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vol.158 「お涙頂戴」 by 小笠原ヒトシ


4月のテーマ:涙

涙、または涙を流すという生理現象が、映画やテレビをはじめ多くのエンターテイメントの世界ではキーワードとなっている。

特に宣伝においては、「涙なくしては観ることができない」というキャッチコピーがあったかと思えば、映画を見終えた観客(もしくはそういう設定の役者)が「もう感動して涙が止まりませんでした」とか言っているコマーシャルがある。「汗と涙の結晶」というフレーズには、どんな結晶だとツッコミたくなる。

どうもこうした感情を押しつけるような宣伝には、なじめない。宣伝する側が、その映画がどんなストーリーで、どんな俳優が演じているのかという情報だけでは、その作品の魅力を十分に伝えきれないと思ってるのだろうか。はたまた観客自身が、誰かの意見や感想を聞いてからではないと、観るかどうかの判断を下せなくなってしまったのか。

そういう自分も、ネット通販やレストランガイドのサイトを見るときは、必ずコメント欄をチェックして誰かの意見を参考にしているが、それは製品のスペックと値段を客観的に比較しているのであって、他人の抱いた感情を押しつけられていることとは違うのだ。

そこにいくと同じく「涙」をうたい文句にしているものであっても、昔ながらの「お涙頂戴」というフレーズは潔い。思い切りがよい。一般的には「この映画はお涙頂戴の映画でして...」などと言おうものなら、俗っぽい、安っぽい、みみっちいというマイナスイメージが強烈で、むしろ嫌悪感を抱かれてしまうのだろうが、「私は泣いたけど、あなたが泣くかどうかは分からないわ」という中途半端なことは言っていない。「観客を泣かせるように作っています」という明確なメッセージが届いてくる。「頂戴」、すなわち「泣いてください、お願いします」とへりくだってさえいて、実に吹っ切れているのだ。

いずれにせよ、笑ったり、悲しかったり、感動したりして涙を流すような映画やテレビドラマに出会えればよいのだが、あくびをしり、目にゴミが入ったりしたりするときに出る涙でなければ、良しとしよう。