発見!今週のキラリ☆

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2010年10月 アーカイブ

vol.91 「英会話のサギシ」 by 相原拓


10月のテーマ:先生

僕はかつて日系アメリカ人になりすまし、アレックスという偽名で英会話の先生をやっていた。あまりいい思い出はないが、生徒に言われた一言が今の仕事につながっている。

職場は主に小学生を対象とした小さな英会話スクールだった。文法を教える日本人講師もいたが、僕は、日本語が話せない振りをすることを条件に"ネイティブ講師"として雇われた。「英語でゲームでもやらせて生徒の相手をするだけでいい」というのがスクール側の要望で、こんな楽な仕事はないと張り切って始めたものの1ヵ月もしないうちに嫌気がさした。日本語でまともに注意ができない先生がクラスを仕切れるはずもなく、気づけば生徒たちに完全に舐めらていた。

僕が教室に入ると、それを合図にクラスは一斉に飛び上がり、意味もなく大声で叫びながらあちこち走りまわる。必死で止めようとするが、野生化したちびっ子たちはまったく手に負えない。「うるせー!」「日本語しゃべれー!」「英語とか意味わかんねーし」。ほとんどのクラスがこのように、きちんとした授業からは程遠いカオス状態だった。多い日でレッスンは6回しかなかったが、帰宅するころにはぐったりとして「こんな仕事やめてやる」と、ちびっ子たちを呪う日々が続いた。

このままではらちがあかないと考え、スクールの要望を無視して日本語を解禁することにした。初めのうちは「タカシ、静カニシナサイ」といった注意に留めて、徐々に高度なフレーズを小出しにしながら日本語力をアピールしていくという作戦だ。大事なのは片言の発音。これさえ貫けば、何を言っても怪しまれることはない。(調子に乗り過ぎて危うく正体がバレそうになったこともあるが・・)すると予想通り生徒たちは言うことを聞くようになった。3年間アレックスを演じた結果、スクールを辞めるころには笑いを取れるまでの人気者になっていた。

「日本語うまくなったね~」。別れの日に2年生のクラスがそう言ってくれた。もちろん「ガイジンのわりに・・」という意味だが、あれほど生意気だったちびっ子たちがこの時ばかりはかわいく見えて、素直に嬉しかった。ちょうど映像翻訳を勉強しようと決めた時期とも重なり、妙に感動したのを覚えている。

あれからまだ2年半しか経っていない。でも僕にとってあの言葉はまるで違う意味を持つようになった。JVTAの受講生になってから初めて日本語の難しさを痛感したからだ。これからはアレックスとしてではなく、映像翻訳者として「日本語うまくなったね」と言われる日を目指して頑張っていきたいと思う。


あいさつが遅れましたが、新しくMTCに入った相原といいます。
どうぞよろしくお願いします!

vol.92 「一番はじめの言葉」 by 石井清猛


10月のテーマ:先生

何はともあれ、人に何かを教えるという行為において言葉が大きな役割を担っているのは確かなようで、私たちが"教える人"として出会ってきた先生たちの記憶をたどる時、彼らの姿かたちよりも先に彼らが語った言葉が思い出されることも珍しいことではありません。

その一方で、それらの言葉を初めて耳にした当時を振り返ってみるにつけ私たちが改めて思い知るのは、驚きも感動も伴わない自らのドライな態度や、ほとんどスルーせんばかりの素っ気ない反応といった、その場面におけるドラマチックな"出会い感"のあまりの欠如ぶりだったりすることも、割と普通にあり得る話ではないでしょうか。

実際、これまで何ら特別な感慨を呼び起こすことがなかった、何となく知っていた言葉や文章が、突如としてこれ以上ないくらいに大切なものに変わる瞬間というのは、映像翻訳にかかわる皆さんなら恐らく何度も経験していることだと思います。

例えば、たった今翻訳中の作品の中の特定の文脈において「これだけは生かさなければならない」「必ず輝かせなければならない」と気づいてしまった、ある特定のニュアンスがあったとして、そのニュアンスを伝えようとのたうちまわるようにして見つけた表現が、ビックリするほど平易でありふれたものだった瞬間とか。結構ありますよね。

そういった瞬間は、出会うそのたびごとに私たちをあたふたと狼狽させながらも、同時に何かとても豊かで大らかなものに触れた実感を与えてくれるもので、考えてみればこれほど不思議な体験というのもそうそうないわけです。

そして先生から教わった言葉にしても事情はそれほど変わりません。

時が経つほどに染み入ってくるものや、理由が判然としないままずっとどこかにひっかかっているもの、長い間を置いたのちに突然その意味を了解するもの、新たな文脈に置かれて初めて好きになれるもの、逆に嫌いになるもの。

