Tipping Point

天国への階段/韓国サッカーの遺伝子

0対1。

「FIFAワールドカップ2002」の決勝トーナメント1回戦で、日本チームがトルコに敗れた瞬間、国中が失望感に包まれました。いやいや、グループ・リーグでは初の勝ち点と初勝利を獲得し、初の決勝トーナメント進出という期待以上の活躍に、我々は大いに満足すべきじゃないか...そう頭ではわかっていても、心と体がついてこないのは、私だけではないはずです。
その数時間後、お隣り韓国を勝利の雄叫びと歓喜の渦が覆い尽くしていました。優勝候補イタリアを破ってベスト8進出を決めたのです。開催国として、これ以上の満足感、達成感はないでしょう。
韓日の境遇は、まるで天国と地獄。口ではおめでとうと言えるが、心の底から湧きあがってくるのは韓国に対する嫉妬、そして劣等感ばかり。この日の「ニュース・ステーション」では、キャスターの久米宏さんが韓国サポーターの応援の仕方を手で真似しながら、おおげさに落胆の表情を見せていました。(韓国のサポーターの皆さん、どうぞはしゃいで下さい、喜んで下さい。どうせ日本は負けましたよ。)そんなメッセージなのでしょう。あるいは、国民の代弁者を自認する彼一流のウィットか...。
人の振り見て我が振り直せとは、よく言ったものです。何か腑に落ちない気持ちが私の心をよぎりました。「我々は、韓国の勝利に、そんな感情だけでケリをつけていいのか?」――。

時間は遡り、1986年。社会人1年生として世間の厳しさに揉まれつつ憂鬱な日々を送っていた私を勇気づけてくれた、一つの出来事がありました。
ワールドカップ・メキシコ大会。ワールドカップといっても、楽しみにしていたのは私のような根っからのサッカーファンくらいで、NHKだけが中継を深夜か早朝にひっそりと放送していた、そんな時代です。決勝戦の結果ですら一部のニュースでしか取り扱われないような状況でした。
日本はアジア予選で早々に敗退していましたが、韓国は1954年のスイス大会以来、32年ぶり2度目の出場を成し遂げていました。欧州や南米のサッカースタイルとスター選手に憧れていた私は、隣国のチームが最高峰の舞台に立つことを素直に喜ぶ気持ちもありましたが、それとは裏腹に'アジアのチームなんて場違いだな'というような複雑な感情を抱いていたのも事実です。
韓国の1次リーグの初戦は優勝候補のアルゼンチン。目を背けたくなるような一方的な試合になることも覚悟しながら中継を見守りました。
しかし、そんな想いをすべて吹き飛ばしてくれる瞬間が訪れました。私の目に今も焼きついているのは、韓国人ストライカー、バック・チャンソンの地を這うような鋭く正確なロングシュートが、アルゼンチン・ゴールに突き刺さった場面です。
結果は1対3の完敗。でも涙が溢れました。今、アジアの片隅にいる自分と、あの華やかなワールドカップは、韓国チームの果敢なチャレンジによってつながっているのだと感じました。翌日は友人たちと、それぞれの感動を語り合いました。

日本人の多くがまだサッカーに関心を抱いていなかったその時代に、韓国サッカーとファンたちは、どのような状況にあったのでしょうか。当時、遥かメキシコに代表チームを送り出した韓国サポーターたちは、きっと、今日までの16年間もサッカーを愛し、そしてこの大会でも同じように声援を送っているのでしょう。それは、ここ数年で人気が広がり、ワールドカップ2回目の出場にして本国開催という恵まれた状況にある日本と比べて語るべきものなのでしょうか。彼らの喜びは、ロシア戦での稲本のゴールに沸いた日本のサポーターの喜びと同じなのでしょうか。この先韓国が破れることがあるとしたら、その無念さと達成感は、我々日本人のそれと同質と言えるのでしょうか。

それを知る手立てとして、韓国の「ワールドカップ戦史」を見てほしいと思います。その軌跡はまさに'忍耐と不屈の精神'の歴史です。

【1954 スイス大会】予選の成績
対 ハンガリー 0 : 9 敗
対 トルコ    0 : 7 敗

【'86 メキシコ大会】予選の成績
対 アルゼンチン 1 : 3 敗
対 ブルガリア  1 : 1 引き分け
対 イタリア    2 : 3 敗

【'90 イタリア大会】 予選の成績
対 ベルギー   0 : 2 敗
対 スペイン 1 : 3 敗
対 ウルグアイ 0 : 1 敗

【'98 フランス大会】 予選の成績
対 メキシコ   1 : 3 敗
対 オランダ   0 : 5 敗
対 ベルギー  1 : 1 引き分け

これを見て皆さんはどう感じるでしょうか。敗戦と屈辱の歴史、それでもチャレンジし続けた忍耐と努力の歴史。韓国サッカーとサポーターたちに組み込まれた48年分の遺伝子は、今大会で開花すべくして開花した、私にはそう思えてなりません。
1986年、私が見つめる中でアルゼンチンのゴールにたたき込まれたシュートは、それ以前の32年間の願いがこもった、ワールドカップ初ゴールだったのです。それは、韓国サッカーにとって'天国への階段'の第一歩だったのだと、思えてなりません。
久米宏キャスターはそんな歴史を知っていたのでしょうか。否、そんなことよりも、彼のパフォーマンスに共感しかけていた私が愚かでした。この大会で、日本は確かに'天国への階段'に足をかけたのです。そのことを素直に喜ぼうではありませんか!
ワールドカップに果敢に挑み続けてきた韓国サッカーは、誇るべき遺伝子を有しています。それは、国境とは無縁に尊ぶべきものであるように思えます。今大会での韓国チームの快進撃を、日本人が妬む理由はどこにもないと私は考えます。もう一度その歴史を見直してほしいのです。サッカーを愛し、自国のチームを支え続けた半世紀の軌跡は、日本サッカーとサポーターにとっての良きお手本になるはずです。お手本は立派なほどよいということに、誰も異論はないでしょう。
日本サッカーの8年後、12年後を思うならば、今は素直に韓国のベスト4、いや優勝を願おうではありませんか!(了)

