「謎だらけの世界へ」

なんで鳥は飛べるの? なんで私は飛べないの? 私はどこからきたの? なぜ大人たちは学校に行かなくていいの? なんで私は毎日学校にいかなければならないの? 10人のうち9.999人は、親にこのような質問をしましたよね?

小さなとき目に映った世界は謎だらけでした! 早く大人になりたい。憧れの大人の世界に足を踏み入れたい。私もそんなふうに心の中で「大人になったらこうしたい、ああしたい」と考えていました。でも知らず知らずの間にかつてのなぞは一つまた一つと解かれて、自分もようやく大人になりました。誰かから、「日本では50歳にならないと大人とはいわない」と聞いたことがありますが本当でしょうかね! もし本当なら今でも大人とはいえないかもしれないです(笑)。

大人になってから子供のころのことを顧みると、あの時が一番楽しかったなと思います。同窓会などでは、現在の話より幼いころの話が圧倒的に多いです。いついつ、どんなバカなまねをしていたかとか。可能であればずっと子供のままでいたいですね! 何も考えなくてもいい、何も分からなくてもいい、謎だらけの世界でずっと生活したい。

でも現実は、家庭にも仕事にも真剣に向き合わなければいけません。だから、あの謎だらけの時代は現実の調味料として取っておくことにしましょう。そして生活に味がない時には、その調味料を少し入れてみることにします。


vol.174 「縁起を担いでポジティブに!」 by齋藤恵美子


1月のテーマ:縁起

私はあまり縁起を気にすることのない環境に育ち、縁起を担いだりしない毎日を送ってきたような気がする。それは、祖父母や両親がそうだったからだろうとずっと思っていた。何しろ母に至っては、厄年のお祓いに出かけた神社で、神主さんをお祓いしちゃったという逸話があるほどだ。厄年の女性数名が神主さんのお祓いを受けた後、横並びの列の先頭にいた母に神主さんから御幣(白い紙を挟んだ木の棒というか笏のようなもの)が渡された。どうすればいいか分からず慌てた母は、思わず神主さんが自分にやってくれたとおりに、神主さんに向かって御幣をシャシャシャーと振り、御幣をお返ししたという。ほんとうは、ただ御幣をかしこみいただいてお返しすればいいだけだったらしい。家族みんなで大笑いした覚えがある。

ただ、この文を書くにあたって、これまでのことをいろいろ思い出してみると、私の祖父母も両親も意外に縁起を意識して暮らしていたのではないかと思えてきた。

1つ思い出したことがある。昔、実家の裏庭は小学生が集まってボール遊びができるくらいの広さがあり、その中ほどには深い井戸があった。ある時、道路の拡張のためその裏庭に家を移動することになり、井戸の上に家が建つことになった。どうも井戸をつぶしてその上に家が建つことは縁起的には問題があるらしく、両親はその井戸を埋める前に神主さんに頼んでお祓いをしてもらっていた。その情景が今でも目に浮かぶ。

また、両親は初詣をかかさなかったし、厄年のお祓いもしていた。毎月祖父母の命日にはお坊さんを家に呼んでお経をあげてもらっていたし、もちろんお盆のお墓参りもかかさなかった。

縁起にかかわる儀礼的なことを続けるのは、先祖から伝わってきた習慣で当たり前なのかもしれないが、きっとそれをすることで、両親は安心感を得ていたのではないだろうか。たとえ、厄払いした帰り道ですべって転んで膝をすりむいても、途中で買った宝くじが当たらなくても、車をぶつけて前がへこんでも、なんとか元気に帰宅出来たのは、きっと厄払いをしたおかげと思っただろう。お祓いを受けていなかったら、もっと悪いことになっていたかもしれない。

縁起をしっかり担いで、お墓に参り、神社に詣で、そして厄を払えば、わが身に降りかかる多くのことをポジティブに受け入れられるようになるのかもしれない。私もこれからは、縁起を担いで少しくらい悪いことがあっても、positive thinkingに徹していこうかな。

vol.173 「帰省」 by 上江洲佑布子


12月のテーマ:帰省

私の実家の裏には名だたる文豪の墓が幾つもある。
はるばる遠方から"墓ツアー"と旗を掲げた団体の観光客もやってくるほどだ。

よっしーという愛称で呼ばれていた私の小学校の同級生は、由緒あるお寺の娘さんで、その寺の墓地には芥川龍之介の墓がある。毎朝、彼女の家の前をとおり、会社へ向かうのだが、ある日ふと芥川の墓参りをしようと思い立ち、墓地に寄り道をした。人ひとりようやく通れるほどきゅうきゅうに建てられた墓石の密集した真ん中にひっそりと、芥川龍之介の墓はある。腰を大きく曲げた木が、屋根をつくっていた。そのひとつ屋根の下には、芥川家先祖代々の墓もあった。「あぁ芥川も墓の中に帰省したんだな」と私は思った。

私は、上江洲家の東京四代目だ。
父方の曽祖母は、祖父がまだ幼い時にふたりきりで沖縄から上京した。祖父はその後、物理の道に進み、ピアノ講師の祖母と見合い結婚をした。祖父は、絵を描くことが好きで、よく家の白壁に裸婦のデッサンを描いて問題になったらしい。ピアノを弾くことも好きで、祖母よりも熱心に練習していたという。祖父は父が4歳の時に病死したので私は会ったことはないが、祖父のことをおもう時、まだまだだぞ、という声が聞こえてくる気がする。

私も楽器を弾いたり、音楽を作ったり、絵を描いたり、映像を作ったり、ウェブサイトを作ったりと、やたらめったらもがいてはいるが、「世界を知る」という果てしないほど遠いゴールに少しでも近づけているのだろうかと無駄に焦燥感にかられる時がある。しかし、だからこそ、映像翻訳というオーディオビジュアルと言葉をあつかう現在の職場は、私にとって最高の修行の場であると確信している。

墓といえば現在、曽祖母たちは都内の墓地に眠っているが、上江洲家十一代の墓は沖縄県の首里にある。いつか全員帰省させてあげようと思っている。

vol.172 「親孝行」 by 相原拓


12月のテーマ:帰省

母親が還暦を迎えた。相変わらず年齢を感じさせない元気なおばさんなので実感が湧かない。そんな母はここ最近、祖父母の介護で毎週のように福島の実家に帰っている。精神的にも肉体的にも相当な負担のはずだが、本人は決して苦ではないという。

「人は年寄りになると赤ちゃんみたいにオムツをはくようになって逆戻りしていくんだよね。親子の立場が逆転するの。そう考えると、育ててくれた親が弱くなったら、子供が面倒をみてあげるのは当たり前のことだよ」

母はそう考えるらしい。言われてみるまでは親の介護について深く考えたことがなかったが、確かに母の言う通りかもしれない。あまりにもあっさりと言うものだから本当に苦労していないようにすら聞こえた(もちろん、そんなはずはないが)。その親孝行っぷりに心を打たれた。自分の立場に置き換えて考えてみると、罪悪感まではいかないが、反省の気持ちというか、たまには親に会いに行かないとなあ、元気なうちに親孝行しておかないとなあ、そう思えてくる。

ちなみに、辞書で「帰省」を調べると「故郷に帰り父母の安否を問うこと」とある。これまでは単に故郷に帰ることを指すのかと思い込んでいたが、本来は子が親を省みるための帰省ということか。今更ながら漢字の由来が分かってスッキリしたところで、今週末は久しぶりに実家に帰ろうと思う。

vol.171 学びの場 by 野口博美


11月のテーマ:学び

この数年で一番勉学にいそしんだ時期といえば、やはり日本映像翻訳アカデミーに通っていたころのことでしょう。

お酒大好き!な私が、同僚や友人との飲み会を最小限にとどめて1年半、毎週課題に取り組みました。土日はもっぱら図書館に通い、調べもののための書籍を借りまくる休日の繰り返し。今週は車のエンジンオイル関連、次の週はモモアカノスリの生態に関する書籍を大量に借りていく私を、図書館で働く人々はどう思っていたのでしょうか。

講義を受けた帰りには次週の課題のスクリプトを電車の中で読んだり、課題の納品時間ギリギリまで見直しをしたりと、とにかくものすごい労力を学びに費やしていました。あのころのバイタリティは一体どこへ消えてしまったのか...。あのエネルギーがあれば、何でもできるような気がします。

それほど課題に時間をかけられたのも、当時の職場の仕事量が比較的少なかったからでしょう。貿易会社で働いていましたが、朝日新聞の用語の手引がデスクの上にたたずんでいても、何も言われないというかなり恵まれた環境にいました。そのころは"なんてラッキー!"としか感じませんでしたが、今思い返すとかつての同僚、上司に対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。

そんな感じでひとり黙々と映像翻訳を学んでいた私は、極度の人見知りであることも手伝い、基礎コース・Ⅰ(現在の総合コース・Ⅰ)の終盤まで、クラスで当てられて発言する以外はひと言も言葉を発さずに学校を後にしていました。でもある日、1人のクラスメイトが私に声をかけてくれたことで、彼女や他のクラスメイトとその日の課題の内容や勉強するうえでの悩みなどを話し合うようになり、それまで抱いていた将来への不安が少なくなったように思います。同じ目標を持つ仲間の存在にとても勇気づけられたものです。

最近では、みんな忙しくて会う機会もめっきり減りましたが、映像翻訳を学ぶために足を踏み入れた学校で、翻訳のノウハウだけでなく友人も得られたなんて、とてもありがたいことだと思います。その後、縁あってアカデミーでディレクターとして働くようになり、やがては自分が講義で教える立場になるとは...。人生何が起きるか分かりません。

話がそれましたが、現在、クラスを受講中の皆さんも、クラスメイトと親睦を深めながら楽しく学んでもらえればと願っています!

vol.170 セーフティネット by 桜井徹二


11月のテーマ:学び

 「他人が自分に下す評価というのは、ホッキョクグマがカバに下す評価みたいなものだ」。
だいぶ前に読んだ小説にこんなセリフがあった。この発言が出てくる経緯は忘れてしまったし、カバに対するホッキョクグマの評価というのもなかなか興味深いけれど、要するにこの発言の意図は「他人からの評価はあてにならない」ということだった。

 僕は周囲の人に「几帳面そう」だとか、「効率性を考えて行動している」などと評されることがある。でも、これもやはり"ホッキョクグマ・カバ的な評価"で、実際には全然そんなことはない。几帳面で効率重視どころか、けっこうな面倒くさがりやだし、どちらかと言えばわりといい加減な性格だ。

たとえば、仕事で毎月やらなければならないややこしい計算があるとする。毎月面倒くさい作業をするとなると、自分の性格上、放り出してしまってあとでもっと面倒なことになるのが目に見える。だからしかたなく計算を自動化するためのエクセルを作ったりする。傍目にはそれが「効率重視」と映るのかもしれないが、実際にはその原動力は「面倒くささ」にすぎない。

打ち合わせの予定やタスクなどをこまめにスマートフォンに書き込んでいるのも「几帳面」と捉えられるかもしれない。だがこれはたんに記憶力が悪くて、週1の定例のミーティングでさえも忘れてしまうから、リマインダーをものすごくこまめに設定しているだけである(それでもよくすっぽかしてしまうのだけれど)。

というように、どれも几帳面・効率重視な性格というのが理由ではなく、ただ自分自身が怠惰でなかなか学ばないことを自覚しているから、自動計算やリマインダー機能を使って身の回りにセーフティネットをはりめぐらせているだけのことなのだ。

そのおかげで一応は人に几帳面と評されるくらいの日常を送れているわけだが、それでも、セーフティネットがうまく機能せずにボロが出ることも少なくない。

今住んでいる家のすぐそばに、市立第一中学、略して「一中」がある。深夜にタクシーで帰るような時には、運転手さんに「一中の前で止めてください」と言う。ところが、またその少し先に第2小学校、略して「二小」があるため、情けないことにこの2つを混同してしまい、行き先として告げるべきなのは「一中」だか「二中」だかがわからなくなってしまう。

そこで考え出したセーフティネットは「語呂合わせ」である。くだらない語呂のほうが覚えやすいだろうということで、「もういいっちゅう(一中)ねん」と覚えることにした。さらに調子に乗って「もういいっちゅう(一中)ねん、ほんまにしょう(二小)もない」と二小まで組み込んでみて、なかなかうまい語呂を考えたものだとひとり悦に入っていた。

ところが、いざタクシーに乗って行き先を告げようとすると、このセーフティネットがうまく機能しないのだ。「もういいっちゅうねん」という言葉自体がぱっと出てこなくて、「たしか関西弁のツッコミみたいな言葉で...」から考えているうちに、どんどん最終地点が遠のいていく。

やはりエクセルの自動計算やリマインダー機能に頼るばかりではなく、人間自身が学ばなければいけないのかもしれない。

vol.169 天使の街 ― ロサンゼルス by 浅野一郎


10月のテーマ:天使

一番多感な年頃に80年代を迎えた僕にとって、「天使の街」ロサンゼルスは特別な街だ。
なぜなら、この街で"LAメタル"が生まれたからである。

LAメタルとは、その名の通り、ロサンゼルスで生まれたハード・ロック/へヴィ・メタル(HR/HM)のことだ。全世界で800万枚のアルバム売り上げを成し遂げたポイズン、ラットン・ロール(RATT N' ROLL)という言葉を生んだラット、バッドボーイズの代表格、モトリー・クルーなどなど、LAメタルの雄を挙げれば枚挙に暇がない。

現代ではお笑いのネタに取り上げられるような奇抜なファッションや厚化粧、キャッチーなメロディやあまりにも能天気な歌詞。ミュージックビデオの中で描かれる、スターを夢見てダイナーで働く若者から、ヒュー・ヘフナーの豪邸でバレーボールに興じる人たち、水着で洗車する美女軍団などなど...。もちろん、ほとんどはミュージックビデオの中の虚像であることは分かってはいたが、少年の心に与えたインパクトは計り知れない。

ただ、爆発的なムーブメントだった半面、廃れるのも急速だった。今でも活躍しているのはほんの数組に過ぎない。しかし、たかだか10年程度の流行だったとはいえ、僕にとってのアメリカ観はまさにLAメタルで培われ、その憧れがアメリカへの、そして英語を学びたいという気持ち、ひいては映像翻訳者を志した原動力に他ならない。そんなわけで、僕にとってLAメタルを生んだ「80年代」と「ロサンゼルス」は特別な存在だ。

最後に、僕のitunesには"80'sメタル"というプレイリストがあり、未だに当時のMTVで放映されたお気に入りのミュージックビデオを集めたVHSを週に1回は観ている。かなり前のことになるが、ボウリング・フォー・スープというバンドが『1985』という曲を発表して話題になった。80年代に青春を生きた人は是非このミュージックビデオを観ていただきたい。いろいろな意味で考えさせられるはずだ。

vol.168「天使という存在」 by 梶村佳江子


10月のテーマ:天使

きらきらと眩い光の中にふわりとしたオーラを纏ってたたずみ、私にとっては癒しをくれる存在。それが私の天使のイメージである。東京に住んでいると、時間に追われてせかせかと過ごし、毎日が慌ただしく過ぎてゆく。わりとの温和でのんびりとした場所の出身だから、そう感じるのか、ゆったりとした場所に身を置きたいと常に思っている。だから、時間にとらわれず、温かな癒しがほしい時に私は天使に助けを求める。今は妄想といっても過言ではないが、天使たちから癒しをもらっている気になっている。これは他人に害はないので、"信じた者の勝ち"なのだ。