それを"思い出す"と言いえばいいのか"気づく"と言うべきなのか、あるいは"蘇る"なのか、残念ながら私には判断がつきませんが、いずれにしても教わった瞬間だけがその言葉の始まりではないことは確かなようです。
それらの言葉は私たちの中で、きっと幾度となく始まり、終わるのでしょう。

知らなかったはずなのに知っていたと思い出し、知っていたはずなのに知らなかったと気づくことを繰り返しながら、私たちは言葉が蘇り、また始まる瞬間に出会い続けるのです。

「翻訳の基本は、原語で読む人と訳したものを読む人が、同じ情報を同じタイミングで得られること」という言葉を、私は当時代々木八幡にあった教室で深井裕美子先生に教わりました。

ということを、実は、私はかなりあとになって思い出しました。
たぶんそのコースが終わって、さらに1年後ぐらい...(笑)

にもかかわらず、それは私にとっての一番はじめの言葉です。

最初に教わった時に聞き流していた(かもしれない)この言葉は、甚だしく遅れて蘇ってきて、今も私の中で蘇り続けています。
そして、そのたびに私をあの一番はじめの場所に連れ戻してくれるのです。

"原語で読む人"と"訳したものを読む人"の違いも、"同じ情報"や"同じタイミング"の意味も、ちゃんと知っていると信じて、すました顔で座っていたあの場所に。

vol.93  「映像翻訳者は役者であれ」 by 浅野一郎


10月のテーマ:先生

先日、実践コースの面談で質問を受けた。"映像翻訳は才能でするものか?" 僕は"否"と即答した。
自分を引き合いに出すのは非常におこがましいと思うが、なぜなら、僕自身、文才などという高級なものとは、まったく縁もゆかりもない人間だからだ。

では、そんな僕が、この映像翻訳業界で生き残っている理由は何だろう? それは、素材を見た瞬間に「これは~っぽいな。だから、~っぽく仕上げればいいのでは?」と見当を付けられる、プロの映像翻訳者の眼のおかげだ。

世の映像素材には、必ずと言っていいほど、ある一定のパターンがある。それは登場人物やストーリー、または、チャンネル特有の好みだったりもする。

僕は家に帰ると必ず、毎日必ずテレビを1時間程度、流し見をする。どのチャンネルで、どんな番組がやっているか? 好きなチャンネルで次はどんな番組を編成するのか等々、いろいろなことを考えながら、次々にチャンネルを変えていく。
そんなことを、ここ6~7年程度続けている。
というわけで、僕の頭の中には、ありとあらゆるチャンネルや番組の雑多な知識が詰まっているのだ。

そして、その蓄積が、素材を見た瞬間に、「~っぽい」という感覚を持つ、つまり翻訳の制作方針を即座に、且つ的確に決めることができる助けになっている。

話は変わるが、僕は子供時代に非常に友達が少なく、唯一の楽しみといえば、テレビから流れてくる外国映画の登場人物に成りきって"ごっこ遊び"をすることだった。

I love the smell of napalm in the morning.
―"朝のナパームの匂いは格別だ"(キルゴア中佐~地獄の黙示録)

Do you feel lucky, punk?
―"それでも賭けてみるか? どうだ?"(ハリー・キャラハン ~ダーティーハリー)

Engage!
―"発進!"(ピカード艦長 ~スタートレックTNG)

こんな名セリフをラジカセで録って、何度も繰り返して聴き、そして真似をしていた。もちろん、子供のころは何と言っているか分かってはおらず、単に語感を真似していたに過ぎない。
それでも、どんな気持ちで、そのセリフを言っているのか等、思い切り感情移入して真似をしていた。
海外のメディアが好きな人ならば、必ず一度ならず経験していることではなかろうか?

前述の、「~っぽい」という感覚と同様に、その人に成りきる、演じるということも映像翻訳をする上で、とても大切なことだと思う。そして、これらの感覚は天与の才などでは決してなく、好きでテレビを見ているうちに自然に身についてしまうものだ。

翻訳がうまく進まないと悩んでいる受講生や修了生諸君、まずは、胸に手を置いて考えてほしい。自分は、この素材のことを真に理解しているか? 自分は、この素材に心底、感情移入ができているか? 視聴者にどう伝えたいか?ということがハッキリしているか? これらができていない翻訳者が作った原稿を第三者がすんなり受け入れてくれるはずがない。

もちろん、英語の読解や解釈、調べモノに気を配るのは当然だが、その前に、上で書いたことようなもっと根源的なことを考えてもらいたい。

映像翻訳は血でするものではない。映像翻訳者は、映像翻訳者として生まれるのではなく、努力して映像翻訳者になるのだ。
だから、誰にでもチャンスは平等にある。頑張れ!