「 ロード・オブ・ザ・リング」の主人公たちに見る'揺れ'の考察

「ロード・オブ・ザ・リング」が世界中で大ヒットを記録しています。
その理由は様々で、もはや言い尽くされた感もありますが、私なりに思うところを綴ってみました。

まずは「BOX OFFICE」発表の全米興行成績を調べました。2002年2月時点で約3億ドル。既にベスト10からは姿を消していたので、その後の追加を考えてもざっと3億2000万ドルくらいでしょうか。「ハリー・ポッター」が3億1000万ドルですから、ほぼいい勝負といったところ。「タイタニック」の全米6億ドル、全世界9億ドルには遠く及びそうにありませんが、全米3億2000万ドルというのは「フォレスト・ガンプ / 一期一会」、「ライオン・キング」あたりと同じ業績で、歴代6~7位にランキングされます。名実共に大ヒット作です。

この映画のある側面が、特異なほど日本的であることに痛く共感を覚えるとともに、世界中の人々がこの作品を評価したことに正直驚いています。
主人公らの醸し出す「自虐的なヒロイズム」は、これまでのハリウッド作品にありそうでなかったもの。「スター・ウォーズ」や「シュレック」が大好きというアメリカ人には新しく、「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」の洗礼を受けた日本人には懐かしい。そんな古くて新しいヒーロー像を解読することは、今後のハリウッド大作の方向性を占ううえで、大いに役に立つと思われます。
主人公らは偶然背負った運命を時に呪い、自信を失い、自らの価値を問い続けます。これまで受け入れられてきた「ファンタジー」とは対極にあるような「リアリズム」です。原作の「ホビット」、「指輪物語」に忠実であることがこの映画のウリの一つだと言われていますが、古典的なストーリーに忠実であるだけでは、この21世紀にリアリティは生まれません。
公開時の宣伝の謳い文句は「友情と自己犠牲、サバイバルと勇気」などといったちょっと気恥ずかしいものですが、ほんとうにそれを表現したいだけならば、カルトな作品の制作にしか実績のないピーター・ジャクソンが監督に抜擢された理由の説明がつきません。

監督はおそらく日本のアニメをよーく研究しているのではないか、そう思えてならないのです。全編を通じて描かれる、ヒーローであるはずの主人公たちの心の'揺れ'(不安、自信の無さ、苦悩、消極性)は、日本のアニメ作品「機動戦士ガンダム」シリーズの主人公、アムロ・レイやカミーユ・ビダンのそれに酷似しています。子供たちまでをも視聴者対象にするハリウッド映画の大作で、そのような主人公たちが登場するものは、あまり私の記憶にありません。
なかば無理やりヒーローに仕立て上げられた人間の心の歪みを、底抜けにわかりやすい勧善懲悪劇に投影する手法は、まさに日本のマンガやアニメのお家芸でした。ガンダムにしても、サスケにしても、星飛雄馬にしても、壮大な設定と圧倒的な戦闘シーン(陽)が、常に主人公の自虐的ヒロイズム(陰)と対をなしている様は見事でした。「ロード・オブ・ザ・リング」の主人公たちは、私たちが心の片隅で渇望しているそんなヒーロー像にピタリと当てはまるのです。
「ハリー・ポッター」との比較で興味深いのは、伝説の巨人トロルと闘うシーンです。両作品(第1作)に登場します。従来のハリウッド映画的に(「ホーム・アローン」のカルキン少年VS悪者のように)痛快に闘ってみせる「ハリー・ポッター」に対して、リングの子らは、まるで学徒出陣の様相を呈している。目的を見出せない戦い、まるでベトナム戦争を描いた「プラトーン」、あるいは「ディア・ハンター」...。
時々は、こんな視点を思い出して映画・ドラマ・アニメ・小説を読み解いてみて下さい。(了)

「Tipping Point」とは

'Tipping Point(ティッピング・ポイント)'は、アメリカで近年注目されているマーケティングの用語。

「まるで1本のマッチの火から野火が広がるように、小さなきっかけが人に影響を与え、連鎖し、やがて大きなトレンドや流行に変わっていく瞬間」のことです。

それを「自分が変わる瞬間、進歩する瞬間」に置き換えてみましょう。小さな発見や気づきが自分を良い方向に導くきっかけになった...そんな経験は誰にでもあるはずです。能力やスキルの向上はもちろんのこと、学校との関わりの中で一つでも多くの'Tipping Point'を発見して下さい。受講生や講師・スタッフとのちょっとした会話、映画やテレビ番組、1冊の本...、視点を変えれば、そこは'Tipping Point'の宝庫。このコラムを、そんなきっかけの一つとして楽しんでもらえれば幸いです。

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