世の中には天使が見える人、見えない人、信じる人、信じない人、その存在自体を拒否する人に分かれると私は考える。私自身は...察しがつくであろう。天使も悪魔も妖精さえも存在すると思っている。あわよくば、会えればいい。

あまり記憶は定かではないが、学生時代に画家・ラファエロの天使の文房具が流行った気がする。その時は天使とは架空の存在だと思っていた。そのため特に深く考えることはなく、「かわいいな」、とか「背中に羽がほしいな」と思う程度だったが、数年前にたまたま書店でドリーン・バーチューの本に出会ってしまった。彼女はアメリカで天使研究の第一人者として知られ、多くのメッセージを天使から受け取りそれらに関する本を執筆している。読んでいるだけで気持ちが本当に温かくなり、私は引き込まれるように一気に読み切った。天使を信じない人にとっても、単なる夢物語として読む分には十分に楽しめる内容だ。その本に出会って以来、私は、どうしても天使と会いたいと考えるようになり、方法を模索中である。人間は元来、天使や妖精のような存在を見ることができる能力というものを備えているが、多くの人がその回線を小さいころに閉じてしまうと聞いた。とにかく、その回線を再度つなげ、周波数を合わせることができれば、天使や妖精と会話ができるらしいのだ。

周波数という事を言語に置き換えると、日本語と英語ではその周波数帯が異なるといわれる。でも多くの人が訓練したり、耳慣れたりすることにより、異なった言語が聞こえるようになっている。というのであれば、今は目にも見えず、聞こえないけれども、その天使という存在の周波数に合わせることができるのではないだろうか。そう考えると日々ワクワクせずにはいられない。あきらめず、とにかくプラス思考で挑戦してみたい。

vol.167「道なき世界の案内人」 by 藤田庸司


9月のテーマ:地図

MTCの業務の一つに受講生との面談がある。受講期と受講期の間に一度、20分程度でディレクターが受講生に行う個別カウンセリングである。「英語力を上げたいのですが、勉強法は?」、「日本語が上手になりたいんですけど...」、「字幕における情報の取捨選択のコツは?」、「私ってプロになれますか?」。技術的なことをはじめ、進路や将来への不安、ひいてはライフプランに関わる踏み込んだ内容など、質問や悩みは多岐に渡る。"翻訳に答えはない"とよく言われるが、プロへの道も決まった道があるわけではなく、明確な進路を示す地図などもない。学習する個人個人の出発地点(レベル)も違えば、目指すゴール(スキルを用いての就業形態)も違う。面談では、受ける質問を分析したうえで経験から得た知識を地図のように広げ、その人にぴったりのルート(結論)を模索していく。僕自身もかつては受講生だったので、将来への不安や焦り、戸惑いが分かるぶん、つい熱くなってしゃべり過ぎてしまうこともあれば、面談終了後、あれもしゃべればよかった、あれを言い忘れたなど、肝心なことを伝え切れていなかったことに気づき後悔することもしばしばである。

先日こんな質問を受けた。「半年ごとに多くの修了生が出ますが、自分にまで仕事が回ってくるのでしょうか? 字幕の必要な映像素材って、世の中にそんなにあるのでしょうか?」。翻訳を職業にすべく学習されている方にとっては出て当然の質問である。

一昔前、字幕が必要なコンテンツといえば劇場映画やBS、CSチャンネルで放送される海外ドラマぐらいと思われていた。しかし、現在はインターネットの普及により、ネット上で扱われる膨大な量の映像コンテンツが字幕翻訳、吹き替え翻訳などを必要としている。一週間に一回放送といった海外ドラマやドキュメンタリー番組に代表されるテレビ用コンテンツとは違い、放送枠の制限がないWebの世界には、映画、ドラマ、エンタメ、スポーツはもちろん、企業紹介ムービー、インフォマーシャル、医療器具マニュアルから"えっ!こんなものまで?!"といった映像まで、翻訳を必要とするコンテンツが山のように存在する。"劇場映画の翻訳しかやりたくない!"、"ドラマしか翻訳したくない"などと考えなければ(それはそれで立派な目標ではあるが)、仕事の有無に関しての心配はないだろう。

また、たとえ近い将来に自動翻訳機が精度を上げ、翻訳は機械やコンピューターの職務になったとしても、映像翻訳は必要とされる。制限された文字数や尺の中、映像に合わせつつ必要な情報を判断し、それをつなぎ、文章として構成していく作業は、機械やコンピューターでできるとは到底思えない。人間の感性やクリエイティビティがなければ成し得ないはずだ。

めまぐるしく変化を遂げる映像業界、放送業界。5年前にはクライアントから作業用の映像素材をビデオテープで借りていた時代から、DVDで借りる時代を経て、今や映像ファイルでの受け取りがメインとなっている。そして2020年の東京オリンピックが決まった。我々の仕事に大きく関わることは疑いの余地もなく、いろいろな翻訳案件が予想される。絶えず時代の流れを汲み取り、不安を抱えながらも夢に向かって道なき世界を進む方たちの案内人として少しでも力になれたら、MTCディレクター冥利に尽きるというものだ。


vol.166「From Hand-drawn Maps to Smartphones」 by Jessi Nuss


9月のテーマ:地図 (Maps)

Up until 3 years ago, the blank pages in the back of my daily planner were filled with maps. Page after page of lines and shapes carefully sketched in an attempt to recreate a path I'd soon be taking. In the days before owning a smartphone, looking up detailed directions in advance before going somewhere new was a must. Not owning a printer, I'd spend a few minutes sketching out a copy of a map I'd found online. A rectangle for the station. A circle is the convenience store on the corner. A square becomes the bank down the road. Does this look accurate enough? I analyze the lines and shapes, tweaking them until I feel confident it's enough to get me there. I snap my planner shut and head for the station closest to my destination.

The moment I exit the station, my map-drawing skills are put to the test and the adventure begins. I guide myself through the streets clutching my planner, relying solely on my sketches of various roads and landmarks. Somewhere in my imagination, I'm an explorer on an adventure, treasure map in hand. Finding every landmark I've sketched down becomes a small victory, as I feel my goal getting closer with every step.

Nowadays, smartphones that tell us our exact location at any given time and follow our every footstep have replaced the need for checking maps in advance, or even any future planning at all. I marvel at how it has become completely natural, expected even, to simply enter the address of where you're going, and let your trusty GPS do the rest. Even if my destination is completely foreign, I often find myself letting my iPhone lead the way entirely.

Of course, there's no denying that such maps have made the hassle of finding a location more convenient than we could have ever imagined. Yet at the same time, I can't help but feel that the slight sense of adventure I felt relying solely on a hand-drawn map in the back of my trusty planner has disappeared. Maybe one of these days, I'll ditch the GPS, and enjoy a little bit of that explorer spirit once again.

vol.165「大海を泳ぎ進む魚」 by藤田奈緒


8月のテーマ:魚

めっきり魚ばかり好む年頃になった。行きつけの魚屋さんで友人と落ち合う約束をしていた仕事帰りの夜、少し早く着いたのでカウンターで1人待っていると、ケースの中の魚と目が合った。そこのお店のカウンターには大きなガラスのケースがあり、魚の顔がこっちを向いていることはよくあることだ。でもこの日はいつもと少し様子が違った。その金目鯛の目は未だかつて見たことがないほど濁っていたのだ。

内心ぎょっとしながら、私は目を濁らせて横たわる目の前の魚とは対照的な、ある女性のことを思い出していた。香港に住むその女性は私の友人の母親。初めて会ったのは12年ほど前、友人を訪ねて香港に一人旅した時のことだった。白い歯が光る大きな笑顔が印象的な彼女は、それまで会ったこともない外国人の私を快く家に招き入れ、宿を提供してくれた。以来、会うのは数年に1度のペースだが、会うたび、彼女はある種のインスピレーションを私に与えてくれる。

体を動かすことが大好きで、ジムのプールで泳ぐのが日課。若い仲間に交じってダイビングに出かけるのが趣味。とにかく超アクティブな彼女は、驚くほどオープンマインドでものの考え方もスーパーポジティブだ。

数ある言葉の中でも特に記憶に残っているのは、初めて会った時に彼女が言ってくれた「Take risks」という言葉。当時私は大学を卒業して損害保険の会社に勤め始めたものの、やはり映像翻訳への夢を捨てきれず、どのタイミングで方向転換すべきかを迷っていた。そんな私に向かって彼女は言った。「やりたいことがあるなら突き進みなさい。それが正しい道よ。Take risks!」と。

背中をぐんっと後押しされた気がした。試してみたものの、案の定馴染めなかった普通の会社へのちょっぴりの未練(正確には、社会経験がないままフリーの翻訳者を目指して人として大丈夫かしら...という心配)は、その瞬間、あっさりと捨て去ることができた。その後、私が選んだ道は皆さんもご存知のとおり。日本映像翻訳アカデミーに1年通ったあと、トライアルに合格し念願の映像翻訳者に。その後、縁あってディレクターとして勤めることになった。かれこれ10年前の話だ。

数日前、彼女から連絡があった。「NAO、聞いて! 最近、バドミントンのシニアの部で準優勝したの。しかもドラゴンボートの2つの試合で優勝したのよ。年寄りにしてはやると思わない?」 パソコンの向こうで目を生き生きと輝かせている彼女の笑顔が目に浮かぶようだった。

秋に私は久々に香港を訪ねる。香港の母はそれまでに更なる進化を遂げているのだろうか。ジムのプールから海へと飛び出した彼女は、今度はどこまで泳ぎ進んでいるのだろう。今から話を聞くのが楽しみでならない。

vol.164 「And I Love Car」 by丸山雄一郎


7月のテーマ:乗り物

乗り物と言えば、僕にとっては何と言ってもクルマです。物心がついてからは、プラモデル、ラジコンと、誕生日やクリスマスのプレゼントには、常に"クルマもの"をねだりました。スーパーカーブーム(1977~78年)の最盛期に、東京の晴海でランボルギーニ「カウンタック」やフェラーリ「ディーノ」「365BB」、ポルシェ「911ターボ」が展示されたときには、父親に無理を言って、開催期間中に何度も連れて行ってもらい、いま思えば、呆れるほどの枚数の写真を撮りました。

僕らの世代は"デートにクルマは必須"という時代でしたから(笑)、18歳になると男子は(イケてる女子も)、先を争うように免許を取りに行きました。デートも、友達との海も、飲み会も(僕は下戸なので)、僕らの生活は常にクルマとともにありました。

国内での新車の売り上げが大きく落ち始めた頃から、クルマメーカーやメディアは、その理由を「若者がクルマを欲しがらないから」と説明しています。大学生にアンケートを取ってみると、「東京でクルマはいらない」とか「興味がない」という声は実際に多いようです。

でも、僕はそういった記事を見る度に、"本当にそうか"と思っています。確かに東京でクルマに乗ることは、便利な面より不便なことのほうが多いかもしれません。でも、「東京でクルマはいらない」という学生の多くは、普段からクルマに乗っていて、その上で「いらない」と言っているとは思えないし、「興味がない」という人も同様だと思います。不便ということなら僕らの学生時代のほうが現在より、よっぽど渋滞は多かったし、東京の交通機関がこの20年で劇的に便利になったとも思えません。でも僕らはそれでもクルマに乗りたかったし、クルマに乗れば僕らと同じように思う学生は今もいっぱいいるはずです。

なぜか? それは奥田民生の『And I Love Car』が使われていたこの損保会社のCMを見れば一目瞭然です。きっとクルマが欲しくなるはずです。少なくとも"クルマっていいな"とは思えます。そして、もしクルマに興味が持てたら、こちらのサイトに毎日、いらしてください。僕が担当している全米人気No.1自動車サイトの日本語版です(笑)。

vol.163 「スペースシャトルのくれた希望」 by藤田彩乃


7月のテーマ:乗り物

1960年、「旧ソ連に後れを取るわけには行かない」と当時のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディは宇宙計画に力を注いだ。その後、人類初の月への有人宇宙飛行計画であるアポロ計画をスタートさせ、その思いはリチャード・ニクソン大統領政権下に引き継がれた。そして1969年、ついにアポロ11号が人類の月面着陸という歴史的快挙を成し遂げた。冷戦下における旧ソ連との覇権を争いや、宇宙開発によって莫大な利益を得る大手軍事企業のロビー活動など、いろいろな背景があるものの、当時のアメリカ国民、ひいては全世界に大きな希望を与えたのは間違いない。当時の子供たちはみな宇宙飛行士になりたがり、開発者や科学者たちは国民の尊敬を集めた。

1962年のケネディ大統領の演説に、印象的なセリフがある。

We choose to go to the moon. We choose to go to the moon in this decade and do the other things, not because they are easy, but because they are hard.

