5月のテーマ:寄り道
これまでの人生、寄り道ばかりしてきた。大概ろくな目にあわないと分かっていながらも、いざとなると目的地とは逆方向の道を選んでしまう自分がいる。
小学生の頃は、学校帰りの小さな寄り道が何よりの楽しみだった。親の注意はそっちのけにして、近所の広場でカマキリを捕まえたり、友達の家に寄ってみたり、毎日のように道草を食いながら帰宅していた。中学生にもなれば、そんなことを続ける子はあまりいないのだろうが、僕は相変わらず寄り道グセが直らず、とうとう親の注意を長年無視してきたバチが当たった。ある日、いつものように友達とふざけながらフラフラと遠回りして帰っていると、部活用にレンタルしていたヴィオラを途中で失くしてしまったのだ。どこで落したんだろう・・・先生になんて説明しよう・・・弁償金はいくらだろう・・・親に殺される・・・。そんな思いが一通り脳裏をよぎると、頭の中が真っ白になり、その場で泣き崩れたのを今でも鮮明に覚えている。尋常じゃない泣き方だったのだろう、一緒にいた友達は本気で引いていた。
小さな寄り道は、迷子や遅刻の原因にもなるのでいい大人がすることではないと思うが、経験上、人生の寄り道と呼べるような思い切った決断となると、その向こうには必ず新たな発見が待っている。現にこうして映像翻訳の仕事をさせてもらっているのも、思えば大きな寄り道から始まった。少なくとも、大学を卒業してアメリカから帰国すると決めた時点ではそのつもりだった。あれから早9年、しばらくは帰国後も寄り道に寄り道を重ねて転々としていたが、映像翻訳に出会ってからは、アメリカに戻って永住するというそれまでの長期プランはご破算になり、ようやく軌道修正できて今は進むべき道が見えている。
ちなみに例のヴィオラはというと、あの後、立ち直れずひたすら号泣している僕を見かねた友達が慌てて辺りを探してくれて、思いのほかすぐに出てきた。逆に申し訳ないぐらい呆気ない結末。それでも他の仲間の前ではこのエピソードについて一切触れないでいてくれた友達には感謝の気持ちでいっぱいだ。