2月のテーマ:夜
アメリカで娯楽といえばもちろん映画。映画館に行くなり、家でDVDを見るなり、とにかく一般人でもかなり映画を見ている。夜はディナーと映画がお決まりのパターンだ。定時で仕事を終わる人も多く、ケーブルテレビ、オンデマンドTV、ネットフリックスなどの普及率も高い。事実、映画スタジオは劇場の売り上げではなく、ホームエンターテインメントで大部分の利益を得ているようだ。
アカデミー賞もついに来週に迫り、下馬評も出揃ってきた。日本での公開はアカデミー賞発表の後になる作品も多いが、今シーズンは見たい作品が目白押しだ。私もいつになくノミネート作品をたくさん鑑賞したが、今回はその中でもひときわ目を引いた「マイレージ、マイライフ」を紹介したい。
主人公ライアンの仕事は企業の指示に従い従業員にリストラを宣告すること。年間322日も出張するためマイルを貯めることを生きがいとしている。人生のモットーは「バックパックに入らない荷物はいっさい背負わない」。そんな身軽な男ライアンは、出張先のバーでアレックスと出会い、意気投合。彼女への思いを募らせる。また合理的で頭の切れる新入社員ナタリーとのやり取りを通して、自分の姿を見つめ直していく。そんな女性たちとの交流を通して、人とのつながりを避けてきた彼の心に変化が訪れる。
華の独身生活を謳歌し、人生をスマートに生きるライアンはまさに現代人の典型だろう。面倒なことを避け、目に見えるマイルというステータスを築きあげることに没頭している。1分1秒でも無駄にしない効率のよいライフスタイルを徹底し、待ち時間は一切作らない。人間関係においても同様である。しかし無駄を省き続けて行き着く先はどこなのか。結局、幸せはつかめないままさまよい続けるだけなのかもしれない。先日アメリカの老舗雑誌で、「現代のアメリカンドリームとは大金持ちになることではなく、家族団らんの時間を持つことだ」という興味深い記事を読んだ。それほど現代では、人との深い関わり、信頼関係、愛情を保つことが難しくなっているのだろう。心が空っぽな人が多くなっているのだと思う。
世界的不況に見舞われた2009年。現代の社会情勢や現代人の抱える不安や孤独をここまでリアルに描いた映画は初めてではないだろうか。映画の冒頭でリストラされた従業員が今後の不安と悲しみを涙ながらに話すシーンがあるが、まるでドキュメンタリーのインタビュー映像のようだ。
特に本作は役者が素晴らしい。独身貴族ライアン役は、ジョージ・クルーニーがぴったりだ。話によると脚本の制作段階から想定していたそう。アレックス役のヴェラ・ファーミガが美しい大人の女を好演。こんな風に年を取れたら素敵だなあと見とれてしまった。ナタリー役のアナ・ケンドリックも賢くて小生意気な新入社員を熱演している。期待通り、アカデミー賞ではジョージ・クルーニーは主演男優賞、ヴェラ・ファーミガとアナ・ケンドリックも助演女優賞にノミネートされた。
すでにアメリカ脚本家組合(WGA)賞、ゴールデングローブ賞脚本賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞脚本賞など数々の賞を受賞している本作。現代世界をリアルかつコミカルに見事に描いた秀作なので、ぜひご覧いただきたい。
日本公開は2010年3月20日。
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『マイレージ、マイライフ』
原題: UP IN THE AIR
監督: ジェイソン レイトマン
キャスト:ジョージ・クルーニー、ヴェラ・ファーミガ
アナ・ケンドリック
製作年: 2009年
製作国: アメリカ
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2月のテーマ:夜
『ガス燈』は、私が初めてキューバの映画館で観たハリウッド映画だ。留学当時
に滞在していた家から最寄りの映画館"チャールズ・チャップリン"では、古い
ハリウッド映画にスペイン語の字幕を載せたものがよく上映されていた。
日本映画の週やトルコ映画の週など、小規模な映画祭のようなものもよく行われ
る映画館で、適度にすいていて居心地がよい。チケット代は日本円に換算して約
10円。途中キオスクに寄って、やはり10円相当のフルーツジュースを飲み干し、
窓口に並びながら5円相当のピーナッツを買う。部屋にテレビがなかった私は、
これを"20円の娯楽コース"と名付け、暇つぶしとスペイン語の勉強がてら、週
