5月のテーマ:旅
高校の教科書に載っていたエッセイか何かだったと思う。「旅はひとり旅にかぎる。誰かと一緒でも、心はひとり旅であるべきだ。」という一節が心に残っている。
その影響があるのかわからないが、私はひとり旅が好きだ。思い立ったら旅に出る。行き先だけ決めて計画などたてずに、あてずっぽうに歩き回ってアクシデント的な出来事を楽しむのが好きなのだ。まあそれは、計画性がないのと極度の方向音痴であることの言い訳だったりもするのだけれど。旅先でふらりと入ったカフェでお茶することでさえ新鮮に感じられるのは、旅に出ることで日常から開放されるからなのだろう。
初めてひとり旅をしたのは二十歳の頃だ。当時大学生だった私は、学校の勉強も毎日の生活もつまらなくて、自分のいる場所はこんなところじゃないとうつうつとした毎日を過ごしていた。そんな時、北海道の大学の文学部で編入試験があることを知った。福島でしか暮らしたことのない私にとって北海道はひどく遠いところに思えたし、合格できるのは1名だけという難関だったが、私はただただ日常を壊したくてバイトで貯めたお金で飛行機のチケットを買い、北海道へ向かった。
12月の北海道は雪が多少積もっていたけれど、想像していたほどには寒くなかった。
あてずっぽうに街を歩いてみた。さすが札幌は大きな街だった。自分が住んでいる街に比べておしゃれなお店もたくさんあるし、きれいで活気もある。だが、この街で暮らすことになったらと想像してみると何とも言えない思いにかられた。その時点では、それがどういう感情なのか自分でもいまいち分からなかった。
翌日は試験だった。筆記試験と「何を研究したいか」という題の小論文を書き終えたあと、本がそこかしこに積み重ねられた研究室で教授から面接を受けた。シルバーグレーのこぎれいに身なりを整えている教授はソファに深く腰かけると言った。「小論文を読んで思ったけれど、君はねえ、このまま社会学を続けたほうがいいと思う。」その時点で、自分が合格することはないと確信したが、私はその教授の言葉になぜかとても満たされた。いやだいやだと感じていたけれど、自分が身を置いている場所が自分に向いていないわけじゃないんだ、という気がしたのだ。そして、研究室を出てキャンパスを歩く私の胸には、前日に街を歩いていた時と同じような感情がこみあげてきた。それは、さみしさなのかもしれないと思った。その思いは学食に入った時に確信に変わった。きれいで巨大な食堂にはたくさんの学生がいたが、当然ながら知っている人は誰もいない。自分の通っている大学の洗練さのかけらもないオレンジ色の食堂は、行けば誰かしら友達がいる。なんだか、いやだと思っていた場所に帰りたくなった。
旅程の最後の日、水族館に行った。その時、円柱型の水槽の中で泳ぐラクダハコフグに
心を奪われた。ちょっとかくばった形をしているからハコフグなんだろうか?背中に突起があるからラクダなんて名前をつけられちゃったんだろうなあ。こいつ、何考えてんだろう?私のことなどおかまいなしに、ラクダハコフグは愛嬌のある顔でぷくぷく泳ぎ続けている。この水槽から出たいとか思っているんだろうか?果たして何を考えているんだろう?水槽にかじりつく私に、しかしフグの気持ちははかりしれず、一方フグはといえば、相変わらずぷくぷく泳ぎ続けるばかりだ。しばらく眺めているうち、勝手ながら、円柱の水槽の中でラクダハコフグは満足しているんじゃないかと思えてきた。そして満足げな様子を見ていたら面接のあとのように満たされた気持ちになった。帰ろう、と思った。
札幌から戻って、何も日常は変わらないのに少しだけ毎日が楽しくなった。人生の中で不合格通知をあんなに満足した気持ちで受け取ったことは先にもあとにもあの時しかない。今自分がいる場所で何かやってみよう。そんなふうに感じていた。
あの旅のことを思い出すたび、円柱の水槽の中でぷくぷく泳ぎ続けるラクダハコフグが頭に浮かぶ。そして今でもちょっと満たされた気持ちになるのだ。