「困難だからこそ挑戦する」。いかにもアメリカらしい発想だ。まだ見ぬ新しい世界を夢見ながら、不可能に思えることにあえて挑む。そして幾多の困難を乗り越えて、不可能を可能にする。「無理だ」とあきらめてしまいそうなときに、元気と勇気をくれるセリフだ。

そんなアメリカのチャレンジ精神を象徴したのが、スペースシャトル計画だろう。最初のスペースシャトルが宇宙へ打ち上げられたのは1981年。ロナルド・レーガン大統領政権下のことだ。その成功は、アメリカの国際的な存在感、パワー、偉大さを証明し、アメリカ国民すべての希望と誇りとなった。

しかし1986年に、 チャレンジャー号が爆発。7名の宇宙飛行士全員が死亡する事故が起こる。アメリカの成功と権力を裏付ける存在だったスペースシャトルの初めての大惨事に、当時のアメリカが受けた衝撃と絶望感は計り知れない。その後も、スペースシャトル計画は続くもの、911同時多発テロや2003年のコロンビア号の空中分解による全乗組員死亡事故などを経て、2008年のリーマンショックからほどなくした2011年、アトランティス号の打ち上げをもって、人々に希望を与え続けたスペースシャトル計画は、終わりを告げた。

現在、ディスカバリー号やアトランティス号などのスペースシャトルは引退し、アメリカ国内の航空宇宙博物館に展示されている。中でもエンデバー号は、ロサンゼルスのカリフォルニア科学センターに展示されている。昨年2012年にエンデバーがボーイング747に乗ってロサンゼルス国際空港に到着したときは、大勢の市民が空港周辺に駆けつけて、LAの街中が大混乱となった。皆が上空を見上げ、滅多に見られないその光景に見入っていた。私のその中の一人だ。

私は、アメリカをアイディアの国だと思っている。そのアメリカが誇るインスピレーションとイマジネーションの結晶であるスペースシャトル計画がもう存在しないと思うと、とても切なくなる。「困難だからこそ挑戦する」というアメリカの精神はもう過去のものなのだろうか。引退したスペースシャトルを博物館で見た次世代の子供たちが、その歴史と功績に希望と刺激をもらい、新しいミッションに果敢に挑むことを願うばかりだ。

(写真はロサンゼルスにエンデバーが来た時に撮影したものです)

vol.162 「夏服界における絶対的存在。」 by浅川 奈美


6月のテーマ:衣替え


6月、冬服から夏服への衣替え。
一斉に紺色ブレザーから白シャツ一色に変わった教室は、一段と明るく感じたものだ。視覚的効果は抜群。梅雨前線が絶賛活発なこんな季節でも、気持ちは一気にアゲアゲだ。そう、ウキウキのワクワクが止らなった制服を着ていたころの夏。

中学・高校において冬服から夏服への移行は5月下旬から6月初旬。そして冬服へ戻るのは10月。時期については地域にもよるが、大体こんな感じだ。中高ともにブレザーの学校に通った。夏は、ブレザーなし、セーターなし、シャツ一枚。3年目になるとテカってきちゃうような通気性のいい薄手素材のスカートといったスタイル。1年のうちに4ヶ月くらいしか夏服って着てなかったんだなと今更ながら気づいてちょっとさびしくなった。私は夏服が好きだった。

「だってあそこの制服かわいいじゃん」
っていうのは、進学校を選ぶ理由としていまだに健在なのか?この少子化時代、一人でも多くの生徒獲得のために伝統の制服デザインを一新、チェックのスカートとブレザーに変えちゃいました、なんて学校も実際あったであろう。それと、都内でのセーラー服遭遇率がめっきり減ったことと関係性を否めない。『あまちゃん』でも、この変化は見られる。母親・春子が通っていた時代はセーラー服だった北三陸高校の制服も、娘・アキが通う現代ではブレザーになっている。セーラー服は、私にとって、一度も袖を通したことのない、あこがれのままあり続ける存在だというのに、世間ではもはや斜陽アイテムなのだ。そんな危惧とは無関係にアニメの世界では圧倒的な存在感を示している。月野うさぎだってセーラー服あっての超有名戦士だし(ちょっと古いが、避けては通れない。その人気、世界レベル)、涼宮ハルヒが通う県立北高校では、男子はブレザーでも女子はセーラー服(amazonではウィッグ付きで\4,999で買えます)。咲ちゃんだって、日暮かごめだって小松崎海だって(昭和過ぎ?)セーラー服を着ているのである。まぁ、例を挙げればきりがない。

不思議な論調で本日のコラムを書いているのは本人が一番気づいている。だが、多大な影響を私に与えたこの作品に触れずにはいられない。1981年制作の角川映画『セーラー服と機関銃』(相米慎二監督)である。この作品のポスターを覚えているだろうか?セーラー服を着たショートカットの薬師丸ひろこが、まん丸の目を見開いて機関銃を高々持ち上げている、あのビジュアル。今見てもかなりの"キュン"ものだ。あのわき腹をほーんの少し見せるか見せないかで、このポスターの魅力は格別に変わる気がする。1990年代後半に安室奈美恵をきっかけに流行した腹見せファッション。腹見せ、へそ出し、へそピー(ピアス)姿の女子たちがそここちらに出現したのだ。しかし、この映画はそれよりずっと前。1981年制作。あのポスターに見る薬師丸ひろこのわき腹は、当時、効果絶大、男子のみならず女子の心までグッとつかんだのであった。たぶん。夏のセーラー服。1920年ぐらいからずっと日本の学校に制服として採用されつづけたデザインにはそんな絶対領域(※注)があったのだっ。たぶん。

「僕はあのポスター大好きですが、同時に悲しくなりますよ。
どんなにキュンとしても、はなから渡瀬恒彦にはかなわないんだろうなという...
敗北感が心に広がるんです。」

同世代の某ディレクターのちょっと切ない、いや、かなり痛いコメントを紹介して本日のコラム、終わり。

【※注:絶対領域】
スカート、ショートパンツなどのボトムスとニーソックス(サイハイソックス)を着用した際にできるボトムスとソックスの間の太ももの素肌が露出した部分を指すオタクの使う萌え用語。
(Wikipediaより)


vol.161 「衣替え」 by塩崎 邦宏


6月のテーマ:衣替え

私が通っていた中学校では、衣替えはピンポイントで決まっていた。5月31日まで冬服を着ていて6月1日からは全校生徒が一斉に夏服になる。暑さ寒さによってどちらを着ても良いという移行期間がないのだ。でも、それはそれで新鮮だった。昨日まで一緒に過ごしていた友達がいつもと違って見えてくる。お互いちょっと気恥ずかしさがあり教室の中も一気に明るくなる。好きだった女の子もいつもより眩しく見えたりした。テンションも上がり、友達と意味もなく廊下を走り先生に怒られたりもした。

実家に住んでいるときは私服もちゃんと衣替えをしていた。というか親がしてくれていた。今思うと本当にありがたい。しかし、一人暮らしを始めてからは収納スペースがなくなったこともあり、衣替えをしなくなってしまった。もちろん、コートやジャケットなどはクリーニングに出すが、そのままクローゼットに戻すだけだ。夏に着る半袖シャツやTシャツも同じ部屋のタンスの中にある。そして、ただそれを出して着るだけなので衣替えをしている感覚がない。

衣替えのように、身近な環境が変わることによって心も一新して何か新しいことや今まで挑戦したことのないことに自然と目が向いているときがある。

学生時代、私は授業の英語が大嫌いだったが洋画や海外TVドラマは大好きだった。そのこともあり、いつか英語ができるようになりたいという願望はずっと心の奥底に持っていた。いつも着慣れないスーツを着て就職活動をしていたとき、今、英語を勉強しないとこのまま一生何もやらないなと思い一念発起した。せっかく英語を勉強するなら好きなドラマに字幕をつけたいと夢を抱き、映像翻訳者を目指した。結果、立派な翻訳者にはなれなかったけど、何本か翻訳の仕事をさせていただいたことにとても感謝している。もし、あの時思い立たなかったら今でも勉強しておけばよかったとずっと後悔していたと思う。

基本、私は何をやるにも"石橋をたたきすぎる"傾向がある。結局、考え過ぎて何も行動をしなかったということがたくさんある。チャンスやきっかけがあったのに一歩を踏み出さずに終わってしまう。何か始めようと思うきっかけはどこにでもあり、いつ始めるかは自分で決められる。まさに"思い立ったが吉日"だ。衣替えも、気分を一新して何かに挑戦する良いきっかけになるのではないだろうか。今年の夏はいつもより少しちゃんと衣替えをして新しく前に一歩踏み出してみよう。自分の世界がもっと広がり新しい自分を見つけられることに期待をして。


vol.160 「寄道のプロ」 by 杉田洋子


5月のテーマ:寄り道

大学在学中、1年ほどキューバに留学した。日本人の数は、それほど多くなかったけれど、その間、いろんな目的や事情で来ている日本人に出会った。音楽の修行に来ている人、恋人や旦那さんがキューバ人という人。それから、世界中を旅してまわっているバックパッカー。あるバッグパッカーの青年は、キューバは初めてでスペイン語もできないけれど、このイレギュラーだらけの国でもすぐにコツをつかんで、交渉やヒッチハイクをこなしていた。そんな青年を見て、何度もキューバに来ていたある日本人の男性は、私にこんなことを言った。

「世界中いろんなところに行って、旅慣れていることより
この国を深く知っていることの方が価値がある」

いろんなところに行って、旅慣れているわけではない私はこの言葉に励まされながらも、疑問を覚えた。

「そうだろうか?」

そもそもどちらが優れているとかいう問題ではない。いわば旅のプロと、キューバのプロ。どちらにも、それぞれの価値があるし、完全に切り離すことはできないはずだ。旅をするための方法と、どこかに特化した知識。どちらも備われば百人力だ。

映像翻訳を世界に見立ててみれば、同じような問題に突き当たる。映像翻訳のプロというのは、概して例えるなら「旅のプロ」に近い。方法を知っているということは、適応能力があるということだ。専門外のことが来ても、どうすればベストか、判断し実行できる。もちろん、専門性があまりに高い場合は、お手上げのものもあるだろう。その道のプロに任せるのが得策という場合もある。とはいえ、汎用性や柔軟さは、翻訳者として欠かせない要素であることは間違いない。その上で、詳しいと言える分野がいくつかでもあれば、深い海溝を持つ大海原のように、おっきな翻訳者になれる。

受講生や修了生の皆さんのプロフィールを見る度に、ここにたどり着くまでに、実に様々な経験をされているなと感じる。職歴であったり、趣味であったり、子育てであったり、家族の都合であったり...。いろんなところに寄り道(そんな気軽に呼ぶレベルのものではないとしても)をしてきたことが、翻訳者としての付加価値を与えてくれる。実際に仕事が始まれば、新しい案件に出会うたびに、新たな世界の扉を開くことになる。でも、プロの寄り道は本気の寄り道。納期までに全身全霊で、今向き合っている案件に没頭し、突き詰めることができるかどうか。

そうやって、プロとして活躍している修了生の皆さんを、私は心から尊敬している。なかなか直接言える機会はないけれど、ここで改めて感謝の気持ちを表したい。

いつも、本当にありがとうございます。

vol.159 「寄り道のススメ」 by 相原拓


5月のテーマ:寄り道

これまでの人生、寄り道ばかりしてきた。大概ろくな目にあわないと分かっていながらも、いざとなると目的地とは逆方向の道を選んでしまう自分がいる。

小学生の頃は、学校帰りの小さな寄り道が何よりの楽しみだった。親の注意はそっちのけにして、近所の広場でカマキリを捕まえたり、友達の家に寄ってみたり、毎日のように道草を食いながら帰宅していた。中学生にもなれば、そんなことを続ける子はあまりいないのだろうが、僕は相変わらず寄り道グセが直らず、とうとう親の注意を長年無視してきたバチが当たった。ある日、いつものように友達とふざけながらフラフラと遠回りして帰っていると、部活用にレンタルしていたヴィオラを途中で失くしてしまったのだ。どこで落したんだろう・・・先生になんて説明しよう・・・弁償金はいくらだろう・・・親に殺される・・・。そんな思いが一通り脳裏をよぎると、頭の中が真っ白になり、その場で泣き崩れたのを今でも鮮明に覚えている。尋常じゃない泣き方だったのだろう、一緒にいた友達は本気で引いていた。

小さな寄り道は、迷子や遅刻の原因にもなるのでいい大人がすることではないと思うが、経験上、人生の寄り道と呼べるような思い切った決断となると、その向こうには必ず新たな発見が待っている。現にこうして映像翻訳の仕事をさせてもらっているのも、思えば大きな寄り道から始まった。少なくとも、大学を卒業してアメリカから帰国すると決めた時点ではそのつもりだった。あれから早9年、しばらくは帰国後も寄り道に寄り道を重ねて転々としていたが、映像翻訳に出会ってからは、アメリカに戻って永住するというそれまでの長期プランはご破算になり、ようやく軌道修正できて今は進むべき道が見えている。

ちなみに例のヴィオラはというと、あの後、立ち直れずひたすら号泣している僕を見かねた友達が慌てて辺りを探してくれて、思いのほかすぐに出てきた。逆に申し訳ないぐらい呆気ない結末。それでも他の仲間の前ではこのエピソードについて一切触れないでいてくれた友達には感謝の気持ちでいっぱいだ。

vol.158 「お涙頂戴」 by 小笠原ヒトシ


4月のテーマ:涙

涙、または涙を流すという生理現象が、映画やテレビをはじめ多くのエンターテイメントの世界ではキーワードとなっている。

特に宣伝においては、「涙なくしては観ることができない」というキャッチコピーがあったかと思えば、映画を見終えた観客(もしくはそういう設定の役者)が「もう感動して涙が止まりませんでした」とか言っているコマーシャルがある。「汗と涙の結晶」というフレーズには、どんな結晶だとツッコミたくなる。

どうもこうした感情を押しつけるような宣伝には、なじめない。宣伝する側が、その映画がどんなストーリーで、どんな俳優が演じているのかという情報だけでは、その作品の魅力を十分に伝えきれないと思ってるのだろうか。はたまた観客自身が、誰かの意見や感想を聞いてからではないと、観るかどうかの判断を下せなくなってしまったのか。

そういう自分も、ネット通販やレストランガイドのサイトを見るときは、必ずコメント欄をチェックして誰かの意見を参考にしているが、それは製品のスペックと値段を客観的に比較しているのであって、他人の抱いた感情を押しつけられていることとは違うのだ。

そこにいくと同じく「涙」をうたい文句にしているものであっても、昔ながらの「お涙頂戴」というフレーズは潔い。思い切りがよい。一般的には「この映画はお涙頂戴の映画でして...」などと言おうものなら、俗っぽい、安っぽい、みみっちいというマイナスイメージが強烈で、むしろ嫌悪感を抱かれてしまうのだろうが、「私は泣いたけど、あなたが泣くかどうかは分からないわ」という中途半端なことは言っていない。「観客を泣かせるように作っています」という明確なメッセージが届いてくる。「頂戴」、すなわち「泣いてください、お願いします」とへりくだってさえいて、実に吹っ切れているのだ。

いずれにせよ、笑ったり、悲しかったり、感動したりして涙を流すような映画やテレビドラマに出会えればよいのだが、あくびをしり、目にゴミが入ったりしたりするときに出る涙でなければ、良しとしよう。

vol.157 「涙の記憶」 by 野口博美


4月のテーマ:涙

大人になると子どもの頃と比べて号泣することは少なくなると思う。思い返してみても、例えば失恋や仕事で嫌なことがあった時もちょっぴり涙がこぼれる程度だった。映画を観ていて感動シーンに涙しても、エンドロールが終われば余韻に浸りつつ、何でもない顔で映画館を後にすることが多い。では最後にものすごく泣いたのはいつだろうかと考えると中学の卒業式だったような気がする。

友達と遊んだり、部活動にいそしんだり、それなりに楽しかった中学時代ではあったけれど、それほどクラスメートたちと別れるのが悲しかったわけではない。にもかかわらず卒業式の最中、私と、同じクラスの割と仲のよかった数人だけが卒業証書を受け取るのもままならないほど号泣してしまった。
子の成長を涙ながらに見守っているはずの母親からも「あんなに泣くなんて、見ていて恥ずかしかったわ」とか言われて「確かにそうだよね」と我に返ると不思議な気分になった。
もし当時の映像が残っていても絶対に見たくない。当たり前だが、その日に撮ったどの写真を見ても泣きはらしたはれぼったい目をしたブサイクな私が写っている。
しかも悲しいことに、今でも親交のある中学時代の友人はいない...。

SNSを活用する友人から「小学校時代の同級生とつながった!」などと楽しげな話を聞くことがある。そういった類のシステムにまるっきり疎い私だが、近いうちにマスターして、かつての友人に「あの時の涙は何だったんだろうね?」と聞いてみたい。

vol.156 「バリアフリー講座、来期も開講!」 by 浅野一郎


3月のテーマ:応援

バリアフリー講座が来週、終了する。いま講座の受講生は30分弱という、かなり長めのクローズドキャプション制作の課題に取り組んでいるはずだ。

受講生の中にはすでに映像翻訳の世界で活躍している方もいれば、映像翻訳の実務経験がない方もいる。
さらに飛行機で数時間かけて遠方から来ている方、仕事の合間を縫って時間を捻出し通っている方まで、キャリアや背景は様々だ。
共通しているのは、何が何でも、このスキルを身に付ける! という気迫と表現者としての誇りだ。
講義に入ってみて、それを目の当たりにした。
私をはじめ、スタッフ一同、プロ化のサポートを全力でしていく決意を新たにした。

バリアフリースキルは、いまや映像翻訳者のような、言葉を扱うプロの職能として大変注目されている。
日本語の素材を日本語で伝える、簡単なように思えるかもしれないが、そう思った方は是非、説明会や勉強会に出席してみてもらいたい。
(開催予定は日程が決まり次第、メルマガなどで告知予定)

聴覚障がい者用字幕にしろ、音声ガイドにしろ、映像や音声に頼ることは一切できない。"見れば(聴けば)分かるでしょ"という言い訳は通用しない。
バリアフリーは、見ることや聴くことが困難な視聴者を対象に、日本語で作られた素材を分かりやすい日本語で表現するスキルだ。

一朝一夕で身に付くスキルではないが、言葉を使って何かを表現することに喜びを感じる方はチャレンジしていただきたい。

vol.155 「キャンプでの合戦」 by 桜井徹二


3月のテーマ:応援

自分以外の何かに全力で肩入れし、声援を送るという心理はとても不思議なものだ。その対象が好きだからといって、なぜ応援したくなるのか? なぜ、ただ好きだと思っているだけでは飽き足らないのだろうか?

