
- 日本語表現力強化コース」主任講師インタビュー
丸山雄一郎講師が語る コースの魅力と表現力アップの秘訣
- 日本映像翻訳アカデミー(JVTA)では、2009年9月より日本語表現力を磨くための集中コースとして「日本語表現力強化コース」を設置している。修了生からはトライアル合格者やAOLなどの記事翻訳で活躍する翻訳者、およびWebライター・コラムニストが誕生しており、その即効性の高さが証明されている。3カ月という短期間で、いかにして集中的に日本語表現を上げるのか。実際の授業内容や表現力アップの秘訣について、丸山雄一郎主任講師に話を伺った。
■ “気づいていない自分”に気づく
優れた文章を書ける人とそれができない人の違いは何か。それは、「書ける人は自分の欠点が何かに気づいている。一方、書けない人は、上手く書けないことに漠然とした不安を抱いているが、それが何かを突き詰めようとはしない」ということです。
自分の日本語の問題に気づいているかどうかで、文章力の命運は分かれます。では、どうすれば気づけるのか。
それに対する私の答えは「自力では不可能」。
残念ながら、どうやっても自分の力では気づけないものです。それができるくらいなら、上手な文章が書けているはずですから。でも安心してください。気づけなくて当たり前。自分では上達の方法に気づけない難しさがあるからこそ、優れた文章を書けることは収入に直結する「プロの職能」なのです。
上達には、文章の「完成形」とそれに至る方法論を知るプロの指摘が必要です。自分ではベストを尽くしたつもりの原稿なのに、提出した人の指摘で初めてその不備に気づく――。そんな経験は誰にでもあるでしょう。JVTAのメディアトランスレーション・センター(MTC)で毎月実施しているトライアルでも、審査を担当するディレクターに聞くと、受からない人のほとんどは英文解釈ではなく、日本語のアウトプットに問題を抱えている人だそうです。
■ 他人の欠点を自分の問題点に置き換える
このコースは定員20人によるゼミ形式で進めています。基本的には毎回課題が出るので、受講生同士でそれぞれの原稿の「悪い点」を指摘し合います。この作業において大事なのは、「チェックされる側」に立つことではなく、実は「チェックする側」に立つことなのです。チェックされる側はあくまでも受け身ですが、チェックする側に立った時には、能動的に原稿の欠点を見つけて、相手に伝えなければなりません。“粗探し”をしてでも見つけ出すことが、相手のためにもなり自分のためにもなるのです。この作業を通じて、客観的な視点、つまり“第三者の目線で文章を読み解く力”が養われます。
面白い話をしましょう。コースが始まって間もない段階で「自分の文章に自信がないのに、他人の文章の欠点なんて分からない」と言っていた受講生でも、「相手のために“粗探し”をしてあげてください」と言うと、必ず幾つかの点で的確な指摘ができているんです。
例えば、「具体例がなくてわかりづらい」、「タイトルが弱い」、あるいは「扱ったテーマがターゲット層や媒体に即していない」などといった指摘です。このように、意識して原稿を読めば、自然と問題点は見えてくるものなのです。
相手の問題はまさに自分の問題。この瞬間こそ、“(自分の文章の欠点に)気づいていない自分”に気づいた瞬間でもあります。
「なんだ、簡単じゃないか」と思うかもしれませんが、実はそうではありません。“意識の問題”とは言っても、講師が口をすっぱくして言い続けたところで、そうしたスキルが定着するわけではないのです。
そこで、毎回の演習を通して何度も繰り返すというプロセスが重要になります。同じプロセスを繰り返して身体に覚えこませる。「あの原稿ではたまたま意識できたけれど、今回は意識できなかった」といった作業のムラは、プロには許されないからです。ある意味、スポーツと一緒ですね。高いスキルは正しいトレーニングの積み重ねによってしか体得できないものなのです。
もちろん教室では、自分以外のペアやグループのやり取りにも集中しなければなりません。“人ごと”と捉えていてはダメです。他の人が指摘されている問題点は、全て自分の原稿に当てはまるはずだからです。教室で表出した問題は全て自分の問題であり、自分のことを言われていると思える人は必ず上達します。それくらいハングリーに技能を磨いてほしいですし、このコースはそれができる場です。
■ 上達のカギは“自分の心と向き合う”こと
