発見!今週のキラリ☆

vol.173 「帰省」 by 上江洲佑布子


12月のテーマ:帰省

私の実家の裏には名だたる文豪の墓が幾つもある。
はるばる遠方から"墓ツアー"と旗を掲げた団体の観光客もやってくるほどだ。

よっしーという愛称で呼ばれていた私の小学校の同級生は、由緒あるお寺の娘さんで、その寺の墓地には芥川龍之介の墓がある。毎朝、彼女の家の前をとおり、会社へ向かうのだが、ある日ふと芥川の墓参りをしようと思い立ち、墓地に寄り道をした。人ひとりようやく通れるほどきゅうきゅうに建てられた墓石の密集した真ん中にひっそりと、芥川龍之介の墓はある。腰を大きく曲げた木が、屋根をつくっていた。そのひとつ屋根の下には、芥川家先祖代々の墓もあった。「あぁ芥川も墓の中に帰省したんだな」と私は思った。

私は、上江洲家の東京四代目だ。
父方の曽祖母は、祖父がまだ幼い時にふたりきりで沖縄から上京した。祖父はその後、物理の道に進み、ピアノ講師の祖母と見合い結婚をした。祖父は、絵を描くことが好きで、よく家の白壁に裸婦のデッサンを描いて問題になったらしい。ピアノを弾くことも好きで、祖母よりも熱心に練習していたという。祖父は父が4歳の時に病死したので私は会ったことはないが、祖父のことをおもう時、まだまだだぞ、という声が聞こえてくる気がする。

私も楽器を弾いたり、音楽を作ったり、絵を描いたり、映像を作ったり、ウェブサイトを作ったりと、やたらめったらもがいてはいるが、「世界を知る」という果てしないほど遠いゴールに少しでも近づけているのだろうかと無駄に焦燥感にかられる時がある。しかし、だからこそ、映像翻訳というオーディオビジュアルと言葉をあつかう現在の職場は、私にとって最高の修行の場であると確信している。

墓といえば現在、曽祖母たちは都内の墓地に眠っているが、上江洲家十一代の墓は沖縄県の首里にある。いつか全員帰省させてあげようと思っている。

vol.172 「親孝行」 by 相原拓


12月のテーマ:帰省

母親が還暦を迎えた。相変わらず年齢を感じさせない元気なおばさんなので実感が湧かない。そんな母はここ最近、祖父母の介護で毎週のように福島の実家に帰っている。精神的にも肉体的にも相当な負担のはずだが、本人は決して苦ではないという。

「人は年寄りになると赤ちゃんみたいにオムツをはくようになって逆戻りしていくんだよね。親子の立場が逆転するの。そう考えると、育ててくれた親が弱くなったら、子供が面倒をみてあげるのは当たり前のことだよ」

母はそう考えるらしい。言われてみるまでは親の介護について深く考えたことがなかったが、確かに母の言う通りかもしれない。あまりにもあっさりと言うものだから本当に苦労していないようにすら聞こえた(もちろん、そんなはずはないが)。その親孝行っぷりに心を打たれた。自分の立場に置き換えて考えてみると、罪悪感まではいかないが、反省の気持ちというか、たまには親に会いに行かないとなあ、元気なうちに親孝行しておかないとなあ、そう思えてくる。

ちなみに、辞書で「帰省」を調べると「故郷に帰り父母の安否を問うこと」とある。これまでは単に故郷に帰ることを指すのかと思い込んでいたが、本来は子が親を省みるための帰省ということか。今更ながら漢字の由来が分かってスッキリしたところで、今週末は久しぶりに実家に帰ろうと思う。

vol.171 学びの場 by 野口博美


11月のテーマ:学び

この数年で一番勉学にいそしんだ時期といえば、やはり日本映像翻訳アカデミーに通っていたころのことでしょう。

お酒大好き!な私が、同僚や友人との飲み会を最小限にとどめて1年半、毎週課題に取り組みました。土日はもっぱら図書館に通い、調べもののための書籍を借りまくる休日の繰り返し。今週は車のエンジンオイル関連、次の週はモモアカノスリの生態に関する書籍を大量に借りていく私を、図書館で働く人々はどう思っていたのでしょうか。

