発見!今週のキラリ☆

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2013年11月 アーカイブ

vol.170 セーフティネット by 桜井徹二


11月のテーマ:学び

 「他人が自分に下す評価というのは、ホッキョクグマがカバに下す評価みたいなものだ」。
だいぶ前に読んだ小説にこんなセリフがあった。この発言が出てくる経緯は忘れてしまったし、カバに対するホッキョクグマの評価というのもなかなか興味深いけれど、要するにこの発言の意図は「他人からの評価はあてにならない」ということだった。

 僕は周囲の人に「几帳面そう」だとか、「効率性を考えて行動している」などと評されることがある。でも、これもやはり"ホッキョクグマ・カバ的な評価"で、実際には全然そんなことはない。几帳面で効率重視どころか、けっこうな面倒くさがりやだし、どちらかと言えばわりといい加減な性格だ。

たとえば、仕事で毎月やらなければならないややこしい計算があるとする。毎月面倒くさい作業をするとなると、自分の性格上、放り出してしまってあとでもっと面倒なことになるのが目に見える。だからしかたなく計算を自動化するためのエクセルを作ったりする。傍目にはそれが「効率重視」と映るのかもしれないが、実際にはその原動力は「面倒くささ」にすぎない。

打ち合わせの予定やタスクなどをこまめにスマートフォンに書き込んでいるのも「几帳面」と捉えられるかもしれない。だがこれはたんに記憶力が悪くて、週1の定例のミーティングでさえも忘れてしまうから、リマインダーをものすごくこまめに設定しているだけである(それでもよくすっぽかしてしまうのだけれど)。

というように、どれも几帳面・効率重視な性格というのが理由ではなく、ただ自分自身が怠惰でなかなか学ばないことを自覚しているから、自動計算やリマインダー機能を使って身の回りにセーフティネットをはりめぐらせているだけのことなのだ。

そのおかげで一応は人に几帳面と評されるくらいの日常を送れているわけだが、それでも、セーフティネットがうまく機能せずにボロが出ることも少なくない。

今住んでいる家のすぐそばに、市立第一中学、略して「一中」がある。深夜にタクシーで帰るような時には、運転手さんに「一中の前で止めてください」と言う。ところが、またその少し先に第2小学校、略して「二小」があるため、情けないことにこの2つを混同してしまい、行き先として告げるべきなのは「一中」だか「二中」だかがわからなくなってしまう。

そこで考え出したセーフティネットは「語呂合わせ」である。くだらない語呂のほうが覚えやすいだろうということで、「もういいっちゅう(一中)ねん」と覚えることにした。さらに調子に乗って「もういいっちゅう(一中)ねん、ほんまにしょう(二小)もない」と二小まで組み込んでみて、なかなかうまい語呂を考えたものだとひとり悦に入っていた。

ところが、いざタクシーに乗って行き先を告げようとすると、このセーフティネットがうまく機能しないのだ。「もういいっちゅうねん」という言葉自体がぱっと出てこなくて、「たしか関西弁のツッコミみたいな言葉で...」から考えているうちに、どんどん最終地点が遠のいていく。

やはりエクセルの自動計算やリマインダー機能に頼るばかりではなく、人間自身が学ばなければいけないのかもしれない。

vol.171 学びの場 by 野口博美


11月のテーマ:学び

この数年で一番勉学にいそしんだ時期といえば、やはり日本映像翻訳アカデミーに通っていたころのことでしょう。

お酒大好き!な私が、同僚や友人との飲み会を最小限にとどめて1年半、毎週課題に取り組みました。土日はもっぱら図書館に通い、調べもののための書籍を借りまくる休日の繰り返し。今週は車のエンジンオイル関連、次の週はモモアカノスリの生態に関する書籍を大量に借りていく私を、図書館で働く人々はどう思っていたのでしょうか。

講義を受けた帰りには次週の課題のスクリプトを電車の中で読んだり、課題の納品時間ギリギリまで見直しをしたりと、とにかくものすごい労力を学びに費やしていました。あのころのバイタリティは一体どこへ消えてしまったのか...。あのエネルギーがあれば、何でもできるような気がします。

それほど課題に時間をかけられたのも、当時の職場の仕事量が比較的少なかったからでしょう。貿易会社で働いていましたが、朝日新聞の用語の手引がデスクの上にたたずんでいても、何も言われないというかなり恵まれた環境にいました。そのころは"なんてラッキー!"としか感じませんでしたが、今思い返すとかつての同僚、上司に対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。

そんな感じでひとり黙々と映像翻訳を学んでいた私は、極度の人見知りであることも手伝い、基礎コース・Ⅰ(現在の総合コース・Ⅰ)の終盤まで、クラスで当てられて発言する以外はひと言も言葉を発さずに学校を後にしていました。でもある日、1人のクラスメイトが私に声をかけてくれたことで、彼女や他のクラスメイトとその日の課題の内容や勉強するうえでの悩みなどを話し合うようになり、それまで抱いていた将来への不安が少なくなったように思います。同じ目標を持つ仲間の存在にとても勇気づけられたものです。

最近では、みんな忙しくて会う機会もめっきり減りましたが、映像翻訳を学ぶために足を踏み入れた学校で、翻訳のノウハウだけでなく友人も得られたなんて、とてもありがたいことだと思います。その後、縁あってアカデミーでディレクターとして働くようになり、やがては自分が講義で教える立場になるとは...。人生何が起きるか分かりません。

話がそれましたが、現在、クラスを受講中の皆さんも、クラスメイトと親睦を深めながら楽しく学んでもらえればと願っています!