気ままに映画評

豪華キャストに釘付け ノスタルジー溢れる
アメコミ・ヒーローの痛快アクションコメディ『グリーン・ホーネット』

                                                 Text by 水野弘子グリーンホーネット1.jpg

60年代のTVドラマとアメリカン・コミックスの人気ヒーロー「グリーン・ホーネット」がスクリーンによみがえった。今回のリメイク版は、鬼才ミシェル・ゴンドリー監督の手で、アクションコメディに仕上がった。ブルース・リーの出世作だったドラマ版を懐かしむ往年のファンにとっても、懐かしい仕掛け満載の作品だ。

主人公の放蕩息子ブリット・リードは父の急死により、急遽、大新聞社のトップとなる。LA社会の腐敗を目の当たりにし、憤ったブリットは、お抱え運転手カトーとともに緑マスクで変装し、ハイテクマシン「ブラック・ビューティー」を駆って、麻薬組織を大掃除する。

魅力はずばり多彩なキャスト陣だ。麻薬組織の黒幕クリストフ・ヴァルツは「イングロリアス・バスターズ」でランダ大佐を演じた、あの怖いヒト。背筋も凍る演技で、あまたの賞を総なめしたヴァルツだが、本作の悪党ぶりはややキュートな味付け。スーツをけなされると逆上するところが可笑しい。
主演・脚本のセス・ローゲンは北米で人気のコメディアン。今回、セレブな御曹司役に臨むために厳しくダイエットしただけあって、「恋するポルノグラフィティ」で演じたおデブでエッチなコーヒー店員とは別人のよう。本作では過激な下ネタは封印したが、毒舌満載のツッコミは健在。日本での知名度は低いが、ぜひブレイクしてほしい俳優である。

また台湾ポップ界のプリンス、ジェイ・チョウの相棒ぶりも頼もしい。ブルース・リーの当たり役というプレッシャーを跳ねのけ、アクションからピアノ、エンドロールのラップまで多才にこなしてみせた。最近はシリアスな役どころが目立つキャメロン・ディアスも、本作では美人秘書役でコメディエンヌの本領を発揮している。

さらにチョイ役でカメオ出演している「スパイダーマン」のジェームズ・フランコが素晴らしい。短いシーンながら、新興ギャング役のチンピラぶりがハマっており、存在感を示した。フランコの新境地を充分に予感させるシーンだった。また、「ターミネーター2」の美少年エドワード・ファーロングが麻薬売人役で顔を出しているが、こちらは見紛うほどの老け込みようだ。思わず過酷なショウビズ界の時の流れを実感・・・。

また、オリジナル版のドラマを意識した趣向が随所に散りばめられ、こちらも大きな見せどころとなっている。ブリットが悪党退治に出る際に毎回つぶやく"Let's roll Kato"(カトー、出かけるぞ)は、オリジナル版ファンお待ちかねの決めゼリフ。ダークでシリアスだったドラマ版ヒーローの名文句を、セス・ローゲンはややパロディ風な味付けでカバーしている。また、カトーが発明した愛車「ブラック・ビューティー」の登場シーンが実にレトロでいい感じだ。ガレージ床がくるりと反転し、普通車と表裏に現れる「ブラック・ビューティー」。この四谷怪談の「戸板返し」みたいな仕掛けは、ドラマ版で大きな話題を呼んだもの。オールドファンの郷愁をくすぐる旺盛なサービス精神を評価したい。偉大なスターへのオマージュとして、ブルース・リーの素描がカトーのスケッチに混じっているシーンもお見逃しなく。

ちなみにクールなカスタムマシン「ブラック・ビューティー」は、全米から掻き集めたクライスラー・インペリアルの1964~1966年ビンテージモデルを地元ロスで改造したもの。カスタム装備に注目すれば、敵の体当たりを撃退する「ベン・ハー」ドリルや、走行中にドアを半開きするだけでぶっ放せる、ドア装備のマシンガンは、いかにも便利なアイテム。その他にもフロントグリルに仕込んだ火炎放射器やミサイル発射装置など、装甲マシン好きにはたまらないスペックがてんこ盛りだ。このカスタムカーをシーン別に29台用意したらしいが、撮影終了後に「生き残った」のは僅か3台。パトカーなどの車両にいたっては100台近くが廃車送りとなったという。こんなハチャメチャなカーチェイスを3Dで楽しめるのだから見逃す手は、ない。

