明けの明星が輝く空に

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第20回:返り血を浴びたウルトラマン?
2011年09月07日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】9月4日、風評被害の続く福島で自転車ヒルクライム大会があった。去年泊まった民宿は廃業。参加者も2割減。それでも台風の影響が少なく、大会中止にならず本当に良かった。
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"八つ裂き光輪"― なんて恐ろしい名前だろうか。これは、スペシウム光線に次ぐウルトラマンの必殺技。丸ノコのように縁がギザギザになった光の輪っかを敵に投げつけると、怪獣はまるでナスかキュウリのようにシュパーッと切られてしまうのだ。ウルトラマンの永遠のライバルであるバルタン星人もこの技によって縦に真っ二つにされてしまったし、最強怪獣の呼び声が高いレッドキングも首と胴と下半身がきれいに切り離されてしまった。"八つ裂き"の名前に違わず、実に恐ろしい武器だ。ただ、ひとつ不思議なことがある。それは、切られた怪獣達の体からは、一滴の血も流れないことだ。

昭和の特撮モノに科学的な観点からツッコミを入れたがる人たちから見れば、これほど非現実的な映像もないだろう。しかしドラマなどの映像作品はリアルさだけを追求すればいいというものではないし、それよりも優先すべきことがある。例えばテレビの時代劇。『暴れん坊将軍』のちゃんばらシーンで、斬られた悪人が派手に流血する場面は記憶にない。「悪人には血が通っていない」という設定だから?いやいや、もちろんそんなことではない。血が噴き出すような凄惨な映像をお茶の間に流すようなことは避けたい、という製作者側の意図があるからだろう。

以前ここで書いた第10回の記事『怪獣は噛み付かない』でも触れたように、ウルトラシリーズの生みの親である円谷英二氏は、残酷な描写やグロテスクなものを嫌ったそうだ。そんな基本理念に沿って製作されたウルトラシリーズにおいては、怪獣が血を噴き出すシーンなどは論外だろう。僕としても、返り血を浴びて仁王立ちするウルトラマンなど想像したくもない。リアルとか科学的であるということと、映像作品の質は別物なのだ。

むしろ子供たちに夢を与えるウルトラシリーズでは、怪獣を倒すシーンが現実離れしていればいるほど良い。怪獣を「倒す」ということイコール「殺す」ということだ。そんな戦いの場面において、少しでも残虐性や凄惨さを排除するためには、非現実的なほうが望ましいのだ。そんな観点からすれば、スペシウム光線は非常に効果的なものだったに違いない。武器としての"光線"は現実にはない未来の武器で、それも銃などからではなくウルトラマンの体から発せられる。完全に空想科学の世界だ。明るく輝く光線の華やかさと相まって、まるで夢の中のような印象すら与えているではないか。さらに言えば、鋭利な刃物や真っ赤な炎などと違って、視覚的な恐怖感を抱かせることもない。なにせスペシウム光線が痛いのか熱いのか、身を持って経験した人間などこの世に1人もいないのだから!