そんな応援の心理についてはよくわからないけれど、応援するという行為が特別な体験であることはわかる。わりと冷めた性格の僕にも、そんな思い出があるのだ。

僕はかつて、キャンパーだった。それも設備の整った至れり尽くせりのキャンプ場で満足するようなキャンパーではない。ザックにテントや飯ごうやコッヘル(携帯用の調理器具)を詰め、仕上げにカップをぶら下げる、そんないっぱしのキャンパーだった。とはいっても小学生の頃の話なので、そこまでシリアスなキャンプをしていたわけでもない。たいていの場合は1泊か2泊くらいの日程で奥多摩あたりに出かける程度だ。いってみればアベレージ・キャンパーだったわけだが、そんな僕も一度だけ、わりとハードコアなキャンプを体験したことがあった。

ある夏休み、僕は北海道の人里離れた山奥で1ヵ月のキャンプ生活を送った。今でいうNGOのような組織が主催していたプログラムで、河原や山すそを含む広大な土地に無数のテントが張られ、そこで各地からやってきた数百人の子どもがキャンプ生活を送るのだ。そこで子どもたちは特に何をするというわけでもなく、ほとんどの日は1日3食の食材の配給以外には何も予定がない。ただ毎日キャンプをして過ごすことだけが目的の、極めてリベラルな(というべきか)プログラムだった。

だから子どもたちは自主的にキャンプのノウハウを身につけたり、いろんな時間の潰し方を編み出したりした。ある日は近くを通る川の上流を探検してみたり、また別の日は肉を干してみることを思いついたりして、初期人類が飢えの心配をしなくてよくなったらこんな過ごし方をするだろうなというような日々を送っていた。

そんなキャンプ生活も終盤にさしかかった頃、ある一大イベントが催された。「合戦」である。参加者を2チームに分け、それぞれの陣地(一方は山の中腹、もう一方は川沿い)に自チームの旗を立てる。参加者は頭にはちまきを巻いてそこにお麩(焼き麩)をぶらさげ、そのお麩が取られたり割られたりした者は脱落となる(なぜお麩なのかはわからない)。そして最終的に、敵陣内深くにある相手チームの旗を奪ったチームが勝利するというルールだった。

充実しながらもめぼしい変化のなかった日々に降ってわいたこの壮大なお遊びに、みんな熱狂した。子どもたちは険しい茂みをものともせずかき分けて奇襲攻撃をしかけたり、侵入してきた敵を一網打尽にするべく無数の穴を掘ったりと、あらゆる手を使って勝利を目指した。

攻防は半日にわたって続いた。いくつもの作戦が打ち破られ、何人もがお麩を割られて脱落していった。そして僕が15人くらいの子と敵陣に向けてとぼとぼと移動していた時、味方の側面攻撃隊が開けた山腹にぽつんと立つ大木を取り囲むのが見えた。その木のてっぺんには敵チームの旗が立っている。

周りにいた子たちは、僕も含めてみんな砂ぼこりにまみれて疲れ切っていたが、その様子を見るなり、ありったけの声を上げて声援を送り出した。低学年くらいの子も中学生くらいの子も、誰もが一心不乱に叫んでいた。

実を言えば、この時すでにタッチの差で川岸に立っていた僕たちのチームの旗は奪われていた。でも周りの誰もまだそのことを知らなかったし、僕たちは残りの体力を振りしぼって一丸となって声援を送っていた。声をあげるごとに気分は高揚し、力がみなぎった。それだけですでに勝利を収めたような気持ちになっていた。

その夜、僕は一緒に行動していた子たちと集まって火を熾し、その周りに座って時間を潰していた。ゲームには負けたけれど、不思議なことに誰もが妙に満足げな様子で火を眺めている気がした。僕はぼんやりと、山腹の木に向かって大声を張り上げていた時のことを考えていた。隣の子に今日何が一番面白かったかと聞くと、山腹の木に向かって大声を張り上げていた時だと言った。

今でも、あの木と、それを取り囲む頼もしい連中の姿と、そして僕たちの怒号のような声援ははっきりと思い出せる。そしてあれから今日に至るまで、誰かに対してあれほど精一杯の声援を送ったことはないんじゃないかと思ったりする。

vol.154 「ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの」 by 井上智恵


3月のテーマ:応援

「クラウドファンディング」に初めて参加した。クラウドファンディングとは、インターネットを使って小額を多数の支援者から募り、アート、音楽、映画などクリエイティブなプロジェクトを実現するという、資金調達とサポーター集めの方法だ。
今回、私がサポーターとして参加した作品は、映画『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』。これは『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』の続編にあたる。前作の先行上映会と佐々木芽生監督のトークイベントに足を運ぶ機会があった私は、続編のプロジェクトのことを知って迷わず参加を決めた。1作目が劇場公開に至るまでの監督の話を思い出したからだ。

大きな映画会社がバックについていないインディペンデント映画を作る場合、製作費を工面することがどれほど困難か、彼女(監督)の話からリアルに伝わってきた。資金が途絶え、借金を抱えながら、約4年の歳月をかけて完成にこぎつけたそうだ。その話にショックを受けた記憶がよみがえり、普段はバーチャルなコミュニティに尻込みする私の指が、ためらいなくプロジェクトへの参加登録を行っていた。

支援といっても、主に本編の観賞券や前作のDVDなど、さまざまな特典を購入する形になっているので、純粋な寄付というスタイルではない。プロジェクトが設定した目標金額は1,000万円。支援期間は2月に終了し、合計915人が参加、 14,633,703円が集まった。寄付ではないにしても、破格の金額である。
「私は、25年間NYに住んでいるので、何でも自分1人でやり遂げることに慣れていました。人にお願いしたり、頼ったりするのが、苦手でした。今回皆さんに応援していただいて、大きな気付きを頂きました。人間は1人では生きていけない、ということ。そして人に支援していただく立場になって初めて、自分も人を支援し、誰かの、世の中の役にたてる人間になりたい、と思うようになりました」 これは監督から届いたメッセージの一部だ。私の貢献など微々たるものだが、今後もさらに多くの人とこの作品を共有できたらうれしいし、3月30日からの公開がとても待ち遠しい。

前作を簡単に紹介すると、主人公はマンハッタンの小さなアパートに住むハーブ&ドロシー夫妻。80歳を超えた2人に密着し、彼らの人生に迫るドキュメンタリー映画だ。
郵便局員の夫ハーブと図書館司書の妻ドロシーは、結婚した直後の1960年代から現代アートのコレクションを始める。彼らが作品を買う基準は2つ。自分たちの収入に見合ったもの、そしてアパートに入る大きさのものだった。当時無名だったアーティストはどんどん有名になり、夫妻のコレクションの価値も高まっていく。メディアでも取り上げられるようになり、夫妻は美術界で有名なコレクターに。30年に及ぶコレクションはアパートの部屋中いたる所にあふれかえり、2人は作品のほとんどをワシントンのナショナル・ギャラリーに寄贈することを決意する...。

アートの世界はまったくの門外漢の私だが、膨大なコレクションを1点も売らずにつつましく暮らすハーブとドロシーに感銘を受け、2人の仲睦まじい姿に頬が緩んだ。夫妻の日常を追う映像からは、監督の深い愛情と尊敬の念がにじみ出ていた。3月の柔らかい日差しのような温かい作品との出会いに感謝し、心からエールを送りたい。

vol.153 「故意の予感」 by 石井清猛


2月のテーマ:予感

日々の仕事の現場において、映像翻訳者が新たな映像を前にして抱く予感とはどのようなものでしょうか。
ひとまずかなり切実だと思われるのは、引き受けた新しい仕事をうまくやり遂げられるかどうか、といった自らのパフォーマンスに関するもので、出端を悪い予感で挫かれるのだけは夢の中ですらご免こうむりたいと念じてはみるものの、相手が"予感"だけにこちらの意図でコントロールをできるはずもなく、そんな時はいい予感でも嫌な予感でもとりあえず甘んじて受け入れて、まずは仕事に精を出すというのが私たちに求められる姿勢ということになります。

もちろんひと口に予感といっても単純にいい悪いで分類すれば済むわけではありません。ともすれば予知や占いさながらにより具体的な細部を伴った予感が、ほのかではあれ訪れてしまう経験は、誰もが一度や二度は覚えがあるもの。さすがに人生が予感のみによって劇的に変わったり、開けたり、終わったりするものではないとはいえ、どうやら、そういった大小遠近様々な予感がもたらす感情や理性のさざ波が私たちの仕事や生活にそこはかとなく影響を与えていることは確かなようです。

例えばある人は何かを予感して帰り道でいつもと違う角を曲がったかもしれない。誰かに言葉をかけ、または言葉をのみ込んだかもしれない。ある人は予感を詩に綴ったかもしれない。ひょっとすると誰かが受け止めた予感が音楽になり、映画になったかもしれない。

それらの予感がやがて起こるであろう現実=未来と結びついていく、もしくは切り離されていく時、私たちは大抵その様子を固唾を飲んで見守るしか手立てがないのですが、一方で私は、人が自分にしか予感できない"何か"を予感してしまう事態そのものにも、強く興味を引かれます。
実際に当たるか当たらないかは別として、私たちは時に思いがけず"現実=未来"の姿を感知してしまうことがあり、誰もが必ずそれぞれのやり方でその予感と向き合うことになるのだとすれば、そこにはその人が生きる世界の形や大きさが反映されているとも言えるのかもしれません。

さて映像翻訳者が新たな映像を前にして抱く予感には、いい原稿に仕上げられるかどうかということ以外にどんなものがあるでしょうか。

例えばこの作品は記録的なヒットを飛ばすかもしれない。後世に語り継がれる名作になるかもしれない。専門家から認められ賞を授けられるかもしれない。見た人の暮らしを少しだけ豊かにするかもしれない。誰かと誰かの人生と結びつけるかもしれない。世界を変えるかもしれない。そして何よりも自分にとって大好きな、かけがえのない作品になるかもしれない。

初めの方で「予感はコントロールできない」と言っておいてなんですが、いい予感が訪れるように少しずつ準備をしておくことくらいは、私たちに許されていてもいい気がします。
この次はきっと、premonitionと一緒にinspirationが訪れますように。

vol.152 「紐づけの方法」 by 藤田奈緒


2月のテーマ:予感

友人になかなかの強運の持ち主がいる。時々、妙にジャンケンの強い人が仲間内に1人はいたりするものだけど、彼女の場合はとにかくクジ運が強い。ビンゴで賞が当たるなんてザラ、たまたま仲が良いという理由だけで、何の関係もない私までその恩恵にあずかった経験数知れず。普段なら手が出せないような高級ホテルの宿泊券が当たり、一緒にスイートに泊まらせてもらったなんてこともあった。

クジが当たるとき、特別な"予感"があるのかと、彼女に聞いたことがある。すると、やはりそれなりに何かを感じるということだった。ほとんどの場合は「なんか当たる気がする」ぐらいの漠然とした感覚らしい。だけど一度、相当な倍率のミュージカルのチケットがその場で当たった時などは、その直前に文字通り、全身に鳥肌が立ったという。

一方の私はというと、そんな強運の友人を持ちながら"運"なんてものとはさっぱり無縁の人生である。いや、そんなことはないか。少なくとも節目節目で、ある程度の運はつかんできたはずだ。その証拠に、これまで何だかんだで楽しく毎日を過ごしてきたし、好きな仕事に就くこともできた。それほど不運とも思えない。そう考えると私の場合、運がないというよりは単に"鈍感"なだけとも言えそうだ。だって「なんかこうなりそう!」と予感が働いた記憶が、過去どれだけ遡っても見当たらないのだから。

考えてみれば、昔からルールを覚えるのが苦手だった。どちらかというと感覚的に物事をとらえるタイプだったから、「○○だから××だ」と理論的にものを考えるクセがまるでないまま、時を過ごしてきてしまった気がする。もう何年も前のことだけど、同僚が「夕食に塩気の強いスープを飲むと、夜中に喉が渇いて困るよね」と言ったのを聞いて、心底びっくりしたことがある。というのも、確かに時々どうしようもなく水ばかり飲みたくなる夜はあっても、その理由なんて考えたこともなかったからだ。でもそれを機に思い返してみれば、喉が渇く夜には、激辛料理を食べていたり、いつにも増してお酒を飲みすぎていたりと、喉が渇くだけの理由が毎回あるように感じた。

例えば悩みを抱えて誰かに相談した時、大抵その相手は自分の過去の経験を基にアドバイスをくれるだろう。つまりその人なりの人生の統計結果から、その人なりの見解を述べてくれる。それと同じように、無意識に日々積み重ねた統計が私たちに"予感"をくれるのかもしれない。

というわけで遅まきながら、2013年の私の抱負は"人生の紐づけ"にしようと思う(ちっとも理論的な話ではないけれど)。あの時の彼のあの一言があったから、私はリンゴ好きになったのかもしれないとか、あの日のあの出会いは、実は今自分が直面しているこの問題を示唆していたのではないかとか、毎日の小さな出来事を1つ1つ紐づけできるようになったら、そのうちそれが私に"予感"を与えてくれるんじゃないだろうか。だとしたら、そうなった時の目の前の同じ人生は、今よりもっと面白おかしく感じられるに違いない。試す価値はありそうだ。

vol.151 「左指のポテンシャル」 by 浅川奈美


1月のテーマ:初○○

うちにアコースティックギターが2本ある。
2本とも私のだが、コードがさっぱり思い出せない。小さいころ9年間ほど習っていたピアノはいまだに弾けるが、ギターはてんでだめだ。2013年1月。今年は何年ぶりかにこのギターケースを開けてみようかなと思っている。