講義を受けた帰りには次週の課題のスクリプトを電車の中で読んだり、課題の納品時間ギリギリまで見直しをしたりと、とにかくものすごい労力を学びに費やしていました。あのころのバイタリティは一体どこへ消えてしまったのか...。あのエネルギーがあれば、何でもできるような気がします。

それほど課題に時間をかけられたのも、当時の職場の仕事量が比較的少なかったからでしょう。貿易会社で働いていましたが、朝日新聞の用語の手引がデスクの上にたたずんでいても、何も言われないというかなり恵まれた環境にいました。そのころは"なんてラッキー!"としか感じませんでしたが、今思い返すとかつての同僚、上司に対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。

そんな感じでひとり黙々と映像翻訳を学んでいた私は、極度の人見知りであることも手伝い、基礎コース・Ⅰ(現在の総合コース・Ⅰ)の終盤まで、クラスで当てられて発言する以外はひと言も言葉を発さずに学校を後にしていました。でもある日、1人のクラスメイトが私に声をかけてくれたことで、彼女や他のクラスメイトとその日の課題の内容や勉強するうえでの悩みなどを話し合うようになり、それまで抱いていた将来への不安が少なくなったように思います。同じ目標を持つ仲間の存在にとても勇気づけられたものです。

最近では、みんな忙しくて会う機会もめっきり減りましたが、映像翻訳を学ぶために足を踏み入れた学校で、翻訳のノウハウだけでなく友人も得られたなんて、とてもありがたいことだと思います。その後、縁あってアカデミーでディレクターとして働くようになり、やがては自分が講義で教える立場になるとは...。人生何が起きるか分かりません。

話がそれましたが、現在、クラスを受講中の皆さんも、クラスメイトと親睦を深めながら楽しく学んでもらえればと願っています!

vol.170 セーフティネット by 桜井徹二


11月のテーマ:学び

 「他人が自分に下す評価というのは、ホッキョクグマがカバに下す評価みたいなものだ」。
だいぶ前に読んだ小説にこんなセリフがあった。この発言が出てくる経緯は忘れてしまったし、カバに対するホッキョクグマの評価というのもなかなか興味深いけれど、要するにこの発言の意図は「他人からの評価はあてにならない」ということだった。

 僕は周囲の人に「几帳面そう」だとか、「効率性を考えて行動している」などと評されることがある。でも、これもやはり"ホッキョクグマ・カバ的な評価"で、実際には全然そんなことはない。几帳面で効率重視どころか、けっこうな面倒くさがりやだし、どちらかと言えばわりといい加減な性格だ。

たとえば、仕事で毎月やらなければならないややこしい計算があるとする。毎月面倒くさい作業をするとなると、自分の性格上、放り出してしまってあとでもっと面倒なことになるのが目に見える。だからしかたなく計算を自動化するためのエクセルを作ったりする。傍目にはそれが「効率重視」と映るのかもしれないが、実際にはその原動力は「面倒くささ」にすぎない。

打ち合わせの予定やタスクなどをこまめにスマートフォンに書き込んでいるのも「几帳面」と捉えられるかもしれない。だがこれはたんに記憶力が悪くて、週1の定例のミーティングでさえも忘れてしまうから、リマインダーをものすごくこまめに設定しているだけである(それでもよくすっぽかしてしまうのだけれど)。

というように、どれも几帳面・効率重視な性格というのが理由ではなく、ただ自分自身が怠惰でなかなか学ばないことを自覚しているから、自動計算やリマインダー機能を使って身の回りにセーフティネットをはりめぐらせているだけのことなのだ。

