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第49回:ヒーローと色:その3
2014年02月07日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】今回のテーマはオレンジ色。NFLのブロンコスにとっては、不吉な色のようだ。週末のスーパーボウル、オレンジ色のユニホームで戦いに臨んで大敗。青や白のユニホームでならスーパーボウルを制したことがあるのに、なぜかオレンジ色だと4戦全敗だそうだ。
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オレンジ色の特撮ヒーローは、なぜいないのだろうか。ヒーローたちにとって縁起の悪い色なのか、単に彼らの好みに合わないのか。そんなことを疑いたくなるくらい、僕はオレンジ色のヒーローを見た記憶がない。たとえばスーパー戦隊シリーズ。赤、青、黄色、緑、ピンクなど、色の違う5人のヒーローが、数十年に渡って活躍してきたけれども、オレンジ色の戦士は一度も登場したことがない。レインボーマンは7つの姿を持ち、それぞれ色が違っていたけれど、やっぱりオレンジ色は使われていなかった。

白黒テレビの時代、国民的ヒーローとなった月光仮面は、全身白いコスチュームに身を包んでいた。白を着れば、黒スーツの悪人と区別をつけやすい。それに加えて、"モノクロ映像の中で一番目立つ色だから"という判断もあったかもしれない。

カラーテレビ時代に入ると、全身金色のマグマ大使が登場した。なぜ金色に設定されたのか、その理由は正直わからない。ただ、金色はどんな色の中でも映える色だ。企画会議で"特撮カラー作品第1号(注釈)なんだから、インパクトの強い色にしようよ"という意見が出たとしても、不思議ではない。

『マグマ大使』の13日後に始まった『ウルトラマン』は、いうまでもなく銀に赤いライン。赤という色も金色と同じく、どんな風景の中でも映える色だ。特撮ヒーローの色として、定番中の定番と言っていい。一方の銀色も、ウルトラマン以降、ミラーマンやシルバー仮面、宇宙刑事ギャバンなどに使われた。ちなみに、銀色に比べ、金色のヒーローは少ない。僕が思い出せるのは、スペクトルマンぐらいだ。ただ数年前、深夜帯に放送された『牙狼〈GARO〉』に、全身金色のヒーロー、牙狼が登場。ダークな作風と映像の中にあって、金色の輝きが印象的だった。

閑話休題。特撮ヒーローはどんどんカラフルになっていき、ゴレンジャーやレインボーマンでは、同一作品内で何色ものヒーローが登場した。ここ数年の仮面ライダーシリーズも、同じような状況だ。複数のライバルライダーの存在や、主役ライダーのモードチェンジが、何色ものライダーの登場を可能にしている。しかし、これだけカラフルになった中でも、ヒーローたちがオレンジ色に目を向けることはなかったのだ。

ところが、昨年放送された『仮面ライダーフォーゼ』が、ついにその壁を崩した。フォーゼは、ロケットと宇宙服がモチーフ。だから基本形態は白だけれど、モードチェンジによって、全身オレンジ色に変わるのだ。また、現在放送されている『仮面ライダー鎧武』の鎧武は、甲冑と果物のオレンジがモチーフで(注釈3)、目や胸、肩口に鮮やかなオレンジ色があしらわれている。

色彩心理学によれば、オレンジ色は「明るさ」や「陽気さ」といったイメージと結びつくそうだ。それを意識したのかどうかわからないけれど、番組スタッフは作風に合う色として、オレンジを選んだのかもしれない。フォーゼも鎧武も、ライダーシリーズの中では珍しくコミカルな作風だからだ。それにしても、ついに果物までヒーローのモチーフになるとは!ライダーシリーズの発想の自由さが、改めてよく分かるキャラクターだ。

モードチェンジやライバルライダーの登場で、カラーバリエーションが豊富になった最近のライダーシリーズ。どんなデザイン、カラーリングがファンに受けるかチェックするという、実験的な意図もあるのだろうか。もしかしたらフォーゼをきっかけとして、オレンジ色のヒーローが数多く登場するようになるかもしれない。

追記
ここまで3回にわたり、特撮ヒーローと色について書いてきた。特にライダーシリーズに関しては、まだまだ奥が深そうだ。たとえば、最近になって白いライダーが登場してきていることや、ほとんどのライダーにシルバーがあしらわれていること、目の色は赤のほかに緑もよく使われていることなど。何か面白い発見があれば、記事にしたいと考えている。

注釈
 『マグマ大使』放送開始は1966年。全身金色のキングギドラが登場した怪獣映画、『三大怪獣 地球最大の決戦』の公開は1964年。マグマ大使の色設定が、キングギドラに影響を受けた可能性も考えられる。

第48回:ヒーローと色:その2
2014年01月10日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】年末の紅白歌合戦で、潮騒のメモリーズの復活ステージを見逃した。僕にとって、2013年で最大の悔やまれる出来事かもしれない。
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ヒーローにいちばん似合う色が赤だとしたら、いちばん似合わない色は何だろうか?初代仮面ライダーは企画当初、マスクが緑色だった。もちろんモチーフがバッタだからなのだが、「緑色のヒーローなど論外」と考える東映側の指示で黒に近い緑に変更される。その結果、全身黒っぽい(注釈1)ヒーローの誕生となった。