アコースティックギターが弾けるのって、しかも弾き語りってかっこいいよなぁとずっと思っていた。そのうちに、クラッシックギター界でのちにカリスマとなる村治佳織が、なんだかものすごいテクニックをひっさげて出てくるようになると、さらにあこがれは強くなった。
ただ、このギターという楽器はかなりの曲者。バイオリンだとか木管楽器とか同様、「初心者には冷たいシリーズ」の一つだ。ピアノならとりあえず音は出る。熟練度やテクニックで音色の違いこそはあるものの、鍵盤を押せば、誰でも同じ音程の音がでる。でもギターはどうだ?あの弦を抑えるというそもそもの動作に、すでに高度な技術を要する。抑えがあまいと弦が、ブ、ブルルンとか震えちゃってまるで嘲笑っているかのような音を発する。
さらに。
「やっぱみんなFで挫折するよねー」となんと全国共通の挫折ポイントが明確になっている。そんな鬼門があるのか!それなら、「基礎から地道に習い、Fだってマスターしたよ」という実直コースではなく、「楽しく一曲弾いてみてさ。そして楽しかったら続けるよ」と、とりあえず雰囲気重視でやる気スイッチを入れるコースを選択。浅はかな思いだけで特訓した。曲目はGeorge Michael のFaith。ジャ、ジャ、ジャ、ジャカジャカジャカ、ジャ、ジャ、ジャ ~~♪(出だしコードはCだったよby庸司ディレクター)。リズム感には自信がある。左手が正しくコードをおさえられればあこがれの弾き語りも夢じゃない。だが、そう簡単にはいかない。指から血が出そうになった。いや、出ていた。細い弦から太い弦まで左指の腹は常に限界とチャレンジだ。これは左手界の「ツイスター」か!こんな痛い思いをしないと音が出ないのか?大正琴のような思いやりはないものか?しかもほぼ、使うたびにチューニングなるものをしないとだめで、何から何までこう、素人お断り感満載。"曲を奏でている"レベルまで、はるか長い道のりだった。が、頑張った。今でいうイモトばりに頑張った。そして、なんとかかんとか、かろうじてFaithを一曲、弾けるようになった。

それが...だ。あんなに必死になったのに...だ。それ以来、ギターをまともに触っていない。特訓の時もらった友達のお古と、誰かが引っ越しか何かの機会に「捨てるならもらうよ」みたいな理由でいつの間にかうちに転がり込んできたもう一本。もともとギター様に対する誠実さが欠けていただけに、マイブームの終焉とともに継続と向上心の火はいとも簡単に消えた。そして私のギターたちはロフトとクローゼットの中に一本ずつ、永い永い眠りについた。あこがれだけが心のどっかに残り続けた。

先日、友人に誘われ中東音楽のライブにいった。途中、だれでも自由に参加していいよタイムがあって、ダラブッカとかトンバクとかの打楽器を持った人々が勝手にステージの方に集まっていって、即興でわーーっと演奏しだした。ベリーダンサーまで加わり、それはそれはの大騒ぎで、実に楽しそうだった。
『扉をたたく人』といういアメリカ映画をご存じだろうか。2009年の難民映画祭でも上映された素晴らしい作品だ。N.Yのセントラル・パークでジャンベ(アフリカン・ドラム)をみんなで弾くシーンがある。この人が何の仕事しているのかとか、あの人はどこの国からやって来たとか関係なく人がつながっていく瞬間。音と音が織りなすコミュニケーションに心が震えた。音楽は確実に世界をつなぐな。。。そういうのを目の当たりにすると、やっぱね。楽器弾けるようになりたいな。って思ったのだ。

もう一度、ギターに「はじめまして」をしようか。そうしたら今度はちゃんと誠実な態度で接します。
えっと、左指の腹にバンドエイトとか巻いて弾いてもいいですか?

YUIの活動休止もきっかけの一つだったりもする。

vol.150 「誰もが誰かのサンタクロースに」 by 丸山雄一郎


12月のテーマ:サンタクロース

クリスマスシーズンが近づくと誰もが頭を悩ますクリスマスプレゼント。相手に喜んで欲しいからこそ、何を贈るかには迷うし、そんな時間も楽しい。でも反面、今年もお金がかかるな~と思ったり、ただでさえ忙しい時期に買い物に行く時間を作るのは面倒だと思う人もいるだろう。

先日、友人たちと食事をしたときもクリスマスプレゼントの話題になった。カミさんや夫、子ども、取引先の上司、頑張っている部下などなど、職業や立場によって贈る相手の数やプレゼントの中身が大きく違っていることも面白かったが、大なり小なりみんなの悩みの種になっていることが分かった。いっそ手数料は払うから、贈る相手のリストと予算を伝えて、一切合財を引き受けてくれるサンタクロース株式会社みたいなものがあるといいなという結論になった。
そんな話をしながら、僕自身も何をプレゼントしようか考えていると、1ヵ月ほど前に行った日本語表現の勉強会のテーマを思い出した。この期の受講生は優秀な方が多く、翻訳者として活躍している人が多いので、勉強会の課題にはあえて翻訳物を選ばず、講義のときと同じように決められたテーマの原稿を書いてくるというスタイルをとっている。このときのテーマは「自信を持って人に勧められるもの」。自分が普段から使っていて、"これは絶対にいい"というものを600W(ワード)で読み手に伝わる原稿に仕上げるというものだった。50代の女性参加者のお勧めは「耳栓」。いびきのうるさい夫を持つ女性には必需品で、その方はもちろんお友達の女性もほとんどが愛用しているそうだ。もっと高性能なものが欲しいというお友達からの要望もあるらしく、今度はプロのレーシングドライバーやレースのスタッフたちが使用しているというプロ用の製品をご自身で試してみると書いてあった。同じく50代の女性の方のお勧めは「お掃除ロボット」。自分で掃除するよりも家がキレイになるし、掃除機に声をかければ返事もするという高性能ぶりで、使えば使うほど愛着が湧き、いまではなくてはならない存在になっているとか。ますます高齢化が進む日本にはぴったりの商品だとも書いてあった。20代の女性は「袖付きのちゃんちゃんこ」。本人は雪国の出身ではないのだが、実家では昔から家族全員が愛用していて、上京して一人暮らしをしている現在も、毎日着ているそうだ。フリースのようないかにも着ているというか、"締め付けられ感"がないのがいいらしい。20代が昭和を感じさせるものを勧めていて、50代が流行の製品というのがおかしくて、勉強会自体はかなり盛り上がった。3人が勧めてくれた商品を送り物として考えてみると、年齢だけで贈り物を決めてしまうと失敗する可能性があるという証明だろう。

振り返ってみれば、子供のころはともかく、物心がついてからクリスマスプレゼントに何をもらったのかなんてあまり覚えていない。高価なものをあったし、いま欲しいものをこちらからリクエストしたこともあったが、薄情なことに中身は思い出せないのだ。でも不思議と送ってくれた人の顔だけは覚えているし、少なくともうれしかったという思い出だけはある。そう考えると、クリスマスプレゼントの中身なんて、きっと何でもいいのだろう。それより贈ってくれた人の「いつもありがとう」や「離れていても気にしているよ」や「大事に思っているからね」というメッセージが伝わることが大事なのだ。そんな気持ちだけは、薄情な僕のような人間にもずっと残るし、そんな気持ちを受け取った子どもたちは、大きくなっても、きっと自分の大事な人に同じようにしていくだろう。
総選挙が終わって、この国の未来がどうなっていくのかはまだ誰にも分からないし、誰もが不安だらけだ。でもクリスマスにプレゼントを「贈りたい」と思うような大人が多い社会なら、きっと大きく間違った方向にはいかないと僕自身は信じている。
「誰もが誰かのサンタクロース」なんてちょっと恥ずかしい言葉だけれど、ちょっと素敵だなとも思う。

Merry Christmas & Happy New Year!
みなさんにとって2013年がいい年であるようにJVTAのスタッフ、講師一同は心から願っています。また来年、みなさんと学校やこのページで会えることを楽しみにしています。
最後まで読んでいただきありがとうございました!

vol.149 「字幕と音声のプレゼント」 by 浅野一郎


12月のテーマ:サンタクロース

師走も迫り、世の中が慌しくなってきた。

今月のテーマはサンタ。もちろん、サンタクロースのことで、1年に1回、クリスマス前夜に欲しいものを持ってきてくれると言われている、とても奇特な人のことだ。皆さんは今年、サンタクロースに何をお願いしているだろう? ゲーム機かもしれないし、アクセサリーかもしれない。しかし、最低でも現時点で600万人近くの人が熱望していると思われるプレゼントがある。それは何か分かるだろうか?

唐突だが、私は今年の3月から「バリアフリー」という分野の仕事にかかわるようになった。現在は「バリアフリー」を専門で扱う事業部に籍を置いている。ご存知ない方のために、念のため「バリアフリー」の説明をしておこう。「バリアフリー」とは、視覚や聴覚にハンディキャップを持つ方たちのために、字幕や音声によるサポート情報を付与して、映像コンテンツの理解における障壁(バリア)を取り除くことだ。

その方法は大まかに分けて字幕と音声ガイドの2つ。ちなみに、字幕は主にテレビ放送用に作られるものを"クローズドキャプション=CC"、音声ガイドは"解説放送"と言われることもある。ちなみに字幕(CCも含む)は聴覚情報を補うもの(音情報を視覚化する)で、音声ガイドは視覚情報を補うためのもの(場面情報を音声で表現する)だ。

ここで、皆さんに想像してもらいたい。テレビを観ていて音が聴こえなくなる。画面では、突然、主人公が振り返る。何が原因で振り返ったのか、皆さんは疑問に思わないだろうか?または、ある映画で映像が消え、スピーカーからは延々と登場人物のセリフと効果音、もしくはBGMだけが流れてくる。どんな状況で、どんな表情で役者が演技をしているのか、皆さんは知りたいと思わないだろうか? しかし、何をどうやっても、聴こえないものが聴こえてくるはずがないし、見えないものが見えるようにはならない。これが「聴こえない」「見えない」というハンディを背負った方たちが、映像コンテンツに対して抱える現状だ。

皆さんは、言葉を使って、異文化間のコミュニケーションバリアを取り除くために、この学校で学習を続けてきたはずだ。外国語を解さない方のために、日本語字幕・吹替えを付与してコンテンツ理解を助ける、バリアフリーでやっていることと、考え方はまったく同じ。単に元の言語が日本語であるというだけで、映像翻訳とバリアフリーの違いはまったくない。バリアフリーを「日→日翻訳」とも言うのは、それが理由だ。最終的には日本語表現力で勝負が決まる、というところもまったく同じである。

私は十数年前に、"映画が好き"という理由でこの学校に入学した。その当時、私がバリアフリーのことを聞いたら、きっと、"だって日本語の番組なんでしょ"とまったく歯牙にもかけなかったに違いない。しかし、数ヵ月とはいえ、この分野に専門で関わってきた経験で、バリアフリーは映像翻訳で培ったスキルを、最大限に活かすことのできる分野だということを声を大にして言いたい。本当にチャレンジのしがいのあるものだということを分かってもらいたい。"私は英語のドラマの翻訳がしたいから"というだけで、バリアフリーをキャリアとして視野に入れないのであれば、大きな損失と言える。

この世には、映画やドラマ、音楽、スポーツ番組を楽しみたくても、それが叶わない人たちが大勢いる。"映像コンテンツの理解に困っている人たち"とは、なにも、英語作品の理解ができない人たちことだけを指すのではない。音が聴こえない(聴こえづらい)、映像が見えない(見えづらい)という視聴者のために、しっかりノウハウを体得して、映像翻訳のスキルを活かしてもらいたい。今年は何かをもらうのを期待するのではなく、字幕と音声ガイドのプレゼントができる人になってみてはどうだろう?

朝起きてテレビをつける、BluRayディスクを挿入する、すると当たり前のように字幕や音声ガイドが付いている、視聴覚に障害があるなしにかかわらず、皆が等しく映画やドラマの話題で盛り上がる。素晴らしいと思う。

vol.148 「幸福の味」 by 藤田庸司


11月のテーマ:幸福

先日、雑誌の取材を受けた。テーマは"チーム翻訳"。1年ほど前から続いている大規模なドラマ翻訳プロジェクトの話を軸に、私と翻訳者3名(プロジェクトにおけるチームリーダーの方々)との座談会形式で進められた。
メディア・トランスレーション・センターでは、長尺の映像や大量の素材を短期で納品する場合、当たり前のように取り入れているチーム翻訳だが、一般的には"翻訳作業×チーム形態"が簡単には結びつかないらしく、しばしば興味深いという声を聞く。たしかに、翻訳という作業は、書斎に籠って辞書を広げ、コツコツと英文を分析し原稿を書いていくといった、個人で行う仕事というイメージが強い。

しかし、昨今のインターネット普及に代表される通信媒体、通信網の発達、高速化、それに伴う視聴者の欲求を満たすとなると、一人でコツコツ作業する従来のスタイルでは、目まぐるしく変わる時代の流れについていけない。「現地でオンエアされた番組を早く観たい!」、クライアント、いや視聴者のローカライズスピードに対する要求は量のいかんに問わず、限りなくリアルタイム、同時通訳ならぬ同時翻訳に近づく勢いで強まってきている。チーム翻訳は、そうした視聴者のニーズに応えるべく必然的に生まれ、今後もさらに発展し、有用化される作業スタイルだと思っている。

チーム翻訳作業は1つの案件に対してリーダーを立て、翻訳者同士のチェック作業を織り交ぜながら原稿完成を目指す。特記したいのは、単に素材を数名の翻訳者でシェアし、個別に上がってきた原稿を統合するだけでは、完成原稿のクオリティは確実に下がるということだ。作業スピードを上げながらも確かなクオリティをキープするには、それなりのメソッドがあり、これまで多くの試行錯誤を繰り返してきた。特に大きなプロジェクトが始動する時には必ずと言っていいほど、素材到着の遅れ、作業スケジュールの変更、翻訳担当者の交代、書式変更など、いくつもの障害が降りかかる。時には無理強いだと感じつつも、翻訳者に頑張ってもらわないといけない場面や、個々のキャパシティを踏まえたうえで、クライアントに納期の交渉をしなければならない場面も出てくる。この方法でいいのか?悪いのか?戸惑いながらも経験から得た感覚を信じ、原稿納品を目指して進めるのだ。

