震災から1年が過ぎようとしている。
当校は震災の翌日、「日常性の確保」を会社の方針として内外に打ち出した。震える
ような光景を映し出すテレビの画面を見守りながら、一晩考え抜いたうえでの判断
だった。その結果、講義を休講としたのは翌12日のみで、13日からは予定通りの講義
とその他の事業運営を続けた。
交通機関を乗り継いで駆けつけてくれた講師の皆さんが支えだった。誰ひとりとし
て、休みを申し出る先生はいなかった。通常日程に加え、その日時に参加できない受
講生がいることをかんがみ、同内容の講義をその翌週にもう一度行う施策も実行し
た。それを受け入れてくれた講師の皆さん、そして実家の家族等との連絡に不安を抱
えながらも通常業務に努めたスタッフを、心から誇りに思う。
そして何より、そうした時期にも関わらず学びに打ち込んだ受講生の皆さん、それぞ
れの仕事を全うしようと努めていた修了生の皆さんを誇りに思った。ほんの束の間、
ロビーで生まれた笑いの輪や、「こんにちは!」と声をかけ合う時にもらった笑顔に
励まされた。
それから5月の連休明けまでの2ヶ月間は、私の職業人人生のうちでも最も濃密な期間
となった。もちろん、身を切られるような思いで過ごした、という意味で。
思い出話をしているのではない。一生懸命やったことを誉めてもらいたいわけでもな
い。きっと多くの人がそうだったはずだから。
伝えたいのは「それが私の、震災と生きるリアル」であるということだ。
これから数日間は、多くのメディア、特にテレビは様々な特集を組み、あの出来事を
振り返るだろう。社会を俯瞰し、総括することに長けた人たちが、心を揺さぶるよう
な映像やコラム、切り口で、あの出来事の悲惨さと今も苦しむ人々の現状を伝えるだ
ろう。そして、「あの出来事を忘れてはならない。私たちにできることは何かを考え
よう」と呼びかけるだろう。
実は、私はそれに一抹の不安を感じている。メディアの総括が巧みで、瞬間的に私た
ちの心を打てば打つほど、震災は頭の中で、まるで遠い国の悲しい出来事のように整
理され、'他人の不幸'を収める箱に収まっていくようにも思えるからだ。
先の大戦が悲しい出来事で、二度とそれを繰り返してはならないとは誰もが思うだろ
う。でも、先の大戦に自らのリアルを重ねることができない私は、そうは思うが今の
24時間を大戦と共に過ごすことはできない。
皮肉なことに「あの出来事はこうだった。だから忘れてはいけない」と言われれば言
われるほど、その出来事はわかりやすい'かたち'となり、記憶の整理箱の片隅にピ
タリと収まってしまう。思い出せばたいへんだたいへんだと言いながら、基本、他人
事になる。
しかし、あの震災は私のリアルだ。彼の地の出来事としてしまい込むなど、決してで
きないし、してはならないと思う。私は今も苦しむ被災地の方々と、自分のリアルを
媒介としてつながっている。「絆」なんかではない。つながってしまっているのだ。
これから何年経とうとも、あの瞬間を共に過ごした人々とのつながりは、私の行動や
選択を決する要因になり続ける。同じ日本人だからなんていうざっくりとした理由か
らじゃない。ましてや同情や憐みでもない。被災地の復興と行く末は、私の人生のあ
り様、そのものと重なるのだ。
震災から1週間ほどしてからだろうか、スクールに宅配便を集荷する青年がやってき
た。集荷だけでなく、たまに彼の手からスクールに戻される発送物がある。スクール
資料の郵送・宅送を希望された方々に送ったものだが、なんらかの手違いで「住所違
い」が生じ、戻ってくるのだ。「これ、配達できませんでした...」と手渡された発送
物に記された宛先を見て、私は言葉を失った。その住所は津波で街ごとなくなってし
まった状況を連日テレビが映し出していた街のものだった。
この方は助かっただろうか、英語の勉強が好きだったのだろうか、映像翻訳の仕事に
どんな夢を抱いただろうか、それとも資料請求したことも覚えてはいなかっただろう
か......。
私はその資料をデスクの引出しにしまっている。そして、時々眺めながらこの1年を
過ごしてきた。きっとこれからも。
私にとっての3月11日。皆さんはどうだろうか。(了)
基礎コース・IIの後半で、私は「映像翻訳者の営業術」という講座を担当しています(修了生には懐かしいですね)。いつものように、いろんな無駄話(!?)をした挙句に「自己PRシート」を書いてもらうという内容ですが、講義のねらいをさらに強調する意味で、皆さんにこんな言葉をプレゼントしたいと思います。
「'その場にいる'という行為が、新たな仕事を生み出す最善の方法である」
私がまだ20代の頃、自分で立ち上げた会社が軌道に乗り始めると、「忙しそうにしている自分」に酔っている状態、今にして思えば単なるお調子者以外の何者でもないのですが、そんな時期がありました。「体が二つ欲しい、1日に30時間あればいいのに...」なんて考えていると、打ち合わせや会議に出る時間がどうも無駄に思えてきます。特に、内容の想像がつく会議や、儀礼的な顔合わせだとわかっていると、「オレの役割は決まってるんだ。さっさと依頼を済ませてくれ!」と心の中でつぶやきながら、なんだかんだと理由をつけて避けるようになりました。それでもやりたい仕事は永久に自分のところにやってくるように思えたのです。
そんなある日、'マーケティングの神様'とまで言われた某広告代理店の御大から食事に誘われました。
ものごとの'かたち'は、見る人の心持しだい!