黒は悪の象徴としてよく使われる。その意味では、緑よりも黒のほうがヒーローにふさわしくない色ではないだろうか。"黒=悪役"というイメージを強烈に体現しているのが、ダースベイダーだ。全身真っ黒な姿を見ただけで、「ああ、こいつはワルモノだな」と誰もが思うだろう。

日本の特撮でも、黒は存在感のある悪役や敵によく使われてきた。ウルトラマンと互角に渡り合ったメフィラス星人や、ウルトラマンを倒したゼットンは、黒を基調としている。その他、キカイダーを破壊するためだけに作られたハカイダー、ジャイアントロボのライバル、GR2なども同様だ。つい最近では、『ウルトラマンギンガ』に黒いウルトラマンとウルトラセブン(注釈2)が登場した。

色彩心理学によれば、黒が持つイメージには"死"や"恐怖"、"強さ"などがあるそうだ。その観点からすれば、黒は敵役にこそふさわしいと言える。だけど思い出してみてほしい。鞍馬天狗や快傑ゾロの衣装が、何色だったかを。古すぎて分からないという人は、バットマンでもいい。みんな黒い衣装に身を包んでいたではないか。正義のヒーローが黒を着れば、"強さ"は肯定的な意味合いに転じる。さらに黒には、"神秘的"というイメージもあるから、正体を隠して戦うヒーローたちには、まさにうってつけの色だ。仮面ライダーも黒いからといって、悪役に見えてしまうということなどまったくないのだ。

そんなライダーも、番組後半のモデルチェンジによって、マスクがメタリックなライトグリーンに変わった。腕や体の横にはシルバーの2本線が入り、グラブとシューズもシルバーのものに変更された。スマートで洗練された印象になった分、力強さや迫力はなくなった気がする。その後、『人造人間キカイダー』や『秘密戦隊ゴレンジャー』が登場し、カラフルな特撮ヒーローばかりが活躍するようになっていった。

ところがそんなの流れの中で、画期的なことがあった。ゴレンジャーに始まるスーパー戦隊シリーズの6作目、『大戦隊ゴーグルファイブ』に、ゴーグルブラックが登場したのだ。当時、黒という色を前面に押し出したヒーローは斬新だったし、何より強そうに見えた。それは、色自体が持つイメージのおかげでもあるが、ゼットンやハカイダーなどの影響もあっただろう。彼らによって僕らの中には、"黒=強い"というイメージが植え付けられていたのだ。

ゴーグルブラック登場の裏には、グリーンの戦士に人気がなく、他の色を検討していたという事情があったらしい。冒頭で紹介した、仮面ライダーが始まる前の東映の判断は、正しかったということになる(注釈3)。いずれにせよ、黒の戦士は好評なようで、現在放映されている『獣電戦隊キョウリュウジャー』でも雄姿を見ることができる。

ただ、子供たちをメインターゲットにした番組で、バットマンのように単体のヒーローを黒ずくめにすることは難しいかもしれない。なんといっても明るくて目立つ色の方が、子供たちにはアピールする。黒という色の魅力が理解できるのは、大人になってからだろう。スーパー戦隊の黒い戦士たちも、派手な色の仲間に囲まれているからこそ、カッコよく見えるのかもしれない。黒いヒーローが単体で活躍できるような、大人向けの特撮作品の登場を期待しよう。

注釈
1)仮面ライダーは"オートバイ乗り"だから、着ているのは当然、黒いレザーのつなぎなのだ。
2)正確に言うと、黒というより濃いグレー。なぜそんな中途半端な色なのか、理解に苦しむ。漆黒に赤いラインの方がずっとカッコいいと思うのだが...。残念。
3)実際には、『大戦隊ゴーグルファイブ』以降も、グリーンが登場するスーパー戦隊作品は数多い。また、『仮面ライダー』の後に始まった『仮面ライダーV3』のV3は、頭部以外は緑色を基調としていたが、昭和のライダーシリーズの中で屈指の人気を誇っていた。

第47回:ヒーローと色:その1
2013年12月06日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】『進撃の巨人』の実写版制作が動き出すようだ。主演女優の候補には、剛力彩芽とか橋本愛の名前。そのあたりも、(そのあたりが?)非常に楽しみなんである。
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仕事でメジャーリーグの映像を見ていると、赤いユニフォームが多いなあと感じる。松井秀喜が所属したエンジェルスを始め、田口壮のカーディナルス、さらにレッズやフィリーズ。どれも白地に赤い帽子とアンダーシャツで、広島東洋カープそっくり。知らない人が見れば、その4チームはまず区別できないだろう。しかも最近では、ダルビッシュのいるレンジャーズのように、普段は青いユニフォームが、ときどき赤に変わるチームまである。

一説によれば、赤という色は強く見える上に、闘志を高める効果もあるので、西洋では"戦いの色"として使われてきた歴史があるらしい。さらには、赤いウェアを着ると運動パフォーマンスがアップする、なんていう話も聞く。

それが全て本当なら、特撮ヒーローたちにとって、赤ほどふさわしい色はないだろう。弱そうに見えたら敵になめられるし、どんな強敵が相手でも気持ちで負けるわけにはいかない。そして、たとえ数%でも自分の戦闘力が向上するのであれば、彼らはどんなことでも取り入れるべきだ。

もちろん番組制作者だって、赤という色の利用価値は無視できない。ヒーローは強く見える必要があるのはもちろん、画面の中で目立たなければいけない。赤は人の目を引く力があるから、すぐ目に入ってくるし、どんな背景であっても姿が浮き出る。それに、赤は"情熱"といったイメージも喚起するので、ヒーローの"熱さ"を表現するのにはピッタリだ。