そのおかげで一応は人に几帳面と評されるくらいの日常を送れているわけだが、それでも、セーフティネットがうまく機能せずにボロが出ることも少なくない。

今住んでいる家のすぐそばに、市立第一中学、略して「一中」がある。深夜にタクシーで帰るような時には、運転手さんに「一中の前で止めてください」と言う。ところが、またその少し先に第2小学校、略して「二小」があるため、情けないことにこの2つを混同してしまい、行き先として告げるべきなのは「一中」だか「二中」だかがわからなくなってしまう。

そこで考え出したセーフティネットは「語呂合わせ」である。くだらない語呂のほうが覚えやすいだろうということで、「もういいっちゅう(一中)ねん」と覚えることにした。さらに調子に乗って「もういいっちゅう(一中)ねん、ほんまにしょう(二小)もない」と二小まで組み込んでみて、なかなかうまい語呂を考えたものだとひとり悦に入っていた。

ところが、いざタクシーに乗って行き先を告げようとすると、このセーフティネットがうまく機能しないのだ。「もういいっちゅうねん」という言葉自体がぱっと出てこなくて、「たしか関西弁のツッコミみたいな言葉で...」から考えているうちに、どんどん最終地点が遠のいていく。

やはりエクセルの自動計算やリマインダー機能に頼るばかりではなく、人間自身が学ばなければいけないのかもしれない。

vol.169 天使の街 ― ロサンゼルス by 浅野一郎


10月のテーマ:天使

一番多感な年頃に80年代を迎えた僕にとって、「天使の街」ロサンゼルスは特別な街だ。
なぜなら、この街で"LAメタル"が生まれたからである。

LAメタルとは、その名の通り、ロサンゼルスで生まれたハード・ロック/へヴィ・メタル(HR/HM)のことだ。全世界で800万枚のアルバム売り上げを成し遂げたポイズン、ラットン・ロール(RATT N' ROLL)という言葉を生んだラット、バッドボーイズの代表格、モトリー・クルーなどなど、LAメタルの雄を挙げれば枚挙に暇がない。

現代ではお笑いのネタに取り上げられるような奇抜なファッションや厚化粧、キャッチーなメロディやあまりにも能天気な歌詞。ミュージックビデオの中で描かれる、スターを夢見てダイナーで働く若者から、ヒュー・ヘフナーの豪邸でバレーボールに興じる人たち、水着で洗車する美女軍団などなど...。もちろん、ほとんどはミュージックビデオの中の虚像であることは分かってはいたが、少年の心に与えたインパクトは計り知れない。

ただ、爆発的なムーブメントだった半面、廃れるのも急速だった。今でも活躍しているのはほんの数組に過ぎない。しかし、たかだか10年程度の流行だったとはいえ、僕にとってのアメリカ観はまさにLAメタルで培われ、その憧れがアメリカへの、そして英語を学びたいという気持ち、ひいては映像翻訳者を志した原動力に他ならない。そんなわけで、僕にとってLAメタルを生んだ「80年代」と「ロサンゼルス」は特別な存在だ。

最後に、僕のitunesには"80'sメタル"というプレイリストがあり、未だに当時のMTVで放映されたお気に入りのミュージックビデオを集めたVHSを週に1回は観ている。かなり前のことになるが、ボウリング・フォー・スープというバンドが『1985』という曲を発表して話題になった。80年代に青春を生きた人は是非このミュージックビデオを観ていただきたい。いろいろな意味で考えさせられるはずだ。

vol.168「天使という存在」 by 梶村佳江子


10月のテーマ:天使

きらきらと眩い光の中にふわりとしたオーラを纏ってたたずみ、私にとっては癒しをくれる存在。それが私の天使のイメージである。東京に住んでいると、時間に追われてせかせかと過ごし、毎日が慌ただしく過ぎてゆく。わりとの温和でのんびりとした場所の出身だから、そう感じるのか、ゆったりとした場所に身を置きたいと常に思っている。だから、時間にとらわれず、温かな癒しがほしい時に私は天使に助けを求める。今は妄想といっても過言ではないが、天使たちから癒しをもらっている気になっている。これは他人に害はないので、"信じた者の勝ち"なのだ。

