3月のテーマ:コーヒー
私たちは経験上、曲のタイトルに"ブルース"と謳われることが必ずしもそのままメロディーやアレンジに"ブルースフィーリング"が備わっていることを意味しないと知っています。ブルースっぽくないのにブルースと題された楽曲。そのような歌の1つとして数えられるかもしれない「コーヒーブルース」は、にもかかわらず聴く者を、心地よいけだるさと胸を衝く切実さへと誘い、やがてブルース特有の高揚感で包み込みます。そして作者であると同時に歌い手でもある前野健太の名前を、忘れがたいものにするのです。
独特の芳香を放ち、つややかな黒色を帯びて苦味にかすかな酸味と甘みを隠した飲み物、コーヒーにまつわるエピソードくらい誰でも1つや2つ持っているものです。コーヒーの香りや、甘さや、苦さのおかげで、何かを少しだけ忘れられたり、許せたり、手放せたりした記憶。前野健太はそんな、いつもは大して気に留められることもなく私たちの心に引っかかったままの様々なコーヒー的記憶と、目の前にある乾いた日常を、ブルースで混ぜ合わせろ、とばかりに"僕が欲しいのは 一杯120円のコーヒーブルース"と歌い上げます。その歌声はきっと、私たちの目の前の風景の色を変えていくことでしょう。
とはいえコーヒーとブルースを結びつけたのは前野健太が最初ではもちろんなく、コーヒーはむしろブルースのみならずポップスやロックの歌詞の中で好んで取り上げられてきた題材の1つであると言えます。
すぐに思い浮かぶものをいくつか挙げるだけでも、エラ・フィッツジェラルドが恐ろしいほどの切実さで"コーヒーとタバコに後悔が埋もれてる"と歌った「Black Coffee」、プリンスがヒトデとコーヒーの奇妙なランチを題材にしたサイケデリックな「Starfish and Coffee」、"コーヒー色をした君が大好き"とセルジュ・ゲンズブールがおどけて歌う「Couleur Cafe」など、ちょっとしたプレイリストが大した苦労もなくできあがりそうです。あと同県人のよしみで奥田民生の「コーヒー」(スバリ!)を挙げないわけにはいきません。
前野健太自身が影響を受けたことを公言するアーティストたちも、やはりコーヒーについて歌ってます。サニーデイ・サービスは「青春狂騒曲」で"熱い濃いコーヒーを飲みたいんだ"と歌い、かつて小沢健二が在籍したFlipper's Guitarは「Coffee-Milk Crazy」で"誰が何と言おうと(カフェ・オ・レでなく)コーヒー牛乳を支持する"と宣言しました。さらに「One More Cup of Coffee」で"出発する前にもう1杯だけコーヒーを飲もう"と歌うボブ・ディランがいれば、"100円玉で買える温もり"の缶コーヒーを握りしめた「十五の夜」の尾崎豊もいます。
コーヒーを好きな人も嫌いな人も、コーヒーを飲まずにはいられない人も紅茶にしか興味がない人も、それぞれの人生の中で"コーヒーの歌"が収まるべき小さな場所だけはきっと共通して持っているのでしょう。毎日暴飲を繰り返すあまり、カフェインの覚醒効果をほとんど感じられなくなってしまったという有様の私にしたって、それは同じです。
「コーヒーブルース」はそんな私の"コーヒーの歌"の場所にやってきた、一番最近の歌なのだと思います。
先日前野健太のライブを見るため、同僚2人と連れだって新宿歌舞伎町の風林会館に行きました。長年連れ添ったバンドDAVID BOWIEたちを従え、ゲストにアナログフィッシュと石橋英子を迎えたツアー最終日のライブです。3時間にわたって私たちの心を揺さぶり続けた前野健太の歌を、声を、私は一生忘れることはないでしょう。