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vol.131 「罰としてのコーヒー」 by 桜井徹二


3月のテーマ:コーヒー

コーヒーの起源は1500年前のアラビアに遡るという。当時の人々は、甘くて覚醒作用のあるコーヒーノキの実をいろいろな形で食用にしようと試行錯誤を繰り返し、そして飲料にする方法を発見した。苦心して作り上げた香ばしいその飲み物を人類で初めて口にした人はこう思ったはずだ。「なにこれ、苦い!」と。

...というのは勝手な想像だけれど、コーヒーが苦いのは確かだ。ほのかに甘みがあるとか酸味が効いているとか言ったところで、筆頭にくるのが苦みであることには変わりがない。それでも僕たちは毎日のようにその苦い液体を飲み続けている。他にもっとおいしくて飲みやすい飲み物があるのに、考えてみると奇妙なことではある。

かつて、そんな話をコーヒー嫌いの女性としていたところ、彼女がこんなことを言った。「コーヒーっていうのはね、東京中の下水と灰皿の中身でできてるのよ。そういう味だもの。だからみんなは、東京の生活に染まってしまった自分を罰するためにあんなものを飲んでるのよ」

「だけど」と僕は聞いた。「コーヒーを飲むのは東京の人だけじゃないよ。アメリカの人も飲むしブラジルの人も飲む。北朝鮮の人だってたぶん飲む。彼らも東京中の汚れを混ぜ合わせた飲み物を飲んでるわけ?」

「もちろんアメリカ人が飲んでるコーヒーはアメリカ的汚れ、ブラジルの人が飲んでるコーヒーはブラジル的汚れを抽出したコーヒーなのよ」と彼女は言った。

もちろん冗談として言ったのだろうけれど、彼女の言う「東京中の下水と灰皿の中身を混ぜたような味」というのはわからないでもなかった。世の中には時おり、その表現がぴったり当てはまるコーヒーが存在するのだ。なぜそんな形で罰を与えるのかは正直なところよくわからなかったけれど、それでも彼女の意見はなかなか悪くないように思えた。

僕たちは人や物であふれかえった東京での生活の代価として、東京の汚れを抽出したコーヒーを飲む。パリに住む人はパリ的生活の罰として、平壌に住む人は平壌的生活の罰として、ティンブクトゥに住む人はティンブクトゥ的生活の罰として、それぞれの街の汚れを抽出したコーヒーを飲む。世界中のみんながコーヒーを飲んで自らの罪滅ぼしをする。そうすることで、いつもと変わらぬ日々が続けられ、世界は回っていくのだ。

その話を聞いてからは、灰皿の中身のような苦いコーヒーに出会うたびに、「これは罰なんだ。僕がこれを飲むことで世界は回り続けることができるんだ」と念じながら飲むようにしている。あんまり苦いと、世界を救うのをあきらめてしまうこともあるけれど。