「グリーン・ホーネット」は、多くの作り手の思いがこもった贅沢な娯楽作品だ。キャストの多彩な顔ぶれやマニアックな演出を、ぜひ劇場で堪能してほしい。

LAを悪党から守るのはスキだらけの"ゆるキャラ"ヒーロー!?
映画『グリーン・ホーネット』

                                                 Text by M.Saito

グリーンホーネット2.jpg去る1月20日、都内で3D映画『グリーン・ホーネット』のジャパン・プレミアが行われた。寒風吹きすさぶ会場に集ったのは約1200人もの熱心なファン。映画の題名にちなみ、レッド・カーペットならぬ "グリーン"カーペットを通って監督のミシェル・ゴンドリー、続いて主演のセス・ローゲンとジェイ・チョウが登場。ステージでは日本でのヒットを祈願し、グリーン色をした餅つきが行われる。更には3D上映にあやかって配られたおもちゃのグリーンのメガネを身に付けた一同の前には、映画で活躍する"ブラック・ビューティー"号が壁を突き破り、白煙をあげて登場。その他、ゲストに女優の篠原涼子や昨年末のM1グランプリで準優勝となったスリムクラブが登場するなど、華やかなイベントとなった。

映画の主人公は新聞社の二代目社長、ブリット。創業者の父がハチに刺され急逝したことをきっかけに、自らを"グリーン・ホーネット(緑のハチ)"と名乗り、これまでの放蕩生活を改めロサンゼルスから悪を一掃する活動に乗り出す。父の運転手だったアジア人で武芸の達人、カトーを相棒に愛車ブラック・ビューティーを駆り夜ごとロスの街で暗躍する。

テンポよく進むストーリーの中で際立っていたのはブリットとカトーが織りなす絶妙なコンビネーションだ。セス・ローゲン演じるブリットは根がピュアだが、ボンボン育ちのワガママで何かとツメが甘い。グリーン・ホーネットの活躍も実の所すべてカトーのおかげなのだが、自らの手柄にしようとする。自分では何もできないダメダメ男だが、どこか憎めない。一方、そんなブリットをスマートにフォローするカトーはクールな切れ者。強くて、頭が良くて、優しい......と三拍子揃えば、マドンナ役で登場するキャメロン・ディアスも思わずなびくが、ブリットはそれがまた気にいらないのだった。

TVシリーズではかの有名なブルース・リーが演じていたカトー役。台湾出身のミュージシャン/俳優のジェイ・チョウにとっては当たり役とも言えるだろう。劇中、天才発明家でもあるカトーが自作のマシンで手際良くいれるカプチーノが何度か登場するが、このカプチーノの美味しそうなことといったら!3D効果も手伝ってか、スクリーンから香りがこぼれてきそうなほどだった。

個人的に笑ったのは、ブリットとカトーの口論から始まる大喧嘩のシーン。カトーに嫉妬するブリットが、自分こそがヒーローだと主張するのだが、ここでのブリットのセリフにも彼のヘナチョコぶりが絶妙に表現されている。


「俺とお前はそもそも格が違う。ヒーローと運転手だ!」
「インディとショーティー("兄弟"の意)だ!」
「サイモン&ガーファンクルだ!」
「スクーピー&ドゥ」


恐らく、ブリットが言いたかったのは最初のセリフだけ。あとは言葉の響きだけでちっとも脈絡がない。「スクーピー&ドゥ」なんて、ナンセンスな所がバカバカしくて笑える。ブリットの子供っぽいキャラやゆるさが全面に出ている。結局、ブリットはストリートで鍛えた武道の達人カトーにさりげなく手加減されながらも一方的にボコボコに殴られることになる。でもカトーには1つだけ、ブリットには到底かなわない弱点もあったのだ・・・。

最後は、どたばたアクションの末に分解寸前のブラック・ビューティー号から"脱出シート"で飛び出した2人。この"脱出シート"は、実はブリットのアイディアをカトーがこっそり実現したもの。子供っぽい"ゆる"キャラヒーローでも、こんな風に密かに役に立っていたりするのだ。こんな2人の関係性があるからこそ、ロスの夜空をパラシュートで降りてくるブリットとカトーの後姿も、まるで幼い子供たちがブランコに乗っているかのように見えてしまうのである(笑)。

現在、公開中の3D映画『グリーン・ホーネット』。絶妙なコンビネーションの中に見える2人の友情に注目して観てほしい。

ブンブン行くぜ!なりきりヒーローが
悪を討つアクション・コメディ超大作『グリーン・ホーネット』

グリーンホーネット1.jpg

             Text by 鈴木純一

新聞社デイリー・センチネル創始者の息子であるブリット・リード(セス・ローゲン)は、父の急死により新聞社の2代目社長になる。父の死をきっかけに正義に目覚めたブリットは、父親の運転手だったカトー(ジェイ・チョウ)と共に"グリーン・ホーネット"として悪と戦う決意をするのだった...。