に3日は通っていた。
かの有名な字幕"君の瞳に乾杯"で有名な『カサブランカ』の主演女優、イング
リッド・バーグマンと出会ったのも、恐らくこの時だったと思う。白黒の画面に
映る不安げな表情があまりに美しくて、すっかり見とれてしまった。もちろんあ
とで『カサブランカ』も観たけれど、個人的には『ガス燈』の方が強く印象に残っ
ている。当時29歳のイングリッド・バーグマンが初のアカデミー主演女優賞に輝
いたサスペンス映画だ。
舞台は19世紀のロンドン。母親を亡くした主人公の少女ポーラは、叔母であり大
歌手であるアリス・アルキストとともに暮らしていた。しかし不幸にも自宅で叔
母が何者かに殺されてしまう。傷心をいやすために思い出の家を離れ、叔母のよ
うな歌手になろうと歌のレッスンに励むポーラだったが、レッスンの伴奏を務め
るピアニストのグレゴリー・アントンと急速に恋に落ち結婚することに。ポーラ
の複雑な思いをよそに、2人は悲しい記憶が残る叔母の家で暮らすことになった。
ところが叔母の家に越してからというもの、ポーラの周りに不思議なことが起こ
り始める。夜、夫が作曲のために出かけたあと、室内のガス燈の光がぼうっとか
げり、閉鎖されているはずの天井の物置から物音が聞こえるのだ。さらに夫にプ
レゼントされた首飾りを紛失して以来、"君は忘れっぽくなった、心を病んでい
るんだ"と夫に責められるようになる。かげってゆくガス燈の光と物音に怯える
夜は続き、ポーラの心は次第に衰弱してゆく...。
物語自体の展開はなんとなく読めるけれども、破たんなきストーリーは純粋に面
白く、当時の脚本の完成度の高さを思い知らされる作品の1つだ。
夜毎にかげるガス燈と、不安気にゆがむバーグマンの表情が絡み合い、グっと引
き込まれてしまう。ガス燈の画は、いつまでもいつまでも鮮烈に脳裏にこびりつ
いている。とても個人的で感覚的な感想を言えば、ささいな物音や天井のしみを
見ておびえていた子供の頃の"夜のイメージ"がそこにはある。今の自分の中で
は、夜といえばお酒やライブといった快楽のイメージが圧倒的に優勢だが、夜の
原点はやはり神秘や恐怖だった。だから何となく、私にとってこの作品は、夜を
象徴する映画として胸に刻まれているのだ。
まだ見ていない方は、ぜひこの物語の結末と、儚く美しい人妻を演じるイングリッ
ド・バーグマンの姿を見届けてみてください。
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『ガス燈』
監督:ジョージ・キューカー
出演:シャルル・ボワイエ、イングリッド・バーグマン他
製作年:1944年(※1940年版もあるので注意)
製作国:アメリカ
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1月のテーマ:未知
壁に開いた穴をじっと見つめる1人の中年主婦。
しばらくすると意を決したのか、少し困った表情を浮かべながらも、彼女は目の前の小さな穴にぐっと手を差し込んだ。その先に待ち受ける"未知"の何かをつかむために。
言ってみれば人生なんて未知の連続だ。毎日同じことの繰り返しでつまらないだなんて、ともすると口にしがちだけど、実際のところ、まったく同じ毎日なんてないのだろうと思う。大抵は知らず知らずのうちに経験している"未知"なことに気づいていないだけ、もしくは知らない世界に飛び込むのが億劫で敢えて避けて回っているだけか。
いずれにせよ、選択することが許される立場にある人はラッキーだ。タリーズでいつも決まって頼むカフェラテの代わりに、たまたま目についた新発売のスワークルを注文してもよし、悩んだあげくやっぱりいつものカフェラテに落ち着いてもよし。何をするのだって自由、選ぶのは自分なのだ。
でも、もしその自由がなかったらどうだろう? あるいは引き返す道がなかったら?
ロンドン郊外で独り暮らす未亡人マギーには難病に苦しむ孫がいた。孫オリーの手術費用を工面するため奔走する日々を送るマギー。もはや自宅も手放し借金もできず、途方に暮れていたある日、彼女の目に「接客係募集・高給」の求人広告が飛び込んでくる。もちろん悩む間もなく面接に向かう。しかしただのウェイトレスの仕事だと思い込んでいた"接客"の内容は予想外のものだった。なんと壁に開いた穴ごしに手を使って男性客のお相手をする仕事だったのだ。
田舎育ちのマギーにとって文字どおり"未知"の世界である。さて、マギーはどうしたのか?
