王室のあるべき姿とは
イギリスの王室と聞くと、クイーンズ・イングリッシュを話し、優雅で気品のある人々を思い浮かべる。ノーブレス・オブリージュという考え方があるように、社会的地位の高い人々には社会に対する義務が生じるわけであり、ましてや王室レベルともなると、非常に大きな責任感を抱いていると信じられている。
王室の役割の1つは、国の伝統を守り、国民の規範となることであり、憧れと同時に見習うべき対象なのである。
しかし本作品を観ると、王室の内部での人間模様はそのイメージとは反対に、血生臭く、自己中心的であらゆる欲望にまみれており、そんな人たちが国を動かしてきたのだと知ると、驚きと同時に落胆を感じないわけにはいかない。
当時は議院内閣制が成立しておらず、国王が政治を動かしていた。まさに国王とその周りの人々によってイングランドは振り回されていたのだ。
英国王室は、もともと覇王であり権力闘争で勝ち抜いてきたのだから、ある意味、やりたい放題であっても彼らの力がある限り文句は言えないのかもしれない。しかし、果たしてそれでいいのだろうか。単なる覇王ではなく特別な存在として、彼らは王室の存在意義をまっとうしているだろうか。
この映画を観て日本の皇室を思い浮かべない人はいないだろう。英国の王室と日本の皇室はまったく性格の違うものだが、似通っている部分もあり、やはり両者を重ねて考えてしまう。
制度上は彼らのような公人に人権はないとはいえ、我々と同じ生身の人間である。ロボットのように制度の中に組み込まれて生きていくことに息苦しさを感じるのは当然だ。だからといって、好き勝手されては王室や皇室が機能しなくなる。王室・皇室の人々自身はもちろん、国民にとってもジレンマがあるのだ。
これは、王室・皇室のあるべき姿について考えさせられる作品である。