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2013年5月 アーカイブ

vol.154 『ダージリン急行』 by 石井清猛


5月のテーマ:寄り道

例えば開始時刻が間近に迫った父親の葬儀に急いで向かう途中というのは、およそ寄り道をするタイミングとしては最悪の部類に入ると思われますが、のちに母親に会うためにダージリン急行で共に旅に出ることになるフランシス、ピーター、ジャックの三兄弟にとって、どうやらその事情は異なっていたようです。

黒のスーツとコートを着てリムジンの後部座席に並んで座る三兄弟を正面から映したショットから始まるそのフラッシュバックは、映画の中盤を過ぎたあたりに突然挿入され、葬儀の直前に起きた、父親の車が手つかずのまま置かれている修理工場での一幕を描き出します。
作品中、兄弟の会話で何度も話題に上りながらついに一度も画面に姿を現すことがなかった彼らの父親の存在が、代わりに映し出される赤いスポーツカー、修理工、イグニッションキー、動物柄のスーツケース、献本された息子の著書、そして喪服姿で工場内を行き来する三兄弟の切実な表情によってその輪郭を明らかにしていき、私たちに強い印象を残すシーンです。

この"切実な"寄り道は、結局当初の目的を果たすことなく終わり、三人は息子たちの到着を待って先延ばしにされている葬儀場へ向かうため、再び車に乗り込むのですが、考えてみるとウェス・アンダーソンの作品に登場する人物たちはいつもこんな調子で寄り道を繰り返しているような気がしないでもありません。

試しに『天才マックスの世界』でおびただしい数のクラブ活動を掛け持ちしそのどれにおいても目立った成果を得られないのになぜか自信に満ち溢れている高校生や、『ライフ・アクアティック』でアクの強いクルーを従え一筋縄ではいかない新作ドキュメンタリーの撮影に出かける高名かつ奇特な海洋学者を思い出してみてください。
そして『ダージリン急行』でこれまで想像したことすらなかったはずのインド旅行に旅立ち、その道程でしばしば口にされる"Let me check our itinerary"というセリフに反して計画外の事態に次々と出くわしてしまう我らが三兄弟。
彼らはいずれも、映画の中で寄り道を強いられてしまった、愛すべきウェス・アンダーソン的登場人物のほんの一例です。

大人であれ子供であれ登場人物たちがひたすら迂回を繰り返し、起こるべき出来事がそこかしこで遅延され続けるウェス・アンダーソンの作品世界の中で、数々の寄り道は、始まった瞬間からいつも、それがこの世界で通用する唯一の生き方ではないか思えてくるほどの揺るぎなさと鮮やかさをもって、途方もなく魅力的に描かれていきます。
私はそこに、ウェス・アンダーソンの映画に見られるあの独特で不思議なユーモアの秘密があるように思うのですが、いかがでしょうか。

一般的にユーモアは真剣な人間とシチュエーションとのギャップから生まれるとされていますが、ウェス・アンダーソンのユーモアはそのギャップを必要としません。
『ダージリン急行』で切実な気持から寄り道をしないではいられなかった三兄弟のように、ウェス・アンダーソンの世界では、人間は初めから切実であると同時にユーモラスなのです。
ウェス・アンダーソンの作品が、時に昔の無声映画を思い出させながらも、実はこれまでのどんな無声映画とも違っていて、新しいのか懐かしいのかさえ分からなくなるような不思議な印象を与えるのも、きっと彼の鮮やかで揺るぎないユーモアのあり方と関係があるのではないか、そんな気がします。

小学生低学年の頃、隣に住む同級生の女子と2人で学校から帰る途中、ちょっとした寄り道が知らぬ間にエスカレートしてしまい隣町で迷子になったことがありました。
線路の上を渡された鉄橋で涙をこらえて歩く私たち2人の姿を、もしウェス・アンダーソンが撮ってくれたなら、と妄想してみるとどうでしょう。
映画でしか起こり得ないような、それはそれは素敵な映像の時間になること間違いなしですね。


