1月のテーマ:はじめての○○
あけましておめでとうございます。
メディア・トランスレーション・センター(MTC)の浅野一郎です。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2009年が始まり9日が経ちましたね。皆さんは年末年始をどのように過ごしましたか? 私はかねてから告知(?)していたとおり、「寅さん」漬けの正月を過ごしました。。。
さて、今回のキラリのテーマは「はじめての○○」。
私の"はじめて体験"で、もっとも心に残っているのは、"はじめて字幕を作ったこと"。SPACE ALC上で行われている「オンライン映画字幕翻訳コンテスト」でのことです。「オンライン映画字幕翻訳コンテスト」は、今年で13回目を数えるコンテストで、映画に自分が考えた字幕を付けることができるという内容です。
映画のエンドクレジットに『字幕 浅野一郎』と出ることを夢見て、日本映像翻訳アカデミーに入学したばかりだった私は、そのコンテストに飛びつきました。
当時はもちろん、JICのような字幕制作ソフトがあったわけではないので、あくまでも頭の中で完成形を想像するしかありませんでした。
実際に、自分の考えた字幕を登場人物になったつもりで言葉に出してみて、"彼ならこのシチュエーションで、こういう言葉遣いするかなあ?"などと、一枚一枚、字幕を練っていました。言葉というものについて真剣に考えたことがなかったので、作業は本当に辛かったですが、楽しかった...。本当に楽しかったです。
翻訳の付いていない映画の中のセリフは単に"二次元"のもの。つまり、私には実体がなく、なんら感情移入などできない作り物に過ぎませんでした。しかし、それが翻訳を付けた途端に、命を吹き込まれ生き生きと脈動し始めたのです。
それが楽しくて楽しくて、ついついイマジネーションが膨らみすぎ、創作しまくってしまったことは反省点ですが、この"はじめて体験"が今の仕事を続ける原動力となっていることは間違いありません。
これが映像翻訳の魅力なのですね。素材で使われているオリジナルの言語を解さない方に対して、字幕であれ吹き替えであれ、翻訳が付いていなければ、その映像は何も訴えかけてはこない。何の情報も与えてくれません。しかし、翻訳が付くことで、製作者のメッセージ、情報を正しく受け取ることができるのです。
私は映像翻訳者は文化の担い手であると思っています。その昔、口伝えで、あるいは文字で伝播していった文化が、現在は映像に乗って世界各国に伝わっていくのです。その映像をローカライズという手段で、万人に伝わる形にアウトプットするのが映像翻訳者です。
今年も1人でも多くのワード・アーティストに出会えることを心から願っています。
キラリ☆彡!!
■参考情報
オンライン映画字幕翻訳コンテスト
http://www.alc.co.jp/jimaku/index.html
1月のテーマ:はじめての○○
今月のテーマは「はじめての○○」。
いろいろと迷ったのですが、僕が編集者、ライターとして仕事を始めるきっかけとなったJVTA代表・新楽との初めての出会いを書きたいと思います。
新楽と出会ったのは1991年だったと思います。僕は学生で、新楽は広告業界で頭角を現し始めた若きプランナーでした。プランナーというのは、企業に広告やPRのアイデアを提供し、そのアイデアを実施するという、バブル真っ盛りという時代に脚光を浴びた仕事です(笑)。ちなみにいま話題のエリカ様の旦那さんであり、ハイパーメディアクリエイターである高城剛氏もこの時代に注目を浴びた一人です。また新楽は広告以外にも編集・ライターとして活躍しており、多くの雑誌で連載や企画を持っていました。たまたま僕の友人が新楽の制作したページのモデルを務めたことが縁となり、新楽のもとでアシスタントをすることとなったのです。
