3月のテーマ:応援
自分以外の何かに全力で肩入れし、声援を送るという心理はとても不思議なものだ。その対象が好きだからといって、なぜ応援したくなるのか? なぜ、ただ好きだと思っているだけでは飽き足らないのだろうか?
そんな応援の心理についてはよくわからないけれど、応援するという行為が特別な体験であることはわかる。わりと冷めた性格の僕にも、そんな思い出があるのだ。
僕はかつて、キャンパーだった。それも設備の整った至れり尽くせりのキャンプ場で満足するようなキャンパーではない。ザックにテントや飯ごうやコッヘル(携帯用の調理器具)を詰め、仕上げにカップをぶら下げる、そんないっぱしのキャンパーだった。とはいっても小学生の頃の話なので、そこまでシリアスなキャンプをしていたわけでもない。たいていの場合は1泊か2泊くらいの日程で奥多摩あたりに出かける程度だ。いってみればアベレージ・キャンパーだったわけだが、そんな僕も一度だけ、わりとハードコアなキャンプを体験したことがあった。
ある夏休み、僕は北海道の人里離れた山奥で1ヵ月のキャンプ生活を送った。今でいうNGOのような組織が主催していたプログラムで、河原や山すそを含む広大な土地に無数のテントが張られ、そこで各地からやってきた数百人の子どもがキャンプ生活を送るのだ。そこで子どもたちは特に何をするというわけでもなく、ほとんどの日は1日3食の食材の配給以外には何も予定がない。ただ毎日キャンプをして過ごすことだけが目的の、極めてリベラルな(というべきか)プログラムだった。
だから子どもたちは自主的にキャンプのノウハウを身につけたり、いろんな時間の潰し方を編み出したりした。ある日は近くを通る川の上流を探検してみたり、また別の日は肉を干してみることを思いついたりして、初期人類が飢えの心配をしなくてよくなったらこんな過ごし方をするだろうなというような日々を送っていた。
そんなキャンプ生活も終盤にさしかかった頃、ある一大イベントが催された。「合戦」である。参加者を2チームに分け、それぞれの陣地(一方は山の中腹、もう一方は川沿い)に自チームの旗を立てる。参加者は頭にはちまきを巻いてそこにお麩(焼き麩)をぶらさげ、そのお麩が取られたり割られたりした者は脱落となる(なぜお麩なのかはわからない)。そして最終的に、敵陣内深くにある相手チームの旗を奪ったチームが勝利するというルールだった。
充実しながらもめぼしい変化のなかった日々に降ってわいたこの壮大なお遊びに、みんな熱狂した。子どもたちは険しい茂みをものともせずかき分けて奇襲攻撃をしかけたり、侵入してきた敵を一網打尽にするべく無数の穴を掘ったりと、あらゆる手を使って勝利を目指した。
攻防は半日にわたって続いた。いくつもの作戦が打ち破られ、何人もがお麩を割られて脱落していった。そして僕が15人くらいの子と敵陣に向けてとぼとぼと移動していた時、味方の側面攻撃隊が開けた山腹にぽつんと立つ大木を取り囲むのが見えた。その木のてっぺんには敵チームの旗が立っている。
周りにいた子たちは、僕も含めてみんな砂ぼこりにまみれて疲れ切っていたが、その様子を見るなり、ありったけの声を上げて声援を送り出した。低学年くらいの子も中学生くらいの子も、誰もが一心不乱に叫んでいた。
実を言えば、この時すでにタッチの差で川岸に立っていた僕たちのチームの旗は奪われていた。でも周りの誰もまだそのことを知らなかったし、僕たちは残りの体力を振りしぼって一丸となって声援を送っていた。声をあげるごとに気分は高揚し、力がみなぎった。それだけですでに勝利を収めたような気持ちになっていた。
その夜、僕は一緒に行動していた子たちと集まって火を熾し、その周りに座って時間を潰していた。ゲームには負けたけれど、不思議なことに誰もが妙に満足げな様子で火を眺めている気がした。僕はぼんやりと、山腹の木に向かって大声を張り上げていた時のことを考えていた。隣の子に今日何が一番面白かったかと聞くと、山腹の木に向かって大声を張り上げていた時だと言った。
今でも、あの木と、それを取り囲む頼もしい連中の姿と、そして僕たちの怒号のような声援ははっきりと思い出せる。そしてあれから今日に至るまで、誰かに対してあれほど精一杯の声援を送ったことはないんじゃないかと思ったりする。