世の中には天使が見える人、見えない人、信じる人、信じない人、その存在自体を拒否する人に分かれると私は考える。私自身は...察しがつくであろう。天使も悪魔も妖精さえも存在すると思っている。あわよくば、会えればいい。

あまり記憶は定かではないが、学生時代に画家・ラファエロの天使の文房具が流行った気がする。その時は天使とは架空の存在だと思っていた。そのため特に深く考えることはなく、「かわいいな」、とか「背中に羽がほしいな」と思う程度だったが、数年前にたまたま書店でドリーン・バーチューの本に出会ってしまった。彼女はアメリカで天使研究の第一人者として知られ、多くのメッセージを天使から受け取りそれらに関する本を執筆している。読んでいるだけで気持ちが本当に温かくなり、私は引き込まれるように一気に読み切った。天使を信じない人にとっても、単なる夢物語として読む分には十分に楽しめる内容だ。その本に出会って以来、私は、どうしても天使と会いたいと考えるようになり、方法を模索中である。人間は元来、天使や妖精のような存在を見ることができる能力というものを備えているが、多くの人がその回線を小さいころに閉じてしまうと聞いた。とにかく、その回線を再度つなげ、周波数を合わせることができれば、天使や妖精と会話ができるらしいのだ。

周波数という事を言語に置き換えると、日本語と英語ではその周波数帯が異なるといわれる。でも多くの人が訓練したり、耳慣れたりすることにより、異なった言語が聞こえるようになっている。というのであれば、今は目にも見えず、聞こえないけれども、その天使という存在の周波数に合わせることができるのではないだろうか。そう考えると日々ワクワクせずにはいられない。あきらめず、とにかくプラス思考で挑戦してみたい。

vol.167「道なき世界の案内人」 by 藤田庸司


9月のテーマ:地図

MTCの業務の一つに受講生との面談がある。受講期と受講期の間に一度、20分程度でディレクターが受講生に行う個別カウンセリングである。「英語力を上げたいのですが、勉強法は?」、「日本語が上手になりたいんですけど...」、「字幕における情報の取捨選択のコツは?」、「私ってプロになれますか?」。技術的なことをはじめ、進路や将来への不安、ひいてはライフプランに関わる踏み込んだ内容など、質問や悩みは多岐に渡る。"翻訳に答えはない"とよく言われるが、プロへの道も決まった道があるわけではなく、明確な進路を示す地図などもない。学習する個人個人の出発地点(レベル)も違えば、目指すゴール(スキルを用いての就業形態)も違う。面談では、受ける質問を分析したうえで経験から得た知識を地図のように広げ、その人にぴったりのルート(結論)を模索していく。僕自身もかつては受講生だったので、将来への不安や焦り、戸惑いが分かるぶん、つい熱くなってしゃべり過ぎてしまうこともあれば、面談終了後、あれもしゃべればよかった、あれを言い忘れたなど、肝心なことを伝え切れていなかったことに気づき後悔することもしばしばである。

先日こんな質問を受けた。「半年ごとに多くの修了生が出ますが、自分にまで仕事が回ってくるのでしょうか? 字幕の必要な映像素材って、世の中にそんなにあるのでしょうか?」。翻訳を職業にすべく学習されている方にとっては出て当然の質問である。

一昔前、字幕が必要なコンテンツといえば劇場映画やBS、CSチャンネルで放送される海外ドラマぐらいと思われていた。しかし、現在はインターネットの普及により、ネット上で扱われる膨大な量の映像コンテンツが字幕翻訳、吹き替え翻訳などを必要としている。一週間に一回放送といった海外ドラマやドキュメンタリー番組に代表されるテレビ用コンテンツとは違い、放送枠の制限がないWebの世界には、映画、ドラマ、エンタメ、スポーツはもちろん、企業紹介ムービー、インフォマーシャル、医療器具マニュアルから"えっ!こんなものまで?!"といった映像まで、翻訳を必要とするコンテンツが山のように存在する。"劇場映画の翻訳しかやりたくない!"、"ドラマしか翻訳したくない"などと考えなければ(それはそれで立派な目標ではあるが)、仕事の有無に関しての心配はないだろう。

