発見!今週のキラリ☆

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2009年3月 アーカイブ

vol.52 「手の感触」 by 柳原須美子


3月のテーマ:出会い

私は映像翻訳者。

私の右側には"映像"が、そして左側には"視聴者"が立っている。
でもこうして隣り合って立っていながら、私たちはお互いの顔を見ることができない。
なぜなら私たちは手を握ること以外、何も許されていない関係だから。
今、こうして並んで立っているけれど、お互いの存在を意識しているのは私だけだ。
"映像"も"視聴者"も、私がそこに立っていることを知らない。

私は"映像"に手を伸ばす。そしてゆっくりと、"映像"の手を握る。
すると"映像"が私の手をギュッと握り返してくる。
私は、その手の温度、力加減を体に染み込ませる。しばらく感じ入る。
そして、意を決して"視聴者"の手を握る。
"映像"が伝えてくれた感触を、そのまま"視聴者"に伝えるために精神を集中させる。

両方の手が同じように汗ばんできたら、私たちは歩き出す。
"映像"がその時を終えるまで、共に歩き続ける。
"映像"がその時を終えた時、彼らは私の両側から消える。跡形もなく。

1つの旅が終わる。寂しい。
でもすぐそこに、次の旅が待っている。

私は、両手に染みついた感触に浸りながら、また別の"映像"と"視聴者"の間に立つ。
そして少し感度が上がった手を"映像"に差し伸べ、その手を握り、新たな道を歩き始める。


これが、私が持っている映像翻訳のイメージだ。見ず知らずの人々の間に立ち、見ず知らずの人々に感じ入ること。そして、正確に伝達する。これが一番大切。映像翻訳者を通して両者は繋がる。それぞれの手の感触を認識するために必要なものは、思いやり、経験の蓄積、知識、喜怒哀楽、エトセトラ、エトセトラ...。

映像翻訳って、まるで精神修行だ。

こうして得た感触は、私の中にずっと残っている。"映像"に別れを告げたあともずっと。そして、私はその感触に導かれながら日常を生きている。1つの"映像"との出会いによって、私の人生にちょっとした変化が訪れる。

少し大げさに考えすぎかもしれないが、私は本気でそう思っている。

vol.53 「はじめの一歩」 by 藤田彩乃


3月のテーマ:出会い

ロサンゼルスの公共交通機関は、本当にお粗末だ。バスや電車があることはあるが、限りなく無いに等しい。そのくせ、夜はもちろん昼だって、歩けるほど安全な街でもない。石油会社や自動車会社が政府に働きかけて、車がないと生活できないようにしたという話だが、いずれにせよ、このだだっ広いロサンゼルスで、車は必要不可欠な存在だ。

ロサンゼルスに来たばかりの時は、車も運転免許もなく、本当にどこにも行けなかった。行動範囲は常に会社や自宅周辺。どこか遠くに行く時は必ず誰かに送り迎えを頼まなければいけない。非常に窮屈な思いをした。

そんな状況に嫌気がさし、自動車を買った。私の短い人生の中で一番大きな買い物だ。交通事故が多いこの街で運転するということは、心配ごとがまたひとつ増えるということ。でもそれ以上に、いつでもどこへでも好きな場所へ行ける自由を手に入れた喜びは大きかった。世界が広がった。自分から人に会いに行けるようになったのだ。

ロサンゼルスに来た当初は、友人はおろか知り合いすらいない状態でのゼロからのスタートだった。見知らぬ人同士でも道ですれちがえば笑顔で挨拶をするロサンゼルスだが、車社会のこの街で人と知り合うには自分から働きかけるしかない。

とにかく人が集まる場所に足を運んだ。知らない団体に飛び込んでいくのは最初こそ躊躇したが、新しい人と出会う喜びを知り、楽しくなっていった。おかげで、たくさんの素晴らしい出会いに恵まれた。人と人との出会いが新たな何かを生み出し、さらにはひとの人生を変えていく。何が何につながるか本当に分からない。

4月からロサンゼルスでも日英・英日翻訳コースがスタートする。嬉しい事にすでに問い合わせもいただいている。これからどんな人に会えるのか楽しみで仕方ない。