第2回:満開の桜より散る桜
2010年05月06日
春といえば桜。青空の下で見る満開の桜ほど華やかなものはない。誰もが憧れる「ヒーロー」は、そんな桜に例えられるかもしれない。"光の国"から来た銀色の巨人・ウルトラマンは、まさに満開の桜のような存在。怪獣がビルを壊しても車を踏んづけても、必ず華々しく登場して地球を救ってくれた。
だけど、ウルトラセブンは違っていた。作品には主人公の苦悩や悲しみといったものが伝わってくるエピソードが多く、どこか哀しさが漂う。例えるなら、風の中で舞い散る花びらの風情だ。しかしそれが、僕も含め、今も多くのファンを惹きつけて止まない所以になっているのだ。
セブンは普段、地球人として生活しているが、実際は宇宙人だ。そのため、人類とその敵となった宇宙人の間で板ばさみになったこともあった。ある時は、彼が宇宙人と秘密裏に話し合い、不戦の約束を結ぶ。しかし、地球人にはそれを信じてもらうことができない。セブンの孤立し悩み苦しむ心情は、子供だった僕にも見て取れるほどだった。
また別の時には、人類の行動に疑問を投げかける。地球防衛軍が敵に対抗する強力な兵器を開発。彼は宇宙人がそれより強力な武器を作ったらどうするのかと問いかける。返ってきた答はもっと強力な武器を作ればいい、というものだった。そこでセブンは言う。「それは血へどを吐きながら続ける悲しいマラソンですよ」
放映当時は、東西冷戦の真っ只中。セリフには当時のそんな東西の対決のむなしさが込められている。ちなみにこのエピソードでは、兵器の実験場に使われた星の生物が、放射能の影響で怪獣と化し地球に襲来する。人類を救うために戦うセブン。一方の怪獣は、まるで戦時中のヨーロッパを思わせる街の廃墟の中で、翼をもぎ取られ倒される。その体から飛び散ったのは血ではなく、無数の黄色い羽毛だった。そして足元には華やかな色の花々。美しくも物悲しい映像が、強い印象となって残る1本だ。
こうしたエピソードを見ると、今度は「正義はどちらにあるのか」という疑問が湧き上がる。人類は果たしていつも正しいのか。怪獣や宇宙人には、彼らなりの正義があるのではないか。この疑問は、現実の世界の国際・民族紛争にも十分当てはまるものだ。たかが子供番組と片付けられない強いメッセージ性が込められていることに、今更ながら驚かされる。
実は初期のウルトラシリーズには、「誰が正義か」を問うエピソードがいくつか見られる。いずれも子供だけに見せるのは、もったいないと言える名作だ。次回からは数回に分け、それらのエピソードを紹介したいと思う。