by松澤友子
韓国のベストセラー作家として脚光を浴びるぺク・ヒス(オム・ジョンファ)は、盗作疑惑をかけられ、スランプに陥ってしまう。その後、彼女は再起をかけて執筆活動に専念するため、娘を連れてソウルを離れ、ある静かな村の別荘に滞在することにする。そこは、かつてアメリカ人宣教師が住んでいたという古い洋館。村の住人は彼女を歓迎するが、どことなく奇妙な雰囲気が漂っていた。
別荘での生活が始まっても、なかなか筆が進まないぺクだったが、娘がその洋館で出会った"お姉さん"から聞いたという話を元に、見事な作品を書きあげる。しかし、何とこの作品が再度盗作疑惑をかけられてしまう。果たして彼女は本当に盗作をしたのか? 娘のヨニが村の洋館で出会った "お姉さん"とは一体誰だったのか? 真実を知るために行動を起こすぺクを悲惨な運命が待ち受ける......。
映画は冒頭から、ぺク・ヒスが盗作疑惑をかけられて泣き叫ぶシーンが続き、波乱に満ちた展開を想像させる。更に、彼女が執筆活動のために滞在することになった洋館は、薄暗い森に囲まれて、何とも言えない不気味な雰囲気を醸し出していた。ここまで観ただけでも、いかにも「何か起こりそう」な予感。もちろん、その期待は裏切られることなく、洋館や村では奇妙な出来事が続く。特に物語の前半部分は、先の展開が全く読めず、驚きの連続だ。
加えて、ぺク・ヒスを演じるオム・ジョンファの演技が一級だ。目の周りを黒く縁取ったメイクに猫背、更にぼさぼさパーマの髪の毛がダラリと顔の上に垂れ落ちている。この外見を見ただけでも、まるで何かに取り憑かれているかのようだが、この不気味な外見に更に拍車をかけるのが、彼女の演技だ。執筆活動が思うように進まないシーンでノートパソコンを破壊したり、娘にどなり散らしたりする演技は迫真に迫り、思わず一緒に叫んでしまいそうになった。
ホラー映画の雰囲気で始まった本作品だが、後半は一転して、激しいアクションの連続。2度目の盗作疑惑をかけられて、真実を確かめるために調査を始めたヒスは、思いもよらぬ事件に巻き込まれていく。真実を明らかにしようとするヒスと、それを隠そうとする者たち。両者が文字通り、激しい死闘を繰り広げる。物語の前半では、背筋が凍るような恐怖を感じて手に汗を握りっぱなしだったが、後半では激しいアクションに、やはり手に汗を握りっぱなしだった。
作品の所要時間は約2時間。その中にホラー、サスペンス、アクション等、様々な要素が盛り込まれている。加えて、謎に満ちた物語の展開からは片時も目が離せず、気づいたらエンドロールが流れていた。
Text by 鈴木純一
人間とアンデッド(ゾンビ)が戦う『バイオハザード』の最新作は、シリーズ初の3D映画だ。近年は3Dがブームになっているが、『バイオハザードⅣ』は3Dカメラで撮影された、"本物の3D映画"である。
本物の3D映画とは何か? それにはまず、最近の映画産業の3D事情から説明する必要があるだろう。例えば、3D映画として公開された『タイタンの戦い』。これは1台のカメラで通常通り撮影した映像をコンピューターで3Dに変換した、いわば"3D化映画"である。
一方、本作品は撮影の段階から3Dだ。2台のカメラを人間の目と同じように横に並べて撮影するフュージョン・カメラという機材を使うことで、撮影の段階から立体的な映像を撮ることが可能になったのだ。こうして撮影された"真の3D映画"は、"3D化映画"と比べると、立体感と奥行きに歴然とした差が出る。
実はこれは、ジェームズ・キャメロン監督が『アバター』を制作する際に使用したもの。本作の監督であるポール・W・Sアンダーソンがキャメロンにアドバイスを求めたことで、『バイオハザード』シリーズで初めての "本物の3D映画"が実現したのである。