赤いカラーリングが施されたヒーローたちを振り返ってみると、まず初代ウルトラマンは銀のボディに赤いラインが特徴的だった。以降、赤はウルトラ戦士の基本色となる。初代仮面ライダーは、目とマフラーが赤。それに続く歴代ライダーたちも、大抵どこかに赤が使われている。5色の戦士が登場するスーパー戦隊シリーズでは、必ずと言っていいほど、レッドがリーダーとして設定されている。

色彩心理学なるものによれば、赤には購買意欲をかきたてる効果もあるらしい。子供たちがおもちゃ売り場で「買ってくれ」とせがむヒーローの人形を見て、親の財布の紐も緩みがちに。こうして、キャラクターグッズの売り上げが伸び、上に挙げた3大特撮シリーズが長寿番組となる後押しをしたのであれば、話としては面白い。さらに一歩、いや十歩ぐらい踏み込めば、「全身金色のマグマ大使や銀と緑のミラーマンが主役の特撮番組がシリーズ化されなかった理由は、そのカラーリングにあり」という、かなり大胆な仮説も立てられそうだ。

ただ不思議なことに、歴代のウルトラ戦士やライダーたちを思い出しても、僕の中で赤が印象に残るヒーローがいない。その理由の一つは、全身が赤いヒーローが少ないということは言えると思う。ウルトラセブンは体のほとんどが赤だけれど、頭部は銀色だった。特別な理由がなければ、誰でもヒーローの姿を見るとき、視線は顔にいくだろう。セブン=赤という印象にはならなかったのは、銀色の頭部を中心に見ていたからだと思う。

それじゃあ、レッドバロンはどうか?レッドバロンは、1970年代に放送された『スーパーロボット レッドバロン』に登場する、頭から足先まで赤一色のロボットだ。けれど、これも赤のイメージがあまり湧いてこない。理由をあれこれ考えていた僕は、ふと気が付いた。赤いヒーローを考える上で、僕は無意識に"赤い彗星"と比較していたのだ。"赤い彗星"とはもちろん、アニメ『機動戦士ガンダム』に登場するシャア少佐のことで、厳密に言えば敵役でヒーローではない。ただ、彼が操縦する全身赤のモビルスーツ(注釈)は、抜群の戦闘力で向かうところ敵なし。主人公の属する連邦軍には、鬼神のように怖れられる存在だった。

赤は強さを表現する。強さは戦ってこそよくわかる。だからこそ、シャアのような敵役が赤を使ったほうが、より鮮烈なイメージとなるのだろう。ここで今回の結論。ヒーローは赤が一番似合うが、赤が一番似合うのは敵役だ。皆さんは、どう考えるだろうか。

注釈
彼専用の機種はファンの間で人気だが、この秋、トヨタ自動車は『起動戦士ガンダム』とコラボレーションし、真っ赤な「シャア専用オーリス」の販売を開始。この商品化には、ファンの後押しもあったようだ。

第44回:食べられる恐怖
2013年09月06日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】日本橋三越であったウルトラセブン展で、展示会限定ポスターを注文しました。ファンにはたまらない絵柄です。僕が死んだら、棺おけに入れてもらいたいです。
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漫画『進撃の巨人』がアニメ化され、人気を呼んでいる。そんな新聞記事を目にして、さっそく漫画を読んでみた。『進撃の巨人』は、城壁に囲まれた中世ヨーロッパ風の町に暮らす人々と、彼らを襲って捕食する巨人たちとの戦いを描いた物語だ。作品がヒットした理由はいくつかあるだろうけれど、僕が注目したいのは、"人が食べられる恐怖"が描かれていることだった。

"食べられる"ことに対する恐怖は、生き物にとって根源的なものだろう。生命の発生と同時に、弱肉強食の原理は始まった。人類のDNAにも、その恐怖はきっと刻み込まれているにちがいない。これは僕の勝手な想像だけれど、熊に襲われて食べられることと、銃で撃たれること、どちらがより怖いかと聞かれたら、ほとんどの人は前者だと答えるんじゃないだろうか。

人間の心の奥底にある、食べられることに対する恐怖心。僕がそんなことを意識したのは、映画『ジュラシックパーク』を観たときだった。肉食恐竜の親玉とも言うべきティラノサウルスが、トイレに隠れていた男を頭からガブリとやるシーン。決して凄惨な作りの映像ではなく、むしろユーモラスな雰囲気さえ漂う場面だったけれど、僕は体の芯のほうで寒気がした。『ジュラシックパーク』の監督は、スティーブン・スピルバーグだ。そういえば彼は、『ジョーズ』でも食べられることの恐怖を描いていた。物語の終盤でクイント船長が食われるシーンは、いま思い出してもゾッとする。僕の記憶違いでなければ、あの場面は確かBGMがまったく流れていない。ただ物がぶつかる音や、船長の声がするだけ。それが生々しさを強調していたように思う。

日本の特撮作品の場合、怪獣が人を食べる場面はあまり記憶にない。映画でもテレビ番組でも、子どもたちがターゲットの作品が多いのだから、それは当然のことだろう。人が食べられるなどという場面は、子どもたちにとって怖すぎる。へたをすれば、トラウマを残してしまうもしれない。