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『ダージリン急行』
製作:ウェス・アンダーソン、ロマン・コッポラ他
監督:ウェス・アンダーソン
脚本:ウェス・アンダーソン、ロマン・コッポラ、ジェイソン・シュワルツマン
撮影:ロバート・D・イェーマン
出演:オーウェン・ウィルソン、エイドリアン・ブロディ、ジェイソン・シュワルツマン
製作国:アメリカ
製作年:2007
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vol.155 『エターナル・サンシャイン』 by 中塚真子


5月のテーマ:寄り道

寄り道は、普段の道では出会うことがない、行き当たりばったりの何かに遭遇する感覚が最高である。そして一番の寄り道は、仕事帰りの平日ガラ空きのシアターで観る一人映画鑑賞。『エターナル・サンシャイン』も、そんな中で出会えた大好きな作品だ。

 
この映画を単なるせつないラブストーリーで括ってしまうのは、なんとなく惜しい。もちろんそういった要素も多くあり感銘も受けるのだが、もっとなんというか人間科学的なもの (たとえば個人の記憶とは、いかに美しく都合よく彩られ、一方的であり断片的であるとか、脳の記憶と心の記憶の葛藤や理性と感情の哲学であるとか)、 人間は単純でもあるが複雑でもある、その両面性を持つ生物なのだという側面が私は好きだ。

原題は『Eternal Sunshine of the Spotless Mind』(一点の汚れもなき心の永遠の陽光)。 "幸せとは無垢で清らかな心、忘却に沈みゆく世界、汚れなき心の永遠の陽光、陰りなき祈りは運命を動かす" 18世紀の英国詩人アレキサンダー・ポープの恋愛書簡詩『エロイーザからアベラードへ』からの引用となっている。さて、このタイトルは何を意味するのだろう?

"忘却はより良き前進を生む" もしある記憶に縛られたまま、新たな一歩を踏み出せないのであれば、データのようにさっくりと頭の中から削除してしまってはどうか? 作中に出てくるラクーナ社なら、わずかひと晩の睡眠の間に、記憶除去手術を行うことが可能である。 でも果たして、人間はそんなにシンプルな構造の生き物なのか? 

かつての恋人同士、ジョエル(ジム・キャリー)とクレメンタイン(ケイト・ウィンスレット)。 時が経つにつれ関係が悪化した二人は、辛い記憶から解放されるため、お互いの存在を記憶上から削除するための施術を受ける。ラクーナ社・ハワード博士が開発した記憶除去装置によって、脳の記憶消去作業がどんどん進む一方で、ジョエルの心の内では少しずつ抵抗感を覚える。夢の中で記憶を逆回転で追体験するジョエルだが、2人の最も美しい思い出であるチャールズ川の氷上デートの記憶消去に差し掛かると「この記憶だけは消したくない」と気持ちが変わる。 そしてクレメンタインの記憶消去を阻止しようと仮想現実世界で逃亡を始め、記憶の中で再び彼女に恋をして、2人の逃亡劇が繰り広げられる。 その手法は、チャーリー・カウフマンならではのなんともユニークな脚本だ。(ちなみにカウフマンはこの映画でアカデミー脚本賞を受賞した)。

 さて"忘却はより良き前進を生む"とは、かの有名な哲学者ニーチェの言葉で、この映画のキーセンテンスでもある。かつてハワード博士と深い関係にあったメアリー(キルスティン・ダンスト)がストーリーの中で引用しているのだが、ここにもカウフマンの仕掛けがあり、そのシニカルな演出がとてもユニークである。

そしてストーリーのエンディングはこの歌で閉められる。

 Change your heart Look around you (気持ちを変えて 振り返ってごらん)
 Change your heart It will astound you (気持ちが違えば 世界も変わるから)
 I need your lovin' Like the sunshine (君の愛が必要なんだ 太陽の光と同じように)
 Everybody's gotta learn sometime (いつかは学ばなければ)

                 ~Everybody's Gotta Learn Sometimes by Beck~

原題『Eternal Sunshine of the Spotless Mind』のヒントになるのだろうか?

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『エターナル・サンシャイン』
監督:ミシェル・ゴンドリー
脚本:チャーリー・カウフマン
出演:ジム・キャリー、ケイト・ウィンスレット
製作国:アメリカ
製作年:2004
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