ところで、近年の3D映画の中には「わざわざ3Dにする必要はないのでは?」 と思うような作品も多い。特に字幕版で観る場合、字幕までが浮き上がって見えて読みづらいという経験をした人もいるだろう。また、長時間に及ぶ映画の上映中ずっと3D眼鏡をかけて大画面を見ていると、しまいには頭がクラクラすることすらある。
ところが、『バイオハザードⅣ』は違う。約1時間半という適度な上映時間に加え、3Dで観ることにより、一種のアトラクション(ゲーム)感覚が味わえるのだ。それも当然、元はと言えばこのシリーズは人気ゲームを映画化した作品。ゲームセンターで、迫りくるゾンビたちを次々と銃で撃ち落としていくリアル・ガンシューティング・ゲームのような、アトラクション(ゲーム)感覚のシーンが盛りだくさんなのだ。ゾンビ(アンデッド)やアクションといったキーワードから考えてみても、これこそ3Dで見るべき映画と言えるだろう。
実際、本作には、渋谷を舞台にした銃撃戦と大爆発のオープニングに加え、手裏剣、斧、銃弾や割れたガラスなどが観客めがけて飛んでくる3D映画のお約束な演出もある。特に中盤の刑務所でアンデッドとアリス(ミラ・ジョボヴィッチ)が戦うアクションシーンは、本作屈指の緊迫感ある見せ場だ。逃げるアリスの背後に迫るアンデッドの大群に、思わず「アリス、後ろ!後ろ!」と言いたくなる。
アンダーソンは『モータル・コンバット』『エイリアン VS プレデター』などアクションを得意とする監督だが、本作で3D映画に新たな表現方法があると確信したのか、現在ミラ・ジョヴォビッチ主演で『三銃士』を3Dで撮影中だ。ちなみにご存じの方も多いだろうが、アンダーソンとジョボヴィッチは夫婦である。
そして、もう一つ注目したいのはキャスティングだ。本作では、ドラマ『プリズン・ブレイク』で人気を得たウェントワース・ミラーが登場するが、ミラーが演じるクリスは最初、刑務所に閉じ込められているという設定だ。『プリズン・ブレイク』で刑務所から脱走する囚人を演じたミラーを再び刑務所に入れるというシナリオは、ドラマファンへの目配せか。
さらに、前作から引き続きクレアを演じるのは、ドラマ『HEROES/ヒーローズ』でもお馴染のアリ・ラーター。他にも少女Kマートに扮したスペンサー・ロックも再び登場する。さらに『Ⅱ』で活躍したジル・バレンタイン役のシエンナ・ギロリーも復活! 一体、どこで彼女に会えるのかは......観てのお楽しみである(笑)。
前作までの登場人物が新たな役割を担ってお目見えする本作は、シリーズの集大成にして新しいステージの始まりともいえる。そして3D技術によってアクションとスリルが満載のアトラクション映画となった『バイオハザードⅣ アフターライフ』、ぜひ映画館で体感してほしい。
Text by naiamao
8月19日、この9月に公開される、ジュリア・ロバーツ主演の最新作『食べて、祈って、恋をして』のジャパンプレミア試写会に行って来た。
この試写会には初来日のジュリアとプロデューサーのライアン・マーフィーが登場。今までスクリーンで観る分にはほとんど意識していなかったが、ジュリアはモデルさながらの長身で、客席からも「(以前よりもっと)きれいになったね」と感嘆の声が洩れていたほど美しかった。プロデューサーも女性で原作はエリザベス・ギルバートの自伝的小説とのこと、いかにもガールズシネマなのではと想像していた。その予想は、ある意味大当たり(笑)。
ただ、人間の根源的な欲求である「食べる」、「祈る」、「恋をする」という3つのテーマの中で、ウィットに富んだ言葉のスパイスが効いていて、男性が観ても楽しめる内容になっている。
