vol.170 セーフティネット by 桜井徹二
11月のテーマ:学び
「他人が自分に下す評価というのは、ホッキョクグマがカバに下す評価みたいなものだ」。
だいぶ前に読んだ小説にこんなセリフがあった。この発言が出てくる経緯は忘れてしまったし、カバに対するホッキョクグマの評価というのもなかなか興味深いけれど、要するにこの発言の意図は「他人からの評価はあてにならない」ということだった。
僕は周囲の人に「几帳面そう」だとか、「効率性を考えて行動している」などと評されることがある。でも、これもやはり"ホッキョクグマ・カバ的な評価"で、実際には全然そんなことはない。几帳面で効率重視どころか、けっこうな面倒くさがりやだし、どちらかと言えばわりといい加減な性格だ。
たとえば、仕事で毎月やらなければならないややこしい計算があるとする。毎月面倒くさい作業をするとなると、自分の性格上、放り出してしまってあとでもっと面倒なことになるのが目に見える。だからしかたなく計算を自動化するためのエクセルを作ったりする。傍目にはそれが「効率重視」と映るのかもしれないが、実際にはその原動力は「面倒くささ」にすぎない。
打ち合わせの予定やタスクなどをこまめにスマートフォンに書き込んでいるのも「几帳面」と捉えられるかもしれない。だがこれはたんに記憶力が悪くて、週1の定例のミーティングでさえも忘れてしまうから、リマインダーをものすごくこまめに設定しているだけである(それでもよくすっぽかしてしまうのだけれど)。
というように、どれも几帳面・効率重視な性格というのが理由ではなく、ただ自分自身が怠惰でなかなか学ばないことを自覚しているから、自動計算やリマインダー機能を使って身の回りにセーフティネットをはりめぐらせているだけのことなのだ。
そのおかげで一応は人に几帳面と評されるくらいの日常を送れているわけだが、それでも、セーフティネットがうまく機能せずにボロが出ることも少なくない。
今住んでいる家のすぐそばに、市立第一中学、略して「一中」がある。深夜にタクシーで帰るような時には、運転手さんに「一中の前で止めてください」と言う。ところが、またその少し先に第2小学校、略して「二小」があるため、情けないことにこの2つを混同してしまい、行き先として告げるべきなのは「一中」だか「二中」だかがわからなくなってしまう。
そこで考え出したセーフティネットは「語呂合わせ」である。くだらない語呂のほうが覚えやすいだろうということで、「もういいっちゅう(一中)ねん」と覚えることにした。さらに調子に乗って「もういいっちゅう(一中)ねん、ほんまにしょう(二小)もない」と二小まで組み込んでみて、なかなかうまい語呂を考えたものだとひとり悦に入っていた。
ところが、いざタクシーに乗って行き先を告げようとすると、このセーフティネットがうまく機能しないのだ。「もういいっちゅうねん」という言葉自体がぱっと出てこなくて、「たしか関西弁のツッコミみたいな言葉で...」から考えているうちに、どんどん最終地点が遠のいていく。
やはりエクセルの自動計算やリマインダー機能に頼るばかりではなく、人間自身が学ばなければいけないのかもしれない。