第36回:殺陣師と特撮ヒーロー
2012年12月20日
【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。【最近の私】最近ある対談本を読んで、赤塚不二夫作品が読みたくなった。でも復刻版もなければ、ブックオフにもない。なぜだろう。
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年末年始は時代劇のイメージが強い。この時期恒例の『忠臣蔵』に加えて、正月の時代劇特番がすっかり定着したからだろう。
時代劇という言葉からまず浮かぶイメージは、主人公が悪党どもをばったばったと斬り捨てる場面だ。ものすごく極端な言い方をすれば、殺陣のシーンがなければ時代劇ではない。キスシーンのないハリウッド映画など成立しない(?)のと同じである。
殺陣において、主役の技量が重要なのは言うまでもないが、斬られ役の存在も忘れてはいけない。斬られ方ひとつで、見栄えが変わるからだ。また斬られた人間は、素早く画面から消えなくてはいけない。足下に転がったりしていては、どんどん死体が増えて足の踏み場もなくなり、殺陣どころではなくなってしまう。
殺陣師や斬られ役などのプロが集まった、大野剣友会という殺陣集団がある。時代劇には欠かせない彼らだが、実は特撮ヒーロー番組でも活躍していた。例えば『仮面ライダー』。ライダーやショッカーの怪人・戦闘員を演じていたのは、大野剣友会のメンバーだった。そうと知って思い返せば、『仮面ライダー』の戦闘シーンは時代劇の殺陣のシーンによく似ている。ライダーを数人の戦闘員が取り囲む場面は、まさにそうだ。円陣の隊形を組んで回転しながら機を窺い、まず1人が襲い掛かる。そしてそれを合図に、他の戦闘員も次々に攻撃を仕掛けていく。誰でも、時代劇でこんな場面を見たことがあるだろう。
この場合「同時に攻撃すればいいじゃん」、などと野暮なことを言ってはいけない。なるほど、たしかにその方が現実的ではある。映像にリアリズムを追求するのであれば、そうすべきだろう。しかし、複数の戦闘員とライダーが、団子状態でもみ合ったりしていたら、どうだろうか。映像として美しくはない。次から次へと襲い来る敵を、1人ずつ撃退するライダー。リアリズムからは遠くても、ほぼ様式化されたその動きから映像に勢いとリズムが生まれる。それは、様式美を追求した殺陣の魅力の1つじゃないだろうか。
ただし、ライダーの体さばきは、時代劇とはほど遠かった。刀ではなくパンチやキックで応戦し、派手な空中アクションも多いから、当然と言えば当然のことだ。走るときも現代人のように、腕を前後に振り足を上げていた。侍であれば、腰の位置を一定にし、すり足で走るだろう。今回の記事を書く上で、これは少し残念な点だった。もし走り方が侍風であれば、「こんなところにも剣友会ならではのアクションが!」と話を持っていくことができたからである。
でもそんなことを考えているうち、あるヒーローの姿が頭に浮かんだ。ウルトラセブンだ。セブンはまるで侍のように、サササと走ることがよくあった。走り方が侍風だったのは、足の運び方だけではない。両手はファイティングポーズのまま。体の横で前後に振ったりすることもしなかった。それは、侍が刀を構えたまま走っている姿を連想させる。このセブンの走り方。もしや。そう思い調べてみると、結果は予想通り!セブンを演じたスーツアクターの上西弘次氏は、殺陣師だったのだ。であれば、あの走り方は納得だ。
そういえば、セブンは刃物も使った。アイスラッガーと呼ばれる武器で、普段はブーメランのように投げて使うが、時としてそれを手に持ち小刀のようにして敵に斬りつけた。すれ違いざまに胴を斬り、返す刀で背中に一太刀浴びせる。こんな動きは、まさに殺陣師ならではだ。ウルトラマンにも八つ裂き光輪(本コラム第20回の記事参照)という刃物系の武器はあったが、これは投げるだけ。手に持って戦うということはなかった。セブンの場合は、スーツアクターが殺陣師だったからこそ、小刀のように使って戦うというスタイルが採用されたのかもしれない。
殺陣集団や殺陣師が、ヒーローのアクションを担当する。これは、もちろん日本ならではのことだ。ハリウッド映画ともホンコン映画とも違うアクションの系譜。特撮ヒーローものにそれを応用したら、と考えながら年末年始の時代劇を見るのも面白いかもしれない。