あらすじは、非常にわかりやすい。ニューヨークでジャーナリストをしていたアラフォー女性エリザベス(ジュリア・ロバーツ)は、ある占い師に出会い人生の予言をされる。その後、予言通り離婚をした彼女は、失った何かを取り戻すべく1年をかけて「自分探しの旅」に出ることを決意。そして、イタリアで「食」を堪能し、インドで瞑想に励んで「祈り」、最終的にバリで運命の人と出会い「恋をする」のである。これだけ聞くと「自分探し?もしや単なる傷心旅行記→ハッピーエンドものなのでは...」という、他人の日記を見せられるかような一抹の気まずさを感じて、私などは引いてしまう。しかし、本作は違っていた。
あらすじは単なる設定であり、伝えたいメッセージは全て、旅で出会った人々との会話や、一つ一つの出来事の中での「気づき」として語られるのだ。
例えば、人間の三大欲求である食欲を取り戻すべく訪れたイタリア。このイタリアで、リズはある時友人から「あなたはどんな人なの?」と聞かれる。これに対して、彼女は上手く答えることができない。ここで初めて、彼女は気づく。自分が何者(どういう人間)で、本当は何を望んでいるのか。この根本的なことが、自分自身で分からなくなっていたのだ。
その後、リズはむさぼるように貪欲にイタリアの食を求め、同時に自分を形容する言葉を探し始める。自分の心や体が喜ぶ美味しい食べものを貪欲に追い求めること(=どこで、何を、誰と、どんな風に食べたいかを追求すること)は、誰でもない「自分」を知ることに他ならないからだ。
また、2国目に訪れたインドではメディテーションや祈りといったスピリチュアルな要素が登場し、物語の核になっているのも時代を反映していて興味深い。極端なオカルトではなく、あくまで叡智のエッセンスの一つとしてスピリチュアルな要素を生活に取り入れる。その「ゆるい」感覚が、バランスが取れていてとても新しい。また全編を通して、自然と調和したライフスタイルの提案がさり気なくされているのにも好感が持てる。
最近、特に都会で生活していると「個人レベルで心の平和を手にしたい」と考える人が増えていることを実感する。日本でのスピリチュアルブームもその現れで、戦前の日本人が日常持っていた精神への回帰なのかもしれない。そして、まさに本作は、今私たちがどうすれば心の平和を得られるのか、そのヒントをいくつも与えてくれる。
エンディングのバリは、「天国と地が出会う」場所というだけあり、選りすぐりのロケ映像が最高だ。どこまでもなだらかに広がる棚田(日本より緑が濃い)や、夕陽に照らされた海が金色に輝く断崖の風景に心洗われる。そのBGMにはべべウ・ジルベルトやジョアン・ジルベルトなどのブラジル音楽が絶妙なタイミングでかかり、新鮮かつしっくりと耳に響く。
何気ない台詞の中に散りばめられた、心の琴線に触れることばを見つけるのが楽しい本作は、いわば、ことばと旅の風景が織りなす一遍のタペストリー。観終わっても、心に残ったその美しく繊細な織物のイメージが、豊かな気持ちにさせてくれる。
この映画は、ありがちな「自分探し」というストーリーを追っていたのでは、決して堪能しきれない。観る側も、スピリチュアルに"感じ" "味わう"ための作品なのだ。
肩の力を抜いて自分の人生を考えてみるもよし、バーチャルの世界旅行を楽しむもよし。"程よいスピリチュアル感"で心の平安を得たいと考える人は、ぜひ本作を観に映画館に足を運んでほしい。
Text by 鈴木純一
『ベスト・キッド』は1984年に製作された同名作品のリメイクだ。オリジナル版をリアルタイムで体験した者としては、最近流行のリメイクの1本かと思って観たのだが、結果は予想を上回る面白さだった。基本的なストーリーはオリジナル版とほぼ同じ。違うのは舞台がカルフォルニアから北京になり、主人公が習うのが空手からカンフーへと変更された点だ。
