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2013年6月 アーカイブ

vol.161 「衣替え」 by塩崎 邦宏


6月のテーマ:衣替え

私が通っていた中学校では、衣替えはピンポイントで決まっていた。5月31日まで冬服を着ていて6月1日からは全校生徒が一斉に夏服になる。暑さ寒さによってどちらを着ても良いという移行期間がないのだ。でも、それはそれで新鮮だった。昨日まで一緒に過ごしていた友達がいつもと違って見えてくる。お互いちょっと気恥ずかしさがあり教室の中も一気に明るくなる。好きだった女の子もいつもより眩しく見えたりした。テンションも上がり、友達と意味もなく廊下を走り先生に怒られたりもした。

実家に住んでいるときは私服もちゃんと衣替えをしていた。というか親がしてくれていた。今思うと本当にありがたい。しかし、一人暮らしを始めてからは収納スペースがなくなったこともあり、衣替えをしなくなってしまった。もちろん、コートやジャケットなどはクリーニングに出すが、そのままクローゼットに戻すだけだ。夏に着る半袖シャツやTシャツも同じ部屋のタンスの中にある。そして、ただそれを出して着るだけなので衣替えをしている感覚がない。

衣替えのように、身近な環境が変わることによって心も一新して何か新しいことや今まで挑戦したことのないことに自然と目が向いているときがある。

学生時代、私は授業の英語が大嫌いだったが洋画や海外TVドラマは大好きだった。そのこともあり、いつか英語ができるようになりたいという願望はずっと心の奥底に持っていた。いつも着慣れないスーツを着て就職活動をしていたとき、今、英語を勉強しないとこのまま一生何もやらないなと思い一念発起した。せっかく英語を勉強するなら好きなドラマに字幕をつけたいと夢を抱き、映像翻訳者を目指した。結果、立派な翻訳者にはなれなかったけど、何本か翻訳の仕事をさせていただいたことにとても感謝している。もし、あの時思い立たなかったら今でも勉強しておけばよかったとずっと後悔していたと思う。

基本、私は何をやるにも"石橋をたたきすぎる"傾向がある。結局、考え過ぎて何も行動をしなかったということがたくさんある。チャンスやきっかけがあったのに一歩を踏み出さずに終わってしまう。何か始めようと思うきっかけはどこにでもあり、いつ始めるかは自分で決められる。まさに"思い立ったが吉日"だ。衣替えも、気分を一新して何かに挑戦する良いきっかけになるのではないだろうか。今年の夏はいつもより少しちゃんと衣替えをして新しく前に一歩踏み出してみよう。自分の世界がもっと広がり新しい自分を見つけられることに期待をして。


vol.162 「夏服界における絶対的存在。」 by浅川 奈美


6月のテーマ:衣替え


6月、冬服から夏服への衣替え。
一斉に紺色ブレザーから白シャツ一色に変わった教室は、一段と明るく感じたものだ。視覚的効果は抜群。梅雨前線が絶賛活発なこんな季節でも、気持ちは一気にアゲアゲだ。そう、ウキウキのワクワクが止らなった制服を着ていたころの夏。

中学・高校において冬服から夏服への移行は5月下旬から6月初旬。そして冬服へ戻るのは10月。時期については地域にもよるが、大体こんな感じだ。中高ともにブレザーの学校に通った。夏は、ブレザーなし、セーターなし、シャツ一枚。3年目になるとテカってきちゃうような通気性のいい薄手素材のスカートといったスタイル。1年のうちに4ヶ月くらいしか夏服って着てなかったんだなと今更ながら気づいてちょっとさびしくなった。私は夏服が好きだった。

「だってあそこの制服かわいいじゃん」
っていうのは、進学校を選ぶ理由としていまだに健在なのか?この少子化時代、一人でも多くの生徒獲得のために伝統の制服デザインを一新、チェックのスカートとブレザーに変えちゃいました、なんて学校も実際あったであろう。それと、都内でのセーラー服遭遇率がめっきり減ったことと関係性を否めない。『あまちゃん』でも、この変化は見られる。母親・春子が通っていた時代はセーラー服だった北三陸高校の制服も、娘・アキが通う現代ではブレザーになっている。セーラー服は、私にとって、一度も袖を通したことのない、あこがれのままあり続ける存在だというのに、世間ではもはや斜陽アイテムなのだ。そんな危惧とは無関係にアニメの世界では圧倒的な存在感を示している。月野うさぎだってセーラー服あっての超有名戦士だし(ちょっと古いが、避けては通れない。その人気、世界レベル)、涼宮ハルヒが通う県立北高校では、男子はブレザーでも女子はセーラー服(amazonではウィッグ付きで\4,999で買えます)。咲ちゃんだって、日暮かごめだって小松崎海だって(昭和過ぎ?)セーラー服を着ているのである。まぁ、例を挙げればきりがない。

不思議な論調で本日のコラムを書いているのは本人が一番気づいている。だが、多大な影響を私に与えたこの作品に触れずにはいられない。1981年制作の角川映画『セーラー服と機関銃』(相米慎二監督)である。この作品のポスターを覚えているだろうか?セーラー服を着たショートカットの薬師丸ひろこが、まん丸の目を見開いて機関銃を高々持ち上げている、あのビジュアル。今見てもかなりの"キュン"ものだ。あのわき腹をほーんの少し見せるか見せないかで、このポスターの魅力は格別に変わる気がする。1990年代後半に安室奈美恵をきっかけに流行した腹見せファッション。腹見せ、へそ出し、へそピー(ピアス)姿の女子たちがそここちらに出現したのだ。しかし、この映画はそれよりずっと前。1981年制作。あのポスターに見る薬師丸ひろこのわき腹は、当時、効果絶大、男子のみならず女子の心までグッとつかんだのであった。たぶん。夏のセーラー服。1920年ぐらいからずっと日本の学校に制服として採用されつづけたデザインにはそんな絶対領域(※注)があったのだっ。たぶん。

「僕はあのポスター大好きですが、同時に悲しくなりますよ。
どんなにキュンとしても、はなから渡瀬恒彦にはかなわないんだろうなという...
敗北感が心に広がるんです。」

同世代の某ディレクターのちょっと切ない、いや、かなり痛いコメントを紹介して本日のコラム、終わり。

【※注:絶対領域】
スカート、ショートパンツなどのボトムスとニーソックス(サイハイソックス)を着用した際にできるボトムスとソックスの間の太ももの素肌が露出した部分を指すオタクの使う萌え用語。
(Wikipediaより)