6月のテーマ:雨
東京はただいま梅雨。春の終わりにやってきて、その後訪れる本格的な夏のプロローグであるこの季節、私は本気でカメハメハ大王がうらやましくなる。
♪ 風が吹いたら遅刻してぇ~
雨が降ったらお休みでぇ~
の世界だ。
どんよりと空を覆う灰色の雲。週間天気予報とにらめっこしながら決める洗濯日。通常の3倍ぐらいの重さで漂う湿気まんまんの空気。じっとり汗ばむ身体をいやおうなしに冷やす室内の冷房。はー。この季節特有のあらゆることが、これでもかというくらい私の心身にダメージを与える。ライフ回復はまだまだ先。なぜなら梅雨明けと同時に、この国は夏に突入していくのだ。容赦のないうだるような暑さが大体9月下旬まで続く。長い。「ちょっとタイム」とか、安らぎの「オアシスステージ」などといった選択はない。自然は甘くないのである。
日本人が、「しょうがない」という落としどころで怒りやイライラをうまく交わす術を知らずに身につけていたり、世界の人々が賞賛する辛抱強さを兼ね備えていたりするのもうなずける。
そんなわけでこのところずっと天候に比例し私の内側も暗雲が立ち込めっぱなしなわけで、選ぶ服、履く靴さえも、雨染みを懸念しディフェンスに染まる。
コレではいかんのではないか。いやいかん。数年前読んだ本のひとコマをふと思い出した。
「心をキレイなもので満たすということは、外見のキレイにも大いに影響がある」
エッセイ本『美人画報』(講談社)で安野モヨコはこんな感じのことを言っていた。
「キレイな人は美しいことで心が満たされている」面白いことばかり考えている自分はおのずと、面白い人、面白い外見になっているのではないか。
激しく開眼させられたのを覚えている。私の脳内もたいてい面白いことを探し、考え、楽しんでいる。それに加え、この季節、天気というものにめっきり左右されて、ネガティブがち。もはや「キレイ」とは無縁。そろそろ身体の表面にカビでも生えそうな勢い。もう女性としてというか「人」として救いようがない方向にまっしぐらなのである。
実に危険だ。探さなければ、ほら、「キレイ」なもの。鮮やかな柄のレインコートをまとって颯爽と歩く女性とか(他力本願な私)、子供たちがさすコレでもかというくらいのまぶしい原色傘とか...。
......。ダメだ。
ここは神田、三越前。スーツのジャケットを脱いだだけというおじさんたちがマジョリティを占めるクールビズ発展途上区域。まったく色がない。
そんなグレイな世界で一躍スターダムにのぼりつめた存在。それは、紫陽花。
は?アジサイ?
いやいや、これがどうして。本当にいい仕事をしてくれているのだ。鮮やかな青。濃淡のバリエーション豊富なピンク。無垢な黄緑がかった白(テッパンカラーだな)。無条件に「キレイ」で心をいっぱいに満たしてくれる。通勤途中、紫陽花を目で追い見つけては、しつこいくらいに愛でる、写メる、いろんな人に送りつける、英語では、hydrangea《植物》/Hydrangea macrophylla《植物》〔学名〕って言うんだよな、とか思い出す、などなど、毎日激しくお世話になっている。
すっかり忘れていたのだが、昨年は紫陽花に思いを馳せるあまり、有給休暇をとってまで鎌倉に行っていた。懐かしいなぁ。あの日は平日でしかも雨が降っていたのに、長谷寺は観光バスが乗り付けて、めちゃくちゃ混んでいたよなぁ。とか思いながら、「鎌倉★季節情報館」をネットで見ていたら衝撃的な文言が。
「今週末であじさいは見納めとなります」
え゛―――――。
鹿児島地方気象台は、本日29日、奄美地方が梅雨明けしたと発表した。東京の梅雨明けはまだまだ先。カビを生やさないように残りの梅雨を乗らなければ...。
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