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2004年1月 アーカイブ

サラバ、手を抜く人

私は"そこそこ上手くやろうとする人"が嫌いです。そこそこ上手くやろうとする人は、仕事や役割を与えられると真っ先に「合格の最低ラインはどこか?」を気にします。あるいはずる賢く合格点のボーダーを見極め、そのちょっと上にいれば責任は果たせると決めてかかります。「まあ、こんなもんでいいだろう」と自分勝手に思い込んでしまうことがクセになっています。そしてそれ以上の努力をすることを、「損をした」と考えてしまいます。
要領がいい人と言えば聞こえがいいが、ほんとうのところは「手を抜く人」です。相手の顔色、条件、周囲への体裁、自分の今のコンディション、他の仕事との兼ね合い......そこそこ上手くやろうとする人が手を抜くために思いつく言い訳は、探せばいくらでも転がっていますから。
手を抜く人は、仕事の内容が評価されなくても傷つきも反省もしません。口では「ゴメンナサイ」と言っていても、ほんとうに反省なんかしていないのです。「時間がなくて...(時間があれば私はできる人)」「他に仕事が重なって...(一つに集中すればできたはず)」「初めての素材なんで...(調べ物が多すぎる!他の素材ならもっとできた)」「マイナーな作品なんで...(自分が好きなテーマなら力を出せたのに)」「ギャラが安いんで...(この程度の金額で1週間もつぶせないよ)」......。
そんな風に、自分の仕事に"言い訳のための余白"を用意しておけば、力不足を指摘されても傷つかなくて済みます。「だって全力じゃなかったんだから」と、無意識の計算をしているのです。そんな人は、一見小心者で繊細な人のように見えます。しかし、その人が全力で取り組んでくれると信じていた、パートナーや周囲の人の心を深く傷つけていることには気づかない。
繊細な振りをした鈍感な人。

と、厳しく書きましたが、これは「プロ中のプロ」を目指す過程で誰でもぶつかる壁なんです。私などはむしろそんな期間が長すぎた気がします。自分に厳しく、目の前の仕事を通じて一歩でも前に進もうという高い意識を持てば、一瞬で通り過ぎることができる落とし穴。ここを乗り切れるか否かで、プロとしての将来が決まると言っても過言ではありません。
当校の受講生、修了生の皆さんには、そんな障害物を軽々と乗り越えてほしいと願っています。私は、自分自身がそれに気づかずにいた期間に、浪費した時間と人に迷惑をかけた苦い経験をもとにして、皆さんをお手伝いしたいと考えています。
先日、元プロ野球の投手であり、何度も選手生命を脅かされるようなどん底から這い上がって、日本中のファンに感動を与えた村田兆治さんのお話しを聞く機会がありました。打たれても打たれても、左手の腱を切り取って右肘に移植するという大手術を受けてまでも、「先発完投」にこだわって剛速球投を投げ続けた"全力の人"として知られています。
村田さんは今、北は利尻島から南は小笠原諸島まで、日本各地の離島を巡って子供たちに野球を教える活動を続けています。その様子はテレビ番組などでも時々紹介されています。野球なんてやったこともないであろう子供たちにグローブを与え、戸惑い気味の子供の顔など気にする素振りもなく剛速球を投げ込む村田さん。私はそれを観て、「テレビカメラをちょっと意識したパフォーマンスだろう」程度に思っていました。
しかし、村田さんの話を聞いているうちに、恥ずかしながら涙が浮かんできました。
現役を引退して(これから何を心の糧にして生きていけばいいのか)と悩んでいた頃、北海道の小さな村から「子供たちに野球を教えてほしい」という依頼が舞い込んだそうです。特に考えもなく向かった先で、自分を暖かく迎えてくれた人たち、そして目を輝かせて運動場に集まった子供たちを前にして、村田さんはこう考えました。
「手抜きはダメだ。今、自分が投げられる最高のボールを見せて、受け止めさせることが、唯一子供たちにできることだ」。
ソツなく子供たちを指導して、そこそこ野球が上手くなったところで、子供たちの将来の何になるというのか。プロの投手として半生を生きた者として、子供たちにできることは何か。「手を抜かない人間の姿を見せること、手を抜かないボールが生きていることを、直接伝えることだ」と悟ったそうです。
私が感銘を受けたのは、手を抜かないということだけではありません。むしろここからの話です。
「でも、野球をやったことがない子供に剛速球をむやみに投げ込むのは危険ですよね。私は胸の位置でグローブを構えるように指導します。そこを動かすなと念を押します。必ずそこに球が行くから大丈夫だよと宣言して投げるのです。もちろん絶対に外しません。なぜなら私はプロの修羅場をくぐってきた投手だからです。全力の速球を構えたところに投げるのが、私の仕事だったからです。」
「今、私は56歳ですし、肘もボロボロです。でも、子供がグローブを構えたところに正確に強い球を投げるために、毎日、現役時代と同じように練習して鍛えています。だから自信があります」
村田さんは、ただ思いっきり投げているだけではなかった。その球に込められた努力と、そこから来る自信を、ご本人の話を聞いて初めて知りましました。日本を代表する野球人が、名も知れぬ離島の子供たちを相手に、今も手を抜かない投球を続けている。そのために訓練を続けている。私たちがそこから学ばなければいけないことは、あまりにも多い。
不器用にさえ見える生真面目さの裏にある燃えるような情熱と確かな技術。トリノオリンピック・女子フィギュアスケートで金メダルを獲得した荒川静香さんにも、通じるものがあるように思えてなりません。
もし皆さんに"手抜きの誘惑"が襲ってきたら、ぜひこの話を思い出して下さい。(了)