12月のテーマ:クリスマス
"八人の 子供むつまじ クリスマス"
明治29年、正岡子規が詠んだ句です。クリスマスという言葉は、季語として使われた初めての外来語なんだとか。クリスマスの商業宣伝が始まったのも明治時代だそうです。その後も日本人の生活に深く浸透してきたこのイベント。今日では、ハローウィンの翌日には街中のカボチャが姿を消し、ツリーやポインセチアが街路をにぎわせています。連日流れるクリスマスソングにクリスマスキャンペーン、ここまでくると、もう力技という感もありますが...。それでも多くの人にとって、クリスマスが心弾む冬の風物詩であることは確かでしょう。
そんな中、この日を誰よりも心待ちにしているのは、プレゼントを期待する子供たちでしょう。私も12月に入ると、"今年は何をねだろうか"と頭がいっぱいでした。近所のスーパー内にあるおもちゃ屋をうろうろしては、流行の商品をチェック。"サンタさんに電話でリクエストするから"と母親に言われると、希望の品をそれはそれは正直に伝えたものです。でも、そのスーパーのおもちゃ屋もいつの間にか閉店。家から一番近い大型のおもちゃ専門店もスポーツ用品店に変わりました。そういえば、東京に来てからもおもちゃ屋らしいおもちゃ屋を見ない。深夜番組しか見ないから、おもちゃのCMを見かけることもない。今のおもちゃ事情は一体どうなっているのでしょうか。
お察しのとおり、近年子供たちの間でダントツ人気のおもちゃといえば、"テレビゲーム"。各種媒体が小学生を対象に調査した"クリスマスに欲しいものランキング"を見比べても、男女ともに30パーセント前後で首位をキープしています。先日、小学校に上がったばかりのいとこの家に行った時も、おもちゃらしいおもちゃは見当たらず、兄妹でニンテンドーDSを奪い合っていました。さらに今年11月、全米小売業協会(NRF)が発表したアメリカの子供の"クリスマス・プレゼント人気番付"では、wiiが堂々のベスト10入りを果たしています。日本のゲーム、すごいですね。昭和58年にファミリーコンピューター(ファミコン)が登場してからというもの、ゲームボーイ、NINTENDO64、プレイステーション、ドリームキャストなど、新製品の開発やバージョンアップのペースは年々上がる一方。その他、まだ記憶に新しいアイボやファービーといった機械仕掛けの人形や、たまごっちのような携帯型電子ペットの流行など、今時のおもちゃに電源は当たり前。これならおもちゃ屋に行かなくても、家電量販店に行けば事足りてしまいますよね。いるだけでワクワクするおもちゃ屋の雰囲気を思い返すと、なんだかちょっぴり寂しいような...。
少子化の波が続くおもちゃ業界にとって、今や大人も重要なターゲット。子供がいない大人の目にも、ゲームの広告だけはよく飛び込んできます。サラリーマンだらけの神田駅構内も、一時はwiiの広告一色に染まりました。電車に乗れば乗客はiPod派かDS派に大別できるほど。レシピ集やら英語学習やら、大人を対象にしたソフトも次々とヒットを飛ばしています。家庭を持ち始める平均年齢も上がり、自分の趣味にお金を費やす大人たちが増えているのかもしれません。ソフトを変えるだけで幅広い年齢層をカバーできるゲームの人気と成長は、今後もしばらく続きそうです。
12月のテーマ:クリスマス
さすがに今年で36回目ともなると、かろうじて1、2回は礼拝に顔を出したことがあるし、確か聖歌隊のキャロルも聴いたこともある。ちゃんと飾りつけたツリーを囲んでパーティーをしたことだってあるし、エッグノッグだって飲んだ。サンタが来てくれないと困るから、いい子にしてなくちゃと信じていたことがあったかどうかは記憶があやふやだけど、プレゼントに何がもらえるか、人並みにいつも楽しみにしていた...。
なのに、いまだにどこか板につかない感じで少しぎこちない。それが私にとってのクリスマスです。"ええ。私も祝ってます。"と大っぴらには言いにくいような、何となく便乗してるみたいで後ろめたいような。
とは言うものの毎年12月に入ると、やはり「Little Saint Nick」、「Let It Snow」、「Happy Xmas」なんかのメロディが絶えず頭の中を駆け巡り、それらのクリスマスソングが絶えず流れる街を浮ついた表情でぶらつき、点滅するイルミネーションを見かけては足を止め、ふと思いついてポインセチアの鉢を買って帰り、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』や『バッドサンタ』のDVDを、もう一回見るか、なんてレンタルしてしまったりするわけですね。
実は大好きなんですよ。クリスマスが。
ただ、後ろめたいとか言いながらこれだけ盛り上がれるのは、節操がないからでも隠れマニアだからでもなく、私が単に"年末好き"だからです。
12月のあわただしさは仕事や雑事の忙しさによるものだけではなく、そこには1年が終わり始まること、新しい年の幕開けが近づくこと、そのこと自体が呼び起こす不思議な高揚感があります。
一人ひとりにとってどんな年であっても、大晦日が来ればとりあえず終わり。明日からは次の年だし、新しい何かが起きるかもしれない。いや、起きるに決まってる。
そうやって、連続する時の流れを"切断"しながら、私たちは年を越すのですね。
端的に言えば"リセット(したことにする)"ということですが、ある意味で私たちは毎年、大晦日に死んで、元旦に生まれているのでしょう。
考えてみれば、暦というものは元々そういう役割を負っていたのかもしれません。
時を体系化し計測する基準となるだけでなく、昔から人の精神の動きにその時々でリズムを与えてきたわけです。
世紀末に大きな社会的な変動が起きやすいということは知られていますが、年末に感じるあのザワザワした感じは、世紀末の感覚の縮小版とも言えます。つまり何かが"リセット"される瞬間を待つ、祝祭的な気分です。
キリストの本当の誕生日がいつか、諸説があるようですが、少なくとも私はクリスマスが年末だったことを感謝したい気持ちでいっぱいです(...誰に?!)。
ツリーやリースのない年末は物足りないし、クリスマスソングの流れない年末は味気ない。イルミネーションの瞬かない年末は、想像すらできない。
少し野蛮な言い方になりますが、クリスマス的風物は年末の祝祭的風景の一部であり、それが私にとってのクリスマスなのでしょう。
『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のジャックは"サンディ・クローズ"を誘拐した時、1年中がクリスマスという、クリスマス・タウンの底知れない楽しさに心を奪われていました。そこでジャックが発見したのは、歴史も制約もない、お祭りそのものとしてのクリスマスです。
そんなクリスマスを求めるのは野蛮な精神のなせる業なのでしょうが、そんなクリスマスなら、きっと後ろめたさを感じることもないのかもしれません。