私にとって意外だったのは、「翻訳のアウトプットとしての日本語表現を上げる」という動機で学んだ受講生の多くが、講義が進むにつれていつのまにか「ゼロから文章を書く作業」を楽しめるようになっていたことです。つまり、原文があってそれを日本語に直す翻訳から、与えられた執筆テーマを前に自らの心と正面から向き合って内面を見つめ、苦しみながらもその思いを言葉にする作業に多くの受講生が集中しているのです。
実は、そうしたクリエイティヴな作業に臨む精神力もまた、日本語表現を上げるための必要不可欠な要素なのです。文芸作品のベテラン翻訳家は、一般の人が考えるような翻訳(英文和訳)を超え、オリジナルの原文の意味を突き詰め、一度ゼロまで解体してから日本語で構築し直す作業を行っています。つまり、機械的にフレーズやセンテンスを和訳しているのではなく、ゼロから日本語の文章を書き上げているのです。そうでなければ、和訳だけを読む読者を納得させ、感動を与えることはできません。「翻訳者は自ら物語を書き上げる能力を持つべし」と言われる所以です。
私は主に編集企画分野でMTCが受注している仕事に対して、修了生の翻訳原稿をチェックする責任者でもあります。その中で、翻訳作業に「他人事」という意識をぬぐいきれぬまま取り組んでいる人が少なくないことが気になっています。人の言葉を訳したものだから、例えそれを否定されても、その責任は「原文」に転嫁できる……。自分自身の日本語のアウトプットが未熟なのに、それほど心が痛まない人は、決して良い翻訳者にはなれません。
このコースでの課題は、全てゼロから自分が書いた文章です。そこに書かれた表現は自らの身からでた言葉であり、ある意味、自分自身でしょう。自分の心を深くえぐり出す苦しみから紡ぎ出した“心の声”と言ってもいい。
文章を否定されることは、その人自身を否定することではありません。それは単に、文章に対する評価ですから(笑)。でも、書いた本人の心理としては、自身を否定されたかのように強く受け止めてしまう。私は、訓練の過程ではそれくらいの強い衝撃があっていいと思っています。頭ではなく心にダイレクトに響くから、「もっとうまくなろう!」とやっきになれるのです。
反対に自分の文章を褒められた時には、喜びが何倍にもなります。その感覚が忘れられずにどんどん上達していった受講生を何人も知っています。頭だけを使って小手先のテクニックを学んでいても決して大幅な上達は望めません。心を使って鍛えよう――私はそう呼びかけています。
■ 表現者として、1段上のステージを目指す
コースも中盤に差しかかると、多くの受講生に見受けられる1つの現象があります。それは、“混迷期”を迎えることです。
人真似ではない、自分の言葉で文章を書くという作業に浸り始めると、いっときは「表現者としての自分」の立ち位置がわからなくなります。どう書いたら良いのかわからなくなるのです。
でも、この“混迷期”を乗り越えた人は強い。その後の日本語のレベルは驚くほど上がります。講義や課題を通じて「この人はあと1歩、ここを乗り越えればグンと伸びる」という瞬間がわかるのです。何とか手を差し伸べられないかともどかしい気持ちになりますが、結局は自分で乗り越えるしかない。私にできることはヒントを与えることだけです。
でも、1つだけ約束できることがあります。真剣に取り組む人であれば、このコースを終える頃には確実に表現者として1段上のステージまで導きます。それがこのコースに責任を持つ私の仕事だからです。私はいつも「講師は使い倒せ!」と受講生に伝えています。全力で頑張っている人に対しては、あらゆる助け船を出すのが講師の役割だと信じているからです。
講義は、誰がどんな所でつまづき、悩んでいるのかなどについて常に対話を図りながら把握したうえで進めていきます。このコースの3ヶ月という期間は、そうしたステージに行きつくために必要最低限の期間だと思っています。
このコースの3ヶ月間は、頭と心を痛めつけてください(笑)。とにかく“日本語漬けの毎日”になるはずです。この期間は「書くために生きている」というぐらいになってもらいます。苦しさと楽しさが同居する日々を過ごした後は、身につけた日本語力を大いに活用してください。
<プロフィール>
丸山雄一郎(Yuichirou Maruyama)
編集者、ライター、日本語講座講師。学生時代から本校代表である新楽直樹に師事し、ライターとしてデビュー。小学館『DIME』『週刊ポスト』『週刊ビッグコミックスピリッツ』などでライター、編集として活動後、現在は講談社『週刊現代』『FRIDAY』『セオリー』などで執筆中。単行本、ムックの編集も数多い。MTCでは編集部門の責任者として、AOL(Autoblog)の最終責任者でもある。
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