主人公のドレ(ジェイデン・スミス)は、父親を亡くし、新生活を求めて北京に移り住む。新しく始まった北京の生活で、彼はカンフーを習う乱暴な少年チョンのいじめにあう。いじめに苦しむドレは、カンフーの達人であるアパートの管理人ハン(ジャッキー・チェン)にカンフーを教えてくれと頼むのだった。その後、ハンの特訓を受けたドレとチョンは、カンフーのトーナメントで対決することなる......。
ハンから特訓を受けられることになったものの、ドレはいつまで経っても訓練させてもらえず、ひたすら上着を脱いで棒にかけ、それを取って着る動作を繰り返させられる。この場面は、オリジナル版で主人公がひたすら車のワックスがけをさせられるシーンの再現だ。やがて、上着を脱いで棒にかける何気ない動作がカンフーの技につながると分かる。この展開はオリジナル版と同じなのだが、観ていて思わず心が高揚する名場面だ。実は、ワックスがけから、上着の着脱に変更したのは、ジャッキー本人からの提案によるものだという。
30年以上アクション映画に出演してきたジャッキー・チェンだが、今回は師範役ということで得意のカンフーを封印し、俳優として新たな一面を見せている。悲しい過去を持つハンはドレと出会い、人生に希望を持とうとする。一方、父親のいないドレはハンと出会い、大切なことを教えてくれる師範を得る。映画の中で、この擬似的な親子関係が、より顕著に表れるシーンがある。
トーナメントを順調に上り詰めていくドレ。ところが因縁のチョンとの決勝戦を目前に、卑劣な選手の反則行為により、大怪我を負わされてしまう。急遽医師の診察を受けるドレ。そこで医師に棄権するよう勧告される。それでも闘うことを主張するドレ。そんなドレに対し、ジャッキー演じるハンが反対し、こう言うのだ。
「もうこれ以上、君が傷つく姿を見たくない ――」
まさに、師匠ではなく、父親としての顔が現れた瞬間だ。しかし、これに対しドレは、なおも闘いの続行を主張する。そこでハンは問う。
「もう十分、君の強さは見せられたはずだ。なぜ、そんなに闘いたいのか」この問いに対するドレの答えはこうだ。
「まだ僕の中に、彼(チョン)を怖いと思う気持ちがあるからだよ。」
これまでの特訓を通して、闘っていたのはドレだけではない。ハンもまた、人生に立ち向かい、己に打ち勝つべく闘っていた。このシーンは、これまで教える立場にあったハンが、初めてドレから「闘いの本質」を教えられた場面だ。
「真の強さとは何か?」本作は、観る者に強烈なメッセージを訴えかけている。
オリジナル版へのリスペクトも忘れず、新たなアイディアを加えて生まれ変わった『ベスト・キッド』。親子で観ても楽しいし、友人同士で観ても面白い。誰が観ても満足できる映画だ。オリジナル版を観たという人も、観ていないという人も、ぜひとも劇場に足を運んでほしい。
Text by 鈴木純一
CIA職員であるイヴリン・ソルト(アンジェリーナ・ジョリー)は、突如現れた謎の男の密告でロシアのスパイだと疑われてしまう。追跡を逃れるため、ソルトは知力と体力を駆使し、トラックの屋根に飛び乗り、ビルの壁をよじ登って窮地を切り抜けようとする...。
ここから物語はハイスピードで展開していくが、ソルトの目的は終盤まで明かされないため、最後まで緊張感が持続する映画になっている。
撃たれても立ち上がり、爆発に吹き飛ばされても戦い続ける主人公の姿は、観る者にも痛みが伝わってくる。また実際、激しいアクションのためにアンジェリーナ・ジョリーは負傷しながら撮影を続けていたそうだ。
しかし『ソルト』の魅力は、アンジェリーナ・ジョリーの熱演だけではない。本作品は、優秀なクリエイター陣が周囲を固めているのだ。