また、たとえ近い将来に自動翻訳機が精度を上げ、翻訳は機械やコンピューターの職務になったとしても、映像翻訳は必要とされる。制限された文字数や尺の中、映像に合わせつつ必要な情報を判断し、それをつなぎ、文章として構成していく作業は、機械やコンピューターでできるとは到底思えない。人間の感性やクリエイティビティがなければ成し得ないはずだ。

めまぐるしく変化を遂げる映像業界、放送業界。5年前にはクライアントから作業用の映像素材をビデオテープで借りていた時代から、DVDで借りる時代を経て、今や映像ファイルでの受け取りがメインとなっている。そして2020年の東京オリンピックが決まった。我々の仕事に大きく関わることは疑いの余地もなく、いろいろな翻訳案件が予想される。絶えず時代の流れを汲み取り、不安を抱えながらも夢に向かって道なき世界を進む方たちの案内人として少しでも力になれたら、MTCディレクター冥利に尽きるというものだ。


vol.166「From Hand-drawn Maps to Smartphones」 by Jessi Nuss


9月のテーマ:地図 (Maps)

Up until 3 years ago, the blank pages in the back of my daily planner were filled with maps. Page after page of lines and shapes carefully sketched in an attempt to recreate a path I'd soon be taking. In the days before owning a smartphone, looking up detailed directions in advance before going somewhere new was a must. Not owning a printer, I'd spend a few minutes sketching out a copy of a map I'd found online. A rectangle for the station. A circle is the convenience store on the corner. A square becomes the bank down the road. Does this look accurate enough? I analyze the lines and shapes, tweaking them until I feel confident it's enough to get me there. I snap my planner shut and head for the station closest to my destination.

The moment I exit the station, my map-drawing skills are put to the test and the adventure begins. I guide myself through the streets clutching my planner, relying solely on my sketches of various roads and landmarks. Somewhere in my imagination, I'm an explorer on an adventure, treasure map in hand. Finding every landmark I've sketched down becomes a small victory, as I feel my goal getting closer with every step.

Nowadays, smartphones that tell us our exact location at any given time and follow our every footstep have replaced the need for checking maps in advance, or even any future planning at all. I marvel at how it has become completely natural, expected even, to simply enter the address of where you're going, and let your trusty GPS do the rest. Even if my destination is completely foreign, I often find myself letting my iPhone lead the way entirely.

Of course, there's no denying that such maps have made the hassle of finding a location more convenient than we could have ever imagined. Yet at the same time, I can't help but feel that the slight sense of adventure I felt relying solely on a hand-drawn map in the back of my trusty planner has disappeared. Maybe one of these days, I'll ditch the GPS, and enjoy a little bit of that explorer spirit once again.

vol.165「大海を泳ぎ進む魚」 by藤田奈緒


8月のテーマ:魚

めっきり魚ばかり好む年頃になった。行きつけの魚屋さんで友人と落ち合う約束をしていた仕事帰りの夜、少し早く着いたのでカウンターで1人待っていると、ケースの中の魚と目が合った。そこのお店のカウンターには大きなガラスのケースがあり、魚の顔がこっちを向いていることはよくあることだ。でもこの日はいつもと少し様子が違った。その金目鯛の目は未だかつて見たことがないほど濁っていたのだ。

内心ぎょっとしながら、私は目を濁らせて横たわる目の前の魚とは対照的な、ある女性のことを思い出していた。香港に住むその女性は私の友人の母親。初めて会ったのは12年ほど前、友人を訪ねて香港に一人旅した時のことだった。白い歯が光る大きな笑顔が印象的な彼女は、それまで会ったこともない外国人の私を快く家に招き入れ、宿を提供してくれた。以来、会うのは数年に1度のペースだが、会うたび、彼女はある種のインスピレーションを私に与えてくれる。