(「ロールシャッハテスト」風の作画です)
「この前の企画会議に顔を見せなかったね」
「はい、でもあのプロジェクトでは、重要な部分ですでに仕事を頼まれてますから...(行くだけ時間が無駄なんですよ)」。
すると神様はポツリと一言。
「新楽君、その場にいることの大切さがわからないような奴は、次のステージに進めないよ...」
それから何年も、私はその言葉のほんとうの重みを理解することはありませんでした。今はそんな期間を過ごしていたことをとても後悔しています。皆さんには、絶対に犯してほしくない失敗です。
メールや電話のやりとりで生じた誤解が、直接会って話したら簡単に解けたなんて経験はありませんか?顔を出さずに立派な贈り物を送ってくれる人よりも、わざわざ訪ねて来てくれて「いつもありがとう!」と笑顔と共に渡された小さなプレゼントが嬉しく思えたことはありませんか?
何か新しい仕事を始める時、新しい発注に応じる時、その場で顔を合わせた者同士には、前向きで心地よい連帯感、信頼感、エネルギーが生まれます。それは決してレジュメや企画書や議事録、メーリングリストで表現することはできないもの。そういう気持ちを共有した者同士は、困った時に静かに助け合ったり、新たな展開に同じようにわくわくしたりすることができるのです。
当時の私のように、「自分は自分の役割をこなせばいい」などと考えているうちは、決してそんな気持ちを味わうことができません。楽しく価値ある仕事をしているつもりでも、実は機械の歯車と同じ。相手にとっては便利な存在だけど、発展する関係を望まれてはいない。ましてや「この人に賭けてみよう。新しい仕事をいっしょに始めよう」などと思われるわけがないのです。
厳しい言い方をすれば、仕事の相手と向き合って話すことさえ面倒だと思っている怠け者が何と多いことか。それでいて、「自分は評価されていない。なんでもっと条件のいい仕事を発注してくれないんだ」などと愚痴をこぼしている。私の耳に届くフリーランサーからのトラブルの相談の多くは、「直接相手と会って話をしていれば避けられたはずなのに」というものが大半です。逆に'その場にいる'ことを楽しんでいるフリーランサーで、発注がなくて困っている人や、無用のトラブルに悩んでいる人をあまり見たことがありません。
映像翻訳は、言ってみれば新規プロジェクトの連続です。ジャンルが変わり、メディアが変わり、パートナーとなるチェッカーが変われば、確認し合うべき内容、新しいルール、新鮮な発見が必ず発生します。発注者と受注者が会って話すネタは尽きないのです。
「素材を送ってもらえば作業はできる」、「時間調整が難しい」、「交通費が無駄」など、直接会わないで事を運ぼうとする言い訳は、いくつも転がっています。それに流されるか、立ち止まって行動を起こすか...
すでにデビューされている修了生の皆さんが、現状を少しでも変えてみたいと思ったら、翻訳の依頼の電話があったクライアントのところに出向くこと、そしてほんの10分だけでも'その場にいる'ことをお勧めします。きっと新たなスキル、作業の方法、見識を高めるヒントを掴めるはずだからです。何より、相手との信頼関係が深まります。
なんでそんなに自信を持って言えるのかって? 私自身が今日、2つのプロジェクトが生まれる場に足を運んだことで、大きな疑問が一つ解消し、新たなビジネスのヒントを掴むことができたからです。(了)