「最近、ヒーロー映画って多いよね」と思う人もいるだろうが、グリーン・ホーネットはちょっと違います。ブリットはパーティーと女の子が大好きで、上海が日本にある街だと思っているボンクラ男。このブリットを演じるセス・ローゲンは『スーパーバッド 童貞ウォーズ』や『無ケーカクの命中男/ノックトアップ』などのコメディ映画に出演しており、何歳になってもモラトリアムな男を演じさせたら抜群に面白い俳優である。でも実際のセスは脚本も書く才人で、『グリーン・ホーネット』では脚本、製作総指揮も務めているのだ。プロデューサーとして、今までセス自身が演じてきたキャラを本作でも押し出した彼の目論見は成功したといえる。

ブリットが改造車ブラック・ビューティーを見て「すげーっ!」と興奮する姿は、精巧に作られたプラモデルを見て「すげーっ!」と喜ぶ中学生みたいだ。そしてヒーローとして初出動して街のチンピラを見つけるが、ブリットはカトーに「お前が先に行けよ」と煽るなど、全然ヒーローっぽくないのである。でもね、今まで遊びほうけていた男が急にヒーローになるというのは無理というもの。このダメでユルいけど、ヒーローになりきろうという気持ちだけは十分あるブリットに共感しました。

そして、注目はカトー役のジェイ・チョウ!ジェイは台湾出身のミュージシャンで、俳優としても活躍しているが、映画『言えない秘密』を監督するなど、セスと同じマルチな才能を持った人。『グリーン・ホーネット』ではピアノを弾くシーンもあるし、エンド・クレジットにはジェイが歌う「双截棍(ヌンチャク)」も流れます。
セスとジェイのズッコケ・ヒーローぶりは観ていて楽しく、かなり笑わせる。2人の相性はよく、『48時間』や『リーサル・ウェポン』のようなバディ・ムービー(登場人物がコンビを組む相棒映画)に仕上がった。

セスとジェイ以外でも、面白いキャスティングが揃っている。犯罪組織のリーダーであるチュドノフスキー(言いづらい名前)に扮するのは、『イングロリアス・バスターズ』でアカデミー助演男優賞を受賞したクリストフ・バルツ。本作でもバルツは饒舌な悪党を好演している。そしてキャメロン・ディアスはブリットとカトーに好かれる役で映画を盛り上げてくれます。他にも冒頭に登場するマフィアをノンクレジットで演じているのはジェームズ・フランコだ。彼はセスが主演した『スモーキング・ハイ』に出演していたので、その繋がりでセスに「出てくれない?」と頼まれたのではと思わず推測してしまう...(もちろん、勝手な推測だが)。また、ドラッグディーラー役にエドワード・ファーロングが扮している。『ターミネーター2』の時の姿とは別人のような汚れっぷりで、本物のドラッグディーラーかと思いました(←失礼)。

個人的にブリットとカトーのどちらが好きかといえば、ブリットでしょう。だって悪党と戦うのは大変だからカトーに任せて、カワイイ女の子(キャメロン・ディアス)と話してる方が楽しいし。あれ?でも、これってブリットのキャラそのままだ!この映画を観て、自分がダメ人間だと認識させられました(笑)。

ホーネットとカトーの活躍をユーモアとド派手なアクションを交えて描き、冒頭から最後まで観る者を飽きさせないアクション・コメディ『グリーン・ホーネット』。世界的なヒットで続編も作られると思うが、パート2もブンブン行ってください!

「シンデレラになる前の若き女」と「シンデレラになった後の成熟した女」
それぞれに足りないものを教えてくれる映画『バーレスク』

                                                Text by 野口みゆき

バーレスク大.jpgクリスティーナ・アギレラとシェールはともにグラミー賞受賞の経験があるアメリカの歌手。生粋のエンターテイナーだ。年齢もショウビズ界でのキャリアの長さも違う2人が、歌手としてのパフォーマンスさながら歌って踊る映画が誕生した ― 『バーレスク』だ。

田舎からスターを夢みてロサンゼルスに来た主人公のアリ(クリスティーナ・アギレラ)。そこで出会ったのは、セクシーな女性ダンサーたちが夜ごとショーを繰り広げている大人のためのクラブ"バーレスク"だった。アリはそのステージに魅せられ、舞台に上がることを夢みる。今も現役のダンサーであり、クラブの経営者でもあるテス(シェール)に自分をアピールするが、なかなか取り合ってもらえない。しかし、アリには、1つ強力な武器があった。類まれな歌唱力だ。やがて主役の座を射止め、スターへと上り詰めていくアリ。ところが、クラブの経営難や、引き抜きの誘いといった難題が押し寄せ、アリそしてテスも決断をせまられることになる ――。

