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2002年6月 アーカイブ

「鉄腕アトム」の生みの親、手塚治虫氏は負けず嫌いだった

NHK-BSで不定期に放送されている「マンガ夜話」。

話題のマンガや名作について文化人が熱く語り合うユニークな番組です。2004年4月の放送では手塚治虫さんを特集していました。私が興味を持ったのは「手塚治虫先生は、誰もが認める国民的マンガ家。なのに、どんなに尊敬される立場になっても負けず嫌いな性格は変わらなかった」というエピソードです。

若手のマンガ家に会うと必ず「私はキミと同じタッチで絵が書けるんだゾ」と、自分から議論を挑んできたのだそうです。'神様'としてのたしなめではなく、本人は至ってまじめだったといいます。
まるで子供!究極の負けず嫌い!新しい作風やアイデアがいつも気になっていて、マンガ界のトップに立ってもまだ、「進化を続けよう、腕を磨いていくぞ」というわけです。同時に感心したのは、恐らく当時は"日本で最も忙しい人"の一人であったはずの手塚治虫さんが、続々と登場する新人マンガ家の作品の隅々までに目を通していたという事実です。それはトップとしての誇りなどとは無縁の、純粋な「負けず嫌いの気持ち」が生む力だったのではないでしょうか。

わが身を振り返ると、「忙しいから、仕事に直接つながらないことだから」などと自分自身に言い訳して、「ほんとうは今、腕を磨くために理屈抜きで没頭しなければいけないこと」を後回しにする機会が何と多いことか!
今、行動を起こすのに理屈が必要なら「負けず嫌いだから!」だけで十分なんだと思います。今、単語を覚える、ビデオを観る、映画を観に行く。それができない、やらない自分に言い訳は無用だと、手塚治虫さんのエピソードは教えてくれます。負けず嫌いだから知らなきゃ悔しい、できなきゃ悔しい、だから今やる...。それでOKなんです。(了)

天国への階段/韓国サッカーの遺伝子

0対1。

「FIFAワールドカップ2002」の決勝トーナメント1回戦で、日本チームがトルコに敗れた瞬間、国中が失望感に包まれました。いやいや、グループ・リーグでは初の勝ち点と初勝利を獲得し、初の決勝トーナメント進出という期待以上の活躍に、我々は大いに満足すべきじゃないか...そう頭ではわかっていても、心と体がついてこないのは、私だけではないはずです。
その数時間後、お隣り韓国を勝利の雄叫びと歓喜の渦が覆い尽くしていました。優勝候補イタリアを破ってベスト8進出を決めたのです。開催国として、これ以上の満足感、達成感はないでしょう。
韓日の境遇は、まるで天国と地獄。口ではおめでとうと言えるが、心の底から湧きあがってくるのは韓国に対する嫉妬、そして劣等感ばかり。この日の「ニュース・ステーション」では、キャスターの久米宏さんが韓国サポーターの応援の仕方を手で真似しながら、おおげさに落胆の表情を見せていました。(韓国のサポーターの皆さん、どうぞはしゃいで下さい、喜んで下さい。どうせ日本は負けましたよ。)そんなメッセージなのでしょう。あるいは、国民の代弁者を自認する彼一流のウィットか...。
人の振り見て我が振り直せとは、よく言ったものです。何か腑に落ちない気持ちが私の心をよぎりました。「我々は、韓国の勝利に、そんな感情だけでケリをつけていいのか?」――。

