やさしいHAWAI’ I

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第13回:私がモンスターに!?
2011年02月24日

ハワイの気候は本当に最高だ。毎日が抜けるような青い空と肌に気持ちよい爽やかな風。この澄んだ空気の中に、私の体を蝕む目に見えない何かが存在するなんて、全く予想だにしなかった。

ある日、どうもここ数日、頭が重っ苦しいことに気付いた。鼻水も出てきたし、「これは風邪を引いたかな。まあ鼻風邪ぐらいなら放っておいてもそのうち治るだろう・・・」
と気楽に思っていたのだが、症状は突然激しくなった。鼻水は止まることを知らず、ティッシュを突っ込んでも、すぐにズルズルになる。それに加え目の痒さも出てきた。思わず手でこすると、充血した目はさらに痒さを増し、とても我慢できるような状態ではない。たまらなくて更にこすると、まぶたの内側の粘膜が真っ赤に腫れ上がり、目からはみ出してきたのだ。私は半分パニック状態になって、夫に「目が見えなくなる!」と叫んだ。

一体何が起きているのか。鼻風邪ではないことは確かだ。滝のように流れ出る鼻水、赤く腫れてめくれ上がっている目の粘膜・・・鏡の中に写った自分の顔は、まるでモンスターだった。猛烈に不安になってハワイで初めて医者にかかった。症状を説明すると「近くにマンゴの木はありませんか」と尋ねられた。帰宅して周囲を調べると、確かにあった。アパートの真ん中に巨大なマンゴの木が・・・。

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〔4階建てのアパートのL字になっている右端に、かつてはマンゴの巨木が立っていた。私のようなマンゴの花粉症が他にも出たかどうかは分からないが、
現在は木は切り倒されて、新しくアパートが増築された。〕




そう、私はマンゴ花粉症を発症していたのだ。医者は抗ヒスタミンを処方してくれた。薬は強烈な強さで、飲んで30分もしないうちに頭は朦朧とし、起きていられないくらいの猛烈な眠気に襲われた。薬を飲んでも辛い、飲まないともっと辛い・・・。そんな悲惨な日々を必死に過ごしているうちに、週末がやって来た。恒例の"土曜の夜のヨコヤマさん宅訪問"だ。夕方アパートを出て、車でくねくね曲がるカウマナ通りを上がっていくうちに、花粉症はウソのように治まってきたのだ。アレルゲンから遠ざかるごとに、私はまさに生き返ったようになった。ヨコヤマさんの庭には、黄色の実とピンクの実がなる2本のグァバの木があったが、マンゴの木はなかった。その時の私にとって、ヨコヤマさん宅でのマンゴ花粉症から解放された数時間は、まるで天国にいるかのような救いの時間だった。

マンゴはウルシ科の植物なので、果実を食べると口の周囲が真っ赤に腫れ上がるという人は結構いるようだが、私はいくらマンゴの実を食べてもアレルギーは起こらない。しかしその花粉に対して、自分にこれほど強烈なアレルギー症状が起きるとは思ってもみ見なかった。第一、当時は"花粉症"という言葉さえなかった。日本では1980年に入ってから、盛んに「スギ花粉症」という言葉が世間で取りざたされるようになったが、私がハワイへ行ったのが1973年。当時私の頭の中には「花粉症」などという言葉は存在していなかったのだ。 

日本では、2月に入ると天気予報と共に花粉情報が流れ始める。その話題を耳にしただけで、鼻がムズムズしたり目が痒くなるという人は多いだろう。昨年の夏の記録的な猛暑のために、今年は飛散するスギ花粉の量が、地方によっては例年の10倍ほどになるという予想もあるくらいだ。春が近づくのは嬉しいが、同時に「花粉」に悩まされる辛い季節の到来となる。

「私、マンゴの花粉症なの」なんて言うと、「カッコつけて」と言われそうだが、カッコつける余裕など到底ないくらい本当に辛かったあの頃。以来、私の中で目覚めた花粉症は私を苦しめ続けている。マンゴだけでなく、今やヒノキまで・・・。

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〔マンゴの花〕












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【written by 扇原篤子(おぎはら・あつこ)】1973年から夫の仕事の都合でハワイに転勤。現地で暮らすうちにある一家と家族のような付き合いが始まる。帰国後もその 一家との交流は続いており、ハワイの文化、歴史、言葉の美しさ、踊り、空気感に至るまで、ハワイに対する考察を日々深めている。
【最近のわたし】先日、ある番組の字幕製作レギュラーメンバーの一人でハワイ在住の方が、日本に1週間ほど一時帰国なさった。メンバー3人で美味しいランチをいただき、とても楽しいひと時を過ごした。ハワイへ無事のご帰国を。(私もついて行きたかった!!)