一度は怖気づいて逃げ帰ったマギーだったが、彼女に戻る場所はなかった。覚悟を決めて見知らぬ世界に飛び込んでみると、彼女自身も気づいていなかったその道の才能が花開き、瞬く間にマギーは店一番の売れっ子になっていく。もちろんその過程では、同僚とのいざこざやら、地元の友人たちとの友情がこじれるなど、さまざまな試練が降りかかってくるのだが、マギーは強靭な精神力をもってすべてを乗り越えていく。自分を犠牲にしてでも孫を救いたい一心で。
マギーには選択の自由はなかった。愛する孫のため、勇気を振り絞って"未知"の世界へ足を踏み入れた。その結果、彼女は何を手にしたのか。もちろんお金、他人に必要とされることによって生まれた自信、そして予想外にも新しい愛。母は強しとはよく言うが、祖母も相当強い。大切な誰かのために犠牲を払ってまでも愛を与えることのできる人は、当然誰かから同じだけの愛を注がれるのだ。
「手相には、あなたが過去にしてきた悪事がすべて浮き彫りになっている。過去に誰かを傷つけたら、必ずそれは巡り巡ってあなたに返ってくる」
ほろ酔い気分のある夜、神楽坂にいた黄色い服を着た占い師が私と友人に向かって放った言葉が、なぜか急に思い出された。
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『やわらかい手』
出演:マリアンヌ・フェイスフル、ミキ・マノイロヴィッチ
監督:サム・ガルバルスキ
製作年:2007年
製作国:ベルギー/ルクセンブルク/イギリス/ドイツ/フランス
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1月のテーマ:「未知」
先日、「未知」をテーマに原稿を書かなければならないが、まったく作品が思い浮かばないと話したところから映画の話になり、流れで『天空の城 ラピュタ』を見たことがないと告白したら、ある人に「あれ見てないなんて、信じられへん」と言われた。確かに、宮崎作品の中で一番好きという人も多いのは知っているのだが、『耳をすませば』(宮崎作品ではないけど)を大絶賛する友人から借りて見始めたものの、「雫、恋してるのね!」というセリフのところで恥ずかしくなってしまい見続けることができなかったという経験があるので、それ以来この手の作品はちょっと避けていたのだ。予備知識はほとんどなく、城が飛ぶんだろうぐらいの想像しかつかない。だが考えてみれば、そんな『天空の城ラピュタ』は私にとっての未知なる名作とも言えるではないか!ということで、早速、帰り道にレンタルして見たのが、この作品との出会いになった。
舞台は、19世紀後半の産業革命期のヨーロッパをモチーフにした架空の世界。両親をなくしてひとりぼっちの少年バズーは、ある日、空から落ちてきた少女シータを助ける。彼女は「飛行石」という不思議な石を持っていることから国防軍や海賊に追われていた。彼女を放っておけないバズーは戦いと冒険に巻き込まれていく。
海賊のドーラ一家から逃れようとするシーンはコミカルさとスピード感があり、機関車もいい味を出していて冒頭から楽しめた。でも、まだちょっとナナメにかまえている自分がいて、「こういうタイプの女に引かれるわけよね、男は」なんて思いながら見ていた。シータは出来るオンナだ。まず、謎めいている。そして、廃坑のシーンで本領発揮。目玉焼きののったパンを渡されると、「うれしい、おなかペコペコだったの!」と素直に喜んでみせる。そして、あとりんごが1個にあめ玉が2つあるよ、とバズーが言うと「わあ~、バズーのカバンて魔法のカバンみたいね。何でも出てくるもの」と、ほめる。これ大事である。そして、「私、父も母も死んじゃったけど、家と畑は残してくれたので、何とか一人でやっていたの」と健気で自立したオンナをアピール。そのへんの女性向け雑誌やマニュアル本に書いてありそうな「男心をつかむ」ポイントをしっかり押さえている。はい完敗です、さすがヒロインだねえなんて余裕をかましていたのに、このすぐあとのバズーのセリフにやられてしまった。自分のせいでひどい目にあわせてごめんねと謝るシータに彼が言うのだ。「ううん、君が空から降りてきたとき、ドキドキしたんだ。きっと、素敵なことが始まったんだって。」
親もなくひとりぼっちの日々にあんな出来事が起こるなんて、予測もしなかっただろう。だけどその出来事に直面して、素直に、これからのこと期待に胸をふくらませている彼に感動してしまった。彼はいわば「未知」のことに希望を持っている。そう考えたら「未知」がとてもステキなことに思えてきた。いつ何が起こるかわからない。でもそこに、不安や恐れではなく希望を持てたら、この瞬間でさえも楽しく思えてくるような気がしたのだ。