とはいえ、人食い怪獣がまったくいないわけでもはない。たとえば昭和のガメラシリーズ、『ガメラ対ギャオス』のギャオス。山中での初登場シーンで男を1人飲み込んでしまうし、その後都会を襲ったときには、数人の男女を一度に食べてしまった。ただし『ジュラシックパーク』などとは違って、人が食べられるその瞬間は見せていない。人とギャオスの顔が合成されたカットの次は、ただ極端なアップで、パクパクと動いているギャオスの口元を見せるだけ。牙に血が付いていたりといった細かい演出もない。これではさすがに映像を省きすぎで、当時の子どもたちには何が起こったか理解できなかったんじゃないだろうか。実際、僕自身、"ギャオスは人食い怪獣だ"という印象がない。

反対に、人が食べられる場面が強い印象を残す特撮作品もある。東宝映画『フランケンシュタインの怪獣 サンダとガイラ』だ。サンダとガイラは、怪獣サイズにまで巨大化した人造人間。ガイラの方は、なぜか人肉が好きらしい。漁船を襲い、泳いで逃げようとする猟師たちを追ってくるシーンがあるのだが、その姿は鬼気迫るものがあって背筋が冷たくなる。その後ガイラは羽田空港に現れ、ビルの窓から手を突っ込んで女性を鷲づかみにし、頭の方からかじり付く。口をムシャムシャさせた後、何かをペッと吐き出すあたり、妙にリアリティがあって怖い。そのアイデアを思いついたのは監督か、それともスーツアクターか。どちらにしても、あのワンアクションがあるかないかで、怖さの度合いはかなり違ってくるだろう。

『進撃の巨人』は、実写で映画化される話が出ているそうだ。巨人が人を食べるシーンは、どんな映像になるのか。非常に興味を引かれるところだけれども、僕個人的な好みを言わせてもらえれば、スプラッター調にはしてほしくない。最近ありがちな、CGの使いすぎでごちゃごちゃした映像もカンベンだ。どちらにしても、映画化の実現をぜひ期待したい。

第43回:顔の変わるヒーローと怪獣
2013年08月02日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】巨大ロボットが怪獣を退治するハリウッド映画が公開される。怪獣はCMで見る限りでは面白みのないデザイン。いかに初期のウルトラ怪獣が、独創性に富んでいたかが分かる。
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子どものころ読んでいた漫画に『750ライダー』がある。ちょっとハードな学園ものだったけれど、いつのまにかラブコメに路線変更。登場人物たちも能天気な顔に変わってしまい、ガッカリした記憶がある。

特撮モノでも、顔が変わるのは珍しくない。たとえば有名なのがウルトラマン。実はウルトラマンは撮影の使用順に、Aタイプ、Bタイプ、Cタイプと呼ばれる3種類のマスクが存在する。Aタイプは、つり目がちな印象で、口の周りにしわが寄っている。このしわは、口が開閉式になっていたためで、デザイン的に意図されたものではない。また、他の部位も材質の関係上微妙にデコボコしていた。Bタイプはそのあたりが改善され、つるんとした卵のような美肌になった。Aタイプと同じ型から製作されたので、顔の形自体は変わらないはずだけれど、マスク表面の質感のせいか、ずっと端正な顔立ちになったように感じる。そして最後のCタイプだが、これはBタイプとよく似ている。ちょっと見ただけでは区別できない。あらためて画像を並べてみると、口幅が少し広がり、目と口の距離が少し狭まって見える。また顔全体がやや丸みを増したようで、細面だったAタイプに比べると、優しい感じがするウルトラマンだ。

日本特撮界を代表する怪獣も、顔が変化している。ガメラの顔は昭和シリーズでは明確な変化はないが、平成三部作では大きく異なる。まず第1作目『ガメラ 大怪獣空中決戦』では目がくりっと大きく、頭部も丸みを帯びていて、怪獣とは思えないほど愛嬌があった。そのままキャラクター商品にしてもいいぐらいだ。それが第2作『ガメラ2 レギオン襲来』になるとシャープな顔立ちとなり、さらに第3作『ガメラ3 邪神覚醒』では凶悪な面構えに。一番の特徴は目だ。小さくとも鋭い光を放つ目。"アブナイ奴"といった雰囲気さえ漂わせている。頭の真ん中や目の上に並ぶギザギザとあいまって、実に好戦的な印象だ。ガメラは人類の味方ではあるけれど、あんな巨大な怪獣が街中で戦えば、どうしても物的・人的被害が出る。要するに、その点においてはガメラも十分人間の脅威だ。『ガメラ3~』はそこの部分をきっちり描いているが、ガメラもそれにふさわしいビジュアルを与えられたということなのだろう。

一方ゴジラは、昭和シリーズのころから、いろいろな顔が存在した。3作目『キングコング対ゴジラ』の"キンゴジ"や、4作目『モスラ対ゴジラ』の"モスゴジ" は、ファンの間で人気が高い。前者は目から鼻先までの距離が長く、横顔がイケメンだ。後者は眉の部分や頬が厚ぼったく、顔を腫らしたボクサーのような印象。それだけに、得もいえぬ凄みを漂わせている。

しかし昭和シリーズも後半になると、ゴジラは顔全体が丸くなり目も大きくなって、愛らしささえ感じさせるものに変わった。たとえて言うなら、シェパードやブルドッグから、ポメラニアンに変わったというぐらいの変化だ。それには理由がある。当時ゴジラは、当初のような人類の脅威ではなく、地球を守ってくれる正義のヒーローに変わっていたのだ。またゴジラ映画は、親子で楽しめるファミリー路線に舵を切っていた。この日本の怪獣王には、恐さよりも親しみやすさが求められたのだろう。