監督のフィリップ・ノイスは『パトリオット・ゲーム』などの作品をはじめ、アクションを得意としている人物なので、『ソルト』の演出には適任だ。また、脚本を書いたカート・ウィマーは監督もこなす才人で、これまでにも『リベリオン』(隠れたアクション映画の傑作)や『ウルトラヴァイオレット』といった作品において、たった1人で巨大な組織と戦う主人公の姿を描いてきた。これは、孤独に戦う設定の主人公『ソルト』と共通している。
さらに本作品の息もつかせぬ展開に貢献した人物として、編集のスチュアート・ベアードの存在も大きい。ベアードは『リーサル・ウェポン』、『ダイ・ハード2』の編集を手がけたベテラン編集者で、ハイジャック・サスペンスの秀作『エグゼクティブ・デシジョン』の監督も務めている。
『ソルト』はアンジェリーナ・ジョリーの体当たりの演技と、数々のアクション映画を手がけてきたクリエイターたちが結集し、生み出した秀作なのだ。これで面白くないわけがない。優れたアクション大作は、大画面で観なくては作品に対して失礼にあたる。『ソルト』は、ぜひとも劇場で観ることをお勧めする。
Text by 松澤友子
7月27日(火)、アンジェリーナ・ジョリー主演のアクション・サスペンス「ソルト」のジャパンプレミア試写会に行ってきた。
このジャパンプレミアでは、本編の上映前に、レッドカーペットにアンジェリーナ・ジョリーが登場。同日昼間に行われた記者会見では黒のパンツスーツだった彼女だが、レッドカーペットでは黒のドレス姿で登場。背中が大きく開き、太ももの付け根から深いスリットが入った黒いドレスは、彼女のスタイルの良さを際立たせていた。
また装いのみならず、ドレスに身を包んだアンジーの立ち振る舞いは、女性らしい優しさと、気品に満ち溢れていた。彼女を直接見るのは初めてだったが、そのキラキラしたオーラに、思わずうっとりとしてしまった。
レッドカーペット上でのファンサービスが終了すると、いよいよ舞台挨拶だ。アンジーが登場するやいなや、会場からは黄色い歓声が上がった。舞台上でのインタビューでは、「今回の作品は、これまでのファンタジー色の強いアクション映画とは異なり、現実世界でのストーリーだったので、よりタフで激しい作品に仕上がっている」とコメントし、今回の役柄を演じるにあたり、実際に女性スパイに会って話を聞いた、というエピソードも話した。
本編はアクション・サスペンスと言うだけあり、謎めいたストーリーの中に、激しいアクションシーンが満載。ソルトは本当にロシアのスパイなのか? 彼女の真の目的は一体何なのか? 物語が進むにつれ、この謎が少しずつ明らかになっていく。が、二転三転するストーリーは、驚きの連続で、観る者に息をつく暇すら与えてくれない。そしてもちろん、アクションも見どころの1つ。1時間40分という本編では終始、体当たりのアクションシーンが続く。特に、逃亡を試みるソルト(アンジェリーナ・ジョリー)が高層マンションを壁伝いに移動するシーンでは、手に汗を握りつつも、彼女のしなやかな動きに魅了された。
激しいアクションが続く一方で、女性スパイの内面の描写も印象的だ。冷徹なスパイではあるが、そこにいるのは生身の女性。過酷な訓練に耐え、強靭な肉体と精神を手に入れても、繊細な心は失っていない。相手に危険が及ぶことを承知の上で、人を愛してしまうこともある。自分の任務を全うするために、必死に感情を押し殺すソルトの姿からは、強さと同時に「ただの1人の女である」という儚さを感じた。
複雑なストーリー展開やアクションに加えてアンジーの美しさに魅了され、あっと言う間に過ぎ去り充足感に包まれた1時間40分だった。
『サブウェイ123 激突』
デンゼル・ワシントンとジョン・トラボルタが"激突"!!
