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vol.174 「縁起を担いでポジティブに!」 by齋藤恵美子


1月のテーマ:縁起

私はあまり縁起を気にすることのない環境に育ち、縁起を担いだりしない毎日を送ってきたような気がする。それは、祖父母や両親がそうだったからだろうとずっと思っていた。何しろ母に至っては、厄年のお祓いに出かけた神社で、神主さんをお祓いしちゃったという逸話があるほどだ。厄年の女性数名が神主さんのお祓いを受けた後、横並びの列の先頭にいた母に神主さんから御幣(白い紙を挟んだ木の棒というか笏のようなもの)が渡された。どうすればいいか分からず慌てた母は、思わず神主さんが自分にやってくれたとおりに、神主さんに向かって御幣をシャシャシャーと振り、御幣をお返ししたという。ほんとうは、ただ御幣をかしこみいただいてお返しすればいいだけだったらしい。家族みんなで大笑いした覚えがある。

ただ、この文を書くにあたって、これまでのことをいろいろ思い出してみると、私の祖父母も両親も意外に縁起を意識して暮らしていたのではないかと思えてきた。

1つ思い出したことがある。昔、実家の裏庭は小学生が集まってボール遊びができるくらいの広さがあり、その中ほどには深い井戸があった。ある時、道路の拡張のためその裏庭に家を移動することになり、井戸の上に家が建つことになった。どうも井戸をつぶしてその上に家が建つことは縁起的には問題があるらしく、両親はその井戸を埋める前に神主さんに頼んでお祓いをしてもらっていた。その情景が今でも目に浮かぶ。

また、両親は初詣をかかさなかったし、厄年のお祓いもしていた。毎月祖父母の命日にはお坊さんを家に呼んでお経をあげてもらっていたし、もちろんお盆のお墓参りもかかさなかった。

縁起にかかわる儀礼的なことを続けるのは、先祖から伝わってきた習慣で当たり前なのかもしれないが、きっとそれをすることで、両親は安心感を得ていたのではないだろうか。たとえ、厄払いした帰り道ですべって転んで膝をすりむいても、途中で買った宝くじが当たらなくても、車をぶつけて前がへこんでも、なんとか元気に帰宅出来たのは、きっと厄払いをしたおかげと思っただろう。お祓いを受けていなかったら、もっと悪いことになっていたかもしれない。

縁起をしっかり担いで、お墓に参り、神社に詣で、そして厄を払えば、わが身に降りかかる多くのことをポジティブに受け入れられるようになるのかもしれない。私もこれからは、縁起を担いで少しくらい悪いことがあっても、positive thinkingに徹していこうかな。