主人公の若い女性が洗練されたゴージャスな女性に生まれ変わる映画はよくある人気のシンデレラ・ストーリーだ。例えば、『プラダを着た悪魔』、『プリティーウーマン』『マイ・フェア・レディー』など、時代や舞台が変わっても、永遠に人気のテーマと言えるだろう。

しかし、本作『バーレスク』がこれまでの作品と違うのは、単に女の子がシンデレラになるまでの道のりが描かれているのではないこと。本作では、「シンデレラになる前の女」と「シンデレラになった後の女」が同時に描かれているのだ。

「シンデレラになる前の女」とは、もちろんアリのこと。彼女は、若さゆえの純粋さと、時に無謀にも思えるひたむきさで夢への道を切り開いていく。しかし、彼女のように若く、夢を追い求める者が陥りやすい落とし穴に一時ハマってしまう。それは、自分にとって本当の味方は誰なのか? ということを見失いかけるのだ。類まれな歌唱力を持ち、スターの階段を駆け上る彼女には、当然たくさんの人間が寄ってくる。その中で本当に自分の幸せを願っている人間と、単に道具として自分を利用しようとする人間の区別がつかなくなってしまう。まさに、「夢を叶える前の若き女」が陥りやすいウィークポイントと言えるだろう。

一方、「シンデレラになった後の女」とは、かつてクラブの大スターを誇ったダンサーであり、現在は経営者でもあるテス(シェール)だ。若き日にダンサーとしての夢を叶え、経営者としてクラブそのものも手に入れたテス。彼女はまさに「アリのその後」つまり、若い女性が夢を叶えたその後の人生と言えるだろう。

この映画ではテスのウィークポイントもしっかりと描かれている。夢を実現させ地位を手にいれた者が陥りやすいウィークポイント、それは過去の栄光に捕らわれて、周囲の変化を受け入れられなくなることだ。

かつて全盛を誇ったクラブ『バーレスク』は、今や借金が膨れ上がり、どの銀行も出資してくれないという最悪の経営難に陥っていた。クラブの共同経営者である元夫は度々助言をするが、テスは一向に耳を貸さないのだ。

この作品では「夢を叶える前の若い女性」と「夢を叶えた後の成熟した女性」のそれぞれの生き方が描かれている。若い女性の夢物語だけでもなければ、成熟した女性だけの話でもない。そして、それぞれの年代に足りないものを教えてくれる。あらゆる年代の女性に、ぜひとも観てほしい。

セクシーでカッコイイ"バーレスク"の魅力を
臨場感とともに体感できる映画

                                                 Text by 落合佑介

バーレスク裏.jpgバーレスクとは、ダンスと歌、寸劇を組み合わせた女性たちによるセクシーなショーのこと。アメリカでは1920年代に広まった「大人の社交場」である。ダンサーたちはキラキラした宝石を身につけ、ランジェリーやコルセットなどの衣装に身を包み、歌やダンスを披露する。

映画の主人公は、歌手になる夢を追いかけて地方からロサンゼルスにやって来たアリ(クリスティーナ・アギレラ)。引退した歌手のテス(シェール)が経営する「バーレスク・クラブ」で働き始めたことをきっかけに、バ―レスクショーへの情熱を胸に卓越した歌唱力で成功をつかんでいくという話だ。

この作品を観て一番感じたのは、作品の要所、要所で登場する「バーレスク」の舞台のシーンの臨場感のすごさだ。まるで、自分が本当にその場に行って舞台を見ているのでは、と錯覚するほど、迫りくる勢いと立体感があった。

この迫りくる臨場感は何なのだろうか? 思えば、「シカゴ」や「ムーランルージュ」など過去の作品でも、バーレスクという世界は登場していた。しかし、いずれの作品も、バーレスクの世界を部分的に切り取ってストーリーに挿入したように感じたのに対し、本作品はバーレスクの魅力を全面に押し出している。