取材を受けている最中、1年前、プロジェクト始動時に行ったキックオフミーティングを思い出した。「ドラマ1タイトル(3シーズン)=全48話を40日で完納します!!」。私の組んだ強行スケジュールにミーティングの場が静まり返ったのを覚えている。メンバーの顔には"無理"と書いてあったが、私にはこの方たちとなら出来るという確信があった。個々の技術と仕事に対する姿勢を把握したうえでの自信だった。結果はクライアントに満足いただけたのみならず、視聴者からも字幕の出来に対するお褒めの言葉をいただいた。3名の翻訳者さんは当時を振り返り、口々に「死にそうな思いで頑張った」とやや苦い表情で語ったが、続けて「苦しかったが、そうした経験があったからこそ今の自分がある」、「苦しい中にも、一つの作品をみんなで仕上げる団結力、結束力には心地良さを感じた」と切実に語ってくれた。そうした言葉に秘められた彼らの思いや仕事に対する姿勢こそ、私の自信の裏づけだった。インタビューの中で私はプロジェクトメンバーを戦友と呼ばせてもらった。オーバーな気もするが、共に苦境を乗り越えることで、絆というか、信頼関係は生まれるものであり、共に困難を乗り越えた者だけが同等の幸福を味わうことができる。そして、もしその幸福を私のみならず、メンバー全員が味わえなければ、チーム翻訳は成立したとは言えないだろう。

vol.147 「"Blessing(祝福)"の力」 by 吉木英里子


11月のテーマ:幸福

"幸福"...なんとも頼りない響きである。むしろどこかイラッとしてしまう。
この響きに無意識のうちにどこか漠然とした期待をもってしまうからだろう。裏切られる感じというか、失望がつきまとってしまう。思春期を迎えた頃の私は、重い病気にかかったり、事件に巻き込まれたりする人々の姿を見て、"幸福"の見出し方が分からなくなっていた。確かに、人生には理屈で理解できない不公平なできごとがつきものだ。いわゆる"悲劇"の中からどのように"幸福"を見出せばいいのだろう。。。こんな思いが悩みとなっていた時、留学先のアメリカの大学で友人から教えられたある言葉は、今でも私の道の光、歩みを照らす灯になっている。

それは、 "Blessing(祝福)"。この言葉は、人の人生を変える。Blessing(祝福)とは、神から与えられる恩恵のこと。それは包括的に色々な意味を持つが、人知を超える無条件の愛と許しを受けることでもある。幸福は地上での報いを受けることだと思うが、祝福とは、天に報いを積むことだ。たとえ誰にも知られず、理解されていなくても、神はどんな些細な事でも見ていて必ず最善をなしてくださる。欧米ではよく聞く言葉ではあるが、このような死後の世界も含めた信仰と人生観があるからこそ、この言葉の重みや真意に、人を変える力が帯びるのだろう。

今年で、当時13歳だった横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから35年の月日が経った。両親の滋さん(79)と早紀江さん(76)が、これまでに全国47都道府県すべてに訪問して行った後援会活動は1300回を超えているという。わが子の幸福を願う両親にとって、この"悲劇"をどうとらえているのか。期待と失望の繰り返しの年月に耐え、いかにして希望を失わずにいられるのか。。。そんな想いである講演会に行った際、早紀江さんからこんな話を聞いた。

ある日突然消息不明となった娘を想い、悲しみと絶望のどん底で来る日も来る日も泣き続けていた早紀江さんに、世間の人が訪ねてきては「それは因果応報ですよ」と言ったそうだ。深く傷つき罪悪感と怒りに潰されそうになる中、同学年の子供をもつ母親が何も語らず聖書を置いて行った。そこである一節が目に留まる。それは生まれつき目が見えない人を前に、イエスの弟子たちがその理由をイエスに尋ねた箇所だった。『先生、この人の目が不自由なのは一体誰のせいですか。本人が悪いことをしたせいですか、あるいは家族の誰かが、先祖が悪いことをしたからでしょうか』そこでイエスは答えました。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。ただ神のみわざがこの人に現れるためです。』(ヨハネ9章:2-3)」この短い一節で、大きな励ましを受け、生き方が変えられていったという。
母親として、めぐみさんの"祝福"を願うようにと変えられたのだろう。手記『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』(草思社)ではこう語っている。「誰でもいつかは死にます。小さな者で、一粒ですが、そこから後世の平和のために役立つ、めぐみはそのような人生であったと受け止めます。そこから平和について多くのことを考えなければならない」。苦しみと絶望の日々から這い上がり、このような力強い人生観を持つに至った早紀江さん。今年発売された著書、『めぐみと私の35年(新潮社)』の中で、「どんなに時間がかかっても、最善の時を選ばれる。それが私たちの神であり、希望なのです」と述べている。すべてを神に委ねつつも、懸命に希望をつないでいる姿には、なにか背負った者の覚悟や使命感ともいえる力を感じさせる。
"Blessing(祝福)"を信じることは、いわゆる"悲劇"の中にいる人でも、今ある幸福を見出すための希望だ。そしてはじめて、不公平ともいえる人生の試練を負う様々な立場の人が"幸福"を共有できるのではないかと私は信じている。拉致被害者ご家族の象徴的な姿は、日本に課された"平和"についての問いかけを一身に背負い、人生をかけて応えているように見えた。まずは、何十年もかけて絞り出された言葉を受け止め、この問いかけを共有すべきだろう。早紀江さんも見出した"祝福"は、また誰かの人生を変えるかもしれない。
拉致問題の早期解決を願い、被害者ご家族の方々への祝福を日々祈りたいと思う。

vol.146 「愁いホルモンのローカライズ」 by 杉田洋子


10月のテーマ:郷愁

最近、記憶力の低下も手伝ってか、
郷愁を覚える対象が近い過去になっているように感じる。
上京して間もないころは、夕暮れ時、
路地にただよう夕飯のにおいに実家を思い出し、
感傷にひたったりしたものだ。

しかし東京に来て12年が経った今、
実家に帰って感じるのは、懐かしさというよりは新鮮味である。
父が日曜大工でこしらえたものや、食器や家具の配置が変わっていたり、
古くなった家電が買い換えられていたり...。
親や兄弟との距離感も少しずつ変わってきたように思う。
家族には変わりないが、久しぶりに会うので、少し照れ臭い。
変わらないのはカメだけである。

言葉通りの郷愁は、故郷や実際に体験した過去に対して馳せる思いだろうけれど、
似た類の言葉に、哀愁とか切なさとか恋しさとかいうのがある。
それは少し物悲しくて、胸がキュウっとなるような思いだ。
そしてそんな現象は、日常においてわりと頻繁に起きている気がする。
普段、こうした精神状態を招くのは、夕日だったり、枯葉だったり、
アコーディオンやオルゴールの音色だったり...。
特に個人的に特別な思い入れはないものが多い。
それが醸し出す雰囲気が直接胸に作用しているような感じだ。
あるいは刷り込みによる私たちの思い込みかも知れない。
どこか懐かしいような気持になるが、"懐かしい"という言葉で表現するのも
語弊があるだろう。
現にそれらは、ノスタルジックな旋律とか、哀愁を帯びたメロディーなどという言葉で
形容されたりする。

でも、原因はさまざまに分類できても、
このキュウっとなるようなものに触れたとき、
実際に私たちの胸や頭の中で起きている現象は、
きっと同じなのではないだろうか。
愁いを引き起こすような、同じホルモンが分泌されている、みたいな。

それを例えば日本語では細かく分類し、さまざまな言葉を当てている。
しかし別の国の言葉では、1つの単語がすべての愁いホルモンを
内包している場合もあるだろう。
そんなときは、翻訳するにも言葉選びに一苦労だ。
どの言葉をあてるかによって、第三者の印象は変わってくる。
相手の感情やら、状況やらを推し量りながら、しっくりとくるものを探す。

...結局、最終的にこういう話に行きついてしまうのだから、
私がおばあさんになったころには、辞書やパソコンを見て、
郷愁の念を抱くのかもしれない。

郷愁とはまるで無縁のようなモノたちだけど。

vol.145 「郷愁の共有」 by 相原拓


10月のテーマ:郷愁

ここ数年、テレビでよく目にするビールのCMシリーズがある。どれも、妻役の某女優が仕事帰りの夫と二人で晩酌を楽しむワンシーン。ただ夫役はおらず、彼女が終始カメラ目線で夫(視聴者)に話しかけるという演出になっている。時には下唇を噛んで上目遣いをしてみたり、時には子供のようにはしゃいでみたり。そんな彼女の愛おしい姿を見た男性はいい気分になってこのビールが買いたくなる、というのが狙いなのだろう。だが何度見ても僕の心には全く響かず、それどころか、この世で最も苦手なCMだと言っても過言ではない。

ひとつの商品のCMがなぜここまで鼻につくのか自分でもよく分からない。商品自体はむしろ好きなほうだ。もっとも、設定からするとターゲットは30代の独身男性とは言い難い。仮にターゲットだったとしても無視すればいいだけの話である。しかし周りに聞くと同意見の人もいるので、僕だけが例外ということではないらしい。世間的にはどう受け入れられているのだろう。

作家の山下柚実氏がこのCMを解説している記事で次のようなコメントを紹介している。
「毎回、妻役の女優が夫の帰りを笑顔で待っているという内容ですが、見ていて違和感を持ちます。気楽で甘えたような妻の姿に、イラつきさえ覚えます。最近は、夫の収入だけで生計を立てている家庭は少数派だと思います」
これは実際に東京新聞(2010年1月12日付)に投稿された40代女性の声だという。

なんと痛快! 僕の中のモヤモヤはこういう感情だったのか。

これでひとまずスッキリしたが、調べていくうちに予想外の情報を見つけてしまった。この商品を製造・販売する会社の社長インタビューを含む記事によると、
「スーパーでビール類を買っていくのは主婦である。家で飲むのは男性だが、購入は女性。この真理を○○のCMは突いている。『主婦が○○を買って、家で夫の帰りを待っている』というコンセプトが明快だ」

ターゲットは女性!? まあ、そう言われてみればそうかもしれないが、ダメではないか。売り手と(想定された)買い手の意見が完全に食い違っている。

それでもヒット商品であり続ける現状について山下氏はこう続ける。
「女が外で働くことが当たり前になった今、『待ってるー』と甘えた口調で叫ぶ『昔の女』像は、男たちの郷愁を呼ぶ。一方で、今を生きる女たちの反発を生む。それは言わば、両刃の剣でもあった。○○の強烈な懐古主義に対する、ある種の反発。それはCMのインパクトがそれだけ強烈だったことを物語る。その意味では広告としては"大成功"だったわけだ」

元の対象は主婦だったが、結果的に中年男性の心を奪った。そのカギとなったのが郷愁の共有。どの時代でも同世代・同人種にしか共有できないノスタルジーというのが必ずある。共に聴いた懐メロだったり、共に経験した歴史的出来事の思い出だったり、形はともかく、そのストライクゾーンにハマればターゲットの心に響き、購買意欲をくすぐる。売り手の意図とは裏腹に一部の女性の反感を買う一方で、このCMが描くノスタルジーに誘惑された日本中の中年男たちは、大量のビールを消費しているに違いない。

結論として、既婚の中年男性でも主婦でもない僕はやはり対象外だったようだ。ただ、それを知ったところでこのCMが引き起こす拒絶反応はどうしようもない。また厄介なことに、このバーチャル妻は街の至る所にいるので、どんなに避けようとしても目に入ってしまう。流れるCMは無視できたとしても、通勤電車の中吊りポスターを未だに飾っているし、会社近辺ではコンビニの上に立ちはだかる巨大なビルボード公告までをも飾っているのだ。せめて発散できればとの思いでこの場を借りて吐いてはみたものの、もはや僕には逃げ場はないのかもしれない。トホホ...

vol.144 「食べ物の音」 by 小笠原ヒトシ


9月のテーマ:食

食べ物の様子を伝えるとき、人間の持つ五感(視覚、味覚、触覚、臭覚、聴覚)を使って表現しますよね。

食べるときには、まずどんなモノかを見てから食べますから"視覚"で表現します。真っ赤なトマトやツヤツヤ光った白いご飯は美味しそうですね。

次に食べるということは口に入れて味わうのですから、甘いおはぎ、酸っぱいリンゴ、辛いキムチなどと"味覚"で表現されることが多いのは当然です。

"触覚"は直接手で触るほかに、スプーンや箸を使った際の感覚も表現できます。もちろん口に入れた際の食感も重要です。触覚は味覚以上に美味しさを決めるポイントだと言われるくらいです。柔らかい、硬い、フワフワしている、コシがある、ザラザラしている、ツルツルしている。それだけでどんな様子かが分かるでしょう。

そして"嗅覚"も人間の記憶を呼び起こす大切な感覚です。駅前の焼き鳥屋さんから漂う甘辛いタレの焦げたニオイを嗅ぐと、美味しい生ビールの記憶も一緒に蘇り、ついつい寄り道したくなってしまいます。

そんな中、食べ物の様子を伝える際に一番使われない感覚表現が"聴覚"ではないでしょうか? 確かに「ポリッという音を立ててキュウリをかじる」と新鮮そうだったり、「ポテトチップスをパリパリと音を立てて食べる」と表現したりすれば湿気ってないのだなということは分かります。ただ、それは食べた際に発生する音を表現しただけで、食べ物自体を表現している訳ではないですよね。

そんなことを考えるきっかけになったのは、現在JVTAバリアフリー事業部で取り組んでいるクローズド・キャプション(CC)の字幕を作っている時でした。CCは翻訳字幕同様にセリフを字幕化するほか、ストーリーの進行に関する音や登場人物のアクションのきっかけになる音の情報も字幕で表現しています。

例えば、映画館でA子さんが映画を見ていると、ズーズーと飲み物をすする音がします。A子さんは眉間にしわを寄せてチラッと横を見ます。するとカメラは横でBさんがズーズーと音を立ててコーラを飲んでいる姿を写します。このシーンを音声なしで観ると、なぜA子さんの表情が険しくなったかがすぐには分かりません。そこで、ズーズーという音がしたタイミングで、(コーラをすする音)とか(飲み物をすする音)などという字幕を出すと、音が聞こえなくてもA子さんの行動の原因が分かるのです。

CC字幕の制作時には常に、「この表現でいいのかな?」、「これでちゃんと伝わるかな?」と悩みながらの作業を行っています。時折、ポリポリお菓子をつまみ、ズルズルとホットコーヒーをすすりながら。

vol.143 「ダイエットの秋」 by 野口博美


9月のテーマ:食

最近、生まれて初めてのダイエットに挑戦している。いくら食べても太らないことだけが取り柄だったのに、どういうわけか昨年の夏から数ヵ月の間に私の体重は10キロ近くも増えてしまった。あまりの暴飲暴食っぷりに私の新陳代謝もとうとう愛想を尽かしたのだろう。長い間がんばってくれた自分の代謝機能に、今までどうもありがとうと伝えたい。

昨年夏に富士山に登ったあとからこんなことになった気がすると以前同僚に話したところ「富士山で遭難して餓死してしまった人の霊を背負ってきちゃったんじゃない?」との答えが返ってきた。日頃の運動不足を解消しようと健康のために登ったのが裏目に出てしまったのか...。それとも前にこのブログに書いた禁煙(幸い、今も続いています)の代償なのかもしれない。何にしても"食欲の秋"などといったものは私には訪れないのだ。

手持ちの服を着るとサイズが合わず苦しくなる日がくるなんて、ものすごくショックだ。
ユニクロのスキニーパンツを美しく着こなすほっそりとしたモデルたちをCMで見かけるたびに、彼女たちをうらめしく眺める日々が続いている。

でも体重増加の一番の原因は私が愛してやまないビールなのだろう。
村上春樹氏の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』にこんな一節が出てくる。
"好きなだけビールを飲むために、私はプールに通ったりランニングをしたりして腹の肉をそぎおとしているのだ"
まったくもってそのとおりだ。私も彼を見習って何か運動でも始めようと計画しているが、怠け者の私のこと、いつになるかはわからない。