作品に見え隠れする、タランティーノのエッセンス
by 鈴木純一(2005年4月期実践クラス修了生、翻訳者、映画コラムニスト)
最近、ハリウッド大作にリメイク版が目立つ。リメイクは「知名度」という点でアドバンテージがある。しかし、実はハンデもあるのだ。それは、これまでの少なからずの作品が(オリジナルの方がよかったよ)とネット上などで評価され、ファンの中には期待感以上に懐疑心を抱く人も少なくないからだ。
トニー・スコット監督の最新作、『サブウェイ123 激突』を観た。1974年に「サスペンス映画の傑作!」と絶賛された、『サブウェイ・パニック』のリメイクである。『サブウェイ・パニック』で犯罪者グループがお互いを「ブルー」「グリーン」と色で呼び合う設定は、この映画をこよなく愛するクエンティン・タランティーノ監督の『レザボア・ドッグス』にも登場する。宝石店を襲撃する男たちが同じように色でお互いを呼び合うのだ。そんな逸話からも、『サブウェイ・パニック」が優れた作品であったことがわかる。
スコットとタランティーノの関係は興味深い。スコットの監督作品、『トゥルー・ロマンス』の脚本を書いたのがタランティーノである。また、先に紹介した『レザボア・ドッグス』のエンド・クレジットでは、タランティーノはスコットに謝辞を贈っている。つまり、タランティーノの『レザボア・ドッグス』には、将来スコットが『サブウェイ・パニック』を再現するという"予兆"が記されていたのである。
主演のデンゼル・ワシントンはスコット作品の"常連"スターだ。『クリムゾン・タイド』(実は、タランティーノがノークレジットで脚本に参加)、『マイ・ボディガード』、『デジャヴ』に続き、今回が4度目になる。一方、キレた犯人を演じるもう一人の主役、ジョン・トラボルタは、ご存知、タランティーノの代表作「パルプ・フィクション」で同じように危険な男を演じている。さらに、『トゥルー・ロマンス』で印象的な殺し屋を演じたジェームズ・ガンドルフィーニが、『サブウェイ123 激突』ではニューヨーク市長役を好演している点も見逃せない。
もうおわかりだろう。『サブウェイ123 激突』には、スコットとタランティーノというハリウッドの強力ラインによる、類い稀な"娯楽作品の遺伝子"が組み込まれているのだ。
『サブウェイ123 激突』でもスコットの作風は健在だ。細かいカット割り、早回し、スローモーション、テロップ、ストップモーション、過剰演出ギリギリの音楽も相変わらずで、冒頭から観客は地下鉄ジャック事件のスリルと心地よい不安感に引き込まれていく。
オリジナルの『サブウェイ・パニック』との違いも鮮やかに際立つ。警察と犯人グループとの追跡劇が印象的だった旧作に対し、本作は地下鉄ジャックのリーダー、ライダー(ジョン・トラボルタ)と、実直な地下鉄職員ガーバー(デンゼル・ワシントン)の心理戦に重点が置かれている。
ガーバーはある"罪"を背負いつつ、この事件では、もう一度まっとうな人間として立ち直ろうとライダーと戦う。人間が持つ善と悪を象徴する2人が"激突"する展開は、最後まで緊張感が張りつめている。
主役の2人以外にも、犯人と交渉する警部補役にジョン・タートゥーロ、緊張の合間で絶妙なユーモアを醸し出すガンドルフィーニ、そして私の大好きな名脇役、ルイス・ガスマンが犯人グループの一員を演じ、それぞれがいい味を出している。(ガスマンが活躍する場面が少なかったのは残念だったが)
映画ファンにとってお気に入りの作品がリメイクされるのは、複雑な心境だ。でも今回の『サブウェイ123 激突』は、スコット監督の強烈な映像スタイルと出演者たちの演技から、別の新たな作品と見なしても楽しめるはずだ。オリジナルを未見の方は、ぜひ見比べてほしい。
日本で皆既日食(東京では部分日食)が見られた2009年7月22日、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント様より、2009年12月公開予定の映画「2012」の先行映像お披露目イベントにご招待いただきました。
当日は、六本木ヒルズスカイラウンジでのパーティや宇宙学者によるセミナー、さらには本作のテーマに関連するマヤ文明研究家の講演、世界のメディアが注目する記者会見で大いに盛り上がりました。
このイベントに同席したプロ翻訳者でもあり、映画コラムニストでもある当校修了生、鈴木純一さんに鑑賞後の感想をいただきました。
「2012」、世界の終わりがやってくる!?
