第44回:食べられる恐怖
2013年09月06日
【written by 田近裕志(たぢか・ひろし)】子供の頃から「ウルトラセブン」などの特撮もの・ヒーローものをこよなく愛す。スポーツ番組の翻訳ディレクターを務める今も、初期衝動を忘れず、制作者目線で考察を深めている。【最近の私】日本橋三越であったウルトラセブン展で、展示会限定ポスターを注文しました。ファンにはたまらない絵柄です。僕が死んだら、棺おけに入れてもらいたいです。
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漫画『進撃の巨人』がアニメ化され、人気を呼んでいる。そんな新聞記事を目にして、さっそく漫画を読んでみた。『進撃の巨人』は、城壁に囲まれた中世ヨーロッパ風の町に暮らす人々と、彼らを襲って捕食する巨人たちとの戦いを描いた物語だ。作品がヒットした理由はいくつかあるだろうけれど、僕が注目したいのは、"人が食べられる恐怖"が描かれていることだった。
"食べられる"ことに対する恐怖は、生き物にとって根源的なものだろう。生命の発生と同時に、弱肉強食の原理は始まった。人類のDNAにも、その恐怖はきっと刻み込まれているにちがいない。これは僕の勝手な想像だけれど、熊に襲われて食べられることと、銃で撃たれること、どちらがより怖いかと聞かれたら、ほとんどの人は前者だと答えるんじゃないだろうか。
人間の心の奥底にある、食べられることに対する恐怖心。僕がそんなことを意識したのは、映画『ジュラシックパーク』を観たときだった。肉食恐竜の親玉とも言うべきティラノサウルスが、トイレに隠れていた男を頭からガブリとやるシーン。決して凄惨な作りの映像ではなく、むしろユーモラスな雰囲気さえ漂う場面だったけれど、僕は体の芯のほうで寒気がした。『ジュラシックパーク』の監督は、スティーブン・スピルバーグだ。そういえば彼は、『ジョーズ』でも食べられることの恐怖を描いていた。物語の終盤でクイント船長が食われるシーンは、いま思い出してもゾッとする。僕の記憶違いでなければ、あの場面は確かBGMがまったく流れていない。ただ物がぶつかる音や、船長の声がするだけ。それが生々しさを強調していたように思う。
日本の特撮作品の場合、怪獣が人を食べる場面はあまり記憶にない。映画でもテレビ番組でも、子どもたちがターゲットの作品が多いのだから、それは当然のことだろう。人が食べられるなどという場面は、子どもたちにとって怖すぎる。へたをすれば、トラウマを残してしまうもしれない。
とはいえ、人食い怪獣がまったくいないわけでもはない。たとえば昭和のガメラシリーズ、『ガメラ対ギャオス』のギャオス。山中での初登場シーンで男を1人飲み込んでしまうし、その後都会を襲ったときには、数人の男女を一度に食べてしまった。ただし『ジュラシックパーク』などとは違って、人が食べられるその瞬間は見せていない。人とギャオスの顔が合成されたカットの次は、ただ極端なアップで、パクパクと動いているギャオスの口元を見せるだけ。牙に血が付いていたりといった細かい演出もない。これではさすがに映像を省きすぎで、当時の子どもたちには何が起こったか理解できなかったんじゃないだろうか。実際、僕自身、"ギャオスは人食い怪獣だ"という印象がない。
反対に、人が食べられる場面が強い印象を残す特撮作品もある。東宝映画『フランケンシュタインの怪獣 サンダとガイラ』だ。サンダとガイラは、怪獣サイズにまで巨大化した人造人間。ガイラの方は、なぜか人肉が好きらしい。漁船を襲い、泳いで逃げようとする猟師たちを追ってくるシーンがあるのだが、その姿は鬼気迫るものがあって背筋が冷たくなる。その後ガイラは羽田空港に現れ、ビルの窓から手を突っ込んで女性を鷲づかみにし、頭の方からかじり付く。口をムシャムシャさせた後、何かをペッと吐き出すあたり、妙にリアリティがあって怖い。そのアイデアを思いついたのは監督か、それともスーツアクターか。どちらにしても、あのワンアクションがあるかないかで、怖さの度合いはかなり違ってくるだろう。
『進撃の巨人』は、実写で映画化される話が出ているそうだ。巨人が人を食べるシーンは、どんな映像になるのか。非常に興味を引かれるところだけれども、僕個人的な好みを言わせてもらえれば、スプラッター調にはしてほしくない。最近ありがちな、CGの使いすぎでごちゃごちゃした映像もカンベンだ。どちらにしても、映画化の実現をぜひ期待したい。