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第28回:『アニメ作品に見る神話学』②
2012年04月06日

written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。
【最近の私】東京ドームでMLB開幕戦を観戦。延長11回、イチローの打席、球場全体の盛り上がりは最高潮に・・・。幸せなひとときでした。
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日本映像翻訳アカデミーの一番大きな教室でも入り切らないほど、多くの人が聴講を申し込んだセミナー『アニメ作品に見る神話学』。『巨大ロボットと超人編』のテーマは、「なぜ正義の味方は、アメリカでは超人、日本では巨大ロボットなのか」というもの。講師クリスピン・フリーマンさんのこの問いに対して、ネット上には多くの意見が書き込まれている。まともな考察からふざけたものまでいろいろだが、セミナーの予習として参考にはなった。そして僕なりに、日本での巨大ロボット定着の理由を考えてみた。

① 巨大なものに対する憧憬と畏怖
これについては詳しい説明は必要ないだろう。屋久杉やジンベイザメなどを見ればわかるように、巨大なものはそれだけで人を圧倒し、魅了する。
② 怪獣の影響
ゴジラを生んだこの日本で、平和を脅かす敵役として怪獣を超えるものはいない。実写版『ジャイアントロボ』の敵も怪獣だった。そしてアニメに登場する悪役ロボットも、怪獣の延長線上にある。それがよくわかるのが『マジンガーZ』だ。敵のロボットは"機械獣"と呼ばれていた。それら巨大なロボットに対抗するために、当然ながら正義のロボットも大きくなる。
③ 人が操縦する乗り物だから
男の子は乗り物が大好きだ。車や飛行機の運転・操縦には誰もが憧れる。でも小さいロボットだと人は乗れない。ある程度のサイズが必要だ。正義のロボットが大きくなるのは、その意味でも必然的なことなのだ。

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伝統的な宗教の持つ影響力に着目し、日米におけるアニメの相違を分析するクリスピンさんは、日本の巨大ロボットを"悟りへと導く乗り物"、つまり仏教でいうところの"ヤーナ"だとしている。その具体的な例として挙げられたのが、ガンダムだ。主人公のアムロ・レイは、ガンダムのパイロットとして戦い、それを通じて戦うことの無意味さに気づく。いわば悟りを開いたわけだ。そして彼は最後、ガンダムを乗り捨て仲間の元へ戻っていく。乗り物は単なる道具。目的を達成した彼にとって、もはや必要なものではなかった。

僕の方は多分に俗っぽい発想だが、乗り物という点でクリスピンさんの考えと一致した。だけどセミナー終了後に何か物足りなさを感じた。それは、「巨大」ということに関しての分析が聞けなかったからだ。僕が事前に考えていたのは全て、「なぜ巨大か」ということに対する答え。いや僕だけではない。ネットに意見を書き込んでいたほぼ全員が、その点について論じていた。そして「なぜロボットか」ということは、ほとんど触れられていなかった。論点に上がらないということは、僕ら日本人にとって、正義の味方がロボットであることに何の違和感もないことを意味する。それは単に、子どものころから見慣れているからなのか、それとも他に理由があるのか。それはよくわからない。ただ、こんなところにも、日米の対比が現れたと言えるんじゃないだろうか。

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一方、超人に関するクリスピンさんの分析については、なるほどと思ったことがある。実を言うと以前から僕は、スーパーマンを見ても全くときめかなかった。見た目が普通の人間と変わらないからだ。ウルトラマンや仮面ライダーで育った僕には、ビジュアル的な面白さが全く感じらない。せめてバットマンのようにマスクはかぶろうよ、なんて思ってしまう。そうすればあの整髪剤で固めたような髪形、特にくるんとカールして垂れた前髪も隠せるのに・・・。

ただしキリスト教徒やユダヤ教徒の多いアメリカでは、人間の姿をしているということが重要らしい。人は神の姿を真似て作られた。神とは完璧な存在だ。すなわち、人の姿以上に正義の味方としてふさわしいものはない、ということらしい。そう言えば他のヒーローもマスクをかぶるだけで、中身は人間のままだ。バットマンもスパイダーマンも、仮面ライダーのように変身などしない。『超人ハルク』の場合は主人公が変身した。でも大男になって肌が緑色に変わるだけだ。人間の姿であることに、変わりはなかった。

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僕にとってはビジュアル的に何の面白みもないスーパーマンだが、アメリカでの人気の根源には宗教的理由があったのだ。大統領候補の宗派が争点にもなったりする国だ。もしも、もしも万が一、スーパーマンより仮面ライダーの方がカッコイイなんていう人だったら、どんな実力者でも当選しないに違いない。ましてあの髪型がイヤだなんて言う僕は、アメリカでは神を怖れぬフトドキモノということになってしまうだろう。