ローランド・エメリッヒ監督のパニック超大作再び!
by 鈴木純一(2005年4月期実践クラス修了生、翻訳者、映画コラムニスト)
"実際にあったら大変だけど、エンターテイメントとして観る分には面白い映画"はたくさんある。サメが人を襲う映画、恐竜が現代に甦って暴れる映画などだ。このジャンルではスティーヴン・スピルバーグが代表的な監督だろう。そしてもう1人、人類が遭遇する試練をエンターテイメント大作に作り上げる監督がいる。それがローランド・エメリッヒだ。
エメリッヒ監督は、エイリアンによる地球総攻撃を描いた「インデペンデンス・デイ」、それから地球が異常気象に襲われる「デイ・アフター・トゥモロー」など、特殊効果をふんだんに使ったスペクタクル映画を得意としている。「ゴジラ」のハリウッド版「GODZILLA/ゴジラ」は、最初はスピルバーグに監督のオファーがあった。しかし最終的にはエメリッヒが「GODZILLA」を、スピルバーグが「ジュラシックパーク」を撮っている。お互いに怪獣と恐竜の映画を作っていたことも面白い共通点だ。
エメリッヒ監督が新作「2012」を撮影しているというニュースは聞いていた。今度も地球が大変な目に遭うらしいというウワサも。「2012」とは、古代マヤ文明の暦をヒントに、2012年に起こる世界の滅亡を描いたパニック超大作だ。
先日、エメリッヒ監督が来日して、12月に公開される「2012」の9分間のフッテージが"世界初上映"されるイベントが行われた。アカデミーからのお誘いで、イベントに出席してフッテージを観ることができた。最近のCGが多く使われている映画を見慣れたせいもあり、たぶん「デイ・アフター・トゥモロー」みたいな作品なのではと思っていたのだが...
すごい。本当にすごい映像で圧倒された。観終わった時にはグッタリするぐらいの体験だった。地面が割れ、高層ビルが倒れてくる。隕石が空から大量に落ちてきて、空母が大波にのまれて転覆する。世界が崩壊する圧倒的な描写がこれでもかとスクリーンから観る者に迫ってくるのだ。大きなスクリーンで観ると、これはもう"映画アトラクション"である。
フッテージ上映後に行われた記者会見では、監督が「さまざまな特殊効果を組み合わせて、考えうるすべての技術を使った」と語っていた。その言葉にウソはない。エメリッヒは最高レベルの撮影技術を駆使して、誰も見たことのない究極の映像世界を創造した。9分間の映像でこれだけの迫力なら、本編に期待するなというほうが無理だろう。しかも、見所は映像だけではない。家族を守ろうとする作家を演じるのはジョン・キューザック、それからアメリカ大統領にはダニー・グローヴァーと、実力派の俳優がキャスティングされている。人間ドラマにも力が注がれているようなので、さらに期待は高まるのだ。
世界の終わりは実際には起きてほしくないが、世界の終わりを描いた映画が公開されるのを今から楽しみにしている。
先日、アカデミー修了生も勤務する、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント様より、5月15日から公開の「天使と悪魔」のプレミアム試写会にご招待いただきました。早速、同席したプロ翻訳者でもあり、映画コラムニストでもある当校修了生、鈴木純一さんに、鑑賞後の感想をいただきました。
「天使と悪魔」ラングドン・シリーズ第2弾。
原作をリスペクトし、原作を超えたタイムリミット・サスペンス
「ダ・ヴィンチ・コード」から3年、いよいよ続編の「天使と悪魔」が公開される。主役のラングドン教授を演じるのは前作同様トム・ハンクス。監督も引き続きロン・ハワードだ。
ロン・ハワードはファンタジー作品の「スプラッシュ」から、実録ドラマ「フロスト×ニクソン」まで幅広く手掛けているが、意外なことにシリーズモノを監督するのは今回が初めてとなる。
原作「天使と悪魔」は「ダ・ヴィンチ・コード」以前に書かれた小説だ。しかし映画版では「天使と悪魔」は続編の設定となっている。第1作目と2作目を入れ替えての映画化となったが、その変更は成功したといえる。なぜかというと、「天使と悪魔」の方が見どころの多い、続編にふさわしい要素を含んでいるからだ。
