vol.69 「負けず嫌いのその後」 by 藤田奈緒
11月のテーマ:スポーツ
何年も前のこと、アカデミーがまだ代々木八幡にあった頃の実践クラスでの出来事。突然、イチローについての英字新聞の記事が配られ、10分程度でベタ訳するように講師から言われた。うーん... 悩むこと10分。周りのクラスメートたちがペンをさらさらと進める中、とうとう一筆も進まないまま時間が過ぎてしまった。実は私、お恥ずかしなからスポーツ全般、中でも取り分け野球に関する知識が皆無といってよいほどないのだ。打率という言葉一つとっても何のことやら、頭の中が真っ白とはまさにこのことである。
お願いだから当てないでくれと、講師と目を合わさないよう机の上の真っ白な紙を見続ける。しかし残念ながら、窮地に陥っている時こそ運命は味方してくれないもの。名簿の名前に目を通していた講師は、まっすぐに私を見つめ言い放った。
「では藤田さん、声に出して読んでみてください」
どうしよう... 何ひとつ発表できる訳など用意できていない。
追いつめられた私は、あり得ない一言を口にしてしまった。
「すみません、スポーツがどうしても苦手で...。今回は勘弁してください」
その瞬間、教室の中が一気にシーンと静まり返ったのは言うまでもない。その後、そのクラス内ではそんなことは二度と起きなかったし、講師として授業に入る現在も、そんな大胆な発言をする受講生には出会っていない。
小学生の時の体育の成績は運が良い時は5、ピンチヒッターで陸上部のレースに出たこともあったし、中学高校を通して、体育祭のリレーに出なかった年はない。自分は運動が割と得意なのだろうと思っていた。まあ足がそこそこ速いことと、スポーツに詳しいことが必ずしもイコールではないことは分かるのだが、大昔の中途半端な栄光が忘れられない私にとって、この日のクラスでの失態はとてもショックだった。
実践コースが終わって数ヵ月過ぎた頃、トライアルが実施された。その頃は今のように毎月実施されていたわけではなく、数ヵ月に1度、複数ジャンルのトライアルが同時実施されていた。それを逃すと次のチャンスはいつ来るか分からないということで、自分も含め、周囲の友人たちの気合いの入れようは半端ではなかった。トライアルのジャンルは4つ。ドキュメンタリー、EPK、情報番組、そしてスポーツ。一瞬、あの日の嫌な記憶が蘇ったが、躊躇している余裕はない。思いきって4ジャンルすべてに応募した。
数週間後、結果が発表された。結局、私は4ジャンルのうち、かろうじてドキュメンタリーにのみひっかかり、その後仕事をもらえるようになった。そして1年後、縁あって現MTCのスタッフとして働くことになったわけだが、今でも当時を知るスタッフには時折ネタにされる。あのスポーツトライアルの奈緒さんの原稿はとにかく笑えるほどひどいものだった、と。自分なりに全力で徹夜で仕上げたものだったが、自分で見返してもつくづくひどいなあと思う。
だがそんな私も、MTCに入ってからは来る仕事を拒むわけもいかず、それなりにスポーツものを担当してきた。ヨットレース、ヨガ、ゴルフ、ピラティス、バレエ。こうして列挙してみると、神の計らいか割とマイルドなものが多いようにも思えるが、一度足を踏み入れてみればそれぞれの世界は深く、時にハマりながら楽しくやっている。翻訳者の皆さん、どうぞご心配なく!