それが9年のブランクを経て、シリーズ第16作『ゴジラ』で再び映画館に帰ってきたときには、グッと相手を睨みつける悪役顔になっていた。再び人類の脅威として描かれることになったゴジラは、最終作である第28作『ゴジラ FINAL WARS』まで、一貫して睨みを利かせた顔だ。第26作の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』にいたっては、凶暴性を強調するため、瞳のない白目のゴジラも登場している。

異なった顔のゴジラが多数存在するのは、それだけシリーズが長いにほかならない。シリーズが長いということはつまり、人気が続いたということでもある。第28作をもってゴジラシリーズは終了とされているが、きっといつかスクリーンに帰ってくるだろう。そのとき日本が誇る怪獣王は、どんな顔になっているのだろうか。楽しみに待つことにしよう。

第42回:ヒーローとビジネス
2013年07月05日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】スポーツ中継で「~てきた」という表現が氾濫している。たとえば「シュートを決めてきた」は、「シュートを決めた」の方が適切な場合も多い。翻訳者がそれを、"スポーツの実況らしい言い回し"だと勘違いしたりする。困ったことだ。
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円谷プロダクション創立50周年を記念して、ウルトラマンシリーズの新作が7月10日に始まる。タイトルは『ウルトラマンギンガ』(以下『ギンガ』)。深夜に放送された『ULTRASEVEN X』以来、6年ぶりの新作ウルトラマンだ。

しかし『ギンガ』は独立した番組ではなく、『新ウルトラマン列伝』という30分番組の中に、枠をもらって放送されるに過ぎない。しかも、劇場版へのステップという位置づけではあるらしいが、わずか11話で終了してしまう。創立50周年記念にしては、なんとも寂しいではないか。仮面ライダーと比べたとき、その思いはより強くなる。

平成12年に復活した東映のライダーシリーズは、独立した番組として放送が続き、現在の『仮面ライダーウィザード』で14タイトル目だ。一方、平成8年に復活したウルトラマンシリーズは、数回の中断を挟みながら平成19年に終了。12年間で8タイトルの放映にとどまった。ここ数年、劇場版でいくつかの新作が発表されている同シリーズではあるが、テレビではもはやライダーの敵ではないのだろうか。

ライダーシリーズが人気を維持している理由は、いろいろあるだろう。ひとつ考えられるのが、多角的なビジネス戦略だ。その代表的なものがキャラクター商品だろう。特撮番組に関連したオモチャに限ったことではないが、キャラクター商品は映像作品の人気を高める効果がある。たとえば、自分の好きなヒーローの人形で毎日遊んでいれば、ますます好きだという気持ちが盛り上がり、番組を欠かさず見るようになる、という具合に。

キャラクター商品の売り上げが多ければ、ロイヤリティとして入る金額も大きくなる。それが番組制作費に反映されれば、映像作品の質の維持・向上、ひいては視聴者獲得につながるだろう。その意味で、最近のライダーがモードチェンジでいろいろ姿を変えたり、毎回のように複数のライダーが登場したりすることは無視できない。それだけ人形の種類も増え、子どもたちは1つ買ってもらっただけでは満足できず、「あれも買って」と親にせがむことになるからだ。

ウルトラマンの中にも、姿を変えるものはいた。だけど大胆に外観が変わるライダーたちに比べれば、その変化は小さく地味だ。子どもへのアピール度は弱い。また複数のウルトラマンが登場する作品もあることはある。でもその数は、せいぜい2人。主役の他に3~4人、ときには12人もの仲間やライバルが登場したライダーとの差は歴然だ。

平成ライダーは、人形以外の商品も豊富にある。たとえば変身ベルト。劇中ではただ巻いているだけでなく、カードやメモリなどの装着によってライダーのモードチェンジを可能にする。当然ストーリー上の重要性も高まり、子どもたちの興味を引きやすい。またライダーは武器を持って戦うことが普通になったが、子どもはなぜか武器というアイテムに弱い。誰でも武器さえ持てば、強くなれるからだろうか。それはともかくとして、ヒーローが使う武器を子どもが欲しがるのは当然だ。そうして買ってもらった変身ベルトを腰に巻き、武器を構えれば、"なりきり感"がぐっとアップ。そのまま番組を見れば、彼らのテンションは最高潮に達する。

こういったビジネス面において、『ギンガ』はライダーにどう対抗するのだろうか。『ギンガ』の設定で分かっているのは、ウルトラ戦士や怪獣が、闇の力によって人形に変えられているということだ。これは明らかに、キャラクター商品の売り上げを考えてのことだろう。子どもたちからすれば、劇中に登場するのと"同じもの"を手にすることができる。これは画期的なことだ。これまでは、ウルトラマンにしろライダーにしろ、人形はただヒーローたちを"模したもの"に過ぎなかったのだから。果たして他にも策はあるのか。『ギンガ』の第1話に注目しよう。

第41回:怪獣たちの目線に立てば
2013年05月30日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】6月いっぱい有効の、銭湯回数券がたくさん残っている。これからの1カ月、銭湯巡りをして使いきらないと。
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怪獣は、決して邪悪な存在ではない。人間とは相容れない存在というだけのことだ。それでミサイルを打ち込まれたりするのだから、彼らにすればたまったものではない。『ウルトラマン』の第30話「幻の雪山」では、怪獣退治を専門とする科学特捜隊に対し、ある少女から「なんでもかんでも怪獣呼ばわりして殺してしまう、恐ろしい人たちだわ」というセリフが投げつけられた。