成功する続編に共通する要素とは何か?第1作目がヒットすると、続編には前作以上の期待が寄せられる。ハードルが上がるわけだ。よって、多くの続編がアクションや見せ場を増やし、キャスティングを豪華にするなど、スケールそのものを拡大する傾向にある。
「ダ・ヴィンチ・コード」では容疑者にされたトム・ハンンクス演じるラングドン教授が逃亡を図りながらも謎を解いていくという、比較的シンプルな構成だった。しかし「天使と悪魔」はいくつものプロットが折り重なった構成になっている。バチカンの頂上部に立つ枢機卿たちの誘拐、秘密結社イルミナティの陰謀、暗号解読、そして恐ろしい予告殺人。
極めつけは、1時間ごとに謎を解決しなければならないタイムリミット・サスペンスの要素だ。これだけのアイディアを惜しみなく注ぎ込み、先が読めないハラハラドキドキのシーンが連続する。究極のジェットコースター・ムービーだ。それもそのはず、ロン・ハワードはあの「24 TWENTY FOUR」の仕掛け人のひとりなのだ。
「天使と悪魔」は原作を読んでいない人が観ても十分にわかりやすく面白いし、原作を読んだ人でも新たな楽しみを発見できる作りとなっている。原作は長編小説なので、そのまま映画にすることはできない。設定を変えるか、登場人物を減らすなど工夫を凝らすことが必要となる。映画版では、原作と比較すると、アレンジを加えた箇所が多く見つかる。文庫本で900ページ以上ある物語を、実にうまくまとめ、2時間18分の引き締まった映像作品に仕上げたことに感動する。
ベストセラーにはファンが多く、原作と比較しての厳しい声は避けられない。世界的ベストセラー「ダ・ヴィンチ・コード」の姉妹作ともなればなおさらだろう。それでもロン・ハワードは、迷うことなく「娯楽サスペンス映画であること」を選んだ。その挑戦は成功したのか?ぜひ映画館で確かめてほしい。
字幕をつけた作品がアカデミー賞で快挙達成!
先月の米アカデミー賞授賞式では日本の作品「おくりびと」が外国語映画賞、「つみきのいえ」が短編アニメーション賞を受賞しました。さらに今回のアカデミー賞でもう1つ嬉しかったのは、短編実写部門を 「Toyland(おもちゃの国)」というドイツの作品が受賞したことです。
この作品は、2008年に東京で開催された「ショートショートフィルムフェスティバル」で上映された際に私が字幕を担当させていただいた作品でもあります。 自分が字幕という形で関わった作品が評価を受けたことは、本当に嬉しいことでした。
「おもちゃの国」は第二次世界大戦中のドイツ人とユダヤ人の絆を描いた作品です。上映時間は約14分ですが、人と人のつながりや、なぜ同じ人間なのに差別があるのかなどを考えさせられ、観終わったあとも余韻が深く残る作品となっています。
短編映画というと新人監督が作る習作というイメージがありますが、必ずしもそうではありません。例えば短編作品として有名な「10ミニッツ・オールダー」ではヴィム・ヴェンダースやスパイク・リー、「それでも生きる子供たちへ」ではリドリー・スコットやジョン・ウーなどベテラン監督たちが参加し、1つのテーマに基づいたオムニバス作品を作り上げています。また他にもジム・ジャームッシュ監督の「コーヒー&シガレッツ」も味わいのある短編を集めた作品で、おすすめです。
短編映画は、長編と比べると監督のメッセージが強く出ます。また、最後にひねったオチを加えてニヤリとさせる作品もあります。監督の「これを伝えたい」という思いが凝縮されているので、長編にも負けない力強さを持った作品も数多くあるのです。
こうした短編映画をスクリーンで観られる機会は、それほど多くはないでしょう。そんな中、「ショートショートフィルムフェスティバル」は、たくさんの短編映画と出会える貴重な機会です。この映画祭では大勢の監督がゲストとして会場を訪れますので、上映後、ロビーで監督たちと直接話すチャンスもあります。
2年前の映画祭では、自分が字幕を担当させていただいた作品の監督とお話しすることができました。"観る人と作る人の距離が近い映画祭"である「ショートショートフィルムフェスティバル」、まだ行ったことがなければぜひ一度訪れてみてはいかかでしょうか。