この「差」を生み出しているものの1つは、キャスティングだろう。これまでの作品でバーレスクで歌って踊っていた人たちは、あくまで役者だった。つまり、歌も踊りもプロではなく、作品のために役者が訓練してパフォーマンスを見せていた。しかし、今回はクリスティーナ・アギレラやシェールといった本物のプロのシンガー、なかでもグラミー賞 受賞経験のある「プロ中のプロ」が演じている。実際、映画の中でアギレラは、細く綺麗なプロポーションからは想像もつかないほどパワフルな歌声と激しいダンスを披露している。また、シェールもアギレラとは違うショービズ界の第一線で長く活躍する王者ならではの貫録を見せつけていた。この2大スターを持ってして、歌や踊りのシーンに臨場感が生まれないわけはないのだ。

もう1つは、監督のこだわりだろう。本作の監督、スティーブン・アンティンは、かつてバーレスクで働いていたことがある。バーレスクについて、「すごく特殊だけど、魅力的な世界」と描写したアンティン監督は、映画の記者会見で映画を制作した目的を「バーレスクという素晴らしい世界を世の中に紹介すること」と話していた。その監督のこだわりが、衣装、小物、メイクの全てに生かされ、「生のバーレスク」の雰囲気を創り出しているのだ。

僕自身、バーレスクという世界のことはあまり知らず、セクシーな女性の舞台ならば、ストリップのようなものかと思っていた。ところが、本作を見てバーレスクはストリップやヌードとは全く違うことをはっきりと知らされた。衣装は脱いでも、羽で出来た扇子などを使って局部や胸を巧みに隠す。下品ではなく、スタイリッシュでカッコいい。「いやらしさ」ではなく「カッコよさ」を感じる、あくまで女性のセクシーな魅力を芸術的に表現したショーなのだ。

観る者をこんな気持ちにさせるくらいなのだから、「バーレスクという素晴らしい世界を世の中に紹介したい」という監督のもくろみは見事成功した、と言えるだろう。

女性のみならず男性にも、是非ともお勧めしたい作品だ。

野太い歌声と可憐な素顔でクリスティーナ・アギレラが放つ
シズル感あふれる映画『バーレスク』

                                                  Text by 綾部歩

バーレスク大.jpg「シズル感」という言葉になじみがない人も多いだろう。「シズル(sizzel)」という英語が語源となっている広告業界用語で、従来は食品がとてもおいしそうに映っている様を表現する言葉だ。今では物事がリアルでビビッドである様子を表す言葉としても使われる。この言葉がふと頭をよぎるほど、映画バーレスクはシズル感が溢れる作品だった。

物語はクリスティーナ・アギレラ演じる田舎娘のアリがロサンゼルスにあるクラブ、バーレスクでいじめや恋に悩みながらも前向きに歌手への夢に向かい突き進むサクセスストーリー。話自体はよくあるシンプルなものだ。映画を見慣れた人ならすぐ次の展開が想像できてしまうだろう。

つまり、この作品に期待するべきはストーリーではない、というのが私のはっきりとした見解だ。では私の感じた「シズル感」の正体は一体何なのだろうか。

1つはクリスティーナの力強い歌声だ。特に最初のナンバー"Something`s Got A Hold On Me"の歌声は、156センチほどの華奢で小柄な姿からはイメージできないほど野太く力強い。その歌声からは「自分はプロのシンガーである」というプライドと、本映画にかける彼女の想いを強く感じた。ふと自分の腕に鳥肌が立つのをみて、心で感じる圧倒感は本物だと実感したほどだ。劇中で歌われる8曲のうち、3曲はクリスティーナ本人が作詞しているという事実からも、いかに彼女が本作に入れ込んでいるかを伺い知ることができる。

そして、もう1つ注目してもらいたいのが純粋な役柄を演じるクリスティーナの新たな一面だ。クリスティーナ・アギレラといえば、普段アーティストとしてテレビや雑誌で見せる顔は破天荒なイメージが強く、真っ赤な口紅につけまつ毛というビビッドなメイクやファッションに身を包んでいる印象がある。しかしこの作品中のクリスティーナは、ステージ以外のシーンでは純粋でかわいらしい役柄に徹している。実はプライベートはこんな感じなのかな、と思いを巡らせてしまうほど、その役柄がピタリとハマり、普段の姿とギャップがあって魅力的なのだ。特にナチュラルメイクの力強いまなざしが心に残る。男性ならきっと皆ノックアウトされてしまうだろう。

クリスティーナの圧倒的な歌唱力とあどけない役柄に徹した演技力、この二つが絶妙に相乗効果を成し「シズル感」を生み出しているのがこの作品、「バーレスク」なのだ。

実は、恥ずかしながらクリスティーナについて何も知らずにこの作品を鑑賞した私。ところが、いまや完全に彼女の魅力にメロメロだ。彼女をよく知るファンだけでなく、まだ彼女を知らない人々にクリスティーナ・アギレラという多才なアーティストの魅力を伝える作品として、是非お勧めしたい。

