銀幕の彼方に

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第3回 「家畜以下」から始まった ~スクリーンに刻まれた人種差別の履歴書~ 

Text by 村岡宏一(Koichi Muraoka)

映像翻訳本科「基礎コース・Ⅱ」に籍を置く受講生。北海道・札幌市から毎週土曜日"飛行機通学"中。当年とって53歳。映画、特に人生に大きな影響を与えてくれた、60年代終盤から70年代にかけての「アメリカン・ニューシネマ」をこよなく愛す。


 前回までは1つの作品を取り上げて紹介してきましたが、今回は映画と深い関わりのあるテーマを切り口に、過去から現在までの複数の作品を紹介しつつ、私の思いを綴りました。

■ 「アミスタッド」に見る黒人奴隷制の実相

「黒人はなぜ卑屈にものを考えるのか、アメリカに住んでても我々はアフリカ人だ。望んでニーニャ号やピンタ号に乗ったのか ? 『建国の父』と名乗る連中の手でこの国に拉致されたのだ ! 」 - 映画「マルコムX」より - アメリカという国の生い立ちに目を向ける時、決して看過してはならないものが三つある。「移民」、「銃」そして「黒人奴隷」である。「移民」と「銃」の問題については別の機会に譲るとして、今回は奴隷制度から始まる黒人への人種差別と公民権運動の終結までの足跡をたどってみたい。 1839年に奴隷船アミスタッド号で起きた黒人奴隷の反乱を題材とした映画「アミスタッド」(1997年)を撮ったのはスティーブン・スピルバーグ監督だ。彼は映画のなかで、奴隷たちの受けた仕打ちの理不尽さを、正視するのがためらわれるほど生々しい映像で表現している。彼らはアフリカで拉致され、有無を言わさず家族と引き裂かれ、牛馬以下の扱いで、船底に押し込まれていった...。 航海の途中で食料が不足すれば「間引き」される。それは筆舌に尽くし難い悲惨な光景である。私は、文字通り体当たりの演技で撮影に臨んだ多くの黒人エキストラに尊敬の念を抱かずにはいられない。 アミスタッド号事件の後、1860年にリンカーンがアメリカ大統領に選出され、その翌年、南北戦争が勃発した。1865年に北軍が勝利するまでの4年間、アメリカの歴史上唯一の「内戦」が繰り広げられた。 戦後、黒人は市民権を得ることになるが、白人側の差別感情は消えること無く、150年を経た今も、種火はくすぶっていると言わざるを得ない。

■ ネイティブ・インディアンへの迫害を描いた「ソルジャー・ブルー」
この頃から米国西部への移住者が増え始めた。カリフォルニアで金鉱が発見されたことが、西への移動にさらに拍車をかけ、この現象は「ゴールド・ラッシュ」と呼ばれる。映画の黄金期を支えたジャンルの一つ、「西部劇」の背景となった時代だ。
しかしここでも「差別」が暗い影を落とす。先住民族への迫害である。この悲劇を真正面から捕らえた問題作が1970年に発表された。ラルフ・ネルソン監督「ソルジャー・ブルー」である。
"西部開拓史の汚点"とも言うべき1864年の「サンドクリークの大虐殺」をモチーフにした作品で、人種差別問題という枠で捉えれば、前述の「アミスタッド」と比肩し得る作品と言える。
このようにアメリカという国は、最初の入植者が上陸して以来、内包している自己矛盾(=人種差別問題)を増幅させながら、20世紀初頭に起きた産業革命の恩恵により、巨大国家へと成長していく。

■ マルコムXが「ブラック・パワー」に残したもの
1917年に第一次世界大戦が終結。1920年代に入るとアメリカは未曾有の繁栄を迎えた。いわゆる「ローリング・トゥエンティーズ」、「ジャズ・エイジ」などと呼ばれる時代である。
冒頭でセリフを引用した、スパイク・リー監督による「マルコムX」(1992年)の主人公、マルコムX(デンゼル・ワシントン)は、この時代の只中1925年に生まれている。
マルコムXは、十代で麻薬と犯罪に走り刑務所に収監される。その時イスラム教の信者と知り合い決定的な影響を受け、入信する。1952年に仮出獄すると、白人を「青い目の悪魔」とみなす教義の説教者となり、辛らつではあるが知性に富み、急進的かつ戦闘的な演説によって、瞬く間に黒人層の心を掴んでいく。
その後、彼は組織の発展に大きく貢献するのだが、妬みを買うことも多く、結局独立する。独立後、まず行ったのはメッカへの巡礼であった。この地にあらゆる人種が集う場面を目の当たりにすることで、自分の頭が偏狭なナショナリズムに凝り固まっていたことに気づく。思想的に大きく舵を切ろうと決心するマルコムX。しかしその端緒を開いたばかりの1965年2月、凶弾に倒れ、不帰の人となった。
彼の与えた影響の大きさ、深さを感ぜずにはいられない作品だ。彼の思想の過激な一面は、キング牧師が提唱していた非暴力主義に物足りなさを感じていた集団のエネルギーと呼応し合い、その後の急進的な「ブラック・パワー」運動の精神的支柱となる。
202分というかなりの長尺ではあるが一気に見せてくれる。バックミュージックがその年代に流行していた黒人アーティストの作品ばかりでることにも注目してほしい。そんな監督のこだわりによって、私にとっては耳でも楽しめた一本であった。

