12月のテーマ:息抜き
その昔、小学生の私は中学受験をすることになった。受験勉強が本格的になってくると、それまでのように友達と遊びまわる余裕はなく、休みの日も家にこもる日々が続いた。すると母が少しでも息抜きになればと、柴犬を飼うことを許してくれた。これが以前コラムでも紹介したことのある、時間どろぼうのモモとの出会いである。
モモはほかの柴犬の例に漏れずとても愛くるしい犬で、私の格好の遊び相手になってくれた。それはよかったのだが...、このモモはとんでもなくおっちょこちょいな犬だった。まず名前を呼んでも気が向かないと振り向かない or 別の名前を呼んでも喜び勇んで駆け寄ってくる。恐らく最期まで自分の名前を知らなかったに違いないと、母と私は今でも強く信じている。
そんなおとぼけ犬モモには随分と笑わせてもらった。
ある日散歩に出かけたところ、ふと気づけば隣を歩いていたモモがいない! どこにいった!?とあたりを見渡すと、何と道端のどぶに落っこちているではないか。深いどぶの底から心細げに私を見上げるモモ。それ以来、どぶをまたぐことができず、たとえ網が張ってあっても一歩を踏み出せなくなってしまった。なんて愛しいんだろう!
当時は庭の端から端までワイヤーを張り、そこに首輪につながるひもを通していた。そうすればモモはある程度、自由に庭を走り回ることができる。夜ご飯の時間、エサをお皿に入れて持っていくと、お腹の空いたモモは首が絞まりそうなぐらい身を乗り出して待ち構えている。それを見た私はちょっとしたいたずらを思いついた。こっそり首輪のひもを外した状態で、ぎりぎりの位置にお皿を置いてみたのだ。そしたら案の定... ひもが外れていることに気づかないモモは、いつもの調子で爪先立ちになって首を伸ばし、口の先にわずかに触れるエサを必死の形相で食べようとしていた。なんてマヌケで可愛いんだろう!
こんな調子で、モモにまつわるエピソードを挙げたらきりがない。アニマルセラピーならぬ、お笑いセラピーとでも言うのだろうか。とにかく私にとってモモと過ごす時間が、大いに息抜きになったのは間違いない。大勢で公園に集まって大笑いする笑いヨガなんていうものが少し前に話題になったが、やっぱり"笑う"ことにはストレス発散の効果があるのかもしれない。
隣の席でリサとガスパールのリサを可愛がる主任A氏の姿を見るたび、私はモモとのあの可笑しくも懐かしい時間を思い出す。息抜きの種類はちょっと違う気もするけれど(笑)。