ネット・ビジネスに翻弄される
人間の"心の闇"を描く『ソーシャル・ネットワーク』

                                                Text by 鈴木純一

ソーシャル表.jpgFacebookは全世界で5億人が登録している世界最大のSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)である。Facebookの創設者であるマーク・ザッカーバーグの物語をデヴィッド・フィンチャーが監督すると聞いて違和感があった。フィンチャーといえば、絶望的なラストを迎える『セブン』、実在の連続殺人犯を追う『ゾディアック』など、独自の映像美とダークな世界観を持つ監督である。『ソーシャル・ネットワーク』を観る前は、正直に言って「SNSってよく分からないし、ネットビジネスで億万長者になった学生の話を映画化して面白いの?」と思い込んでいた。でも映画を観たら面白かったのである。フィンチャーごめんなさい。

ハーバード大学に通うマーク・ザッカーバーグは、大学の学生たちがお互いに情報交換できるサイト、Facebookを完成させる。やがて、 Facebookは大学という枠を超え、更には大陸を超えて、世界中に浸透していく。ところが、ある学生たちに「ザッカーバーグは俺たちのアイディアを盗んだ」と言われ、訴訟へと発展する。

メインの登場人物は3人。主人公であるザッカーバーグは「俺は特別な人間」だと他人を見下し、女友達から「最低(asshole)」と呼ばれている。そんな最低の男ザッカーバーグを、友情のためと資金面で支える真面目なエドゥアルド・サベリン。そしてもう1人、Facebookに目をつけたナップスター(音楽データの交換をするアプリケーション)の創設者ショーン・パーカー。このパーカーの存在が、ザッカーバーグとエドゥアルドに思わぬ影響を与えていく。

この映画を観ていて、フィンチャー監督の『ファイト・クラブ』を思い出した。『ファイト・クラブ』は殴り合って痛みを感じることで、「自分は生きている」と実感できる男たちの物語。殴り合う仲間たちの"ファイト・クラブ"がアメリカ中に広がっていったように、インターネットを通じて仲間を増やす" ネット・クラブ"Facebookはハーバード大学の寮から、大学を超え、更には大陸を超えて、世界中に浸透していくのだ。

『ファイト・クラブ』との共通点で本作に"フィンチャーらしさ"を感じた自分だが、他にも"フィンチャーらしい"と感じる部分は随所に散りばめられている。まずは、独自の映像スタイルについてである。ザッカーバーグを訴える学生の中心にいるのがスポーツ万能、エリートで金持ちという双子の学生なのだが、実はこの双子は1人の俳優が演じている。双子の俳優を使って撮影したように見せかけて、CGで合成して双子にしているのだ。

こうした映像スタイルは、監督の過去の作品でも見られる。『ベンジャミン・バトン ~数奇な人生~』ではブラッド・ピットの顔を子供の体に合成したり、さらにブラッド・ピットを10代まで若返らせていた。また、『ゾディアック』でも70年代のサンフランシスコの街並みをCGで再現している。もともとジョージ・ルーカスの特撮工房ILMで働いていたフィンチャーは、特殊効果に並々ならぬこだわりを持っているのだろう。

次に注目したいのが音楽だ。この映画でアクセントを効かせている音楽を担当したのは、ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーである。思えば、『セブン』の不気味なオープニング・タイトルで流れていたのもナイン・インチ・ネイルズの「Closer」だった。フィンチャーとレズナーのコラボレーションが再び実現した音楽にも注目(注聴)だ。また、ストーリーの中で、キーマン的な役割を担うパーカー役に、グラミー賞を受賞したミュージシャンのジャスティン・ティンバーレイクを振ったのも、音楽つながりで面白い。ティンバーレイクは軽薄だが話術が巧みなカリスマ性のあるパーカーを好演している。

最後に"フィンチャーらしさ"として特筆したいのが、"人間の心の闇"だ。『セブン』では殺人犯を捜そうと奔走する刑事たち、そして『ファイト・クラブ』は暴力に魅せられた男たち。両作とも登場人物が殺人と暴力という暗闇に引きずり込まれていく物語だった。『ソーシャル・ネットワーク』では、ネット時代のビジネスに翻弄される若者たちが名声に酔い、お互いを疑い、傷つけ合っていく様が鮮やかに描かれている。Facebookの栄光に魅せられ、闇に飲みこまれていく男たちがどのような結末を迎えるのか。ぜひ映画館で見届けてほしい。