バズーのセリフにナナメの姿勢を正されてから90分、この作品を堪能した。燃え盛る塔からバズーがシータを救い出すシーンは、『タイタニック』の誰もが真似したあのシーンよりもある意味ロマンチックで心を持っていかれた。この作品の中で一番好きなシーンだ。そして、気に入ったセリフがもう1つ。ラストでシータが言うのだ。「土に根をおろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春をうたおう。」自然との共存というのは、私が見たいくつかの宮崎作品の中でも1つのテーマとなっているように思えるが、2009年の私のテーマが「アウトドア」で、海に行ったり山に行ったりして自然を感じることが多かったからか心に響いた。うまく言えないのだが、なんていうか「わかる。結局さ、それって人間が生きるうえでの基本だよね」みたいな気持ちになった。
そして、その気持ちのまま、「未知」に期待を膨らませて私は旅立とうと思う。この原稿がアップされる頃、私は沖縄にいる予定だ。なぜって?フッ、風を感じるためさ。
そんなわけで、ハワイのホノルルセンチュリーライドに続いて美ら島オキナワセンチュリーランに行ってきます。そのお話はまたどこかで...。
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『天空の城ラピュタ』
監督:宮崎駿
制作年:1986年
制作国:日本
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12月のテーマ:「雪」
雪をテーマに映画を紹介するとなると、2種類の映画が思い浮かぶ。1つは『シザーハンズ』『ホームアローン』といった心温まる作品。もう1つは『シャイニング』『ミザリー』など、雪で閉ざされた場所を舞台に展開する、身も心も凍る作品だ。
だが今回取り上げる『ブロークバック・マウンテン』は、そのどちらともまた違う作品だ。主人公はイニスとジャック。2人は雪を頂いた雄大な山々の中の1つ、ブロークバック・マウンテンで雇われカウボーイとして働く。やがて仕事を通じて友情を結んだ彼らだったが、ふとしたきっかけで一線を越えてしまう。そしてひと夏の間、ブロークバック・マウンテンでかけがえのない時を過ごす。
それから20年という長い年月の間に、2人はそれぞれ結婚し、家庭を築く。だがお互いを忘れることのできない彼らは、人目を忍んで思い出の地であるブロークバック・マウンテンで逢瀬を重ねる。そして人には明かせない過去、他人の人生を生きているような現在、想像すら困難な未来について思いをはせ、時には思うようにならない状況にフラストレーションを爆発させて衝突する。
だが雪を抱くブロークバック・マウンテンがいつまでもそこにそびえ続けるように、2人の状況がどれだけ変わろうとも、20年前にお互いに抱いた思いが変わることはない。彼らにとってあの夏こそが最良の瞬間であり、その思い出が心の中でもっとも大きな場所を占め続ける――そのことを示しながら映画は終わる。
もちろん、2人の関係が同性愛であるという点がこの作品の大きなポイントであることは確かだ。だがそんなちょっとセンセーショナルともいえるテーマも、作品を通しての舞台となる雄大な自然の前ではささいなことにも思える。突き抜けるような青空、崇高なまでの美しさを誇る山々。ただそれを映し出すことで示唆される2人の純粋な感情と癒されぬ孤独に、思わず胸を締め付けられるだろう。
ところで、冒頭で「雪といえば心温まる映画、身も心も凍る映画、いずれかが思い浮かぶものだ」と書いた。真逆の発想だけに、もしかするとどちらのタイプの映画を頭に浮かべるかでその人の人間性が分かるかもしれない。では、男性同士の切ない恋愛を描いた『ブロークバック・マウンテン』を思い浮かべた僕はどんなタイプなのだろうか? という話をするといろいろとややこしい話になりそうだが、いずれにせよ、この作品が観た人の心に音もなく、しかし確かなしるしを残していくのは間違いない。それこそ、夜中に降り積もる雪のように。
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『ブロークバック・マウンテン』
出演:ヒース・レジャー、ジェイク・ギレンホール ほか
監督:アン・リー
製作年:2006年
製作国:アメリカ
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12月のテーマ:雪
