2月のテーマ:予感
友人になかなかの強運の持ち主がいる。時々、妙にジャンケンの強い人が仲間内に1人はいたりするものだけど、彼女の場合はとにかくクジ運が強い。ビンゴで賞が当たるなんてザラ、たまたま仲が良いという理由だけで、何の関係もない私までその恩恵にあずかった経験数知れず。普段なら手が出せないような高級ホテルの宿泊券が当たり、一緒にスイートに泊まらせてもらったなんてこともあった。
クジが当たるとき、特別な"予感"があるのかと、彼女に聞いたことがある。すると、やはりそれなりに何かを感じるということだった。ほとんどの場合は「なんか当たる気がする」ぐらいの漠然とした感覚らしい。だけど一度、相当な倍率のミュージカルのチケットがその場で当たった時などは、その直前に文字通り、全身に鳥肌が立ったという。
一方の私はというと、そんな強運の友人を持ちながら"運"なんてものとはさっぱり無縁の人生である。いや、そんなことはないか。少なくとも節目節目で、ある程度の運はつかんできたはずだ。その証拠に、これまで何だかんだで楽しく毎日を過ごしてきたし、好きな仕事に就くこともできた。それほど不運とも思えない。そう考えると私の場合、運がないというよりは単に"鈍感"なだけとも言えそうだ。だって「なんかこうなりそう!」と予感が働いた記憶が、過去どれだけ遡っても見当たらないのだから。
考えてみれば、昔からルールを覚えるのが苦手だった。どちらかというと感覚的に物事をとらえるタイプだったから、「○○だから××だ」と理論的にものを考えるクセがまるでないまま、時を過ごしてきてしまった気がする。もう何年も前のことだけど、同僚が「夕食に塩気の強いスープを飲むと、夜中に喉が渇いて困るよね」と言ったのを聞いて、心底びっくりしたことがある。というのも、確かに時々どうしようもなく水ばかり飲みたくなる夜はあっても、その理由なんて考えたこともなかったからだ。でもそれを機に思い返してみれば、喉が渇く夜には、激辛料理を食べていたり、いつにも増してお酒を飲みすぎていたりと、喉が渇くだけの理由が毎回あるように感じた。
例えば悩みを抱えて誰かに相談した時、大抵その相手は自分の過去の経験を基にアドバイスをくれるだろう。つまりその人なりの人生の統計結果から、その人なりの見解を述べてくれる。それと同じように、無意識に日々積み重ねた統計が私たちに"予感"をくれるのかもしれない。
というわけで遅まきながら、2013年の私の抱負は"人生の紐づけ"にしようと思う(ちっとも理論的な話ではないけれど)。あの時の彼のあの一言があったから、私はリンゴ好きになったのかもしれないとか、あの日のあの出会いは、実は今自分が直面しているこの問題を示唆していたのではないかとか、毎日の小さな出来事を1つ1つ紐づけできるようになったら、そのうちそれが私に"予感"を与えてくれるんじゃないだろうか。だとしたら、そうなった時の目の前の同じ人生は、今よりもっと面白おかしく感じられるに違いない。試す価値はありそうだ。