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2010年2月 アーカイブ

vol.76 『ガス燈』 by 杉田洋子


2月のテーマ:夜

『ガス燈』は、私が初めてキューバの映画館で観たハリウッド映画だ。留学当時
に滞在していた家から最寄りの映画館"チャールズ・チャップリン"では、古い
ハリウッド映画にスペイン語の字幕を載せたものがよく上映されていた。
日本映画の週やトルコ映画の週など、小規模な映画祭のようなものもよく行われ
る映画館で、適度にすいていて居心地がよい。チケット代は日本円に換算して約
10円。途中キオスクに寄って、やはり10円相当のフルーツジュースを飲み干し、
窓口に並びながら5円相当のピーナッツを買う。部屋にテレビがなかった私は、
これを"20円の娯楽コース"と名付け、暇つぶしとスペイン語の勉強がてら、週
に3日は通っていた。

かの有名な字幕"君の瞳に乾杯"で有名な『カサブランカ』の主演女優、イング
リッド・バーグマンと出会ったのも、恐らくこの時だったと思う。白黒の画面に
映る不安げな表情があまりに美しくて、すっかり見とれてしまった。もちろんあ
とで『カサブランカ』も観たけれど、個人的には『ガス燈』の方が強く印象に残っ
ている。当時29歳のイングリッド・バーグマンが初のアカデミー主演女優賞に輝
いたサスペンス映画だ。


舞台は19世紀のロンドン。母親を亡くした主人公の少女ポーラは、叔母であり大
歌手であるアリス・アルキストとともに暮らしていた。しかし不幸にも自宅で叔
母が何者かに殺されてしまう。傷心をいやすために思い出の家を離れ、叔母のよ
うな歌手になろうと歌のレッスンに励むポーラだったが、レッスンの伴奏を務め
るピアニストのグレゴリー・アントンと急速に恋に落ち結婚することに。ポーラ
の複雑な思いをよそに、2人は悲しい記憶が残る叔母の家で暮らすことになった。

ところが叔母の家に越してからというもの、ポーラの周りに不思議なことが起こ
り始める。夜、夫が作曲のために出かけたあと、室内のガス燈の光がぼうっとか
げり、閉鎖されているはずの天井の物置から物音が聞こえるのだ。さらに夫にプ
レゼントされた首飾りを紛失して以来、"君は忘れっぽくなった、心を病んでい
るんだ"と夫に責められるようになる。かげってゆくガス燈の光と物音に怯える
夜は続き、ポーラの心は次第に衰弱してゆく...。


物語自体の展開はなんとなく読めるけれども、破たんなきストーリーは純粋に面
白く、当時の脚本の完成度の高さを思い知らされる作品の1つだ。
夜毎にかげるガス燈と、不安気にゆがむバーグマンの表情が絡み合い、グっと引
き込まれてしまう。ガス燈の画は、いつまでもいつまでも鮮烈に脳裏にこびりつ
いている。とても個人的で感覚的な感想を言えば、ささいな物音や天井のしみを
見ておびえていた子供の頃の"夜のイメージ"がそこにはある。今の自分の中で
は、夜といえばお酒やライブといった快楽のイメージが圧倒的に優勢だが、夜の
原点はやはり神秘や恐怖だった。だから何となく、私にとってこの作品は、夜を
象徴する映画として胸に刻まれているのだ。

まだ見ていない方は、ぜひこの物語の結末と、儚く美しい人妻を演じるイングリッ
ド・バーグマンの姿を見届けてみてください。


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『ガス燈』
監督:ジョージ・キューカー
出演:シャルル・ボワイエ、イングリッド・バーグマン他
製作年:1944年(※1940年版もあるので注意)
製作国:アメリカ
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vol.77 『マイレージ、マイライフ』  by 藤田彩乃


2月のテーマ:夜

アメリカで娯楽といえばもちろん映画。映画館に行くなり、家でDVDを見るなり、とにかく一般人でもかなり映画を見ている。夜はディナーと映画がお決まりのパターンだ。定時で仕事を終わる人も多く、ケーブルテレビ、オンデマンドTV、ネットフリックスなどの普及率も高い。事実、映画スタジオは劇場の売り上げではなく、ホームエンターテインメントで大部分の利益を得ているようだ。

アカデミー賞もついに来週に迫り、下馬評も出揃ってきた。日本での公開はアカデミー賞発表の後になる作品も多いが、今シーズンは見たい作品が目白押しだ。私もいつになくノミネート作品をたくさん鑑賞したが、今回はその中でもひときわ目を引いた「マイレージ、マイライフ」を紹介したい。

主人公ライアンの仕事は企業の指示に従い従業員にリストラを宣告すること。年間322日も出張するためマイルを貯めることを生きがいとしている。人生のモットーは「バックパックに入らない荷物はいっさい背負わない」。そんな身軽な男ライアンは、出張先のバーでアレックスと出会い、意気投合。彼女への思いを募らせる。また合理的で頭の切れる新入社員ナタリーとのやり取りを通して、自分の姿を見つめ直していく。そんな女性たちとの交流を通して、人とのつながりを避けてきた彼の心に変化が訪れる。

華の独身生活を謳歌し、人生をスマートに生きるライアンはまさに現代人の典型だろう。面倒なことを避け、目に見えるマイルというステータスを築きあげることに没頭している。1分1秒でも無駄にしない効率のよいライフスタイルを徹底し、待ち時間は一切作らない。人間関係においても同様である。しかし無駄を省き続けて行き着く先はどこなのか。結局、幸せはつかめないままさまよい続けるだけなのかもしれない。先日アメリカの老舗雑誌で、「現代のアメリカンドリームとは大金持ちになることではなく、家族団らんの時間を持つことだ」という興味深い記事を読んだ。それほど現代では、人との深い関わり、信頼関係、愛情を保つことが難しくなっているのだろう。心が空っぽな人が多くなっているのだと思う。

世界的不況に見舞われた2009年。現代の社会情勢や現代人の抱える不安や孤独をここまでリアルに描いた映画は初めてではないだろうか。映画の冒頭でリストラされた従業員が今後の不安と悲しみを涙ながらに話すシーンがあるが、まるでドキュメンタリーのインタビュー映像のようだ。

特に本作は役者が素晴らしい。独身貴族ライアン役は、ジョージ・クルーニーがぴったりだ。話によると脚本の制作段階から想定していたそう。アレックス役のヴェラ・ファーミガが美しい大人の女を好演。こんな風に年を取れたら素敵だなあと見とれてしまった。ナタリー役のアナ・ケンドリックも賢くて小生意気な新入社員を熱演している。期待通り、アカデミー賞ではジョージ・クルーニーは主演男優賞、ヴェラ・ファーミガとアナ・ケンドリックも助演女優賞にノミネートされた。

すでにアメリカ脚本家組合(WGA)賞、ゴールデングローブ賞脚本賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞脚本賞など数々の賞を受賞している本作。現代世界をリアルかつコミカルに見事に描いた秀作なので、ぜひご覧いただきたい。
日本公開は2010年3月20日。


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『マイレージ、マイライフ』
原題: UP IN THE AIR
監督: ジェイソン レイトマン
キャスト:ジョージ・クルーニー、ヴェラ・ファーミガ
     アナ・ケンドリック
製作年: 2009年
製作国: アメリカ
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