皆さんが"雪"と聞いてイメージするものは何だろうか?雪国出身の方からは"雪かき"や"雪害"など、あまりいい印象はないと聞くが、多くの方は"ロマンチック、幻想的..."など、ポジティブなイメージを持っているのではないだろうか? 映画もやはり、「シザーハンズ」に代表されるような、ファンタジックな作品で雪を効果的に使っているものが多い。
僕が"雪"と聞いて真っ先に頭に思い浮かぶのは『遊星からの物体X』だ。タイトルからもお分かりになると思うが、ロマンチックなどとは程遠い...。舞台は南極。雪と氷に閉ざされた南極探検隊基地で起こる、エイリアンと隊員たちとの死闘を描いた、エイリアン映画の金字塔的な作品だ。
はらわたは飛び散るわ、首はもげるわ、頭は爆発するわの、当時はゲテモノ映画と評された映画である。
ノルウェーの探検隊によって発見されたエイリアンを掘り起こしてしまったアメリカ探検隊。凍り付いていたエイリアンは息を吹き返し、あらゆる生命体を媒介としながら、形態を変えて次々に隊員を襲っていく。仲間の中にも媒介とされ体を乗っ取られた者が出始め、次第にお互いに疑心暗鬼に陥っていく隊員たち。エイリアンのおぞましい姿が明らかになり、やがて、物語は最終決戦へとなだれ込む。死闘の末、最後のエイリアンを始末するも、生き残った2人の隊員は、相手がエイリアンに体を乗っ取られているかもしれないという不安に駆られる。そこで"ゾンゾン..."という曲が流れ、映画はそのまま不穏な終わり方をする。映画公開時、どちらがエイリアンなのか?という疑問を解き明かすヒントが映像に隠されているというウワサがあった。片方の登場人物の息が白くない...ということはあちらがエイリアンなのだ、という話もあったが、監督曰く、単純な編集ミスという話もあり、真偽のほどは定かではないようだ。
さて、この映画の特長はなんと言ってもクリーチャー造形だ。現在のようにバンバンCGを使える時代でもないのに、クリーチャーの完成度は、今見てもまったく見劣りがせず、思わず息を呑むほど。隊員のちぎれた頭部から足が生えてシャカシャカと歩き出す"蟹エイリアン"など、思わず笑
ってしまうようなクリーチャーもいるが、そんなヤツでさえ、「アバター」の100倍リアルだ。
リメイクの話もあるようだが、当時のような完成度は到底出せまい。もちろん、技術的には今のほうが数段上だろうが、82年に作られた本作には、そんな高度な技術を嘲笑うかのような緊張感がある。もちろん、僕が小さかったということもあるだろうが、やはり、小手先の技術を使って作る現在の環境では出せない"迫力"や、スタッフの"気迫"のようなものがあるのだと思う。
クリーチャーのことを書いていたら、『アルゴ探検隊の大冒険』のギシギシ動くタロスや骸骨剣士など、ストップモーションで撮ったことがバレバレのクリーチャーが出てくる映画を観たくなってきた。久しぶりにビデオを掘り起こしてみよう。
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『遊星からの物体X』
出演:カート・ラッセル、A・ウィルフォード・ブリムリー ほか
監督:ジョン・カーペンター
製作年:1982年
製作国:アメリカ
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11月のテーマ:スポーツ
サーフィンをすることなんて一生ないと思っていたのに、2009年夏、私はサーフィンデビューを果たした。と言っても、初めてスクールに参加した日、まったく自覚がないのに「あの溺れそうになっていた子」と称されたくらいなので、華々しいデビューとはいいがたいのだけれど。サーフィンほど事前に思い描くイメージと実態がかけ離れているスポーツもないかもしれない。とにかく難しいし、上達するのに時間がかかる。それを実感したので、今や海と闘いながら腕を磨いたのであろうサーファーをリスペクトしている。そして、彼らのカルチャーに、ちょっと憧れている今日この頃である。
『ブルークラッシュ』は、ハワイのオアフ島に住むサーファーガールの生活を描いた青春映画だ。ライフスタイルもリアルに描かれていて、お金はないけど一生懸命働いてサーフィンに打ち込むガールズたちには共感が持てる。そして彼女たちがオアフ島のローカルで、ノースショアでサーフィンしちゃったりするところが、サーフィンをちょっぴりかじった私にはぐっとくる。ガールズムービーには欠かせないでしょう恋愛ももちろんからんでくる。主人公はNFLの選手と恋に落ちちゃうのだが、当然、彼のポジションはクウォーターバック。こういうベタさ、私は嫌いじゃない。
