――そう聞かれて「ハイ」と応えるのにはかなり勇気がいりますよね。「自意識過剰だよ」なんて言われて笑われそうで...。でも私の経験上、フリーエージェントの世界でバリバリやている人たちにこう聞くと、「ちょっと急いでるんでって言って、サックリ逃げるね」とか、「ピーコとガチンコ勝負ッ!ケチをつけられたらテレビに向かって「アンタのセンスって最低!」って怒鳴ってやる」とか、即座に愉快な答えが返ってきます。
本気で備えているわけじゃないだろうけど、私もそうなんですが、普段から「もしこんな場面に遭遇したらこうしよう」という風に空想するのが大好きなんだと思います。
もし雑誌の編集者なら「ワタシがもし自分の信念だけで雑誌を創刊するなら...」とか、映像翻訳者であれば「ハリウッドの映画界は、恋愛映画の翻訳ならワタシに全部任せればいいのに...」とか。一つ間違えたら妄想癖のある人(笑)。想像が現実的だろうとなかろうと、少なくとも私はそんな話を聞くと幸せな気分になります。
将来の仕事の可能性を話している時に、「ワタシには縁がないから」、「ワタシの力じゃまだまだ語る資格がなくて...」なんてすぐに言う人がいる。謙遜なのかもしれないけれど、ちょっとがっかりです。「そりゃアンタ、そうかもしれないけどね。自分の未来に対してそんなに無防備でいいの?もし明日にチャンスが訪れたら最善の対応ができるの?そんなことじゃ、ピーコの思うツボだよ!」。
仕事でもスポーツでも、何かの道を極めた人がテレビや雑誌のインタビューに応えて「無我夢中でやっていたら、いつの間にかここまでたどり着いただけです」とか、「私はまだまだです。師の教えに忠実に従ったら上手くいっただけです」なんて発言するのをよく目にします。でもそれ、はっきり言って本音じゃないですよ。本人にはウソをついているという自覚はないのかもしれません。でも周りの人への気遣いを優先したそんな社交辞令は、「あなたが成功したほんとうの理由を知りたいんです!参考にしたいんです!」と願う人にとって、何の役にも立たない。
2004年のアテネ・オリンピックで活躍した日本人選手たちのインタビューを聞きましたか?「絶対にメダルを取る!表彰台に上る!それだけを考えて今日まで頑張ってきた!」。堂々とそう言ってはばからないじゃないですか。自分が至るべき結果をどの選手もが明確に口にし、それをイメージすることからスタートしたと言います。
卓球ではベスト16で敗れた福原愛選手が、記者会見でこう聞かれていました。「この負けは次へのいいステップになりますね」。なんてありがちで意味のない質問...とガッカリしていたその時、あの'泣き虫愛ちゃん'が「そんなきれい事じゃありません!」と声を荒げたのです。。福原愛選手の世界ランキングは当時20位にも達していませんでした。それでも表彰台に上がるぞというイメージを明確に持って試合に臨んでいたんですね。カッコイイです。
日本人選手のメダルラッシュの秘密は、選手たちのそんな意思の力、イメージの力によるところも大きいと思いました。
NHKの番組(2004年現在)「難問解決!ご近所の底力」って知ってますか。「何でそんな番組観てるの?」なんてつっこまれそうですが(笑)。ある日の特集は、「オレオレ詐欺(振り込め詐欺)や悪徳商法に引っかからない法」でした。騙されやすい人は、「まさか自分のところに来るわけがない。来たとしてもワタシは騙されるような人間じゃない」と思い込んでいるんだそうです。今電話がかかってきたら、'受け応えをしている自分のイメージ'が頭の中にまるでないから引っかかる。推奨する対策は、「ほんとうの息子なら、生年月日を言いなさい!」、「そんな商品はいりません。帰って下さい!」など、普段から役者の稽古さながらに、声に出して練習しておくことだそうです。
映像翻訳に関わる人も同じだと思いました。メジャーな作品、憧れの素材、目標としている仕事を横目で眺めながら、「まだまだワタシには縁がないんだ」なんて思っている人がいたら、そんな思考停止そのものが望む仕事を遠ざけ、進歩の足枷になっていることに気づいてほしいのです。映画が大好きな映像翻訳者であれば、「ワタシが監督になって、潤沢な予算を与えてくれたら、こんな映画を創ってやる!」なんて普段から考え、熱く語ってくれるような人が頼もしいですね。
ハードルを高くしたところにあるイメージは、明日の仕事の備えであるとともに、向上心や知識欲を駆り立ててくれます。道を歩いている時でも、就寝前のちょっとした時間でもこなせる'仕事'の一部だと考えてみてはどうでしょうか。勉強中の人はもちろん、すでにプロとして活動している皆さんもぜひ実践して下さい。
まずはピーコへの反撃でも考えておきましょうか(笑)。