■ 差別の克服という理想を描いた「招かれざる客」
マルコムXが暗殺された2年後の1967年、全米で一大議論を巻き起こした作品が封切られた。スタンリー・クレーマー監督の「招かれざる客」である。
この作品を数十年ぶりに見直した正直な感想は、「どこが問題作だったのだろう?」というものだ。
妻と子供を事故で亡くした、世界的に有名な黒人医師ジョン・プレンティス(シドニー・ポワチエ)。新聞社社長のマット・ドレイトン(スペンサー・トレイシー)の愛娘である白人女性、ジョーイ(キャサリン・ホートン)とハワイで知り合う。二人は恋に落ち、結婚の許可を得るために、二人してドレイトン家を訪れる。
黒人であるジョンを目の前にしてマットと彼の妻(キャサリン・ヘプバーン)は慌ててしまう。そこに、ジョンの両親もやってくるのだが、彼らも同じように息子の相手は黒人だと思い込んでいたためにショックを受ける。6人は戸惑いつつも話し合いを始める...。
違和感があったのは、登場人物が皆、素晴らしく理解があり、相手の立場を尊重し、愛情溢れる態度と言動で接する点だ。話は、ご覧になった方々のほぼ思い通り進んでいく。ただし、差別問題に関しての「悲惨な現実」ではなく、「希望と理想」を描いた作品として見れば、印象も変ってくる。この作品でアカデミー賞主演女優賞を受賞したキャサリン・ヘプバーンと、同じく主演男優賞にノミネートされたスペンサー・トレイシーの演技は素晴らしく、作品に説得力と厚みを与えている。
特筆すべきは、当時黒人男優として注目を集めていたシドニー・ポワチエの存在感であろう。1963年の「野のユリ」では、黒人初のアカデミー賞主演男優賞を獲得している。それまでスクリーン上では、黒人俳優には黒人であることを意味するような役回りが与えられることがほとんどであったと思う。アフリカの人々、またはルイ・アームストロングのような"白人の引き立て役"である。堂々と正統派の役者としての大役を演じきったシドニー・ポワチエが、黒人俳優の地位向上に果たした役割は計り知れない。
しかし、公民権運動の光だけでなく、影の部分を世に知らしめようというムーブメントが映画の世界をも凌駕し始めたとき、それと呼応するように、"正統派俳優"ポワチエの存在感は希薄になっていく。
1968年4月4日、キング牧師が暗殺される。これ以降カリスマ的な黒人指導者は現れていない。公民権運動については、1964年の公民権法、1965年の投票権法の制定で、当局は一応結実したことを強調するが、現実はどうか。
黒人市民に対する不等な差別や貧困層の問題は、今なお継続していると言わざるを得ない。
「私には夢があります。いつの日か、谷間という谷間は高められ、あらゆる丘や山は低められて、でこぼこしたところは平らにされ、曲がりくねったところはまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示されて、生きとし生けるものすべてが、それをともに見る時が来る夢です。」--1963年8月28日 ワシントンD.C.の25万人集会におけるマーチン・ルーサー・キング・ジュニアのスピーチより

参考資料:
DVD 「招かれざる客」 「夜の大捜査線」 「マルコムX」 「アミスタッド」
書籍 『史料で読むアメリカ文化史(5) アメリカ的価値観の変容 1960年代 - 20世紀末』
(東京大学出版会)
『浸透するアメリカ、拒まれるアメリカ 世界史の中のアメリカニゼーション』
(東京大学出版会)
『60年代アメリカ 希望と怒りの日々』 (彩流社)