仕事は始まってみると、とにかくその忙しさにくらくらしました。プレゼン、入稿が続くときは数日間の徹夜も当たり前。もちろん僕以外にも仕事を手伝っていた学生が数人いたのですが、とてもそんなレベルでは追いつかないほどの仕事量です。あまりにもスケジュールがタイトだったため、新楽が出席できない打ち合わせや会議、取材も多く、そういった場合は僕が一人で出かけていきました。親しいクライアントには僕が学生であることを告げていましたが、いま思うと「何でこんな学生が?」などと思われていたかもしれません。
忙しく、大変な毎日でしたが、普通の学生では会えない企業のトップや文化人、芸能人といった人たちと仕事をしたり、いろんな場所に行けたりするのはとにかく刺激的で、楽しかった思い出が数多く残っています。
もちろんその陰には多くの苦い思い出もありました。当たり前の話ですが、新楽は仕事に対して非常に厳しく、特に時間と仕事への取り組み方には、自らも細心の注意を払っていました。
にもかかわらず、学生という甘えもあって、時間に遅れるのはしょっちゅう、仕事への取り組み方にいたっては、新楽の言っている意味さえ理解できないという有様でした。挙句に仕事を目前に逃げ出し、音信不通になったことも何度もあります。
当時のことを思い返しただけでも変な汗がたくさん出てくるようなことばかりで本当に恥ずかしいのですが、学生生活の終わりとともに新楽の元を卒業し、曲がりなりにも現在も編集者・ライターとして活躍を続けていけているのは、実はあの時代に新楽から叱られながら教えられた数多くの教訓が生きているからです。
ある時、大手出版社の編集部で企画の打ち合わせがありました。新楽が連載を持っている関係もあって、僕が半分常駐スタッフのような立場で仕事をしていた編集部です。打ち合わせを終えた後、僕は新楽に突然こう言われました。
「その靴は何だ」
作業が長時間に渡る職場なので、編集部では皆思いおもいの格好をしています。スーツを着ている人など珍しく、ラフな服装の人ばかりです。足元も出社するとサンダルに履き替えている人がほとんどでした。僕もそれにならって倣ってその会議にはサンダル履きで出席していたのですが、とにかくその時は大目玉をくらいました。
仕事をする場では誰が何を見ているか分かりません。そしてどう感じているかも他人にはうかがい知れません。ならば誰に、いつ、どう見られても隙を見せない、言い方を変えれば、甘えを見せないことが重要だと言われたのです。そして一番重要なことはその甘えは必ず仕事の中のどこかで現れてくるということでした。
僕らはついつい甘えがちです。
「よく知っている人だから」
「いろいろ教えてもらっているし」
「忙しい」
「体調が悪い」
「会社に勤めていて空いた時間にやっているから」
「主婦なので」
どれもフリーランスにとって言い訳にはなりません。
そして皆さんが目指す映像翻訳者という仕事は、紛れもなくそんなフリーランスの人たちばかりのプロの仕事です。
なぜならクライアントにとって、フリーランスとは義理を持たなくていい立場の人だからです。
ダメな人ならいつでも替えの効く人なのです。
キツイ言い方をして申し訳ありませんが、それほど厳しく、言い訳ができない仕事だと理解して欲しいのです。
ライターだって同じです。
ですから新楽は、いずれフリーランスでやろうとしている僕に厳しく接していたのです。たかがサンダルですが、もしかするとそのサンダル一つで仕事を頼もうと思わない人が出てくるかもしれないと新楽は考えてくれたのです。
メール、電話、時間、打ち合わせ...。
毎日の中でどこかに甘えは出ていませんか?
実力があり、隙のないプロフェッショナルな翻訳者さんになっていただくことが僕らと新楽の願いです。
替えの効かない人になって欲しいのです。
替えの効かない人はどの世界でも大事にされます。
社会で大事にされることの幸福感をぜひ味わって欲しいのです。
新楽も、僕も、フリーランスの幸福感も大変さも嫌というくらい知っています。
不安ならいつでも相談してください。
隙を見せていい場所が、少なくともここにはあります。