考えてみれば怪獣は、山の中で出くわすクマや、人里に現れ畑を荒らすイノシシのようなものだ。たまたま人間と接点を持ったばかりに、迷惑がられ駆除の対象とされてしまう野生動物たち。クマやイノシシから見れば、火を噴く武器を持った人間の方こそ、恐ろしい存在だろう。

毎週のように、怪獣を退治していた科特隊とウルトラマン。制作した円谷プロダクションのスタッフには、番組が"怪獣いじめ"や"殺戮ショー"になっていないか、心配する声があったそうだ。「幻の雪山」でのセリフは、作り手である自分たちに向けられたものだったのかもしれない。

実は『ウルトラマン』には、怪獣を殺さないで終わった話もいくつかある。たとえば第20話「恐怖のルート87」では、走行中の車を破壊していた怪獣ヒドラに対し、ウルトラマンはスペシウム光線の発射をやめ、飛び去っていくのを見送る。ヒドラの背中に、ひき逃げ事故により亡くなった少年の姿が見えたからだった。第34話「空の贈り物」では、空から落ちてきた怪獣スカイドンを、ウルトラマンと科特隊が協力し宇宙に送り返してやる。このエピソードには、最初から最後まで"怪獣を退治せよ"という話は出てこない。いかにしてスカイドンを宇宙へ送り返すか、といった話に終始する。

『ウルトラマン』は子ども番組であるから、"怪獣いじめ"にしてはいけないという配慮が出てきても不思議ではない。ただ僕はそれ以上に、作り手には怪獣に対する愛情があったように感じる。ウルトラマンに登場する怪獣は町を破壊しても、視聴者に憎まれるような描かれ方はされていなかった。その暴れまわる姿は畏怖の念を抱かせるとともに、勇壮で雄々しいとさえ感じさせた(だからこそ彼らは、あれだけ子どもたちの人気者となったのだ)。しかし結果として、怪獣はウルトラマンによって退治される。直前まで力を誇示し、生命力にみなぎっていた生物が地面に崩れ落ち動かなくなってしまった姿には、もの悲しい雰囲気さえ漂っていた。

毎週そういった場面を撮影していく中で、制作現場にも怪獣たちをかわいそうだと感じる空気が出てきたのかもしれない。『ウルトラマン』の第35話「怪獣墓場」では、劇中で怪獣たちの供養が行われている。物語の冒頭、ウルトラマンに葬り去られてきた怪獣たちが、亡霊となってさまよう宇宙空間が発見される。そこですぐさま、科特隊本部で僧侶を呼んでの供養が行われたのだ。

このエピソードでは、主人公のハヤタ(ウルトラマン)が心の中で、「許してくれ。地球の平和のため、やむなくお前たちと戦ったのだ。」と、戦ってきた怪獣たちに語りかける場面がある。普段あまり感情を見せたことのないハヤタには、珍しいシーンだ。それだけに、この言葉はグッと胸に迫るものがあるが、制作スタッフの心情も代弁していたのではないだろうか。

『ウルトラマン』は、ヒーローの強さやカッコよさを描いただけではなかった。「怪獣墓場」や「幻の雪山」は、悪者とされた怪獣たちの目線に立つことを教えてくれている。特撮ヒーロー番組のパイオニアとして、『ウルトラマン』の功績は多大なものがあるが、その価値はこんなところにもあると言っていいだろう。そして、それを見て育った僕たちは、非常に幸運だったと思うのである。

第38回:イカデビルと死神博士と天本英世
2013年03月01日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】ロシア上空の隕石。SF映画のクリエーター達には、大きなインスピレーションを与えたことだろう。それにしても衝撃波だけで、あれだけの破壊力があるとは!
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先日画像が公開された「空飛ぶイカ」には驚かされた。『殺人魚フライングキラー』という映画があったが、この空飛ぶイカもB級アニマルパニック映画の題材になるのではなかろうか。

すでに日本の特撮では、怪獣や怪人のモチーフとしてイカが使われてきた。東宝映画『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大海獣』にはゲゾラという、モンゴウイカの怪獣が登場。他にも『仮面ライダーV3』のイカファイヤーや『超人バロム1』のイカゲルゲ、『ジャイアントロボ』のイカゲラスなどが、テレビ画面の中で暴れまくってきた。

中でも僕の記憶に一番強く残っているのは、『仮面ライダー』のイカデビルだ。ライダーキックを封じて見せ、一度はライダーに勝ったこともあるほどの強さを誇る。ただし、イカデビルが忘れられない理由は他にあった。それは、死神博士の変身した姿だったからだ。死神博士とは、世界征服を企むショッカーの大幹部の1人。たいていの怪人たちは足下にも及ばないほど、怪奇な雰囲気を漂わせていた。このキャラクターとしての方向性は、俳優、天本英世がいたからこそと言っても過言ではないだろう。

顔も体も細身の天本氏は、どことなく骸骨を思わせる風貌をしていた。そして白いスーツに黒いマントという、死神博士の衣装に身を包んだだけで、「怪優」と呼ばれるにふさわしい空気をまとっていた。『仮面ライダー』の撮影ではメークで額に青い血管を浮き上がらせ、下から照明が当てられる。台詞をしゃべる際には、抑制の効いた粘着質の口調。あまりにも怖すぎるという声が当時あったそうで、途中からは演技を抑えるほどだったらしい。