そして何より、この作品で特筆すべきは水中撮影のすごさだ。超危険なガールズサーファーの大会パイプ・ライン・マスターズのシーンでのライディング映像は必見だ。臨場感があって、まるで自分が乗っているような気分になる。海に入ったあとのような爽快感を味わいたい人にもおススメだ。
20年ぶりに海に入って、海の水ってしょっぱいんだ、と思い出した。そして、波にもまれて初めて、サーフィンを、そして海をなめていたことを思い知らされた。それでも海に魅了されたようだ。時々、海に入りたいなあと思うようになった。でも秋も深まり、季節は冬へと移り変わりつつある。この間も海が恋しくなったが、寒いのは苦手なので、とりあえず暖房が効いた部屋で『ブルークラッシュ』を見た。そして、ぬくぬくした部屋で一流サーファー気分を味わった。2009年冬、私は乙な寒い日の過ごし方を見つけてしまったようだ。
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『ブルークラッシュ』
出演:ケイト・ボスワース、ミシェル・ロドリゲス、サノー・レイク
監督・脚本:ジョン・ストックウェル
製作:ブライアン・グライザー
製作年:2002年
製作国:アメリカ
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11月のテーマ:スポーツ
うちの近所には小さなGEOがある。小さな店舗だから種類も少ないし、たとえ
目当てのものが見つかっても、"旧作100円セール"の追い風もありほとんどが
貸し出し中。そもそも私は『ピンポン』が観たかったのだ。
"あった、あった!"と手を伸ばすと、やはりカラ。やはりな。
"あーあ、どうしよ、困ったな、人気作品なんだから2~3本は在庫置いといて
よね。あ、『ナチョ・リブレ』はどうかな。やっぱカラだよ、もう!"
...なんて思ってると、小さな店舗の貴重な棚の片隅に、スポーツという札を掲げ
た光り輝く一角があるではないか。
"よかったー、これで店内で闇雲にスポーツ映画探さずに済むよ、どれどれ..."
と覗いてみると、いかにも感動しそうなドラマ系の作品や有名選手のドキュメン
タリー風のにまじって、明らかにふざけたジャケの作品が鎮座していたのです。
『燃えよ、ピンポン!』
どっかで何度か聞いたような名前ですが、なにせピンポンです。しかもジャック
・ブラック風のふとっちょな主人公...。いっちょ借りてみようではありませんか。
ま、こんな前置きが長くなってしまったのも、私がやはりスポーツものが苦手だ
からに他なりません。そしてこの作品を選んだ所以もまた然りです。コメディな
らイケるべ!、と(すみません)。
それで、観てみました。
主人公は、かつて天才卓球少年として持てはやされたランディ・デイトナ。しか
しオリンピックで無様な負け方をしてからというもの人生は一転してしまう。メ
タボ中年となった今では、卓球曲芸で生計を立てる日々。あるとき、FBIの諜
報員ロドリゲスにその腕を買われ、裏社会で極秘に行われる卓球世界大会への潜
入捜査を委託されることに。目の見えない中国人師匠に特訓を受け、無事出場権
を獲得したランディ。しかし大会の実態は、敗者殺害のデスマッチ・トーナメン
ト。しかもその主催者は、父を殺した宿敵フェンだった...。
という、まあ、基軸は『燃えよドラゴン』のパロディなわけですね、やはり。
出てくる人物とふざけた会話はコメディなのですが、卓球のアクションはちゃん
と素晴らしかったりします。登場人物にもそれぞれに愛着が持てて、パァ~っと
楽しく鑑賞できました。何も考えずに楽しく観られるこんな映画も、いいなと思
うわけです。しかも吹き替えで。家族で安心して観られる、黒すぎずエロすぎな
いマイルド目のコメディといいますか。決して煮え切らないと言いたいわけでは
ありません。私は結構好きです。
クリストファー・ウォーケンのおバカなボスキャラと、マギー・Qの美貌も見も
のです。彼女は卓球もそうだけど、どちらかというとカンフーで魅せるシーンが
多いかなという感じ。強いヒロインっていいですよね。とりあえず、裏取りして
たら『燃えよドラゴン』を観たくなりました(実は未鑑賞)。
純粋にスポーツ観たい!!って人には、向かないかもしれませんが、普段観ない
けど、ちょっとスポーツ要素欲しいな、って人にはオススメの1本です。
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『燃えよ!ピンポン』
