「 ロード・オブ・ザ・リング」の主人公たちに見る'揺れ'の考察
「ロード・オブ・ザ・リング」が世界中で大ヒットを記録しています。
その理由は様々で、もはや言い尽くされた感もありますが、私なりに思うところを綴ってみました。
まずは「BOX OFFICE」発表の全米興行成績を調べました。2002年2月時点で約3億ドル。既にベスト10からは姿を消していたので、その後の追加を考えてもざっと3億2000万ドルくらいでしょうか。「ハリー・ポッター」が3億1000万ドルですから、ほぼいい勝負といったところ。「タイタニック」の全米6億ドル、全世界9億ドルには遠く及びそうにありませんが、全米3億2000万ドルというのは「フォレスト・ガンプ / 一期一会」、「ライオン・キング」あたりと同じ業績で、歴代6~7位にランキングされます。名実共に大ヒット作です。
この映画のある側面が、特異なほど日本的であることに痛く共感を覚えるとともに、世界中の人々がこの作品を評価したことに正直驚いています。
主人公らの醸し出す「自虐的なヒロイズム」は、これまでのハリウッド作品にありそうでなかったもの。「スター・ウォーズ」や「シュレック」が大好きというアメリカ人には新しく、「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」の洗礼を受けた日本人には懐かしい。そんな古くて新しいヒーロー像を解読することは、今後のハリウッド大作の方向性を占ううえで、大いに役に立つと思われます。
主人公らは偶然背負った運命を時に呪い、自信を失い、自らの価値を問い続けます。これまで受け入れられてきた「ファンタジー」とは対極にあるような「リアリズム」です。原作の「ホビット」、「指輪物語」に忠実であることがこの映画のウリの一つだと言われていますが、古典的なストーリーに忠実であるだけでは、この21世紀にリアリティは生まれません。
公開時の宣伝の謳い文句は「友情と自己犠牲、サバイバルと勇気」などといったちょっと気恥ずかしいものですが、ほんとうにそれを表現したいだけならば、カルトな作品の制作にしか実績のないピーター・ジャクソンが監督に抜擢された理由の説明がつきません。
監督はおそらく日本のアニメをよーく研究しているのではないか、そう思えてならないのです。全編を通じて描かれる、ヒーローであるはずの主人公たちの心の'揺れ'(不安、自信の無さ、苦悩、消極性)は、日本のアニメ作品「機動戦士ガンダム」シリーズの主人公、アムロ・レイやカミーユ・ビダンのそれに酷似しています。子供たちまでをも視聴者対象にするハリウッド映画の大作で、そのような主人公たちが登場するものは、あまり私の記憶にありません。
なかば無理やりヒーローに仕立て上げられた人間の心の歪みを、底抜けにわかりやすい勧善懲悪劇に投影する手法は、まさに日本のマンガやアニメのお家芸でした。ガンダムにしても、サスケにしても、星飛雄馬にしても、壮大な設定と圧倒的な戦闘シーン(陽)が、常に主人公の自虐的ヒロイズム(陰)と対をなしている様は見事でした。「ロード・オブ・ザ・リング」の主人公たちは、私たちが心の片隅で渇望しているそんなヒーロー像にピタリと当てはまるのです。
「ハリー・ポッター」との比較で興味深いのは、伝説の巨人トロルと闘うシーンです。両作品(第1作)に登場します。従来のハリウッド映画的に(「ホーム・アローン」のカルキン少年VS悪者のように)痛快に闘ってみせる「ハリー・ポッター」に対して、リングの子らは、まるで学徒出陣の様相を呈している。目的を見出せない戦い、まるでベトナム戦争を描いた「プラトーン」、あるいは「ディア・ハンター」...。
時々は、こんな視点を思い出して映画・ドラマ・アニメ・小説を読み解いてみて下さい。(了)