やさしいHAWAI’ I

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第7回:人生を変える出会い
2010年09月16日


私の人生を変える人との出会いは、突然やって来た」


扇原の父が亡くなって一時帰国をしている間のことだ。ある日、先にハワイへ帰っていた夫から手紙が届いた。「仕事の関係で知り合ったハワイの日系人から、ぜひ日本から買ってきてほしいと頼まれたものがある。何とか探してほしい」という内容だった。その品物というのは、8トラックのカートリッジ型のカセット用アダプター。頼んだ日系人は、土木技師として仕事をしている夫の仕事の関係者にあたるハワイ州の土木工事監督官だそうだ。

私はまだ体調が完全でない上に、7月の暑いさ中。図々しく人に物を頼む人だなと少々迷惑に思ったが、仕事がらみの人の頼みとなれば、何としても探し出さなくてはならない。何度も秋葉原に足を運んだが、ご指定のアダプターはどこにも見つからない。しょうがないので夫の指示通り、別のブランドのそれらしい品物を買って、出産準備や生まれてくる赤ちゃん用品の荷物の中に詰め込みハワイへ戻った。

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〔アパートのすぐ近くにある巨大なバンヤンツリー。この前の通りを直進すると、ヒロのダウンタウンへ続く〕


夫から聴いた情報によると、その人は年齢は50代後半の日系二世で、名前はリチャード・ヨコヤマさん。もともと横山龍一というのが日本名で、龍一がリチャードになったとか。どこかで聴いたことのある名前だ。そう、早稲田の角帽をかぶった「フクちゃん」の作者が横山隆一だったなあ。なるほど、字は違えど馴染みを感じるわけだ。それにしても、うまく英名に変えるものだと妙なところで感心していた。


すると、ある晩
その人は現れた。

夜7時過ぎ、アパートのドアをノックする音が聞こえた。こんな時間に一体誰かしらと開けてみると、そこにはきちんとした身なりでがっちりした体格の、中年の男性が立っていた。少しかすれたような低い声の第一声は、クセのある英語で「Hello, thank you  very much for the adapter」だった。

一瞬何のことかピンと来なかったが、ああ、例の日系二世の人がこの人なのだと思いついた。朴とつで少々ガンコそうな、いかにも硬派な感じのおじさんだ。急いで夫を呼ぶと二人は握手をして簡単な挨拶を交わした。するとその人はどこに行くのか説明もせず、半ば強引に夫と私を白い大型車に乗せて出発した。

車はヒロのダウンタウンを通り過ぎ、山道を進んでいく。街灯もなく真っ暗な曲がりくねった山道を、かなりのスピードでどんどん上っていった。一体どこへ連れて行かれるのだろう...? 急に不安になった。そもそも、さっき初めて会ったばかり人が、こちらの都合も聞かず人を強引に車で連れて行くなんて!! でも、乗ってしまったが最後、こんな山道で降りるわけにもいかないし、最後までついて行くしかない...。

そんな風に考えを巡らせていると、突然 右手に平屋の立派な一軒家が現れた。前には広い駐車スペースがあり、その奥に明かりのともった大きなガラス窓の部屋が見える。真っ暗な中、不安と緊張でカチカチになっていた私は、その明るい窓を見て心からホッとした。

車は屋根のかかったガレージの中へ入っていく。そこからぐるりと回るようにして玄関スペースへ。ヨコヤマさんがドアを開け、「おい、つる!」と今度は日本語で大声で叫んだ。すると、奥から眼鏡をかけた白髪の小柄な女性が現れた。

「ああ、よう来なさったね。どうぞお入んなさい」

それはリチャードさんとは正反対の、こちらの不安など吹き飛ばしてしまうような、つつましやかな優しい声だった。

これが私の人生を変えるきっかけになった、ヨコヤマさんご夫妻との最初の出会いだった。

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【written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)】1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
【最近のわたし】先日新潟へ行きました。念願の佐渡が島へ行く予定でしたが、台風4号のコース、タイミングにバッチリ大当たり。自分が「雨女」であることは自覚していましたが、まさか「台風女」とは・・・。