というわけで、とりあえずは食事制限から始めようと思い、ここ数週間の私のランチはコンビニのサラダとおでんといった組み合わせのかなりさびしいものが続いている。禁煙と同じく近いうちにこの場でダイエット成功のお知らせをお伝えできたらいいのだけれど。

vol.142 「世界最古の記録」 by 浅野一郎


8月のテーマ:記録

"今年は記録的な猛暑"という言葉を聞かない日はないのではないか? と思う今日この頃。
さて、今月のテーマは、その「記録」。記録という言葉にもいろいろな使い方があるが、私は"世界最古の記録"という表現に猛烈に心を惹かれる。

特に「記録」ということになると、やはり仕事柄か"文字"で記録を残すということに思いを馳せてしまう。

史上最古の文字は紀元前3200年に発明された楔形文字だと言われている。言葉を記録するためのものだそうだが、後世に文化や知識を後世に伝えるという目的もあったのだろう。
しかし、言葉という音声をベースとした情報を文字で記録することには困難がつきまとったに違いない。伝達体系がまったく違う2つのものを具現化しようとするのは、一見、不可能に思える。文字を発明した人も同じような苦労を味わったことは想像に難くない。だから誰でも分かるような象形文字を使うなどの工夫をしたのだろう。

いま、約15名程度の修了生に10月1日に開局する某チャンネルの子供向けアニメ番組の聴覚障害者向けクローズド・キャプションのライティングとディレクションを手掛けてもらっている。登場人物の行動や思惑を、音を聴いて理解している視聴者と聴覚障害者が同じ理解度に達するよう文字で表現するという作業は、コーヒーを飲んでいる人と水を飲でいる人に、同じ味覚を提供しようとするようなものだ。

素材の種類は、英語の発音やスペルを分かりやすく教える番組から物事の成り立ちなどを実験などを交えて教えるものまで実にさまざまだ。特に発音を教える番組を文字だけで表現するという作業には大きな困難が伴う。

この仕事は、まさに文化や知識を後の世に伝える、という文化的な大プロジェクトに他ならない。いま修了生のチームが苦労をして作っているクローズド・キャプションで番組を観たことがきっかけで、将来、アニメクリエーターになる子どもがいるかもしれない。
物理学者やスポーツ選手になるきっかけを作るかもしれない。今年を「クローズド・キャプション元年」として、後世に恥じない仕事をしようと心に誓った。

vol.141 「誰のためでもないテープ」 by 桜井徹二


8月のテーマ:記録

10代前半のころ、僕は来る日も来る日もテープばかり作っていた。好きな曲ばかりを集めた、いわゆる「マイ・ベスト」テープだ(映画『ハイ・フィディリティ』で主人公が、気になる女性に渡すために曲をピックアップして作っていた、あれです)。

僕の「マイ・ベスト」テープは、ラジオ番組の曲を集めたものだった。番組をカセットに録音して、それを聴いてこれはと思う曲があれば、その曲をまた別のカセットにダビングしていく。そうやってこつこつと自分が好きな曲を集めたテープを作っていた。

と書くとわりと簡単そうだけど、実際はものすごく時間がかかる。ラジオ雑誌を買って曲名を調べる。無音の部分がなるべく少なくなるように曲の長さを計算しながらダビングする。手動で録音スタート・停止をするので、録音中はステレオの前でじっと待つ。おそろしく手間のかかる作業だった。しかもこの手間ひまかけたテープは、『ハイ・フィディリティ』のように女の子に渡すために作っていたわけでも何でもない。

当時の同級生の間ではBOOWYやブルーハーツなんかが人気だったけれど、僕の音楽的アイドルはペット・ショップ・ボーイズやスティングなんかだった。友達や女の子が氷室や光ゲンジなどの話をしているそばで、僕は下敷きにデペッシュ・モードのシールを貼ったりしていた。だから、トム・トム・クラブやウォズ・ノット・ウォズが入っているような僕の「マイ・ベスト」を聴かせるような相手なんて、友達を含めてどこにもいなかったのだ。

もし僕がアメリカかイギリスあたりの中学生だったら、『(500日の)サマー』のエレベーターの中のシーンのように、「へえ、そのアーティスト好きなの?」みたいなことになって、もう少し華やかな学校生活を送れていたかもしれない。でも残念なことに僕はアメリカに住んではいなかった。日本のまともな中学生なら誰だって、ノートに「PSB」なんて訳のわからない落書きをしてるような人に話しかけようとは思わないだろう。

それでも(あるいは、だからこそ)、僕は時間と情熱を傾けてテープを作っていた。そうやってかなりの時間を費やして記録した曲は、確実に僕の体に染み込み、僕の血肉となっている。それからあとも僕はずっと1人で勝手に好きな音楽を聴いてきたけれど、つねに音楽的な嗜好のベースにあるのは、あの頃好きだった音楽であり、あの頃ラジオから集めた曲だった。

だから誰のためでもないテープ作りに注いだあの膨大な時間も、けっして無駄ではなかったと思っている。もちろん1人くらい、「へえ、そのアーティスト好きなんだ?」みたいな子がいたらもっと言うことはなかったのだけれど、それはそれとして。


vol.140 「カバーソング≠替え歌≠映像翻訳(?)2」 by 石井清猛


7月のテーマ:変わらないもの

カバーソングが持つ不思議な魅力は、ポピュラーミュージックの歴史を通じて、洋の東西を問わず多くの音楽ファンを楽しませ続けてきたわけですが、ひと口にカバーと言ってもそのアプローチには実に多種多様なものがあります。

同じメロディと歌詞をオリジナルと違う歌手が歌うという一定のスタイルでカバーされた曲でも、アーティストの個性を反映したアレンジや歌い回しは完コピから原型をとどめないほどのカバーバージョンまでそれこそ千差万別ですし、その他にも自らのオリジナル曲を歌い直したセルフカバーや、歌詞を翻訳して歌う訳詞カバー、あるいはインストゥルメンタルカバーなど、独自のアイデアやコンセプトに基づいたカバーソングが星の数ほどあり、その豊饒ぶりは、どうやら人は歌をカバーするのもカバーされた歌を聴くのもかなり好きらしい、と私たちを納得させて余りあると言えるでしょう。

そうなってくるとなぜ好きなのか詮索したくなるのが人情というもの。
個人的に、人々を魅了し続けるカバーソングの背景として私が注目したいのは、例えば原曲に対する愛情やリスペクト、あるいは音楽的な好奇心やチャレンジ精神といった理由とは別に、そこには"模倣の快楽"または"コピーする喜び"とでもいうべきものがあるのではないかという点です。
非常に身近な例で言い換えれば"カラオケは楽しい"という話で終わってしまうかもしれないのですが(笑)、それが歴史的な名曲であれ個人的に愛着のある曲であれ、完コピであれ大幅にリアレンジされたものであれ、カバーの根幹には真似ること、つまり自分以外の誰か(の作品)に自分を重ね同化すること自体の快楽が深くかかわっているような気がしてなりません。

一般に模倣やコピーといった言葉はあまりいい意味では使われなかったりするものですが、カバーソングを聴き続けてきた私たちは、変わらないメロディと変わらない歌詞をオリジナルとは違う誰かが歌ったカバーソングが、かけがえのない"その歌そのもの"として迫ってくることがあることをよく知っているはずです。
思い出してみればそんな時、すでにオリジナルとコピーの区別は大した問題ではなくなっていて、ただその場で再現されている"誰かの歌心"を宿した音楽だけが、私たちの心を埋め尽くしていたのではないでしょうか。

既存のオリジナルが持つ歌心、つまりその歌独自の世界観や形式に身を委ねながら、かつて一度世に放たれた作品を再び生み直すこと。そんな行為をカバーと呼ぶとするならば、これってどこか少し、オリジナルの映像と音声が持つ"画心"を訳語に託していく映像翻訳に通じるものがあるように思えるのですが、いかがでしょうか。

ここ数年、同じ歌手が同じメロディとトラックでオリジナルとは違う歌詞を歌うカバーソングを聴く機会が爆発的に増えてきました。
K-Popブームを背景に韓国のアーティストが日本市場に向け日本語の訳詞で歌った歌を多数リリースしていることによるものですが、日本語で歌われた歌をK-Popと呼べるのか、マーケット戦略で本人が歌う別バージョンをカバーと呼べるのか、といった議論は別として、そんな"K-Popカバーソング"の中に、私たちは翻訳の観点から見ても驚きと示唆に満ち、底知れない魅力をたたえた曲を見つけることができます。

例えば少女時代による「Genie」と「Gee」。
私の"2010年心の年間ベストテン"第1位と2位を占めるこの2曲がもたらしたインパクトについてはまた別の機会に譲るとして(ちなみに私が最初に読み方を覚えたハングルは"소녀시대(ソニョシデ)"でした)、ここで触れておきたいのは中村彼方さんによる日本語訳詞についてです。

「Genie」と「Gee」の日本語詞がポップソングの歌詞として意味論的に、音韻的にいかに完成度の高いものであるかは、様々なメディアで語り尽くされている感がありますので、皆さんにも是非それらの記事やブログを参照していただければと思います。
では、仮に韓国語バージョンをオリジナルとして、映像翻訳的に「Genie」と「Gee」の日本語詞を見るとどうなるでしょう。
韓国語を解さない私が韓国語の訳詞について語る不躾を承知で続けると、私の考えでは「Genie」の日本語バージョンはオリジナルの歌心をより忠実に再現したカバーソングで、「Gee」は新たな物語が導入されたことにより成立した替え歌であるということになります。

「Genie」を初めて耳にした2010年の初夏から丸2年たった今でも私は、"소원을 말해봐(ソウォヌル マレバ)"と"好きになれば"と"Tell me your wish"の区別をつけることができないばかりか、そもそも本当に区別が必要なのかさえ判然としない有様です。

というわけでたった今、今年こそ韓国語の勉強を始めるぞ、と決意を新たにしました。
そう、今年こそきっと...。

vol.139 「変わってほしくないもの、変わっていいもの」 by 藤田奈緒


7月のテーマ:変わらないもの

このところ私の周囲はちょっとした同窓会ブームだ。この歳にもなると、仕事や結婚などさまざまな事情により、皆住んでいる場所もバラバラなわけだけど、SNSの力を借りると、物理的距離などまるでないかのように、かつての友人関係が復活する。今は小学校時代の仲間と繋がりつつある。

小学校時代、と書いたのには理由がある。実は私は小学校の6年間、毎日通う学校とは別に、もう1つ別の学校に通っていた。簡単に説明すると、それはボーイ&ガールスカウト的な野外教室と学習塾をミックスしたようなもので、学校の枠を超えて周辺の子どもたちが集まって、キャンプをしたり、体操を習ったり、たまに真面目に勉強したりするような場所だった。週に2~3回とはいえ、そこで得た体験は地元の小学校で得られるものとは質が違い、私はいろいろな学校からやって来た個性豊かな仲間たちと非常に濃厚な時間を過ごした。見たこともないイナゴの佃煮やすずめの丸焼きを食べさせられたり、真夜中の散歩でお墓を歩かされたり、何メートルもある崖から流れの速い川に飛び込まされたりした恐怖は今でも忘れられない。それらが今の私にどう影響しているかは正直よくわからないが、とにかく私の子ども時代はそこでの思い出なしには語れないのだ。

前置きが長くなってしまった。そんなわけで最近繋がったその頃の友人の1人とメールでやり取りしていた時のこと。彼女と最後に会ったのは中学校に入る前だったから、かれこれ20年近くのブランクがあることになる。久々のメールで彼女は言った。「写真を見て、奈緒ちゃんだってすぐわかりました。全然変わってないね!」。この手のことは昔からの友人は皆口を揃えて言うわけだけど、言われるたびに何だか少しだけ腑に落ちない。年齢が1ケタだった頃と大人になった今の顔が同じって、まさかそんなことがあるものか!と。だって、あれからあんなこともあったし、こんなことも経験したし、私はそれなりに成長したはずなのですよ、と。

その一方で、このところの失くし物の多さを思い出し、あの頃と自分がちっとも変わっていないことに愕然とする。前回のキラリでも書いたが、過去1年のうちに3回ほど携帯を失くし、あげ句の果てには手元に戻ってこなかった一連の事件は記憶に新しい。公表していない失くし物や忘れ物を挙げたら、とんでもなく長いリストが出来上がるだろう。それほど私の失くしグセ・忘れグセの歴史は長いのだ。小学生の宝とも言うべきランドセルを学校に忘れて、手ぶらで帰宅した時の母の顔は忘れられないし、あれはさすがに自分でも呆れ果てた。

どれだけ長い時を経ても変わらない何かは、時に人に安心感を与える。「ああ、やっぱり変わらないね」という一言は、ポジティブなニュアンスを持って発せられることも多い。実際、20年以上も前の小学生だった自分と今の自分の共通点を見つけた私は、少しホッとしたような気持ちにもなっている。恐らくこの失くしグセは、変わった方がいいもののはず。安心なんてしてる場合じゃないと思うのだけれど。

vol.138 「ダメージを最小限に食い止めたいので...。」 by 浅川奈美


6月のテーマ:雨

東京はただいま梅雨。春の終わりにやってきて、その後訪れる本格的な夏のプロローグであるこの季節、私は本気でカメハメハ大王がうらやましくなる。

♪ 風が吹いたら遅刻してぇ~
雨が降ったらお休みでぇ~
の世界だ。

どんよりと空を覆う灰色の雲。週間天気予報とにらめっこしながら決める洗濯日。通常の3倍ぐらいの重さで漂う湿気まんまんの空気。じっとり汗ばむ身体をいやおうなしに冷やす室内の冷房。はー。この季節特有のあらゆることが、これでもかというくらい私の心身にダメージを与える。ライフ回復はまだまだ先。なぜなら梅雨明けと同時に、この国は夏に突入していくのだ。容赦のないうだるような暑さが大体9月下旬まで続く。長い。「ちょっとタイム」とか、安らぎの「オアシスステージ」などといった選択はない。自然は甘くないのである。
日本人が、「しょうがない」という落としどころで怒りやイライラをうまく交わす術を知らずに身につけていたり、世界の人々が賞賛する辛抱強さを兼ね備えていたりするのもうなずける。

そんなわけでこのところずっと天候に比例し私の内側も暗雲が立ち込めっぱなしなわけで、選ぶ服、履く靴さえも、雨染みを懸念しディフェンスに染まる。
コレではいかんのではないか。いやいかん。数年前読んだ本のひとコマをふと思い出した。

「心をキレイなもので満たすということは、外見のキレイにも大いに影響がある」

エッセイ本『美人画報』(講談社)で安野モヨコはこんな感じのことを言っていた。
「キレイな人は美しいことで心が満たされている」面白いことばかり考えている自分はおのずと、面白い人、面白い外見になっているのではないか。
激しく開眼させられたのを覚えている。私の脳内もたいてい面白いことを探し、考え、楽しんでいる。それに加え、この季節、天気というものにめっきり左右されて、ネガティブがち。もはや「キレイ」とは無縁。そろそろ身体の表面にカビでも生えそうな勢い。もう女性としてというか「人」として救いようがない方向にまっしぐらなのである。

