10月のテーマ:クセ
匂いと旅の記憶が結びつくことがあるように、しばしば、ある人の印象とその人の癖とが分かちがたく結びついてしまうことがある。
中学校の同級生に、「わからないと思うけど」というのが口癖の女の子がいた。1年生の途中で転校してきた子で、何か言うたび、文章の最後に句点をつけるみたいに「わからないと思うけどね」と付け足した。はっきりそう言わない時でも、彼女の言葉には常に(あなたにはわからないと思うけど)と括弧書きが加わっているかのような響きがあった。
その口癖に加えて、彼女にはどこか挑戦的な態度を取る面があり、クラスでの評判は芳しくなかった。僕自身、何かといえば「わからないと思うけど」と見下されるようなことを言われるのを煙たく感じて距離を置いていた。そのせいで、中学ではずっと同じクラスだったにも関わらず、彼女とはほとんど口を利くこともなく過ごした。
ところが偶然同じ塾に通っていたこともあってか、中学3年のなかばを過ぎた頃には僕はいつのまにか彼女と言葉をかわすようになっていた。きちんと話してみると、彼女はちょっと気が強いだけで他の子とそう変わるところのない、ごくまっとうな子だった。
それに彼女にはだいぶ年上の兄弟がいたせいで、ほかの同級生よりもずっと進んだ音楽や映画の知識を身につけていた。その点で、彼女の話には、ほかの同級生との会話とは違う楽しみを見出すことができた(彼女から教わったアルバムのいくつかは、いまだに愛聴している)。
だが中学を卒業して高校に進学すると、彼女とは顔を合わせることもなくなった。時々は彼女のことを思い出しもしたが、だからといってこちらから連絡を取るなんて考えもしなかった。そもそもまともに会話を始めて半年も経っておらず、「友達」というほど仲良くもなかったし、住む世界が変わるとともに交流が途絶えるというのは、何も珍しいことではない。
そして大学生になったころ、たまたま会った同級生から彼女の消息を聞いた。それによれば、彼女は高校に入って間もなく両親ともを病気で亡くし、田舎の親戚のもとに引き取られたという。しかも両親は長らく不和で、以前から家庭内別居が続いていたということだった。なんだかテレビドラマの話みたいだなと思ったが、実際、彼女が住んでいた家にはすでに別人の表札がかかっていた。
その話を聞いて僕は、彼女の「わからないと思うけど」という口癖を思い出した。彼女は繰り返し繰り返し、「わからないと思うけど」と言った(本当に何度も繰り返していたのだ)。だがそれは意味のない口癖でもなければ人を見下すためのセリフでもなく、まさしくその言葉通りの意味だったのだろう。彼女は、僕のような平凡な中学生にはとうてい理解できない人生を歩んでいたのだ。
今でもふと、もし彼女と知り合った中学1年の僕が彼女の「わからないと思うけど」という口癖の本当の意味を知っていたなら、あるいは、少なくとも「確かに僕にはわからないかもしれない」と考えるくらいの寛容さを持ち合わせていたなら、と考えることがある。僕は彼女ともっと早く言葉を交わすようになっていたかもしれないし、もしかすると僕たちは友人になれていたかもしれない。
それ以来、僕は何か新しい人物や出来事を見知った時、伝聞や印象だけで判断せず、「自分にはわからないことがあるかもしれない」と考えるのを自分の中でのルールとしている。もちろんこのルールがうまく機能していないことも数多くあるけれど、それでもできるだけ決めつけを避けるように日々努めている。それがいわば僕の癖となったのだ。