鶏が偉いか? 卵が偉いか?
フェイスブックの立ち上げ秘話に迫る『ソーシャル・ネットワーク』

                                             Text by Kenji Shimizu

ソーシャル裏.jpg現在では全世界に5億人のユーザーを抱えるSNS(ソーシャルネットワークサービス)フェイスブックは、ハーバード大学寮の一室で作られたものだった。創ったのは、ハーバードの学生である19歳のマーク・ザッカーバーグ。しかし、その過程の裏で、様々なトラブルを抱えていた。

映画はザッカーバーグが女の子にフラれた腹いせに「カワイイ女の子比較サイト」を驚異的なスピードで立ち上げるところから始まる。そのサイトの評判は瞬く間に学内に広まり、ザッカーバーグは一躍有名人となる。そんな折、その噂を聞きつけた双子の金持ち学生から新しいSNSの制作を依頼される。寝る間を惜しんでサイトのプログラムを書いたザッカーバーグだったが、それは双子の学生とは無縁の自身のSNS、フェイスブックのためだった...。



映画「ソーシャル・ネットワーク」の中で描かれる「フェイスブックを創ったのは誰か?」を巡る論争は、知的財産の所有権に関するスタンスの取り方で見え方が全く異なってくる。

例えば、インターネット検索エンジンで有名なグーグル社では、アイデアを思いついただけでは評価されない。つくって実現させて初めて評価を得る。それがまだ創立12年に満たないグーグル社の社風だ。「新興」ゆえ、まだ一般的とは言えない考え方だが、グーグル的視点に立つとザッカーバーグはヒントをもらっただけ、つまり、フェイスブックの創始者は間違いなくザッカーバーグなのだ。

一方で、アイデアが無くては何も生まれないこともまた事実。現代社会では、知的財産の所有権は特に尊重される。一般的な常識に照らし合わせれば、ザッカーバーグが双子の上級生からアイデアを「盗んだ」と言える。

さて、どちらの見方が正しいのか? 個人的にはザッカーバーグだと思うが、こうした考えは恐らくはまだ少数派だろう。「人のアイデアをパクっておいて何が正しいんだ?」と反発されるかもしれない。しかし、価値観の変容が著しい現在、多数派だから正しいとも限らない。特にIT、デジタルの世界ではそれが顕著だ。あまり頑なな態度を取ると、置いてけぼりを食らいかねない。何故かそんな危機感を感じた映画だった。


哲学者ニーチェへ捧ぐオマージュ
映画『ベストセラー』

                                                     by 樋口孝一

bestseller1.jpg盗作疑惑をかけられた女流作家ペク・ヒスは、再起をかけて娘と2人、人里離れた洋館にこもって執筆活動に専念する。村の人々は親切に迎え入れてくれたものの、どこか違和感を感じていた。そんな中、娘が村で出会った"お姉さん"に聞いたという話を元に、ヒスは新作『深淵』を書き上げる。この作品で、再びベストセラー作家に返り咲いたヒス。ところが、この作品までもが盗作だと疑われてしまう。

周囲に狂気を疑われながらも、無実を晴らすために村に戻って調査を始めたヒスは、村に隠されたある秘密に気付き始める。そして調査を進める内に、次第にその秘密に巻き込まれ、自らがその当事者となっていく......。

この映画、実はドイツの哲学者ニーチェへのオマージュなのではないだろうか。私にはそう思えて仕方ない。そう感じさせるポイントは、2つある。


まず1つ目。それは、ヒスが書きあげた小説のタイトル『深淵』だ。
ニーチェの言葉に、次のようなものがある。

怪物と戦う者は、その際に自分が怪物にならないように、注意するがいい。また、君が長いこと深淵をのぞきこむならば、深淵もまた君をのぞきこむ。

                                         〔白水社『ニーチェ全集』より〕

正義を貫くために悪を追及するあまり、自分が悪に染まってしまうという人間の弱さに警鐘を鳴らした内容だ。これはまさに、ヒスが村に隠された秘密の真相を探るうちに自らもその秘密に巻き込まれ、次第にその当事者になっていくことを暗示しているかのようである。

そして、もう1つは「狂気」だ。作品の中で、常に「狂気」を疑われ続けていたヒス。果たして彼女は本当に気が違っていたのだろうか? あるいは、「狂気」は他にあったのか?

