明けの明星が輝く空に

Chewing over TOP » 明けの明星が輝く空に » 「2010年5月」一覧

第3回:怪獣の正体
2010年05月14日

【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】 子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】 「約一月前、自転車のヒルクライムイベント、ツール・ド・草津に友人と出場。山の雪景色と草津の湯は最高でした。」
-----------------------------------------------------------------------------------------

僕が小学生のころから何度も再放送されていた『ウルトラマン』。自分が成長するに従い、いろいろな発見があって何度見ても楽しめた。そうして大学に入り、学生劇団に所属していた頃に見て、子供番組にしてはスタイリッシュな映像だと驚かされた1話がある。特撮ファンの間では有名な、実相寺昭雄監督による作品、『故郷は地球』がそれだ。

物語の中盤、怪獣の正体が告げられる衝撃的な場面がある。画面には、サーチライトの逆光に浮かび上がる登場人物たちの黒い影。彼らが台詞をしゃべるごとに、息が白く輝いて映る。「子供番組にこんなカッコいい映像を...」とびっくりした。そしてそれが、自分の中の「ウルトラシリーズ再評価」につながっていったのだ。

ところでなぜこれが"衝撃の場面"かというと、その怪獣は変わり果てた人間の姿だったからだ。ある宇宙飛行士が有人衛星の故障で地球に帰還できなくなる。だが、計画の失敗が明らかになることを怖れた祖国は、彼を見捨てて秘密の闇に葬り去る。そして飛行士は、宇宙空間で長い時間を過ごしている間に姿を変え、復讐するため地球に帰ってきた。つまりその怪獣は犠牲者だったのだ。悪いのは、彼を見捨てた人類のほうだ。

「俺、戦うのやめた。だってあいつは人間じゃないか」

こう言ったのは、普段は怪獣から人類を救う科学特捜隊の1人だった。『故郷は地球』の面白さは、"科特隊は正義なのか"という疑問を視聴者にぶつけていること。それまでの作品世界にあった"人類=正義、怪獣=悪者"という図式が大きく覆されようとしていた※1。ポップカルチャーの評論家、切通理作氏はその著書、『怪獣使いと少年』(宝島社文庫)の中で指摘する。「怪獣とは差別された人間の象徴であり、それまでは間接的に表現してきたことを、このエピソードで(はっきりと)明かしてしまったのだ」と。

『故郷は地球』では最後、人類への復讐を果たせずに敗れた怪獣、いや男のために墓標が建てられる。それに向かって科特隊の隊長は「だけど満足だろ?こうして故郷の土になれたんだから」と言った。名セリフのようにも聞こえたけど、よく考えたら"2回も"人類に殺された男にとっては満足どころの話ではない。画面はそれを指摘するかのように、戦うのをやめたと宣言した隊員のアップを最後に映し出す。その顔には、悲しさとやり切れなさが混じったような表情が浮かんでいた※2

ちなみに、この怪獣の名はジャミラ。フランスの警察から拷問を受けた、アルジェリア独立運動家の名前をとって命名されたそうだ。

※1.この場面が印象的なのは、もうひとつ演出上の仕掛けがある。問題の台詞を与えられたのは、普段はおっちょこちょいの3枚目役を任されていた隊員で、彼はこの時、それまでに見せたことのないようなシリアスな表情をしていた。見ている側は、それを見て事態の深刻さを知るのだ。

※2.この役どころが主役ではない点が『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』の違いだ。後者であれば、最後は主役の顔のアップで終わっていたことだろう。

第2回:満開の桜より散る桜
2010年05月06日

春といえば桜。青空の下で見る満開の桜ほど華やかなものはない。誰もが憧れる「ヒーロー」は、そんな桜に例えられるかもしれない。"光の国"から来た銀色の巨人・ウルトラマンは、まさに満開の桜のような存在。怪獣がビルを壊しても車を踏んづけても、必ず華々しく登場して地球を救ってくれた。

だけど、ウルトラセブンは違っていた。作品には主人公の苦悩や悲しみといったものが伝わってくるエピソードが多く、どこか哀しさが漂う。例えるなら、風の中で舞い散る花びらの風情だ。しかしそれが、僕も含め、今も多くのファンを惹きつけて止まない所以になっているのだ。

セブンは普段、地球人として生活しているが、実際は宇宙人だ。そのため、人類とその敵となった宇宙人の間で板ばさみになったこともあった。ある時は、彼が宇宙人と秘密裏に話し合い、不戦の約束を結ぶ。しかし、地球人にはそれを信じてもらうことができない。セブンの孤立し悩み苦しむ心情は、子供だった僕にも見て取れるほどだった。

また別の時には、人類の行動に疑問を投げかける。地球防衛軍が敵に対抗する強力な兵器を開発。彼は宇宙人がそれより強力な武器を作ったらどうするのかと問いかける。返ってきた答はもっと強力な武器を作ればいい、というものだった。そこでセブンは言う。「それは血へどを吐きながら続ける悲しいマラソンですよ」

放映当時は、東西冷戦の真っ只中。セリフには当時のそんな東西の対決のむなしさが込められている。ちなみにこのエピソードでは、兵器の実験場に使われた星の生物が、放射能の影響で怪獣と化し地球に襲来する。人類を救うために戦うセブン。一方の怪獣は、まるで戦時中のヨーロッパを思わせる街の廃墟の中で、翼をもぎ取られ倒される。その体から飛び散ったのは血ではなく、無数の黄色い羽毛だった。そして足元には華やかな色の花々。美しくも物悲しい映像が、強い印象となって残る1本だ。

こうしたエピソードを見ると、今度は「正義はどちらにあるのか」という疑問が湧き上がる。人類は果たしていつも正しいのか。怪獣や宇宙人には、彼らなりの正義があるのではないか。この疑問は、現実の世界の国際・民族紛争にも十分当てはまるものだ。たかが子供番組と片付けられない強いメッセージ性が込められていることに、今更ながら驚かされる。

実は初期のウルトラシリーズには、「誰が正義か」を問うエピソードがいくつか見られる。いずれも子供だけに見せるのは、もったいないと言える名作だ。次回からは数回に分け、それらのエピソードを紹介したいと思う。