8月のテーマ:虫
子どもの頃、女の子に虫をプレゼントしたことがある。
当時、僕の同級生の間では「トラマル」と呼ばれる蜂を捕まえるのが流行っていた。トラマルは大きめのミツバチのような蜂で、針をもっておらず、手づかみで簡単に捕まえられた。キンモクセイの花を好んだので、キンモクセイの生えている場所に行けば必ずと言っていいほどトラマルを見つけることができた。
捕まえた蜂はただ虫かごに入れたり、逃げないように羽をとったりすることもあったが、ほとんどの子は蜂の体にひもをくくりつけ、ペットを飼うみたいにしていた。
そうやって捕まえたうちの1匹に、とても気に入っていたトラマルがいた。多くの蜂が1日か2日もすれば死んでしまうのに、その蜂は3日経ってもまだぴんぴんしていた。
朝、家のそばのキンモクセイの枝にひもを結びつける。そして帰ってきて「もう死んでるかも」と思いながらこわごわ様子を見ると、その蜂は何食わぬ顔で花から花へとせっせと飛び回っているのだ。僕はそのトラマルに、勲章をあげるような気持ちで特別に赤いひもをくくりつけた。
ある日、赤いひものトラマルを連れて歩いていると、クラスの女の子にばったり会った。向こうも1人、こちらも1人だった。少し言葉を交わしたあと、別れ際に僕は赤いひものトラマルをその子にプレゼントした。今となっては細かい経緯は忘れてしまったけれど、その日が彼女の誕生日か何かだったのかもしれない。あるいは、ただ僕がその女の子のことが好きだったのかもしれない。
その翌日の下校時、僕はふと、いつも例のトラマルを結びつけていたキンモクセイの木をのぞいた。すると赤いひもが目に入った。間違いなく、僕があのトラマルに結んでいたひもだ。僕は恐る恐るひもをたぐった。その先にはあのトラマルがいて、元気に羽を震わせていた。
蜂をプレゼントした子には何も聞かなかったので、なぜトラマルがあのキンモクセイの木に戻っていたかはわからない。彼女が可哀想に思って逃したのかもしれないし、勝手に逃げだしたのかもしれない。こんな贈り物はいらないと思って、放り出したという可能性もある。でもその時の僕はそんなことはどうでもよくて、赤いひものトラマルが帰ってきたことがただうれしく、誇らしかった。
赤いひものトラマルはそれからすぐに死んだ。学校から帰り際にキンモクセイの木を見ると、体を小さく丸め、奇妙に干からびた蜂が赤いひもの先にぶらさがっていた。匂いと記憶は強く結びついているというけれど、そのとおりだと思う。僕にとって、秋になると街にあふれるキンモクセイの香りは、そのままトラマルの記憶に結びついている。