ニーチェは「ツァラトゥストラの序説」の中で、最も望ましくない人間の姿を表すものとして「最後の人間」という言葉を繰り返し使っている。ここで言う「最後の人間」を、彼は「民主主義的な価値観にまい進し、他人と競争することを嫌い、気概を失った人間」と定義している。これは噛み砕いて言えば、「多数決で数が多い方=正義」とする「集団主義的な考え方をする人間」のことを指している。

作品中に出てくる村は、まさにこの集団主義を重視する共同体の象徴に他ならない。そしてこの映画では、個人主義よりも集団主義を重要視するその共同体の中に見え隠れする「狂気」を浮き彫りにしている。

狂気は個人の場合には滅多にないことである、――しかし集団、党派、民族、時代の場合には定例である

                                               〔『ニーチェ全集』より〕

ニーチェのこの言葉に、村に隠された秘密の真相に迫るカギがありそうだ。

緻密な構成の中に "仕掛け"がキラリと光る
韓国映画『ベストセラー』

                                                    bestseller2.jpgby岩屋圭典

恐らく自分以外にもいると思うが、映画を見ていると時折、途中でだらけてしまって内容が入ってこなくなる時がある。ソワソワしたり、時間をやたらと気にしてしまったり......。

どんなにストーリーが良くても、なるときはなる。プツンと糸が切れるかのように、ふいに集中力が切れてしまうのだ。問題は、ストーリーではなく構成にある。構成が平板だと、"中だるみ"してしまうのだ。

しかし、今回の韓国映画、『ベストセラー』はそんな"中だるみ"を一切許さない。緻密に計算され、作りこまれた構成になっているのだ。

2年前に盗作疑惑をかけられて以来、スランプに陥ってしまったベストセラー作家ペク・ヒス(オム・ジョンファ)。再起をかけ、彼女は執筆活動に専念するため1人娘のヨニ(パク・サラン)と共に、小さな村のとある別荘にこもることにする。

しかし、その別荘は、家全体に奇妙な音が響いたり、2階の奥に固く閉ざされた部屋があったりと、異様な雰囲気に包まれていた。村の人たちも、親切だがどこかよそよそしく不自然。ある日、娘のヨニが"お姉さん"と呼ぶ、謎の人物との会話の内容をヒスに話す。ヨニの話に魅入られたヒスは、その話を題材に新作を書き上げる。しかし、その作品に、またしても盗作疑惑がかけられてしまうのだ。無実を主張するヒスは、再び村に戻って調査を開始する......。

前半で描かれているのは、ぺクが怪奇現象を元に小説を書き上げるまで。ここまでは、いわばホラー映画の要素が強い。娘が話している"お姉さん"とは一体誰なのか? ペクが屋敷で見た怪奇現象とは何だったのか? 様々な謎が秘められ、非常に難解なストーリーになっている。能動的な姿勢で必死に謎ときを強いられ、セリフの1つ1つに集中して観なければすぐに展開についていけなくなってしまう。

一方 後半では、ペクが盗作の疑いを晴らすために調査を開始し、村の秘密が明らかになっていく。こちらはいわば、サスペンスの要素が強い。スピード感があり、グイグイと視聴者を引っ張っていってくれる。話が2転3転する意表を突く展開の連続だが、謎が次々とひも解かれていくため、受け身の姿勢で見られるようになっている。

そして特筆すべきは、前半と後半の境目に埋め込まれたちょっとした"仕掛け"だ。この仕掛けによって、前半を見ていた時に感じた違和感の正体が、明らかになる。ここで前半の流れが覆り、あっと言う間に後半に突入する。本来なら、ホラー映画がサスペンスに変わるなど、違和感を感じる所だろう。ところが、この映画では、前半のホラー部分と後半のサスペンス部分の間に粋な仕掛けを盛り込むことで、視聴者にその違和感を一切感じさせることなく、一気に結末まで展開させている。

恐らく、前半のホラーの要素だけで最後まで行く映画だったら、中だるみして飽きていただろう。逆に、後半のサスペンスの中に見られる激しいシーンばかりだったら、間違いなく疲れてしまっていただろう。しかし、この映画は、ホラーの要素の強い前半とサスペンス色の強い後半、そしてその両者の間に緻密に計算され、植え込まれた "仕掛け"の3つが揃うことにより、絶妙なバランスを生み出し、誰もが最後まで集中力を切らさずに見れる映画になっているのだ。

それにしてもこんなにも思い切った構成にしてしまうとは、実はイ・ジョンホ監督も映画の途中でソワソワし始める1人なのではないだろうか? しかもこの大胆さから察するに、その症状は案外深刻なのかもしれない...。

東京国際映画祭出展の『ベストセラー』、集中力がある人も無い人も、ぜひとも映画館へ足を運んでほしい。

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