無政府主義者であったという話もあり、それだけ聞くと物騒な感じもしてしまう天本氏だが、当然のことながらファンを大事にしたようだ。サイン色紙には似顔絵のほか、「死神博士」という言葉を入れたというから、それをもらった人はさぞうれしかったに違いない。また、街中ですれ違う人に"死神博士だ"と言われ、"左様"とだけ答えて去っていったという、なんともかっこいいエピソードもある。

ちなみに『仮面ライダー』には、4人の大幹部が登場した。ナチスの生き残りといった風情のゾル大佐が最初で、次が死神博士。まるで三葉虫のコスプレのような地獄大使が3人目。最後が、イギリス王室騎兵隊のようなヘルメットをかぶったブラック将軍。大幹部が交代することで作品世界に変化が加わり、マンネリ化を防いだという意味では、彼らの存在意義は小さくなかった。毎週のように新しい怪人を登場させるだけでなく、こうした変化をもたらすことで番組は2年間、話数にして98話も続いたのだ。

最後にイカデビルについてもう1点。彼の頭部には隕石誘導装置が組み込まれており、隕石を誘導して街を破壊しようという作戦を立てていた。隕石と言えばつい先日、ロシア上空に落下してきたというニュースを思い出す。空飛ぶイカといい、ロシアの隕石といい、まるで"イカデビルをこのブログで取り上げるのだ!"と、死神博士が言っているようではないか。今回の記事は、『仮面ライダー』を盛り上げてくれた死神博士に捧げることにしよう。

第36回:殺陣師と特撮ヒーロー
2012年12月20日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】最近ある対談本を読んで、赤塚不二夫作品が読みたくなった。でも復刻版もなければ、ブックオフにもない。なぜだろう。
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年末年始は時代劇のイメージが強い。この時期恒例の『忠臣蔵』に加えて、正月の時代劇特番がすっかり定着したからだろう。

時代劇という言葉からまず浮かぶイメージは、主人公が悪党どもをばったばったと斬り捨てる場面だ。ものすごく極端な言い方をすれば、殺陣のシーンがなければ時代劇ではない。キスシーンのないハリウッド映画など成立しない(?)のと同じである。

殺陣において、主役の技量が重要なのは言うまでもないが、斬られ役の存在も忘れてはいけない。斬られ方ひとつで、見栄えが変わるからだ。また斬られた人間は、素早く画面から消えなくてはいけない。足下に転がったりしていては、どんどん死体が増えて足の踏み場もなくなり、殺陣どころではなくなってしまう。

殺陣師や斬られ役などのプロが集まった、大野剣友会という殺陣集団がある。時代劇には欠かせない彼らだが、実は特撮ヒーロー番組でも活躍していた。例えば『仮面ライダー』。ライダーやショッカーの怪人・戦闘員を演じていたのは、大野剣友会のメンバーだった。そうと知って思い返せば、『仮面ライダー』の戦闘シーンは時代劇の殺陣のシーンによく似ている。ライダーを数人の戦闘員が取り囲む場面は、まさにそうだ。円陣の隊形を組んで回転しながら機を窺い、まず1人が襲い掛かる。そしてそれを合図に、他の戦闘員も次々に攻撃を仕掛けていく。誰でも、時代劇でこんな場面を見たことがあるだろう。

この場合「同時に攻撃すればいいじゃん」、などと野暮なことを言ってはいけない。なるほど、たしかにその方が現実的ではある。映像にリアリズムを追求するのであれば、そうすべきだろう。しかし、複数の戦闘員とライダーが、団子状態でもみ合ったりしていたら、どうだろうか。映像として美しくはない。次から次へと襲い来る敵を、1人ずつ撃退するライダー。リアリズムからは遠くても、ほぼ様式化されたその動きから映像に勢いとリズムが生まれる。それは、様式美を追求した殺陣の魅力の1つじゃないだろうか。

ただし、ライダーの体さばきは、時代劇とはほど遠かった。刀ではなくパンチやキックで応戦し、派手な空中アクションも多いから、当然と言えば当然のことだ。走るときも現代人のように、腕を前後に振り足を上げていた。侍であれば、腰の位置を一定にし、すり足で走るだろう。今回の記事を書く上で、これは少し残念な点だった。もし走り方が侍風であれば、「こんなところにも剣友会ならではのアクションが!」と話を持っていくことができたからである。

でもそんなことを考えているうち、あるヒーローの姿が頭に浮かんだ。ウルトラセブンだ。セブンはまるで侍のように、サササと走ることがよくあった。走り方が侍風だったのは、足の運び方だけではない。両手はファイティングポーズのまま。体の横で前後に振ったりすることもしなかった。それは、侍が刀を構えたまま走っている姿を連想させる。このセブンの走り方。もしや。そう思い調べてみると、結果は予想通り!セブンを演じたスーツアクターの上西弘次氏は、殺陣師だったのだ。であれば、あの走り方は納得だ。