監督:ロバート・ベン・ガラント
脚本:ロバート・ベン・ガラント
音楽:モーリス・ジョーベール
出演:ダン・フォグラー、クリストファー・ウォーケン、マギー・Q、マシ・オカほか
製作国:アメリカ
製作年:2007年
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10月のテーマ:クセ
いつの間にやらそれなりの大人になってからというもの、事あるごとに思い出し、こいつはよく言ったものだね、と感心するようになったのが「三つ子の魂百まで」ということわざです。
幼児教育に臨床心理学に性格判断、果ては宗教理論まで、様々な文脈において、こう言ってよければ実に好き勝手な解釈で援用されてきたこのことわざの、誰が言い出したのかはさておくとして、三つ子に魂があることをさらりと前提としている慧眼には、ひとまず感服しないわけにはいきません。
考えてみると、私たちは自分よりむしろ他人について「三つ子の魂百まで」という感慨を抱く機会が多いのではないでしょうか。
相手が子供にしろ大人にしろ、なぜか変わらない好みや、いつ始まったのか分からない性癖、自然に選んでしまう特定の行動パターンや思考パターンといった、その人らしさを示すある種の"印"に触れた時、私たちは「百まで」消えることなく続くであろう何かの存在をぼんやりと感じるわけです。
その時に私が思い浮かべる魂は、それこそ個人的な趣味(癖?)に過ぎないのでしょうが、必ずしもスピリチュアル的な、輪廻転生する魂ではありません。
どちらかというと後にも先にもなく1回完結で、その人を他の人と最終的に隔てる、似通って見えても実は交換不可能な何かのような気がします。
ただ、もちろん私はそんな魂の姿を見たことなどなく、実際には、幼稚園に通う2人の甥がじゃれ合ったりケンカしたりしている様子や『恋愛日記』でシャルル・デネールがモンペリエのデパートを歩く女性の後をつける場面を見て、「三つ子の魂百までか...」とひとりごちているばかりなのですが。
フランソワ・トリュフォーが女性の脚の魅力に取り憑かれた中年男の数奇な生涯を描いた『恋愛日記』において、シャルル・デネール演じるベルトランが女性の脚になぜそれほど執着するに至ったのかは、ついに説明されることはありません。
多くの女性を愛し、多くの女性から愛されたベルトランの人生を、映画は彼の性癖に基づく行動だけに焦点を当てて映し出していくのです。
モーリス・ジョーベールによる優雅で軽やかな室内楽をバックに、『恋愛日記』はベルトランの葬儀のシーンから始まります。
参列者がすべて女性のみという、異様であり、楽園的でもあるこの場面のムードは、作品の主旋律となってラストシーンまで途切れることなく流れ続けるのですが、見る者はやがて、おとぎ話と悪夢の区別がつかなくなるかのような、奇妙な時間に出会うことになるでしょう。
個性豊かな曲線を描いて大地に立つ2本の脚。そんな脚を持った生き物としてしか女性を愛せないベルトランの生活を、トリュフォーは嘲笑することなく、生真面目な解剖医のような手つきで画面に収めていきます。
それは自らの性癖に振り回されて生きるしかなかったベルトランの、ユーモラスに思えるほど真剣で矛盾に満ちた"魂"に触れる、唯一の方法だったのかもしれません。
当時学生だった私がこの作品を初めて見た時に強烈に印象に残ったのは、無邪気に微笑むブリジット・フォッセーのえくぼと、スローモーションで描かれたある1シーンでした。
ベルトランの回想とも白昼夢ともつかないその場面では、春服を着た何十人もの女性が地下鉄の出口の階段を一斉に駆け上がる姿が映し出されていました。
どこか『トリュフォーの思春期』の冒頭の、子供たちがティエールの町の坂道を一斉に駆け下りる場面をほうふつとさせるシーンです。
その陽射しと躍動感と歓喜があふれかえるような画面は、きっとトリュフォーが映画に残した"印"なのだと思います。
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『恋愛日記』
監督:フランソワ・トリュフォー
脚本:フランソワ・トリュフォーほか
音楽:モーリス・ジョーベール
出演:シャルル・デネール、ブリジット・フォッセー、ナタリー・バイ、
レスリー・キャロン、ネリー・ボルジョーほか
製作国:フランス
製作年:1977年
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10月のテーマ:クセ
ひさしぶりに音楽モノをスクリーンで観た。