時間は遡り、1986年。社会人1年生として世間の厳しさに揉まれつつ憂鬱な日々を送っていた私を勇気づけてくれた、一つの出来事がありました。
ワールドカップ・メキシコ大会。ワールドカップといっても、楽しみにしていたのは私のような根っからのサッカーファンくらいで、NHKだけが中継を深夜か早朝にひっそりと放送していた、そんな時代です。決勝戦の結果ですら一部のニュースでしか取り扱われないような状況でした。
日本はアジア予選で早々に敗退していましたが、韓国は1954年のスイス大会以来、32年ぶり2度目の出場を成し遂げていました。欧州や南米のサッカースタイルとスター選手に憧れていた私は、隣国のチームが最高峰の舞台に立つことを素直に喜ぶ気持ちもありましたが、それとは裏腹に'アジアのチームなんて場違いだな'というような複雑な感情を抱いていたのも事実です。
韓国の1次リーグの初戦は優勝候補のアルゼンチン。目を背けたくなるような一方的な試合になることも覚悟しながら中継を見守りました。
しかし、そんな想いをすべて吹き飛ばしてくれる瞬間が訪れました。私の目に今も焼きついているのは、韓国人ストライカー、バック・チャンソンの地を這うような鋭く正確なロングシュートが、アルゼンチン・ゴールに突き刺さった場面です。
結果は1対3の完敗。でも涙が溢れました。今、アジアの片隅にいる自分と、あの華やかなワールドカップは、韓国チームの果敢なチャレンジによってつながっているのだと感じました。翌日は友人たちと、それぞれの感動を語り合いました。

日本人の多くがまだサッカーに関心を抱いていなかったその時代に、韓国サッカーとファンたちは、どのような状況にあったのでしょうか。当時、遥かメキシコに代表チームを送り出した韓国サポーターたちは、きっと、今日までの16年間もサッカーを愛し、そしてこの大会でも同じように声援を送っているのでしょう。それは、ここ数年で人気が広がり、ワールドカップ2回目の出場にして本国開催という恵まれた状況にある日本と比べて語るべきものなのでしょうか。彼らの喜びは、ロシア戦での稲本のゴールに沸いた日本のサポーターの喜びと同じなのでしょうか。この先韓国が破れることがあるとしたら、その無念さと達成感は、我々日本人のそれと同質と言えるのでしょうか。

それを知る手立てとして、韓国の「ワールドカップ戦史」を見てほしいと思います。その軌跡はまさに'忍耐と不屈の精神'の歴史です。

【1954 スイス大会】予選の成績
対 ハンガリー 0 : 9 敗
対 トルコ    0 : 7 敗

【'86 メキシコ大会】予選の成績
対 アルゼンチン 1 : 3 敗
対 ブルガリア  1 : 1 引き分け
対 イタリア    2 : 3 敗

【'90 イタリア大会】 予選の成績
対 ベルギー   0 : 2 敗
対 スペイン 1 : 3 敗
対 ウルグアイ 0 : 1 敗

【'98 フランス大会】 予選の成績
対 メキシコ   1 : 3 敗
対 オランダ   0 : 5 敗
対 ベルギー  1 : 1 引き分け

これを見て皆さんはどう感じるでしょうか。敗戦と屈辱の歴史、それでもチャレンジし続けた忍耐と努力の歴史。韓国サッカーとサポーターたちに組み込まれた48年分の遺伝子は、今大会で開花すべくして開花した、私にはそう思えてなりません。
1986年、私が見つめる中でアルゼンチンのゴールにたたき込まれたシュートは、それ以前の32年間の願いがこもった、ワールドカップ初ゴールだったのです。それは、韓国サッカーにとって'天国への階段'の第一歩だったのだと、思えてなりません。
久米宏キャスターはそんな歴史を知っていたのでしょうか。否、そんなことよりも、彼のパフォーマンスに共感しかけていた私が愚かでした。この大会で、日本は確かに'天国への階段'に足をかけたのです。そのことを素直に喜ぼうではありませんか!
ワールドカップに果敢に挑み続けてきた韓国サッカーは、誇るべき遺伝子を有しています。それは、国境とは無縁に尊ぶべきものであるように思えます。今大会での韓国チームの快進撃を、日本人が妬む理由はどこにもないと私は考えます。もう一度その歴史を見直してほしいのです。サッカーを愛し、自国のチームを支え続けた半世紀の軌跡は、日本サッカーとサポーターにとっての良きお手本になるはずです。お手本は立派なほどよいということに、誰も異論はないでしょう。
日本サッカーの8年後、12年後を思うならば、今は素直に韓国のベスト4、いや優勝を願おうではありませんか!(了)