実に危険だ。探さなければ、ほら、「キレイ」なもの。鮮やかな柄のレインコートをまとって颯爽と歩く女性とか(他力本願な私)、子供たちがさすコレでもかというくらいのまぶしい原色傘とか...。

......。ダメだ。
ここは神田、三越前。スーツのジャケットを脱いだだけというおじさんたちがマジョリティを占めるクールビズ発展途上区域。まったく色がない。
そんなグレイな世界で一躍スターダムにのぼりつめた存在。それは、紫陽花。
は?アジサイ?
いやいや、これがどうして。本当にいい仕事をしてくれているのだ。鮮やかな青。濃淡のバリエーション豊富なピンク。無垢な黄緑がかった白(テッパンカラーだな)。無条件に「キレイ」で心をいっぱいに満たしてくれる。通勤途中、紫陽花を目で追い見つけては、しつこいくらいに愛でる、写メる、いろんな人に送りつける、英語では、hydrangea《植物》/Hydrangea macrophylla《植物》〔学名〕って言うんだよな、とか思い出す、などなど、毎日激しくお世話になっている。

すっかり忘れていたのだが、昨年は紫陽花に思いを馳せるあまり、有給休暇をとってまで鎌倉に行っていた。懐かしいなぁ。あの日は平日でしかも雨が降っていたのに、長谷寺は観光バスが乗り付けて、めちゃくちゃ混んでいたよなぁ。とか思いながら、「鎌倉★季節情報館」をネットで見ていたら衝撃的な文言が。

「今週末であじさいは見納めとなります」

え゛―――――。

鹿児島地方気象台は、本日29日、奄美地方が梅雨明けしたと発表した。東京の梅雨明けはまだまだ先。カビを生やさないように残りの梅雨を乗らなければ...。
ダメージを軽減する「キレイ」アイテム、絶賛募集中。

vol.137 「雨やどり」 by 藤田彩乃


6月のテーマ:雨

雨といえば思い出す曲がある。さだまさしの「雨やどり」だ。雨やどりをしている時に出会った男性に恋をしてしまった女性が、後に彼と再会しプロポーズに至るまでのストーリーを描いた曲だ。コメディタッチの歌詞が面白くしっかりオチもあって聞いてると心温まる。そもそも「雨やどり」という日本語も美しい響きで、不思議な魅力を持った言葉のように思う。

私は、世代は全く違うのだが、さだまさしが好きだ。新年は、NHKの「年の初めはさだまさし」で迎えると決めている。番組特有の手作り感あふれるまったりした雰囲気が好きで、毎年楽しみにしている。特にさださんの淡々としたトークが気に入っており、歌を歌わないで、ずっとしゃべっててほしいくらいだ(実際よくしゃべるのだが)。

さださんの奏でる曲は、あたたかい家族愛や小さな幸せを描いた歌詞が多い。ふざけた内容に見えても、実は深みがあって、どの曲にも素朴な魅力がある。「案山子」は、私の父がカラオケでよく歌うからか、聞いてると涙が出そうになる。

「関白宣言」と「関白失脚」に代表されるように、続編を作るのはさだまさしの定番だが、この歌にも同じメロディーで歌詞が違う「もうひとつの雨やどり」というバージョンもある。
本家「雨やどり」の歌詞とは少しトーンが違い、引っ込み思案で内気な女性の素直な気持ちが描かれていて、切なくてかわいい。

私自身は、いずれの歌詞に描かれているような愛らしい女性でもないし、正直共感する部分は少ないのだが、なんだかとても気に入っている。出逢いとは、無数の偶然が重なって生まれる奇跡だと実感する。その時その時の決断が今の自分につながっていて、今私の周りにいる人とをつないでいる。普段は忘れがちだけど、すべての出逢いに感謝して、そして大切にしていきたい。

vol.136 「雨男ですみません」 by 藤田庸司


6月のテーマ:雨

何か大きなイベントがあると、かなりの率で雨に遭遇する僕は、友人の間では"雨男"で通っている。「また雨降らせた~~~!」という非難めいた声に、かつては罪でも犯したような後ろめたさに苛まれ、イベント前日の天気予報で傘マークを見た日には、みんなの憂鬱な顔が目に浮かび気分が沈んだものだ。だからといって、自分ではどうこう出来るものでもなく、最近は開き直って「雨男ですみません」と率先して断りを入れるようにしている。
そんな雨男体質は、実は遺伝という見方もある。僕の父は親戚中でも一二を争う雨男で、若い頃通った飲み屋の女将には、お店を訪れると必ず雨が降るので"雨夫"というニックネームをつけられていたそうだ。
「雨男なんて迷信だよ」と思われるかもしれない。僕も昔はそう思っていたが、ある出来事をきっかけに「もしや...」と思い始めた。十年ほど前に友人とアメリカを自由旅行していたときの話だ。砂漠の中の街、ラスベガスから次の目的地へ飛ぼうとした際、過去にない記録的な大雨が降り空港が閉鎖、丸二日足止めを食らった。「砂漠に雨を降らせてしまった!」。これは偶然や迷信では片付けられないと感じ、事の重大さと込み上げる罪悪感から友人に「雨男って信じる?実は...」と告白したところ、「じゃあ、アフリカとか、雨を必要としている地域にいけば、神になれるじゃん。」とからかわれた。
たしかに雨乞いの儀式に参加すれば重宝がられるかもしれない。また傘メーカーに売り込めば"雨男長者"になれるかも。
嫌われ者の雨だが、基本的にインドア派の僕は、雨は嫌いではない。

vol.135 「東京ノイローゼ 2000」 by 杉田洋子


5月のテーマ:緑

普段いわゆる「緑」との関わりが薄い私は、今月のテーマが決まってからしばし
考えあぐねていた。本当は、今ハマりまくっている三国志のドラマのことを書き
たくて仕方ないのだが、どうにもこうにも接点が見出せず、こじつけることすらできそ
うにない。あきらめかけたその時、ふとカメの顔が心に浮かんだ。
私にとって緑といえばカメではないか!!

ちょうど2年前、私は「カメとプレステと私」と題し、愛するカメとの思い出を
このブログでつづった。
一時的にプレステにはまってしまったことにより、愛亀を失ったという苦い思い
出である。そして最後にこう締めくくった。

===

そして上京し、初めての一人暮らしをすることになった私は、
相棒のカメを飼うことにした。
しかし、このカメとの間にさらなる試練が待ち受けいていようとは、
その時はまだ知る由もなく...。

キリがないので、その話はまたいつか別の機会に。

===

と。

その機会がいよいよ巡ってきたのである。

前置きが長くなったが、とにかく私は上京してから早速ミドリガメを飼うことに
した。確かたまプラーザのペットショップだったと思う。

水槽の中にひしめく、小さくてあどけないカメの赤ちゃんたち...。
眺め始めて数分後、水槽の丸みを帯びた角にぴたりと鼻をくっつけて、目をとろ
んとさせたかわい子ちゃんが目に留まった。決まりだ。

ポリ袋に入れてもらい、上機嫌で家へ向かう途中、ふと、尻尾が少し切れたよう
になっていることに気づいた。ケンカでもしてかじられたのかもしれない。

家に着くと早速初めてのエサやりタイムだ。
シラスを1匹、ピンセットでつまんで顔の前に差し出す。
大好物のはずだが、カメはなかなか口を開けようとしない。
しかし私も、だてに7匹のカメを飼ってはいない。
中には慣れるまでなかなか食べない子もいた。
明日にはきっと食べてくれるだろう。

しかし、あくる日も、そのまたあくる日も、カメは口を開けようとしない。
水槽の中に入れておいても食べた形跡がない。
無理やり口をこじ開け、突っ込んでみたりもしたが、それも可哀想だ。
もっと活発な子を選べばよかったかな...などという思いがよぎった。

1週間ほどたったある日のこと。
カメが首を伸ばし、まるで威嚇でもするかのように不自然に口を開けている。
いや、威嚇と言うよりむしろ、気持ち悪くてウエッとなっているように見える。
しかし、栄養不足の方が気になっていた私は、
ここぞとばかりにすかさずシラスとピンセットを取り出し、
開いたカメの口の中にエイッと1匹突っ込んだ。
しかしカメは不本意そうに、ウエッ、ウエッとやっている。
一体どうしたことだろう...。これは本当に病気ではないか...。
私はいよいよ心配になってきた。

翌日、相変わらずカメは口を開けて、苦しそうにしていた。
私は心配で水槽に顔を近づけてみた。
すると何やら水中に細くて白い線のようなものがふよふよしている。
恐る恐る目を凝らしてみてみると...

!!! 

動いている...。
いくつもの白くてとても細い糸ミミズのようなものが浮遊していたのだ!
私は思わず後ずさりした。何なのだ、これは。
わりと小まめに水も替えていたというのに...。
そうか、きっと何らかの虫が水槽の中に卵を産みつけたのだ。そうに違いない。
私は水槽を熱湯消毒して、ピカピカにしてから水を張り再びカメを戻した。
これで一安心だ。

しかしさらに数日後、学校から戻って水槽をのぞいた私は愕然とした。
なんと、早くもあのふよふよが復活していたのだ!
熱湯消毒までしたのだから、さすがに先日の残党ではあるまい。
となると、こやつらはカメ本体から出てきているとしか考えられない。
私はどんよりとした気持ちになった。
ウソであって欲しいと思ったが、二度目の熱湯消毒の後もふよふよは復活した。
もう疑いの余地はない。

私は少しノイローゼ気味になっていた。帰ってきて水槽を確認するのが怖かった。
あまりのふよふよの気持ち悪さに、カメを取り出すのも勇気がいった。
カメは相変わらずエサも食べず、ウエッ、ウエッとやっている。
切れた尻尾から寄生虫でも入ったのか、はたまた口から入ったのか。
ウエッとしながら、寄生虫を吐き出しているのではないか...
さまざまな憶測が頭をよぎる。

一方で、カメがちっともシラスを食べないので、私の食生活はシラスに支配され
ていた。もはや私はシラスノイローゼにもかかりつつあった。

飼い初めて数週間がたったある日、帰宅して水槽に目をやると、
カメはついに動かなくなっていた。
まったく食べていないのだから、覚悟はしていた。
私は、悲しみと同時に、安堵を覚える自分に気づいた。
そしてそれはたちまち激しい罪悪感と自己嫌悪に変わった。
大好きなカメを亡くしてしまったというのに、
ふよふよから解放されたことに一瞬でもホッとした自分に絶望した。
そして、生き物を飼うことの責任の重さを改めて思い知った。

夕方、カメを埋める場所を探そうと近所をうろついたが、アスファルトばかりで
土のある場所が見当たらない。これが東京なのか...。
葬ってやれそうなのは目の前を流れる小さな川だけだ。
そこも周りはコンクリートで固められて掘り起こせるような場所はない。
川は数メートル下を流れていて、亡骸をそっと流すというより、
放り投げるような形になってしまう。
川面に映る無数の鯉の影...。
こんな小さなカメ、あっという間に食べられてしまうだろう。
1人では葬る決心がつかず、友達に相談して付き添ってもらうことにした。
水の中に帰れればカメも本望だよ、という友の言葉にようやく覚悟を決めた私は、
眼下の小川に亡骸を葬り手を合わせた。

それ以来、カメは自分では飼っていない。
実家のカメたちはまだ健在で、飼い始めてからかれこれ16年になる。
東京で飼ったあのカメは、命の重さと、愚かな心境の変化を学ばせてくれた。
とっておきの名前を付けようと考えているうちに、
結局名づけられぬまま死なせてしまった。
呼ぶときは、いつもカメと呼んでいた。
亡くなったのも、ちょうど新緑がまぶしい5月だった。
あの子は一瞬でも幸せだったのだろうか...。
来世や天国があるのなら、そこではおなかいっぱいシラスを食べていてほしい。

vol.134 「伝染する再生」 by 相原拓


4月のテーマ:再生

今さらながら、YouTubeはすごいと思う。単に、好きな動画を視聴したり共有したりできる「遊びの場」という次元を超えて、今や社会現象を巻き起こすほどの影響力を持つ凄まじいツールとなった。それもそのはず、サイト上の全動画の再生回数を合計すると1兆回にも上るという。なんと世界人口の140倍を超える計算になる。

YouTubeの生んだ社会現象といえば、ジャスティン・ビーバー。2008年、当時まだ14歳だったジャスティンが自分の歌っている姿を撮った動画をYouTubeに投稿したところ、話題が話題を呼び、後にマネージャーとなる人の目に留まり、瞬く間に超人気アイドルとなった。

この執筆に当たって、ジャスティン以外にどんな人気動画があるのか気になり、再生回数ランキングを検索してみたら下記のページにヒットした。

「Top 10 YouTube Videos of All Time」
http://www.readwriteweb.com/archives/top_10_youtube_videos_of_all_time.php

ご覧の通り、第1位はジャスティン・ビーバーの「Baby」。記事公開時での再生回数は731,822,454回。驚異的な数字だ。ただ、億単位にもなってくると、僕なんかは「やっぱりジャスティンか...なんかの陰謀?」とまで疑ってしまうが、個人的な意見はさて置き、社会現象であることは確かだ。

トップ10のほとんどがアーティストPVのなか、第6位にランクインしたのは、かの有名な「Charlie bit my finger」(450,016,181 回)。皆さんの中にも、この愛くるしすぎる動画を一度は見たことがあるという方は少なくないだろう。たかがホームビデオとはいえ、ジャスティンやエミネムといった大スターと肩を並べるわけだから、これもまた社会現象以外の何ものでもない。

上記2つの動画に共通しているのは、"ベイビー"ではなく、"バイラル"というキーワード。バイラル(=viral)とは、「ウイルスのように伝染する」という意味で、口コミを指すマーケティング用語である。口コミは、かつては文字通り人の口(言葉)によって話題が広まる現象だったが、インターネットが普及した現代においては、原理こそ同じだが、その広まり方の規模がまるで違う。しかも、テレビでいう視聴率と違って、再生回数は単に瞬間的な話題性を表す指数ではない。というのも、回数が多ければ多いほど(トップ10入りするような動画は特に)、その数字自体が更なる話題を呼び、まさに伝染病のごとく爆発的に急増していく。

もちろん、「Charlie」が莫大な経済効果を生んでいるかというと決してそうではない。(経済学者でもない僕がそう言い切るのもなんだけど...)。 一方で、「Baby」のPVがジャスティンの活動PRになっているように、エンタメ業界外でもビジネス拡大を狙ってバイラル動画を戦略的に活用している個人や企業は確実に増えているという。ヒットすれば、制作費をほとんどかけずに宣伝効果と利益を生み出せるのだから当然の流れと言えるだろう。

最後に、こんな記事も見つけたので紹介しておこう。

「ジャスティン・ビーバーの 「Baby」 がYouTube史上最も嫌われている映像に」
http://www.vibe-net.com/news/?news=2007819

詳しくは本文を読んでほしいが、なんとも皮肉ではないか。どちらかというと、こっちの方が僕好みのネタなので触れずにはいられなかった。ファンの方々、どうかお許しを。

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