3月のテーマ: におい
「おいしい食事には、使わない!」
あれは、社会人になってまだ間もない私が、会社の先輩たちに連れられ、一見さんお断りの高級レストランに行った時のこと。運ばれてきた美しい一皿に、感嘆の声を上げた。「わー美味しそう。いいにおい。」思わず私の口をついて出てしまった「におい」という言葉に対し、シニアソムリエの資格を有する先輩は、するどい眼光と共に私を一喝した。馴染みのギャルソンの手前、その一喝の声量こそ大きくはなかったが、私はとんでもない失敗をしてしまったのではないかという恥ずかしさと、無知な後輩のせいで先輩の面子をつぶしてしまったのではという恐怖で、全身の毛穴が一気に引き締まった。
あの日から、「におい」の使用に関して、かなりビビリになってしまった。五感のうち嗅覚で感じ取ったものに対し表現する際、必ず一呼吸置いているのである。
「プルースト現象」という言葉を知っているだろうか。
ある特定の匂いがそれにまつわる記憶を誘発する現象のことである。上述の思い出とは、ちょっとちがうが...。
嗅覚の神経は五感の中で唯一、大脳新皮質を経由せずに記憶に関係する「海馬」や、情動に関係する「扁桃体」に繋がっているとか。
また、脳神経学からの報告では、思い出の香水を嗅ぐと脳の扁桃体の部分も活性化するのに対し、初めて嗅ぐ香水では活性化しない、といったものがある。
さらに。
「脳内で記憶や情動、感情を司る部位と嗅覚を司る部位が非常に近いので、ニオイが記憶を刺激しやすいともいわれていますが、詳しいメカニズムはわかっていません。ちなみに、実験結果から、嗅覚の記憶は視覚や触覚の記憶よりも、より感情をともなう記憶、当時のドキドキやワクワクなどまで思い出すことが多いようです」と雑誌のインタビュー記事で語るのは、筑波大学准教授の綾部早穂先生。
さて、この「プルースト現象」は、フランスの文豪マルセル・プルーストの名にちなんでいる。プルーストの代表作「失われた時を求めて」(À la recherche du temps perdu)の文中、主人公がマドレーヌを紅茶に浸し、その香りをきっかけとして幼年時代を思い出す、という描写が元だ。
今日も日々研究が重ねられる脳神経学の分野で、己の名前が現象の名称に使われるとは、プルーストさんも夢にも思っていなかったであろう。
マドレーヌと紅茶の香り。なんとも素敵な話ではないか。
今日もまた私の話は、ナイル川のように蛇行していくのだが、もう少しお付き合いいただきたい。今回のタイトル。
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
(『拾遺和歌集』)
北野天満宮の菅原道真公が大宰府に左遷される時に歌ったものだ。菅原 道真とは、ご存じ、平安時代の学者・詩人・政治家。
泣ける、泣けるよ。この季節ピッタリ。
こういう時はさ、やっぱ「にほひ」だよねー、道真さん。ほら、いい香りのときも使うんですよ。「におい」ってやつを。
昨年の春、私は「桜」に関してのコラムを書いたのだが、そのときには在原さんに。そして今年は菅原さんに。花の季節、古の歌人に思いを馳せ、季節をめでる。いいものである。
発見!今週のキラリ vol.54 「花は桜木」 (2009年4月 3日)
「におい」「臭い」「匂い」「ニオイ」
あー。もう本当に日本語ってめんどくさいっ!じゃなくて、素晴らしい!
ひとつの言葉でも、これだけの文字表現があり、それぞれあたえる印象が、こんなに違う。
文字の情報を発信する側としては、確信犯的に、その効果を狙うことができる。つくづく日本語というものは、奥が深いと思い知らされる。
海外のコンテンツを翻訳するにあたり、本国アプルーバルのため、時に行われるトランスレーションバック...。
果たして、日本語の持つこの奥行きを、分かっていただいているのか、甚だ疑問である今日この頃だ。