6月のテーマ:雨
何か大きなイベントがあると、かなりの率で雨に遭遇する僕は、友人の間では"雨男"で通っている。「また雨降らせた~~~!」という非難めいた声に、かつては罪でも犯したような後ろめたさに苛まれ、イベント前日の天気予報で傘マークを見た日には、みんなの憂鬱な顔が目に浮かび気分が沈んだものだ。だからといって、自分ではどうこう出来るものでもなく、最近は開き直って「雨男ですみません」と率先して断りを入れるようにしている。
そんな雨男体質は、実は遺伝という見方もある。僕の父は親戚中でも一二を争う雨男で、若い頃通った飲み屋の女将には、お店を訪れると必ず雨が降るので"雨夫"というニックネームをつけられていたそうだ。
「雨男なんて迷信だよ」と思われるかもしれない。僕も昔はそう思っていたが、ある出来事をきっかけに「もしや...」と思い始めた。十年ほど前に友人とアメリカを自由旅行していたときの話だ。砂漠の中の街、ラスベガスから次の目的地へ飛ぼうとした際、過去にない記録的な大雨が降り空港が閉鎖、丸二日足止めを食らった。「砂漠に雨を降らせてしまった!」。これは偶然や迷信では片付けられないと感じ、事の重大さと込み上げる罪悪感から友人に「雨男って信じる?実は...」と告白したところ、「じゃあ、アフリカとか、雨を必要としている地域にいけば、神になれるじゃん。」とからかわれた。
たしかに雨乞いの儀式に参加すれば重宝がられるかもしれない。また傘メーカーに売り込めば"雨男長者"になれるかも。
嫌われ者の雨だが、基本的にインドア派の僕は、雨は嫌いではない。