体を動かすことが大好きで、ジムのプールで泳ぐのが日課。若い仲間に交じってダイビングに出かけるのが趣味。とにかく超アクティブな彼女は、驚くほどオープンマインドでものの考え方もスーパーポジティブだ。

数ある言葉の中でも特に記憶に残っているのは、初めて会った時に彼女が言ってくれた「Take risks」という言葉。当時私は大学を卒業して損害保険の会社に勤め始めたものの、やはり映像翻訳への夢を捨てきれず、どのタイミングで方向転換すべきかを迷っていた。そんな私に向かって彼女は言った。「やりたいことがあるなら突き進みなさい。それが正しい道よ。Take risks!」と。

背中をぐんっと後押しされた気がした。試してみたものの、案の定馴染めなかった普通の会社へのちょっぴりの未練(正確には、社会経験がないままフリーの翻訳者を目指して人として大丈夫かしら...という心配)は、その瞬間、あっさりと捨て去ることができた。その後、私が選んだ道は皆さんもご存知のとおり。日本映像翻訳アカデミーに1年通ったあと、トライアルに合格し念願の映像翻訳者に。その後、縁あってディレクターとして勤めることになった。かれこれ10年前の話だ。

数日前、彼女から連絡があった。「NAO、聞いて! 最近、バドミントンのシニアの部で準優勝したの。しかもドラゴンボートの2つの試合で優勝したのよ。年寄りにしてはやると思わない?」 パソコンの向こうで目を生き生きと輝かせている彼女の笑顔が目に浮かぶようだった。

秋に私は久々に香港を訪ねる。香港の母はそれまでに更なる進化を遂げているのだろうか。ジムのプールから海へと飛び出した彼女は、今度はどこまで泳ぎ進んでいるのだろう。今から話を聞くのが楽しみでならない。

vol.164 「And I Love Car」 by丸山雄一郎


7月のテーマ:乗り物

乗り物と言えば、僕にとっては何と言ってもクルマです。物心がついてからは、プラモデル、ラジコンと、誕生日やクリスマスのプレゼントには、常に"クルマもの"をねだりました。スーパーカーブーム(1977~78年)の最盛期に、東京の晴海でランボルギーニ「カウンタック」やフェラーリ「ディーノ」「365BB」、ポルシェ「911ターボ」が展示されたときには、父親に無理を言って、開催期間中に何度も連れて行ってもらい、いま思えば、呆れるほどの枚数の写真を撮りました。

僕らの世代は"デートにクルマは必須"という時代でしたから(笑)、18歳になると男子は(イケてる女子も)、先を争うように免許を取りに行きました。デートも、友達との海も、飲み会も(僕は下戸なので)、僕らの生活は常にクルマとともにありました。

国内での新車の売り上げが大きく落ち始めた頃から、クルマメーカーやメディアは、その理由を「若者がクルマを欲しがらないから」と説明しています。大学生にアンケートを取ってみると、「東京でクルマはいらない」とか「興味がない」という声は実際に多いようです。

でも、僕はそういった記事を見る度に、"本当にそうか"と思っています。確かに東京でクルマに乗ることは、便利な面より不便なことのほうが多いかもしれません。でも、「東京でクルマはいらない」という学生の多くは、普段からクルマに乗っていて、その上で「いらない」と言っているとは思えないし、「興味がない」という人も同様だと思います。不便ということなら僕らの学生時代のほうが現在より、よっぽど渋滞は多かったし、東京の交通機関がこの20年で劇的に便利になったとも思えません。でも僕らはそれでもクルマに乗りたかったし、クルマに乗れば僕らと同じように思う学生は今もいっぱいいるはずです。

なぜか? それは奥田民生の『And I Love Car』が使われていたこの損保会社のCMを見れば一目瞭然です。きっとクルマが欲しくなるはずです。少なくとも"クルマっていいな"とは思えます。そして、もしクルマに興味が持てたら、こちらのサイトに毎日、いらしてください。僕が担当している全米人気No.1自動車サイトの日本語版です(笑)。

 1  |  2  |  3  |  4  |  5  | All pages