そういえば、セブンは刃物も使った。アイスラッガーと呼ばれる武器で、普段はブーメランのように投げて使うが、時としてそれを手に持ち小刀のようにして敵に斬りつけた。すれ違いざまに胴を斬り、返す刀で背中に一太刀浴びせる。こんな動きは、まさに殺陣師ならではだ。ウルトラマンにも八つ裂き光輪(本コラム第20回の記事参照)という刃物系の武器はあったが、これは投げるだけ。手に持って戦うということはなかった。セブンの場合は、スーツアクターが殺陣師だったからこそ、小刀のように使って戦うというスタイルが採用されたのかもしれない。

殺陣集団や殺陣師が、ヒーローのアクションを担当する。これは、もちろん日本ならではのことだ。ハリウッド映画ともホンコン映画とも違うアクションの系譜。特撮ヒーローものにそれを応用したら、と考えながら年末年始の時代劇を見るのも面白いかもしれない。

第35回:声も重要な要素
2012年11月29日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】11月25日に第1回富士山マラソン参加。この大会の売りは、"日本一トイレが多い"だそうだ(笑)。でもそれ以上に、富士山と湖の景色に紅葉まで楽しめて、たぶん日本一美しいコースではないかと思う。
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『スター・ウォーズ』シリーズの新作が制作されるそうだ。楽しみだと感じる反面、「ダース・ベイダーのいない『スター・ウォーズ』に何の魅力が?」と僕なんかは思ってしまったりもする。

『スター・ウォーズ』と言えば、やっぱりダース・ベイダーだろう。黒のスーツとマントに包んだ身長2mという巨躯。堂々と威厳に満ちた態度。そんじょそこらの安っぽい悪役とは一線を画していた。そして忘れてはいけないのが、俳優ジェームズ・アール・ジョーンズが担当した、重低音で響くあの声だ。学生時代に芝居をやっていた僕にとって、ダース・ベイダーの声は憧れだった。"As you wish."や、"Come to the dark side of the power."といった台詞を、何度風呂場でマネしたことだろう。僕はその後、曲がりなりにも放送通訳という仕事に携わり、自分の声がテレビから流れるようになった。そして学生時代を思い出し、秘かにダース・ベイダーの声を目指して発声練習したものだ。

そんなダース・ベイダーも、日本語版ではかなりイメージが違う。吹き替えは、『科学忍者隊ガッチャマン』の南部博士や『ハクション大魔王』のハクション大魔王の声を演じた声優、大平透氏。『マグマ大使』では悪の親玉ゴアの声も演じているから、悪役の雰囲気という点では十分なのだが、どこか安っぽさみたいなものを感じてしまう。今にもダース・ベイダーがハクション大魔王よろしく猫背になって、マスクの下から「グフフ」と笑い声が漏れてきそうなのだ。

だけど20数年前に、『スター・ウォーズ』が初めてテレビで放映された時、日本語版ダース・ベイダーの声は違っていた。演じたのは俳優の鈴木瑞穂氏。オリジナルほど重厚な響きはないが、品格を感じさせる声質と語り口が印象的だ。僕はこの鈴木版ベイダーが好きなのだが、どういうわけかテレビ以外では聞けないらしい。鈴木版は大平版と比べると、悪役っぽさが足りない気がするので、そのあたりが理由なんじゃないだろうか。

声が印象的といえば、『ウルトラマン』に登場するメフィラス星人。声優は『巨人の星』の星一徹役で知られる加藤清三氏だ。ジェームズ・アール・ジョーンズのように重低音が響くというわけではないが、あの声には子供たちを震え上がらせる威圧感がある。なんせちゃぶ台を引っくり返す頑固親父に、これ以上の適役はいないというぐらいの声なのだ。ただしメフィラスは、武力行使せずに地球を手に入れようとした知性派タイプの宇宙人。ウルトラマンと互角の戦いを演じた上、「よそう。宇宙人同士が戦っても仕方がない」と自ら戦いをやめて宇宙へと帰ってしまう。その引き際のスマートさは、頭に血が上って暴れまくる凶暴宇宙人たちとは明らかに違っていた。でも、もし声の質もその設定に合うものだったら...。そう考えると少し残念な気がする。ちなみにメフィラスは、ウルトラシリーズ45周年を記念して発表された、怪獣・宇宙人の人気ランキングで15位。声がもっとスマートだったら、トップ10も夢ではなかったに違いない。

人気ではメフィラスに次ぐ16位にランクされているのが、『ウルトラセブン』のメトロン星人だ。このブログの第7回と第8回で取り上げた実相寺昭雄監督には、「長靴のお化け」と形容されてしまったが、実は姿に似合わない甘い声の持ち主で、話し方も知的だった。メフィラス同様に知性派タイプであるこの侵略宇宙人の声を担当したのは、ドラマ『特捜最前線』のナレーター、中江真司氏。特撮ファンには、『仮面ライダー』のナレーターと言った方がわかりやすいだろう。「本郷猛は改造人間である」で始まる番組オープニングのナレーション、あの声が中江氏だ。メトロン星人が登場する回はシュールなちゃぶ台のシーンが有名だけれど、そのしゃべりと見た目とのアンバランスさも、不可思議な映像空間を生み出すのに一役買っていた。

果たして新作の『スター・ウォーズ』には、ダース・ベイダーのように魅力的な声を持ったキャラクターが登場するだろうか。実は、ひとつ心配なことがある。それは映画を制作するルーカスフィルムが、ディズニーに買収されたという点。まさかとは思うけれど、映画が始まってみたら、世界で一番有名なネズミのような声が劇場内に響き渡った・・・。こんなことがないよう祈りたい。