『扉をたたく人』
第4回UNHCR難民映画祭のクロージングを飾った作品だ。よかった。いい意味でばっさり裏切られて、これがまた実に感動した。
私は音楽モノ作品には、無条件に感動してしまうクセ(?)がある。
ぱっと思いつくものでも、『4分間のピアニスト』『戦場のピアニスト』『海の上のピアニスト』(やっぱり、ピアノ系の邦題って「ほにゃららのピアニスト」ってなってしまうことについて【余談】)...ほらね、感動してたでしょ。
ラフマニノフの3番がなんたるかも知らないくせに、思わず『シャイン』のサントラ買っちゃうし、ゴスペル初心者のくせに、やっぱりソウルに響くんだよ、これ、と、『天使にラブ・ソングを』のOH!HAPPY DAYを練習しちゃうし、『スウィングガールズ』だって、(今ではカワイイけど)上野樹里含む微妙な女子高生で十分感動してたし。そういう感じ。
繰り返される単調な日常において、ひょんなことから主人公が音楽や楽器に出会い、のめりこんでいく。今まで周囲のことに無感動だったような人間も、音楽によって人生が大いに彩られたり、ちょっとやそっとの困難だって、奇跡のガッツで乗り越えちゃったり。NO MUSIC, NO LIFE精神。人が何かに夢中になり、我を忘れてのめりこんでいく姿って単純に引きつけられてしまう。
専門家が聞けば、その演奏はそれほどミラクルでないかもしれないし、「このシーンは、替え玉か?」などと考えてしまうこともしばしばあるけど。それでも、音楽モノ、楽器モノは奏でられる音楽と、主人公の感情の昂ぶりとでグルーブしまくっちゃって。これまたどんなダイアログを並べられるより、心打つものがあったりするわけで。なんとも分かりやすくて、好きだ。
さて。
『扉をたたく人』は音楽モノでありながら、中盤から殆ど演奏シーンがでてこない。それがまた、音楽が人生にとって、どれほど価値あるものとなりうるかをみせている素晴らしい構成だ。
主人公の大学教授ウォルターがシリアからの移民少年タリクと出会うまでは物語は実に単調。その後、ジャンベ(アフリカン・ドラム)が奏でるアフリカンビート(3拍子)にのって、ストーリーは一気に盛り上がる。しかし二人の心が通い合うがいなや、不法滞在を理由にタリクは拘束されてしまう。そこからはジャンベの音色どころか、劇中音楽すら、殆ど出てこない。
タレクは、ガラス越しに訴える。
「自由に生きて、自由に自分の音楽を奏でたい」
生きることを奪われた青年に、本当に生きるとは何かを教えられる、ウォルター。そして音楽を奪われたことの、苦しさがそれこそ痛いくらいに伝わる。さっきまで心地よく響き渡っていた、あのジャンベの音色に対する枯渇感を観客は感じずにいられない。
自由の国、アメリカ。拘置所の近くにはその自由を謳歌するようなグラフィティアート。壁をへだてた向こうでは、人を番号で管理する自由とはかけ離れた世界がある。明日の居所さえ保証されない。家族さえ事前に知ることが出来ない。その扱いは宅配便の管理以下だ。ウォルターがタリクを救うため依頼したのはアラブ系弁護士。叔父も強制送還された経験を持つというアラブ系の彼も、高価なスーツを身にまとったニューヨーク出身、完全なアメリカ人だ。ベストは尽くすと一蹴された依頼人は、もはやなす術もない。だが現在のアメリカでは、その言葉にすがるしかないのだ。
不法滞在を擁護するつもりはさらさらない。ただ、9.11を経験したアメリカは、明らかになにか大事なものを失ったと思わざるをえない。
Broadway Lafayette ST.のプラットホームでジャンベを打ちならすラストシーン。次第に近づき重なるもうひとつの3拍子。ジャンベの音までも飲み込むそれは、ホームに滑り込む地下鉄の音。
ノーベル平和賞を受賞した大統領を擁すこの国は、この先、この国に生きる人全てに、自由と平和を保証してくれるのだろうか。
上野樹里といえば、『のだめカンタービレ』。原作は、いよいよ連載最終回!一大クラシックブームを巻き起こしたこの作品も、終わってしまうのか... ( ̄д ̄)エー。単行本出るまでほんとに待ちきれない...。
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『扉をたたく人』
製作年:2007年
製作国:アメリカ
監督:トム・マッカーシー
出演:リチャード・ジェンキンス
(2009年アカデミー賞主演男優賞ノミネート)
ハーズ・スレイマン、ヒアム・アッバス
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